忘れてしまうことと思い出すことの境目で
18歳女子・玉名ラーメン、登場!
2001年6月東京生まれの今年18歳。現役女子高生。ラッパー。トラックメイカー。詩人。それが玉名ラーメン。とにかくそれが玉名ラーメン。呟くように、囁くように、独り言のように……いや、独り言などではないだろう。音と言葉を刻むという意思。でも、それは行為でも表現でもなく、ただただ音楽でしかない。取材場所に一人で現れたその静かな佇まいには、女子高生であることのエクスキューズなど微塵もなかった。むしろ音楽家であろうとする誇りさえあった。
4曲入りのファーストEP『空気』は、Spotify、Apple Musicなどで簡単に聴くことができるが、ライヴ会場と一部のショップで買えるCD-RにはZINEがついている。いや、ZINEにCD-Rがついていると言うべきか。そのZINEの中綴じ中央に、大きく「思い出す」という活字が置かれている。歌詞はもちろん、リリックのメモ書きや写真のコラージュなどがランダムにレイアウトされている中に、その「思い出す」という文字だけが巨大なサイズで配置されている様子はとても鮮烈で不気味であり、でもふっと遠くに追いやられていた記憶の紐がほどかれていくように穏やかでもある。彼女は言う。「忘れたくないから音にしている、言葉にしている」と。
最初こそフリー素材を使用していたものの今はオリジナルで制作しているというトラックはどこまでもアブストラクトでダークだ。でも重くないし濁ってもいない。翳りがあってクリーン。そこに口をついて出てきたような赤裸々で芳しい言葉がラップ……というより朗読のように折り重なっていく。まるでそれぞれの流域がマーブルのように溶け合うがごとく。しかし、そうやって溶け合う様子はあまりにも危うく甘美だ。
そもそも玉名ラーメンというのは?という素朴な質問に、「なんか予測変換で出てきて(笑)。テキトーですね。検索しても出てこないのが本当に困っちゃって」と嘯く。先ごろ新曲「柔らかい」を発表、今月にはセカンドEPのリリースも予定しているという、ようやくエンジンがかかってきたそんな玉名ラーメンの、18年の歴史(?)を辿る初インタビューをお届けする。(取材・文・撮影/岡村詩野 協力/高久大輝)
Interview with Tamana Ramen
――音源のリリースはこの『空気』が最初なのですか?
玉名ラーメン(以下、T):はい、これが最初ですね。自分が作ったものを形にしたくて、CDだけだと普通なのでZINEとしてちゃんと自分が想像している曲のイメージとかをみんなに目で視覚的に見てもらいたくて作りました。CDを売るとなるとバーコードとか必要じゃないですか(笑)。
――ZINEのようなものも初めて?
T:今まで遊びで作ったことはあったんですけど、製本を頼んだりとかは初めてです。
――レイアウトとかデザインも全部自分で?
T:はい。
――遊びで作ったことがあったというのは?
T:2年前に姉と一緒にZINEを作ったことはありました。ジンギャザ(『TOKYO ZINESTER GATHERING 2017』)に出して。
――じゃあ紙の媒体を作るのが最初だったわけですね。
T:そうですね。姉と一緒に遊びで~みたいな感じで。
――ということはお姉さんの影響が強い?
T:MVも姉に手がけてもらっているので結構二人三脚みたいな感じです。
――Hana Watanabeさんですね。
T:そうです。ただ、本自体にはそもそも興味はなくて、最初に姉と一緒に作ったのも遊びだったし、このZINEを作ったのも紙への興味っていうよりは手に取ってもらう面白さというか。私が音を出すだけじゃなくて何か見てもらいたいと思った時に紙の媒体になって…世界観を共有したかったんです。
――それには何かお手本はありました?
T:いや、そういうのはないですね。iPhoneのメモにパッと思いついたものをメモしていて……これ(今回のCD+ZINE)も元々はiPhoneのメモに書いていて最終的に歌詞にするってことで(手書きで)書いたんですけど。思いついたメモが歌詞になったりすることが多いです。
――そういうのはふと思いつく感じ?
T:授業中とか暇というか、退屈だなって思ったとき違うことを考えてそれを後でメモに残してっていうのが多いです。
――小さい頃からやってました?
T:なんか幼稚園の頃から替え歌っていうか自分で歌を作曲じゃないですけど歌っていたみたいで、それもたぶん無意識のうちに作詞はしていて。そういうのがメモに進化したのかもしれないです。
――どういう替え歌?
T:自分のメロディーがある(笑)。
――要するにオリジナルの曲を作っていたわけですね(笑)。
T:で、母のガラケー使って、自分が歌っているのを自分で動画で撮って。確かに車の中で撮ったなっていうのは覚えてますね。
――それってどういう心理だったと思います?
T:うーん、覚えてないですけど、幼稚園でも遠慮しがちなタイプだったので、自分が画面に映ることでの認識とかはあったかのしれないです。
――遠慮しがち? 隅っこの方にいるような?
T:3人兄弟なんですけど家族の中では前に前にではないですけど結構仲良くやっていたんですけど、幼稚園とか集団になると一気に「あ、いいよ」となっちゃう。
――家庭の雰囲気はどのような感じでした?
T:好きなことは絶対やらせてもらってたので、バレエとか習い事も色々やりたいと思って伝えると「いいよ」って言ってくれるんです。でも、全部長くは続かなくて辞めてしまう(笑)。今音楽が続いているのが「すごいね」って言われるくらい飽き性というか…。空手はさすがに反対されてできなかったですけど。
――空手!
T:好きだった男の子が空手をやっていて、私も姉に勝つために空手やりたいみたいな(笑)。喧嘩もよくしていたので。ピアノも一瞬やってたんですけど。あと書き取りの塾に行きたいって言って行かせてもらってもまた辞めて本当にどうしようもない…好奇心旺盛というか。中学生までそんな感じでした……でも、歌っている動画を親の携帯で撮るみたいなことは幼稚園がピークでしたね。
――音楽を意識するようになったのはいつ頃の話ですか?
T:中学1年生くらいまで…元々音楽好きないとこがいてその影響でPerfumeとか西野カナとかメジャーというか、所謂ポピュラー音楽を聴いてました。邦ロックを聴いて自分でやりたいって思ったんですけど軽音楽部がなくてやれなくて。高校に入ってからじゃあバンド組もう!となって組んだんですけど、あれ?違うなと思って辞めて。1人でやれることなんだろうと思ったときにラップなら1人でやれるし、これなら私にもできる!と思ってはじめました。
――バンドがちょっと違うなと思ったのはみんなと何かを一緒にやるってことへの違和感? それとも音楽的な趣味とか傾向?
T:全部そうで。他のメンバーが全員男の子で、曲もグリーン・デイとかバンプとかちょっと古めの邦ロックとかをやってたんですよ。なぜか。あれっと思って。歌ってはいたんですけど。普段聴いていた音楽も全然違ったので抜けちゃいました。
――つまり、普段はラップとかを聴いてたと?
T:そうですね。
――ヒップホップを聴くようになったきっかけは?
T:ヒップホップはたぶんたまたま聴いて、あれこれなんていうものなんだろうっていうよりは自然に入ってきた感じで。ジャンルっていう認識がなくって普通に音楽として聴いてた感じでしたね。
――最初の出会いは?
T:最初は姉かな…それか《Spotify》のおすすめとかかもしれないです。私が高校1年生のときにはもう《Spotify》はあったので(笑)。でも、それがなんだったかは覚えてないですねー。なんか姉がKOHHさんをすごい執拗に勧めてきて(笑)。ゴリゴリな感じで最初は「なんだろう?」って感じだったんですけど…でもなんかいつの間にかって感じで……でもハッキリは思い出せないですね。
――バンドの音よりヒップホップのどういうところが自分に合ってると思いました?
T:なんかヒップホップって結構歌詞の量が多いので自己表現が最大限にできるし、あと単にビートがかっこいいというのもありました。楽器の音色とかもバンドはギター、ベース、ドラムって決まっている気がしてその制約がないという意味で自由だと思います。
――そういう表現方法をずっと探していたとも言えますか?
T:まず第一に音楽やりたいという想いはバンドを組む前からもあったので…そこで一人でもできるし一番ちょうどいいなっていうのがラップでした。
――あくまで歌うことが目標でした? 楽器をやるというよりは自分の声で表現したい、という意味で。
T:私、トラックも自分で作っているんですけど、トラックで作れる世界もあると思っているので。今のところはラップを一応やっているけど、どうなっていくかはわからなくて。最初はヴォーカルしか術がなかったというか。高校の有志の学園祭バンドみたいな感じだったんですけど、最初にやってたそのバンドにはギターが3人いて(笑)、あとベース1人、ドラム1人で。でもうヴォーカルしかなかったので。1人になったとき、ヴォーカルだったのでラップになりました。
――では、もともと自分で文章書いたり詞を書いたりってことを何に使うわけでもなく継続してやってきていたことと、ヴォーカルからラップへの移行時期とが合流したみたいな?
T:はい。それもiPhoneを買ってもらってからですね。iPhoneを買ってもらった日みたいなのを書いていて。3ヶ月に一回とかたまに書きたくなったときにメモに書くっていう感じで。
――きっかけはiPhone。
T:そうですね。ツイッターみたいな感じで、「誰にも見せないつぶやき」みたいな。
――それは全部残ってます?
T:一回iPhoneのバグで消えちゃったんですけど、そこからは一応残ってますね。
――いままでブログとかNoteとかで発表したことは一度もない?
T:そうですね。
――じゃあ、自分の作品を人に見てもらったのは最初にお姉さんと作ったZINEが初めてだったんだ。
T:はい。
――お姉さんに見せたときはどうでした?
T:なんか姉も似たような感じというか。なので「ここいいね、使おう」みたいな感じで、あんまり驚かなかったですね。
――お姉さんと感覚が共鳴できる部分があると?
T:私が作品の裏テーマで社会問題を提示しているんですけど、姉も映像の中にテーマ的なものが存在していて…。
――社会問題を扱うきっかけはなんだったのですか?
T:何もないものを見せても意味がないなというか。別に聴き流してもらっても全然構わないんですけど、何もないものを玉名ラーメンとして聴かせたくなくて。さっき言った裏テーマも別に何かに対して賛成だ、反対だっていう意見を表明しているわけではなくて、こういう問題がありますけどどうですか?どうなんだろう?みたいな…提示なんですよね。うーん、私たちが作っていくこの時代にこんな問題があったんだよっていう記録として残したいというか。
――自分たちが社会の中心になったときに自分たちが子供の頃はこうだったというような?
T:忘れていくじゃないですか。それを風化させたくない、問題提起して残しておきたい。
――つまり、表現のモチベーションは社会問題そのものではないってことですね。その形にして残しておきたいというのを自覚的にやろうとする理由はどこからきました?
T:私は「忘れたくない」という想いが他人より強くて。iPhoneのメモの収集癖みたいなのもその現れだと思うんですけど。忘れたくないから音にしているし言葉にしている。人間なので忘れちゃうんですけど、忘れちゃうのが怖いし悲しいから、絶対忘れたくないっていう感情からですね。
――そういう実体験てあるんですか?
T:これから忘れていくんじゃないかって思っていて。忘れたものはもう覚えていないので、私が感じる悲しさとかもないんですけど。これから忘れちゃ嫌なこと、たぶん私は忘れちゃうんじゃないかってことですね。
――では、まだその実体験はないってことですか?
T:うーん、でも1番初めに作った曲に“大切にしていたクマのぬいぐるみ”っていうリリックを入れたんですけど、それは実際に小学校のときめちゃくちゃ可愛がっていたクマの人形がいて、いつの間にかいなくなってたんですけど、それを当然のように忘れてて、あるとき母親から「ああいうクマいたよね?」って言われて。フッと思い出して、なんか「あんな大切だったのに、全部忘れちゃうんだ」っていう体験はありました。
――逆に最近のAIなんかは記憶は絶対的にデータとして残っていくわけですが、そうした事実に対して圧倒的な正義を感じたりしますか。もしくは抗いたい?
T:いや、確かに全部iPhoneのメモに書いているんですけど、iPhoneを特に信頼しているというわけではなくて普通にメモを書けばいいところを打つ方が簡単だからやっちゃってるだけで。
――バグも起きるし。
T:そうですね。信用できないですね(笑)。
"「忘れたくない」という想いが他人より強くて。iPhoneのメモの収集癖みたいなのもその現れだと思うんですけど。忘れたくないから音にしているし言葉にしている。人間なので忘れちゃうんですけど、忘れちゃうのが怖いし悲しいから、絶対忘れたくないっていう感情からですね。"
――玉名ラーメンさんの作品のリリックの中に「にごった虹色の水たまり」の“現在地”とか、“絶対領域”という印象的な言葉があります。その瞬間の自分の場所を記憶に止める言葉のようにも読めますが、問題提起を残していくこと以外の意味はありますか?
T:こんなぼんやりした話をしていいのかわからないですけど、世界は広いので、ここ以外にもどこかあるし。という自分の居場所。時間だけじゃなくて、自分が存在しているという生きた証ではないですけど、そういう存在を大きく捉えているというか。「自分がここにいました」というのを書いています。
――では、自分で書いて終わりという状態から、現在のように不特定多数の人に共有されるようになってから変わったことはありますか?
T:外に出すことで消化できるし、「楽しい」って思います。人と共有できて、感想をもらったりすると「あっ、伝わってる!」と思います。あと今まで1人で自己完結して終わっていた世界が一気に広がったので不思議な感覚でもありますし、感動もします。
――感想をくれるのは同世代が多いですか?
T:同世代があんまりいなくて(笑)。私がまだ有名じゃないっていうのはあるんですけど、音楽を掘ってらっしゃる方とかにはなってしまうんですけど、結構上の世代の方が多いですね。
――先日ライヴで共演した豊田道倫さんとか。
T:豊田さんは……私が1番最初の曲「砂漠の中のビスケット」を書いたときに、《慕情 tracks》っていうレーベルにコンピレーション・アルバム(『慕情 in da tracks』)に誘っていただいて。で、その曲を(コンピに)入れていただいたんですけど、それを《慕情 tracks》の主宰者の方が豊田さんに渡して……それで知っていただいたんと思います。1年半くらい前ですね。
――その頃にはもう外でライブしたりしてたり?
T:いやそれは全然なくて。「砂漠のビスケット」の1曲だけ出してノロノロして。もう1曲出してノロノロしてみたいな。短期間で大量に作るのも去年の秋くらいからなので。ライブとかはあんまりやってなかったですね。
――曲を作るって感覚というよりは、何かを創作するようなもっと大きな感覚ですか?
T:今は自己表現の一つとして音楽という感じでマインドはチェンジしているんですけど、入口が音楽やりたいという気持ちだったので、「音楽やってる」という感じです。
――じゃあやっぱり表現者とかそういう曖昧な言い方より、音楽家だという自覚が強くあるんですね。
T:はい。
――では、トラックも作るようになったきっかけは?
T:何も楽器が弾けないですし、音階とかもわかりませんし。まずGarageBandを開いて、声なら高さが調節できるので、声を重ねて、ボイスパーカッションとか入れて…(作品としては)出してないんですけど、それが最初ですね。
――1番最初にトラックを作ったのはどの曲ですか? ちなみにいま何曲くらいレパートリーありますか?
T:「真夜中のアイス」が最初ですね。今は12曲くらいです。
――これもGarageBandで?
T:そうですね。独学で誰かに教えてもらったりもなく。
――お手本にしたものもなく?
T:そういう感じじゃなく、「あ、この音面白い!入れよう」みたいな。聴いてる音楽に無意識に影響されていると思うんですけど、「これ真似しちゃお」とかはないですね。
――サンプラーも使わず?
T:使わないですね。
――ちなみに今持っている機材は?
T:ノートパソコンとマイクとマイク繋ぐ用のオーディオ・インターフェイス、あとはパッドみたいなのだけですね。もっと欲しいですけどね(笑)。あったら楽しいなって思います。
ーー音楽を作り始めてから聴く音楽は変わりました?
T:うーん、聴いているのは結構バラバラというか、このジャンルというのはなく色々聴いていて。今好きなのはロシアのラッパーで。YouTubeのおすすめって自分の好きなものが出てくるじゃないですか。それを毎回チェックしてて。この間まではダンス・ミュージックがすごい好きだったのでBoiler RoomのDJプレイ動画とか観て「この曲いい!あ、これ誰だ」とかから辿ったりしてましたね。
――有名な人の曲より知られていない人の作品が面白い。
T:そもそもすごい有名な人がわからなくって。なんというか私は知らない人に巡り合ってしまう(笑)。いや有名な人の曲も聞きたいんですけど、動画から飛んで飛んでを繰り返していくとマイナーになっちゃいます。
――いいなと思える判断の基準はどういうところにありますか?
T:それは直感的なもので。ここがいいなとかは脳内であると思うんですけど、直感的に「あ、この曲いいな」というのだけですね。
――その直感は自分が作っているリリックの面での社会問題とか記憶のこととかトラックに対しての趣味などは関係していますか?
T:関係がなくて、私がいいなと思うロシアのラッパーもロシア語もわからないし。トラックも関係ないですね。
――ただ、玉名ラーメンさんの曲って、雲を掴むようなアブストラクトな感覚があって、玉名ラーメンさんの意識とかそれを反映させたリリックの内容とかやろうとしていることと確実に符合しているようにも感じるんですよ。
T:たぶんトラックは心理状況が出るんですよね。母にも「私は明るい曲が聴きたい」と言われて(笑)。なんでかわからないんですけど曲がめちゃくちゃ暗くなっちゃうんですよ。マイナー・コードに。それを聴くと母は「不安定になる」と言われて、なぜか考えたら、「これってもしかして心理状況なのかな」って。
――それはさっき話してくれた、記憶を忘れてしまうことの表れでしょうか?
T:それはわかんないです(笑)。トラックは本当に無意識に作っているので。
――「my summer memories」の中に“大人になりたくないな”という下りがありますよね。その瞬間にスローになるのが示唆的な表現だと思って。成長していくことに対して、「ああ、変わってしまうんだ」という複雑な気持ちと、「やった!」というような晴れ晴れした気持ちと、どちらが強いですか?
T:「かっこいい曲作れるようになった!やった!」という気持ちの方が強いですね。最初ボイスパーカッションで録ったりしていたので「よっしゃ!ここまできた!」って感じです(笑)。なるべくトラックメイクは毎日しようと思ってて。4小節のループが大量にあって……ああ、曲にしなきゃ(笑)。
――曲はそうやってループを組み合わせていく作り方ですか?
T:そうだったり、「できる」と思って作り始めたらそれにこの歌詞を乗せて…みたいだったり。結構バラバラで、iPhoneにメモがあるのでそこから歌詞を構成していったものが元からあったり、トラックを作ってからこれに歌詞を乗せようと思って作る場合もあります。西洋な感じのトラック…所謂エモ・ラップみたいな感じのトラックができちゃった!というときは、逆にこの歌詞乗せたら面白いんじゃないかと思ってメモから探したりもしますし。メモがあってそれに合わせてトラックを作る場合もあります。
――リリックも断片的に組み合わせているのですか?
T:詩をバーっと書いて、だいたい上にきたものが歌い出しとかになっちゃうんですけど。ここがサビでここで繰り返そうとかは感覚ですね。Aメロ、Bメロ、Cメロとかあまりわからなくって。「先が読めない感じが面白いですね」とか言っていただくんですけど感覚で作っているのでわからないんですよね。ちなみにインターネットで知り合った同年代のユーリ(yuri)さんという方にトラックを作っていただいて歌でフューチャリングとして参加していて、近々リリースする予定です。
――そういえば、クィア・アーティストの蛭田竜太さんとも共作していますが。
T:それは蛭田さんとライブで共演させていただいたときにコラボしましょうという話になって。もともと「熱海」は蛭田さんの曲であったんですけど、それを私が打ち直したんです。元の曲にはちゃんとAメロ、Bメロがあったんですけど崩しちゃって、私がラップを入れてという感じです。蛭田さんとつないでくれたのは野中モモさんです。なぜかわからないですけど見つけてくださって、Twitterが初めましてでしたね。ただ、同世代にも、というか全世代にも聴いてもらいたいというのはあるので…そのためにできること……うーん、SNS(の活用)とかですかね。
――そうした世代間の横断を目指す一方で、「genome」という曲のタイトルからは遺伝子とか抗えないものへの絶対的な意識も感じました。
T:その曲は祖父の死をきっかけに形にしようと思ったもので。祖父の遺伝子を受け継いでいると思うので、1番象徴的なのが「genome」かなと思ったんですよね。ただ代々鎖のように繋がっているという意味でもありますね。
――あの「genome」のエンディングのヴォーカルは?
T:あれは祖父の声を逆再生させたものなんです。「おばあちゃんと一緒に山に来ました」みたいな、意味は特にないんですけど、祖父とコラボがしたくて。「genome」は去年の9月に、祖父へのリスペクトがあって作ったもので、正直にいうと1番最初にちゃんと意味を持って作ったトラックというか…。
――人の死は記憶の忘却とどういう関係があると思いますか?
T:祖父の死は私の原動力である「忘れたくない」という気持ちが確固たるものになったきっかけですね。それまでは感覚とか感情とかを忘れたくないと歌っていたんですけど、そこから社会的な裏テーマができるようになりました。
――では、「トーキョードリーム」という曲……これは「genome」より前に作られた曲ではありますが、生まれ育った町が移り変わっていくことも記憶が失われていくことと関係があるように思いますか?
T:実際に東京生まれ東京育ちなので他の町のことはわからないんですけど、作られた感じの気持ち悪さは感じていて、ここが私が生まれて育った場所で好きだけど違和感は常にあります。時間は移り変わっていくのでその時代に合ったものがあっておかしくないし、昔も昔であったから忘れちゃいけないし、難しいと思うんですけど、私が生まれたときには昔のものはもうなくて映像でしか見たことがないのでそこに対してのアイロニーとかはないですね。
――なるほど。では、「にごった虹色の水たまり」にある、どんなものも咲くけどどんなものも終わっていく、それでも世界は続いていくって感覚は東京で生活していてどんなときに感じたりすしますか?
T:花が咲いて花が枯れるというほど大きなことじゃないけどすごく身近なことで大好きだった先生が辞めちゃうとか高校3年間ももう終わっちゃうとか、人が生きて人が死んじゃっても時代は進んでいくような。ミクロな視点からマクロの世界を見るってことは常に意識していますね。
――マクロな視点はどうやって持つようにしていますか?
T:裏テーマを設けることで、私の日常で気づいたことも良く考えれば新聞を読んでいて目にすることや漠然と感じる違和感とかと同じなんじゃないかと思ったりします。
――東京以外の町で生活してみたい気持ちはある?
T:世界を見てみたいとか漠然としたものはあります。留学もいいと思いますし。私と同じ世代の人がどうやって暮らしているのかを見てみたいですね。
――日々生活している中で、最近、社会問題として気になったことはありました?
T:普段から性差別の問題を割と意識的に見るようにしていて。それは社会の規範とか概念である性別の役割とか、LGBTQのこととかもそうなんですけど。まだ私がライブを始めたばっかりでノルマのあるライブに出ていた頃の話なんですけど。ちょうどノルマを達成していたのに、男性のブッキング・スタッフの方からライブ終わりに急に呼び出されて、「心苦しいけど、今回は3万払ってね」みたいなことを真顔で言われたことがあって。「それは間違ってます、ちゃんとお客さんのチェックリスト見ましたか?」とマジな口調で言ったら、急に「冗談だよー」みたいな感じで流されて。多分、私が彼より年下の女性であるから、舐められたんだ、とめちゃくちゃ悔しかったことがありました。
――それはひどい。そうした経験を経て、今、こう生きていきたいという指針などはありますか?
T:性別関係なく差別もなく、中立的な存在というか。私は記録しているだけの存在なのでそういう規範とかじゃなく存在していたいです。
■玉名ラーメン Instagram
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■玉名ラーメン Soundcloud
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Text By Shino Okamura