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「ピアノの前に座ったからには正直な自分をさらすしかない」
自分の中の自分を強く抱きしめる、ステラ・ドネリー3年ぶりのセカンド

30 August 2022 | By Nami Igusa

デビュー・アルバム『Beware of the Dogs』から約3年を経て、ステラ・ドネリーから新しいアルバムが届いた。筆者自身、その時に彼女に対面でインタビューをしているが、チャーミングさという表面的な魅力の中にも、確固たる自分の言葉を持っていること、そしてそれが自身の内面を丹念に掘り下げる、深く客観的な自己洞察からくるものであることを、数十分というわずかな時間の中でさえ、強く感じ取ったのを覚えている。もちろん前作、いやそれ以前の作品から、男性中心的な社会への抗議、女性の権利に対する意思表明、あるいは自国のナショナリズムへの反発など、「言いたいことを言う」シンガー・ソングライターとして注目を集め、“社会派”(この言葉は不適切だろう、どんなアーティスト・作品だって社会とは切り離せないのだから)のアイコンとしても認知されてきた彼女。一方、セカンド・アルバムである今作『Flood』には、そんな世間的なイメージとは裏腹に、ごくパーソナルな過去の記憶を振り返り追憶するような楽曲が並ぶ。そこには痛烈な社会批判の影は、全くないわけではないが、薄い。しかし、自己洞察とそれをもとにした巧みなストーリー・テリングこそが彼女の持ち味だとするならば、今作についておそらくこう答えてくれるだろうとも思っていた──「どちらも自分であることには変わりない」と。

今作で大きく変わった点を挙げるならば、ソング・ライティングをギターではなくピアノで行っていることだろう。ピアノは幼少期に弾いていた楽器で、彼女自身全く得意ではないそうだが、それでもピアノに触れると子供時代に還ったような気分で音楽を楽しめたのだという。30代になったステラ・ドネリー。今作の、素朴でピュアなピアノと、チェンバー・ポップ風のノスタルジックなサウンドには、まごうことなき“大人”になった彼女が、自分の中にいる子供の自分や若かった頃の自分を客観的に分析しながらも、強く抱きしめ肯定するような趣きも感じられる。他方、興味深いのが「Morning Silence」という短いナンバー。これは無理に大人の女性に“させられた”悲しい体験を描いているのではないかとも想像するのだが、同時に、大人に“なってしまった”自分自身を消化する感情のプロセスとして表現しているように感じられるのが印象的だ。今作での彼女は、大人の自分と子供の自分との距離を捉え直すことで、自分が自分のまま前進することの難しさと、その意思の強さを再確認しているのだろう。

11月、12月にはジャパン・ツアーも決定したステラ。彼女に最後に会った3年前があまりにも遠い世界のように感じられる昨今だが、相変わらず、快活に自分のことを多くの言葉を駆使して語ってくれたステラ・ドネリーのインタビューをお届けしよう。

(文・インタビュー質問:井草七海 / 通訳:竹澤彩子)

Interview with Stella Donnelly


──今作の曲作りをしながらオーストラリア国内を転々としていたそうですね。どうしてそういったことになったのか、その経緯からまず教えてください。

Stella Donnelly(以下、S):ロックダウン中に、生活のリズムが確実にスローダウンしたっていうのは理由の一つ。今までなかなかできなかったような自分のための時間を持とう、みたいな気分になって。それが音楽にとっても、自分の人生においても確実に影響をもたらしてると思う。ピアノの前にじっくり座る時間を持てたこともそう。普通にピアノの練習をしたりとか、ピアノで曲を書いたりとか、そこで出来た曲とじっくり向き合う時間が持てたこととか、そうした一つ一つが自分にとっては喜びで……もしロックダウンが起きてなかったら、何も考えずにギターを手に取って今までと同じ形で曲を作ってただろうし、そうした喜びには出会えなかっただろうから。そのおかげで自分のそれまでの曲作りに確実に変化が起きたよね。

──オーストラリアの東部にあるベリンゲンの熱帯雨林で過ごしたことが特に今作のインスピレーションとなったそうですが。

S:そうそう、自分がバード・ウォッチングに目覚めたのも今回みたいな機会があったからこそで。森の中で鳥を観察したり周辺の音に耳を傾けたりってことを何時間もずっと続けてて……それを目標にしてたわけじゃないけど、自分でも知らないうちに瞑想状態に入ってたみたいな。熱帯雨林の音にも実は色んなバリエーションや変化があって、それをずっと追っていくことで自分の中の音に対する感覚が研ぎ澄まされた。それによって自分が求めてるサウンドに対する精度がより明確になっていった気がしてる。

──評価を受けたデビュー・アルバムの次とあって、このセカンド・アルバムを制作するにあたって、特にそのサウンド面において新しいことをしなくてはならないというプレッシャーに悩むことはありませんでしたか?

S:それは本当にそう。というか、前回から3年も間を置く必要があったのは、プレッシャーだの余計なものが、自分と自分の作ってるものとの作の間に入り込んできてるのを感じてたからで。しかも、その状況下でコロナによるロックダウンがありつつ……日本ではどうかわからないけど、オーストラリアでは音楽業界そのものが壊滅状態で、そんな状態が2年以上続いたわけで。自分自身、この先オーストラリア国外で音楽をプレイできるのかもわからない状態だった。とにかくいろんなことが不確かな状況の中で、自分ってものに戻らざるを得なくなったんだよね。それで外からのプレッシャーから解放されて、ただ普通に小さくてちっぽけな自分自身に戻ることができた。で、気がついたときには、そうしたプレッシャーっていうのはいつの間にかどこかに消えちゃってた。今回新作が完成して今まさにリリースされるタイミングだけど、今でも日々曲を書いたりレコーディング自体は続けてる。そうすることが自分にとって大事だと思うから。ジムに通うみたいなもんね。定期的に筋トレしていつでも動けるように、っていう。それはここ最近になってからの習慣で、そうやって地道に曲作りを続けていくことで、この先、自分がプレッシャーでいっぱいいっぱいになっちゃう状況は避けられるような気がするんだよね。

──前作で一気にその知名度を高めたと同時に、あなたのイメージもまた“社会的な視点を持ったシンガー・ソングライター”として確立されたところもあると思います。そういった前作の評価やある種固定化されたあなたのイメージもまた、今作の制作を難しくすることはありませんでしたか?

S:うーん、場面によってはそういうふうに思うこともあったのかな。でも、そこから今回ある意味、自分を取り戻せたような気もしてるの。ツアーだの何だの非日常でクレイジーな状態にずっとさらされっぱなしだったのが、そういう生活から一切離れたことで、通常モードの自分を取り戻せたような。普通に家にいて、家族や友達と過ごす時間が持てたことで本来の自分を取り戻せたっていうのはあると思う。それに自分が何かしらのイメージに捉われてるっていう意識もそんなになくて、今のところそういう意味で窮屈に感じることもなかったし……何だかんだ、自分であることには変わりないから。そうやって表立って自分がおかしいと思ってることに対して異議を唱えるのも紛れもない自分自身だし、その気持ちは今でもずっと変わっていない。むしろ前作で自分自身を全部さらけ出したことで、より自由になれたかもしれない。正直な自分をさらけ出してそれが受け入れてもらえたんだから。考えてみたら、それってすごいことだよね。前作が世の中に受け入れてもらえたことは、ものすごく自分自身の力になってる気がする。

──なるほど。前作もその意味ではパーソナルな作品ではあったかと思いますが、今作はそれ以上にさらにパーソナルな記憶に紐づく内容になっていますよね。 今のあなたにとってそれが必要だったのはなぜでしょうか?

S:そうだね、今回すごく自分自身の内側に向いてたのは確かで……たぶん、それはピアノを再開したことで子供の頃の自分がチラチラ顔を出してきたっていうのとも関係してると思う。子供の頃の自分が蘇ってきて、その子供である自分の目線から曲を書くみたいな。それをやったことで、自分自身の過去なり人生経験みたいなフィルターが今まで以上に入り込んできたんだと思う。

──今作では、先ほども挙げていたピアノに加えて、フリューゲルホルンやサックス、シンセに木琴など、様々な新しい楽器の音色が使われています。しかも、バンド・メンバーは皆、そのうちの不得手な楽器を担当しながら今作を作ったということですが、その意図を教えてもらえますか?

S:というか、単純にそっちのほうが楽しいじゃない? そもそも音楽ってそうでなきゃ! 何よりもまず自分が楽しむこと、思いっきりクリエイティヴに好奇心の赴くままに遊んじゃえっていう。今回、自分の中でのその最たる例がラップスティール・ギターで。今まで一度も弾いたことがなかったし、完全に自己流で、正統のラップスティール・ギターの弾き方からしたら絶対に邪道だろうけど、それでも自分の求めてたサウンドは録れた。それが「How Was Your Day?」の“ブリリリリリン”っていうあの音で(笑)。だから楽器を上手く弾けるようになろうっていうよりも、その楽器からどんな音を引き出すことができるんだろう?っていうのを目標にしてた。


──ソングライティングはピアノで行ったということですが、ギターとはどんなところが違うと感じましたか?

S:ギターって、自分と受け手側との間になんとなく薄皮が一枚あるような気がするんだよね。それがピアノだと直にはね返ってくるというか、その場で直接自分に響いてくるような、一切のごまかしが効かない気がする。それってたぶん、もともとピアノっていう楽器の持ち合わせてる性質で、ピュアというか、楽器そのものの音だからだと思うんだよね。ギターの場合だと、そこからペダルを入れたりとか、何だかんだで色々変えちゃったりできるじゃない? それがピアノの場合、一切逃げ隠れしようがないから、そのまんまの音で勝負するしかない。いったんピアノの前に座ったからには自分も逃げ隠れせずに、正直な自分をさらすしかなかったんじゃないかなあ……。それによってこれまで自分の中にあったのにずっと気づかなかった悲しみや感情がピアノによって表に引きずり出されたみたいな感じ。

──そういった取り組みもあってか、サウンドパレットは格段に広がりつつも、前作に比べてサウンドが洗練されるというよりは、どちらかと言うと素朴で手作り感のある作品になっていると感じます。通常、アーティストというと作品を重ねるごとにより先鋭的なことをやりたがるものですが、あなたがむしろ、素朴な手触りの作品を作ろうと思ったのはなぜでしょう?

S:あー、なるほど。やっぱり自分が聴いたときにほっこりするような感じにしたいっていうのがあるんだろうねえ……アットホームな感じというか。こんな時期だからこそ、暖かみや温もりが感じられる優しいサウンドにしたかったのもあると思うし……うん、やっぱり、温もりってとこが鍵になるのかな。私としては、自分が聴いてて気持ちがいいなって思える音にしたかったのね。たとえどんなに悲しい内容の曲の中ですら、ほんの一瞬でも気持ちが晴れるような美しい瞬間が訪れてくれたらいいなあって。自分は音楽をやりながら、ずっとそういう瞬間を追い求めてる気がする。暖かくて木のような温もりがあって自分の肌を通じて確実に実感できる何か……そういうのが自分にとっては大事だったりするから、むしろ完璧で先鋭化された音にはかえってしたくないって感じなのかも。

──そうしたサウンドに加えて、“I’ll be a child, rest of my life(私はこれからもずっと子供のままなんだろうね、死ぬまでずっと)” (「Lungs」)、“I’ll wear all my beads I made when I was five (5歳のときに作ったビーズのアクセサリーはこれからも大事に着けていくよ)” (「This Week」) といったリリック、どこか子守唄のようにも聞こえる歌声など、子どもの頃や若かった頃の自分を大人になった今の自分が思い起こすような視点が今作には感じられます。またそのことで、逆に自分の中にいる子どもの自分が、大人になった今の自分に語りかけてくるような印象も受けるのですが……。

S:まさに、ほんとそう。ここ最近になってから自分の中のインナーチャイルドの声を大事にするようになってて。ここにきて自分の中にいるもう一人の小さな自分に耳を傾けるようにするようになってて。その子は小さいなりに自分にとって本当に大事なものは何かってことを本能的に知ってるんだよね。小さいながらも知恵であり叡知がちゃんと備わってるんだよ。それなのにしばらくの間、その子の声を自分はずっと無視し続けてたんだなってことに気づいたから。それこそ20代とかになると、早く大人になりたいしいつまでも子供のままでいたくないって気持ちになるもので……きちんと一人の大人として扱ってほしい、みたいな。それはそれですごく美しいし成長だとは思うの。ただ、それと同時に、そんなに息巻いて真剣になりすぎないってことも大事なんじゃないかなあ、とも思えるようなったんだ。

──つまり、 かつての自分にどこか愛着を感じながらも、それを今の自分から切り離すべきなのかどうか、と悩むプロセスが今作には刻まれているわけですよね。そこにはどういうきっかけがあったのでしょう?

S:うん、それってピアノが理由だと思う。ぶっちゃけ、ほんとその一点だと思うんだ。子供の頃ピアノを弾いてたから、自分のピアノの音色を聴くことで時代をタイムスリップするみたいに、あの頃あの場所の私に引き戻されたような、その自分の目線から書いてるっていう、それが本当に唯一の理由だと思うんだよね。自分の中にあるインナーチャイルドを曲作りにも招き入れていったんだと思う。そのことでそれまでとは全く違ったイメージなり画像なり記憶なりのパレットが広がって、そこから情報を引っ張り上げてきたみたいな、自分でも気づかなかった秘密の扉をピアノによって開けちゃったみたいな感じかも。

Photo by Olivia Senior

──今作はごくパーソナルな体験を題材にしているようでいて、具体的かつ意外な描写を使った比喩で、聴いた誰もが情景や感情をイメージして共感できる作詞が面白く、聴いていて飽きないものになっていましたが、こうした作詞のスキルはどのように磨いているんでしょう?

S:うーん、どうだろう(笑)。聴いている人達にもその現場の状況ができるだけリアルに鮮明に伝わるようには心がけてる。ちなみに私は昔からビリー・ブラッグの曲の大ファンなんだけど、そのへんに関してのビリーの言葉の秀逸さたるや! ただ普通に朝起きてコーヒーを淹れるって場面を描写してるだけなのに、それ自体が一つの詩みたいな映画のシーンみたいで、すごく特別な瞬間みたいに感じられるんだよね。日常の何気ないシーンの中に意味を見い出していくような、そういう感じが自分はすごく好きだし、それこそまさに音楽って素敵だなあって思うところなんだよね。例えば日常生活の中で、普通に食器を洗ったりとか、そういうことですら特別な瞬間に思わせてくれるところが、まさに音楽だからこそ成せる離れ業だよなあって本当にそう思ってる。

──あなたが前作のデビュー・アルバムをリリースして以降の3年ほどで、例えばフィービー・ブリジャーズは自分でレーベルを運営して若手をピックアップするなど、若い女性のアーティストの存在感は飛躍的に高まりました。そんな中で、あなた自身はこれからどんな存在でありたいと思っていますか?

S:ものすごくいい質問だね。でも、それって自分の力でコントロールできるものじゃないと思うのね。そもそもこの仕事とか、それを取り巻く環境自体がクレイジーなわけで。次の瞬間にはどうなるのかわからないし、何かを計画しようにも、ステージなりスタジオなりに入っていったとて、次の瞬間に自分の中から何が出てくるのかわからない……っていうか、少なくとも私自身に関してはそう。きちんと計画立てて色々やったところで全然別の展開が起きるっていう(笑)、それが自分にとってはお決まりのパターンなんで。だからもう、正直な自分をさらしていくしかないと思ってる……ほんとそれだけだよね。ただ正直な自分を伝えるっていう、それを一番の目的としてるし、今のところ自分なりにそうして来れたと思うんだよね。ただ素のまんまの自分でぶつかっていくという、それは音楽においても、人と接する場面においてもね。

──最後にもう一つだけいいですか? 先にアメリカで女性の中絶の権利を認めた判決が最高裁で覆された「ロー対ウェイド事件」について、《New York Times》に大きな意見広告が出て、多くの女性のアーティストが名を連ねてその判決について抗議する姿勢を示したんですが、それについてのあなたの意見を聞きたいです。

S:あの後退ぶりはほんとあり得ないよ。アメリカの女性の健康を考えると本当にいたたまれないというか……そもそもものすごく危険なことで、なんてこんなにも危険な判断を下してしまったんだろうって。いくら法律で禁じられたところで、実際問題として、中絶を必要としてる女性は絶対に後を絶たないわけで、そうなると非合法的な中絶に頼らざるを得なくなってしまう。中絶を違法にすることで、たくさんの女性の命が危険にさらされてしまうなんて、絶対にあってはならないことだよね。私たちの身体をどうしていくかの選択肢は私たち自身に委ねられるべきでしょ? 私としても今アメリカの女性たちの権利を守るために立ち上がってる人達のために全面的に協力していくつもりだし、本当にあの最高裁での判決が再び覆ることを心から祈ってるよ。

<了>


Text By Nami Igusa

Photo By Olivia Senior

Interpretation By Ayako Takezawa


Stella Donnelly

Flood

LABEL : Secretly Canadian / Big Nothing
RELEASE DATE : 2022.08.26


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Tower Records / HMV / Amazon / iTunes


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