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「音と言葉は常にコンフリクトしている」
環ROY待望の新作『Anyways』が示す、
軋轢から生まれる別の可能性

25 November 2020 | By Daiki Takaku

Interview with Tamaki Roy

──『なぎ』から『Anyways』へ

今日のポピュラー・ミュージックは、とても大雑把にいえばバッハをはじめ西洋の音楽家たちが築き上げた十二音平均律やそれに基づく(メジャーやマイナーといった)調性などの音楽理論(コモン・プラクティス)が礎とされている場合が殆どである。言い方を変えればそれらは支配的な“ルール”であり、その外側へとはみ出したオルタナティブがジョン・ケージなどに代表される前衛音楽(実験音楽)といえよう。一方でもうひとつ現在においてポピュラー・ミュージックを縛っているものは、19世紀以降、そしてSNSの広がりによって加速した主観と感情を中心とした、つまり実存主義的な考え方に基づく音楽の需要と消費の関係性で、とりわけ歌詞については、わかりやすい形で支配的である。そんな前提を踏まえると、環ROYの前作『なぎ』(2017年)が目指したものはその前衛。つまるところ主観や感情などの個人的なものを可能な限り廃し、小説でも詩でもない、歌詞と呼ばれるものでありながらテキストそのものだけでも成立するようなものである、と同時に言葉そのものと言葉と言葉の有機的な結びつきがどのように知覚的なダンスを呼び起こすのかというトライアウトであり、ポピュラー・ミュージックの歌詞における実存主義的なあり方に対する異議申し立てでもあった。そんな『なぎ』から約3年。本稿は環ROYへの2時間半におよぶ取材をもとに本人の発言を引用しながら、待望の新作『Anyways』について、私なりに紐解いていくものとなっている。

──全曲作詞作曲へ、“スタディ”の日々

本作『Anyways』の制作におけるもっとも明確な特徴は作詞作曲を全て環ROY自身が手がけている点である。作詞に関しては無論、これまでに映画音楽も制作してきた彼にとってトラックも全て制作するということは大きな挑戦というより、あくまでこれまでの創作活動と地続きであるように思えたが、実際には制作期間を振り返り「“スタディ”だった」と語るとおり、音楽理論をインターネットを用いて独学で習得しながら制作するという抜本的な変化を迎えた作品だという。

「大きな変化ですよ。ベースの入れ方がわからないところからビートを作るんですから。コードの1番下から入れないといけないとか初歩的なことを理解するのも遅かったですからね。前に映画音楽作ったときはあまり理解していなくて、楽理的な間違いもたくさんあったと思います。ギリギリでやってました。ルートから入って3度、5度で動いて8度にいってときどき2度の経過音とかでベースを動かしていく、みたいなことを完全に理解したのがこのアルバムのビートを作り始めて3分の1くらいが経過したときで。そもそも音を聞いて音程を判別する能力がないので、サンプリングした音の調性はオートキー(オートチューン付属のプラグイン)で判別するんです。で、スペクトラムアナライザを使って周波数から音程を把握して積まれているコードを理解する。それでもわかんない時は、鍵盤12音を順番に鳴らして付箋を貼りながらなんとかするんですけど」

その詳細を聞けばかなりの根気と時間の掛かる作業を経ていることがわかる。そもそもこの全曲作詞作曲へ向かった理由については「他者の作ったビートを選び、ラップでアプローチする。ってずっと同じ手法だったので飽きてしまったんです。それに、単純に、作詞作曲がすべて一人だったら純度の高いものになるかなーくらいの感じで」と皮肉っぽく話してはいたが、これまで数えきれないほど他者の作ったトラックから自分がラップしたいと思えるものを選び、ラップという表現をとことん探求し続けてきた彼にとって、“ラップしたい”と思えるトラックを自分でイチから作り出すことはどれだけハードルの高い行為だったのかは想像するのも難しい。

──歌詞を作るための方法は言語化されていない

ただ彼はこのような作曲の過程について「2013年に4枚目『ラッキー』、2017年に5枚目『なぎ』を出してますけど、そのときより全然楽しかったですね」と語り、苦しい瞬間はなかったのかを問いかけるとそれはむしろ作詞の方にあったという。

「僕の作曲技術って、言語能力で例えると小学校低学年くらいだと思うんですけど、そのレベルの自分が言うのもなんなんですけど、言葉を組み合わせる方が難しいなって改めて思いました。ポピュラー・ミュージック、みんなが音楽だと思ってる音楽は言語なので構造があるんですよ、スケールとかキーとか。それを守っていれば破綻はしない、要するにロジカルなんです。自然科学の操作だから、音楽って。でも言葉は人の歴史とか文脈の集積で、かつ現在進行形でずっと変質し続けてるから。言語自体の構造はすごくロジカルなんだけど、それをクリエイトするときの理論みたいなものは何も言語化されていなくて。だから歌詞を作るのって大変だなという苦しみはありましたね」

その上で本作の歌詞については「前作の反動であまり考えず個人的なことも歌った」とこれまた皮肉まじりに言葉にしていた。それはつまり個人的な要素を可能な限り廃した前作『なぎ』の方向性ではなく、そういったある種の目的を取り払い作られたということになる。たしかに「ほとんど育児についてか思春期の思い出についての歌」と本人が話す通り、実際に2児の父であり、実生活では「ほとんど育児しかしていない」という環ROYに寄せて聴くことのできる楽曲が多く並んでいる。しかし一方で、そういった彼の姿を取り除いたとしても個々人が多様に解釈することもできる抽象性の高い歌詞でもあり、またプリミティブな人の欲求を描く「life」や資本主義社会へ懐疑的に迫るような「Rothko」など別のトピックを扱った歌詞もある。すなわち、これらは大きな定義では実存主義的であるにせよ、ただ個人的なものではなく、人の生きる世の本質的なところに重なりうる。そういった強度を持った歌詞が本作にはあるのだ。

だからこそ、本作が2019年12月の時点で録音を終えていたと聞かされたときには驚きを隠せなかったのだが、この2020年に迎えたコロナ禍で、現在ここ日本でもパンデミックの第2波が直撃している状況で、命、生、それを取り巻く社会について考える機会が増えていたからなのだろう。つまり、『Anyways』の歌詞にはアクチュアリティではなく、時代を選ばぬ普遍性が宿っているということでもある。

──音と言葉は常にコンフリクトしている

環ROYのアーティストリーを振り返ってみれば、インスタレーション作品の創作やパフォーミングアーツ的な活動も含めて、一般的なラッパーのイメージの域を出たオルタナティブとしての存在感があった故に、前作『なぎ』での前衛的な歌詞表現に明確な方向性を見出すことは難しくなく、同様に「ポピュラー・ミュージック好き、かつPCM(WAVに代表される一般に流通する音源の形式で、レコードの時代から今日まで音楽において支配的であり、絵画でいえばキャンバスに相当する)好き」を自称する彼にとって本作がその「反動」というのも間違いではないだろう。だが、そういった矛盾のなさは理路整然と言葉にする上で体裁を整えるような意味でしかない。事実としてこの『Anyways』を再生すれば、音楽理論に則っていながらも、アンビエンスやノイズが散りばめられることで緊張感を維持したトラックを聴くことができるし、さらに歌はピッチもコントロールされ、これでもかというほどライムされ規則的で心地よいのだが、その中で言葉がその余韻や繋がりが想像力に雄弁に語りかけ、我々を日常に潜む別の景色へと誘う。そう、これは実存主義的なわかりやすさとは異なる、いや、それと芸術は同居しうることを伝える、複雑に入り組んだ環ROYという1人の人間が抱えた矛盾、その軋轢から抽出され、こぼれ落ちたような14曲の高純度の雫。

最後に特に印象的だった発言を引こう。それは音と言葉の関係性について伺った際に出た。

「(音と言葉は)常にアンヴィバレントになっているものだと思います。必ずコンフリクトしている。それはもう、そこら中のシンガーソングライターが曲先で後から詞を当てていく方法が定型化していることの理由なんじゃないですかね」

それはラッパーとしての長きに渡る活動そのものがいつもその軋轢の中にあったこと、未だその最中にいることの告白であり、作詞作曲を全て手がけた本作の制作は、その殆ど全てを引き受けることに他ならなかったのである。

ポピュラー・ミュージックとは何か。芸術とは何か。生きるとは何か。『Anyways』=「まあ、とにかくさ」。これはタイトル通り、14通りの答えが用意されているかのような、答えの狭間でまた悩み考えることを促すかのような、我々には常に別の可能性が存在することを示唆する、2020年、屈指のラップ・アルバムである。
(取材・文/高久大輝 協力/岡村詩野 撮影/服部健太郎)

   

Text By Daiki Takaku

Photo By Kentaro Hattori


環ROY

Anyways

LABEL : B.J.L. X AWDR/LR2
RELEASE DATE : 2020.11.25

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