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「私にとって、言語はそれ自体が楽器みたいなところがある」
フランスと韓国をルーツに多国的な環境を巡る、スピル・タブ(spill tab)インタヴュー

16 May 2025 | By Tsuyachan

ジャンルや文化の境界線がかつてないほどに流動化している今、スピル・タブ(spill tab)という存在は、その柔らかな越境の象徴のように感じられる。フランスと韓国をルーツに持ち、タイやロサンゼルスといった多国的な環境を巡りながら育ったクレア・チチャ(Claire Chicha)は、クラシック音楽や映画のサウンドに囲まれた幼少期を経て、10代でオルタナティヴなポップ・ミュージックにのめり込んでいった。その後、まるで多言語で夢を見るように、彼女は複数の音楽的レイヤーを行き来しながら独自の音を編み上げていくことに。

デビュー・アルバム『Angie』は、そうした彼女の背景が、ベッドルーム・ポップの繊細さと親密さ、オルタナティヴ~エクスペリメンタルな質感をコラージュしたような詩的な作品として完成している。

彼女は一体、どのような音楽的経験をしてきたのだろう。生い立ちから今作の制作過程まで、じっくりと話を訊いた。

(インタヴュー・文/つやちゃん 通訳/安江幸子 写真/Neema Sadeghi 協力/高久大輝)

Interview with Claire Chicha(spill tab)


──アルジェリア系フランス人の父親と韓国人の母親は、どちらも音楽に関する仕事をされていたそうですね。

Claire Chicha(以下、C):両親は大昔にバンコクの空港で出会ったの。ふたりとも音楽に近い仕事をしていて。父は作曲家として、タイの王室の祝祭に曲を提供していた関係で、タイで仕事していたこともある。とてもクールな話よね。ふたりは結婚すると、ロサンゼルスにポスト・プロダクションの会社を立ち上げた。映画関連の仕事が多かったみたい。映画に40ヶ国語分の字幕をつけたりしてね。母はピアノとハープを弾いていて、ふたりとも音楽に対してとても耳が肥えていたから、私も小さい頃から色んなレッスンを受けさせられた。ハープ、ヴァイオリン、ピアノ……でも嫌で全部やめちゃったけど(笑)。でも、そういう基盤があるのは良かったと思う。音楽に造詣が深い両親がいるっていうだけでも、素晴らしいことよね。

──ご両親ともミュージシャンでありながら、バックエンド的な仕事もしていたのですね。あなたの音楽表現において、両親の影響を最も受けているポイントはどこですか?

C:そうね……ただ、私のミュージシャンとしてのアイデンティティが生まれてきたのはたぶん13、14歳くらいになってからのことだと思うけどね。自分の両親が聴いていない、当時一番売れていたものとは違うものを聴くようになった。最初に好きになったバンドはパラモアやグリーンデイとかかな。大学に入るともっと色んな要素の入った音楽にのめり込むようになった。ボン・イヴェールやモーゼス・サムニー、シャーロット・デイ・ウィルソンとか。必ずしもポップじゃないけどメインストリームからもそんなに離れていないというか、エクスペリメンタルとの中間にいるような感じの音楽が、私にとっては興味深かった。それで、音楽を作るようになったときも、自分にとって何かしらフレッシュでエキサイティングなものを生み出すことがゴールだった。

──音楽的に豊かな環境で育ったからこそ、色々な音楽を受けいれる土壌ができていたのかもしれませんね。

C:ええ、それは間違いない。ただ、私が小さい頃に両親がスタジオを持っていたときは映画の仕事の方が多くて、少し大きくなってから主流派じゃない音楽の方に惹かれるようになったのはそれかも。それに今でも音楽理論とかジャズの影響とかクラシックの影響なんかは、潜在意識の深いところで大きく作用していると思う。両親からの影響はそっちの方が強いかもね。

──ご両親がタイで出会ったとのことですが、あなたもタイに住んでいたことがあるんですよね? タイの音楽はどのような刺激をもたらしましたか?

C:タイの音楽のユニークなところは、例えばフランスやアメリカの伝統的な音楽のシンガーと全然違う歌い方をするところ。鼻にかかった音が多いし、顔のこの辺り(両目の涙袋の下辺りを指で押さえながら)をよく使うのよ。それが私にとってはとても興味深かった。西洋の音楽は美学的にあまりそっち方向に行かないしね。ヴォーカル的にまったく違うテクニックの存在を知って、それが西洋以外の国にとっては普通のことだって理解するというだけで、すごく心が開けた気がした。文化や伝統は色んなところからやってくるんだなって思った。人が興味を持ったり、美しくて素敵だと思ったりするものって、世界中で違うんだなってことがわかって、受け容れられるようになったの。それで様々な音楽のジャンルへの扉が開けた気がしてる。理解できないからって嫌いにならないで、まずはそのジャンルの世界を探ってみよう、もっとよく知ろうと思えるようになったから。

──そうして音楽界に入っていった時も、裏方の仕事から始めたそうですね。ガス・ダパートンのマーチャンダイズ・マネージャーをされていたとのことですが、どういったきっかけで始めたんですか?

C:大学を卒業したとき仕事が見つからなくて。アメリカではよくある話なんだけど(苦笑)。そんなある日、友だちから電話があったの。彼のいとこか家族ぐるみの付き合いか何かの人が当時ガス・ダパートンの仕事をしていて、マーチャン担当の人がツアーの直前に行けないことになってしまったから、代わりの人を探してるって。私は大学でミュージック・ビジネス専攻だったし、全体的にすごくオーガナイズされているというか、スプレッドシート大好きだし(笑)ちゃんと記録をつけておくのが得意だから、マーチャン担当としてはうってつけだったのよ。そんなわけで興味があるか訊かれて、お金もなかったから(苦笑)何でもやりますみたいな感じで請けたの。すごく楽しい経験だった。ツアー・ライフを経験するのは初めてだったしね。バスに乗って移動して、毎朝違う街で目覚めて……最高に楽しかった。それがきっかけで、自分はツアー・マネージメントをやりたいんじゃないかって思うようになった。それでそのツアーが終わってからは色んなマネージメントやアーティストに声をかけて、ツアー・マネージャーをやることにしたんだけど、そこにコロナ禍が来てツアーが全部キャンセルになっちゃって。それがきっかけで自分の曲を出すようになったから、結果オーライではあるんだけどね。

──コロナ禍の災いから、自分が曲を出す側に転じたんですね。ところで、ご両親から色々楽器を習っていたとのことでしたが、『Angie』にはさまざまな楽器の音が使われていますね。これらはあなた自身が弾いているものもありますか? ライヴではギターを弾くこともあるようですが。

C:元々の気質として、自分がプロダクションに大きく関与していないと曲が自分のものという感じがあまりしなくて。ただ、メロディーも歌詞も自分で書くからその時点で自分のものではあるんだけど、プロダクション面ではコラボを多用するのが好きなのよね。ここ4、5年はフルタイムで音楽をやっているうちにたくさんの楽器を自分でやるようになった。アルバムの中ではベースをたくさん弾いているし。あとギターはもちろん、キーボードも結構弾いているし、Abletonを使ったプロデュースは共同でやったの。ドラムをちょっとだけ叩いている箇所もある。あちこちでプレイすることによって、曲のテクスチャを作り上げているような感じ。

──子供時代にあらゆる楽器を試した経験もここで生かされているのですね。

C:そうね!(笑)それは間違いない。

──コラボと言えば、「Pink Lemonade」 はジャム・セッションから生まれた曲だそうですね。 いつもセッションから作るのですか?

C:ミュージシャンでもあるプロデューサーと組むのが好きだし、インストゥルメンタルを作るときとかそうすることが多い。その方が部屋の中での(気の)流れが良くなるし、みんな1つだけじゃない方法で貢献することができるから。多くの曲は2~4人くらいで1つの部屋に集まって、色んな楽器を手に取りながら、全員にとって気持ちいいグルーヴを模索するのがスターティング・ポイントになる。「Pink Lemonade」は中でもユニークで、45分間ひたすらジャムったのを録音しておいて、聴き返しながら気に入った部分を切り取って、それらを色んな形に配置しながらベースのレイヤーを作っていった感じ。

──John HillとSolomonophonicに本作のプロデュースを依頼したのは……

C:(通訳がSolomonophonicの発音に苦戦しているのを聞いて)長い名前よね!(爆笑)

──本名のJared(Solomon)で行きましょうか(笑)。彼らとの共同プロデュースは、どのような効果を期待してのことでしょうか。

C:今回関わってくれた人たち、10~12人くらいいると思うけど、彼らには本当に感謝してる。みんなそれぞれ役割が全然違って、違う効果をもたらしてくれた。すごくスペシャルなことだと思う。色んなプロデューサーを使うことによってセッションのたびに違う結果が出るし、とても楽しかった。Jaredはどんな楽器もこなすハイエナジーな人で、そのエネルギーを曲にもたらすことができる。Johnはとても聴く耳が優れている人で、ベストなものをピックアップしてバランスよく配置するのが得意なの。しかもみんなを居心地良くさせることが上手くてね。アーティストやミュージシャンを集めたときに居心地良くさせることができるのって、プロデューサーとして一番パワフルなことのひとつだと思う。そうすることによってみんな自分を表現することができるし、弱い自分を見せることもできるから。それから19歳の頃から一緒に仕事してきたDavid(Marinelli)とは長い間やっているから、大切な親友のひとりよ。彼と仕事するのはいつも喜びがある。私のソングライティングの一番素朴で偽りのない部分を引き出してくれる人だと思う。だからこそスペシャルで……そんな感じでそれぞれ役割があって、みんなユニークな持ち味を出してくれるから、色んな理由でみんなと仕事するのが大好きなの。最高よ。

──その結果、『Angie』はとても多彩なアルバムになりましたね。ベッドルーム・ポップ的でありながらオルタナティヴでもあり、インダストリアルな音が入ることもあるし、一部でハイパーポップのようなテクスチャーもあります。まったくジャンル分け不能ですが、あなたは自身の音楽をどう説明しますか?

C:うーん……私が説明するなら、ベストな言い方は「私が楽しみながら作る音楽」かな。あるいは「探索的な音楽」。私はいつも自分にとって気持ちいい音楽を探しているところがあるから。特にこのアルバムは、私にとって自分の心の内をさらけ出したような、とても真摯な曲たちなの。アーティストとして、プロデューサーとして、現時点で一番進化した形がこのアルバムだと思ってる。そう言えるのは素晴らしいことだと思う。

──ちなみにこの多彩な音楽性の中にご自分のルーツは入っていますか? 先ほどパラモアの話も出ましたが。

C:ええ……(と言ってから少し考えて)……このアルバムにはジャズの要素がいくらか入っているのが伝わってくると思うんだけど、それは私にとってとてもスペシャルなことなの。父へのオマージュのようなものだから。あと、ストリングスとかトランペットとか、オーケストラで使うような楽器を使っていて……

──トランペットは最後の曲「Wet Veneer」でも使われていますね。

C:そうそう! あれはハープやピアノとか、クラシック音楽が好きな母に対する敬意を表してるの。そうやって、長い間やりたかったことに深く潜り込んでいくことのできたアルバムだと思ってる。アルバムのために全力を尽くした。だってデビュー・アルバムだし、デビュー・アルバムは2度と作れないからパーフェクトなものにしたかったし、思い描いていたその通りのものにしたかった。

──まさにその通りの作品ができたのではないでしょうか。アルバム『Angie』は、ローファイなサウンドを良質な音質で聴くという、贅沢な体験が味わえる作品だと思います。ミックスはかなり凝っているように思いますが、どのようなエンジニアとどういった方向性を目指して進めたんですか?

C:ありがとう!(照笑)素晴らしい質問ね。すごく嬉しい。本当に、ものすごく時間をかけて作った音だから今聴き返してもとても興味深い。よく人に「曲を仕上げるまでにどのくらい時間がかかるのか」と訊かれるけど、面白いもので、大抵の場合はその場にいる人全員がワクワクできるような曲の魂は、8、9割方が初日にできるものなのよね。でもその後20日かけて微調整をしていく訳だけど……私もヴォーカル部分を自分が必要だと思うまで何度も録りなおすしね。「De Guerre」の時は葛藤があって。デモ音源のダークさが、再トラッキングしたら曲から失われてしまうような気がしたの。それで2週間くらいかけて色んなマイクを使ってトラッキングしてみて、80回くらいテストして、ヴォーカルを入れて音を処理してもしっくりくるような理想のマイクを探したのよ。そんな感じで進めていった。そのすべてが楽しかったけど、何と言っても一番楽しいのは、最初の曲の魂を作り上げること。一方で私は完璧主義者だから、何日も何日もかけて音を配置したり、より細かいところまで指定したサウンド・デザインを作り上げたりしていく。ミキシングもまた別物で、Nathan Phillipsという人と仕事をしたんだけど、彼は私がプロとしてミキシング音源を作るようになってからずっと一緒にやってくれている人なの。ものすごく辛抱強いし、すごく細かいところまで見てくれる。私がこのアルバムで一番怖かったのは、あまりに多くの人が携わってくれているがゆえにミスマッチになってしまうことだった。だからこそ、色んな曲にわたってちゃんと一体感のあるサウンドを作ることを意識した。Nathanはその辺りを解ってくれるから、一緒に仕事できて本当に良かった。それぞれの曲が近い存在になるように調整してくれてね。

──だからこそ、曲は多彩でも全体のまとまりがあるんですね。また、アルバム 『Angie』は、聴きながら風景が浮かんでくるような力も感じました。 あなた自身は、曲作りをする時は具体的な景色をイメージしながら書くこともありますか?

C:そんな風に言ってくれてありがとう! 以前ある人に言われてすごく刺さった言葉があるんだけど、「最高の曲はビジュアルを想起させるものだ」って。映画のシーンを思い浮かべたり、独りで家にいるときに目を閉じて聴いたらキャラクターを自然に生み出していたり、ラヴ・ストーリーが見えてきたりするものだって。私の好きな曲たちも、間違いなくそういうところがあるのよ。実際に起こっていることでもいないことでも、何か場面を設定して聴くことができる。「De Guerre」の場合は、ダンス・フロアにいる時を思い出して書いたの。ナイトクラブで、誰にも見られていないような感じでみんな思い思いに身体を動かしているような。それを自分自身が一番感じたのは、ヨーロッパでクラブとかに行ったときだった。そんな感じで、そういう場所にある音楽的言語に身を預けていった。

──歌詞は英語とフランス語で書き分けていますよね。英語で書くのはどんな時ですか?

C:私の第一言語は英語だから、パーソナルなこととか、書いていてカタルシスを感じられるようなものは英語になる。曲の大半は愛を失ったり見つけたりすること、嘆きなどについて書かれていて、私にとってはヘヴィなトピックだから、英語で表現する方がうまくできることに気づいた。でも、フランス語でもっと上手に自分を表現できるようになることをいつも目指しているから、自分に試練を与えてもっと書きたいなと思ってる。フランス語は取り組むのがすごく楽しいの。音声的にも耳への感触がいいというか、単語同士のぶつかり方や流れが調和的なのよね。韻を踏むのもフランス語の方がやりやすいし、言葉遊びも楽しい。私にとって、言語はそれ自体が楽器みたいなところがある。特に歌うときはね。曲のぽっかり開いたポケットに、はまり込む言葉を探していく感じ。

──表情豊かなヴォーカル表現が魅力的ですよね。歌唱については、何か特別な訓練を受けてきたのですか?

C:ありがとう!(照笑)いや、ヴォーカル・レッスンは受けてない。ただ、高校時代にショウ・クワイアー(コンテスト向けの、振り付けのある合唱団のようなもの)に入っていて、パフォーマンスに向けて毎日練習していたのよ。60人くらいの合唱団で、全米のコンテストに出て競い合うの。ショウ・クワイアーというのはオペラみたいなものが反映されていることが多いから、音をコントロールしてもとても大きくて。でも自分の曲を作るようになって、私は歌い上げるタイプじゃないから、マイクに向かって歌ってもあまりいいサウンドにならないということに気づいた。そういう声を張り上げるタイプの表現には向いていないのよ。もっと小さい声で歌った方が、感情を表現できることがわかったの。

──確かに、ウィスパリング的な声が多いですよね。

C:そう。自分で音楽を作るようになって最初の1年くらいは、マイクに向かって歌うにはどうすればいいかを体得する必要があった。上達はゆっくりだったけど、ここへきてようやく自分のヴォーカルに安心感を得られるようになってきた気がする。

──大手レーベルとの契約をやめて、現在はインディペンデントで活動しているとのこと。良い面も悪い面もあったかと思いますが、大手に所属していた時代に得られたこと失ったことがあればそれぞれ教えてください。

C:実際、今は完全にインディペンデントでやっているわけじゃなくて、インディペンデントなレーベルに所属しているの。メジャーなシステムの管理下に自分がいないというだけでね。以前メジャーにいたときに気づいたのは、ビジネス的にはもちろん理に適っているんだけど、ヒット・フォーカスな面が強いということ。商業的に大ヒットすることを狙ってるから。理に適っているんだけどね。ただ、2025年の今、それは意味のないことのような気がして。すごい録音状態の悪い、すごく静かなバラードがバズったっていいと思うから、ポップなヒット曲を探し続けるというのは意味がないことだと思う。でもそれがメジャーにとってはベストな戦略のときもある。グルーヴィーで、ヴォーカルが大きくて前面に出ているような曲が売れるということでね。そういう曲の方がビッグになる可能性が高いのかもしれない。その辺りはよくわからないけど、私が興味を持ってプッシュしたい方向性とメジャー側が私にやってもらいたい方向性が合わなかったというか、認識が一緒じゃなかったんだと思う。ただ、メジャー契約があったおかげでできたこともたくさんあったと思ってる。素晴らしいMVを作る予算もあるし、これが私の仕事になるまでタダで手伝ってくれていた友だちに、やっとお金を払うことができたのも良かった。そうやって愛情をお返しすることができたから。

メジャーを離れた一番の理由は、私がアルバムの多くを作り終わるまで、誰にも過程を見せたくなかったからなの。インプットやフィードバックを与えることもレーベルの仕事の一環だと思うけど、私は何のインプットもフィードバックも欲しくなかった。ただ自分が作りたいように作って、それをそのままの形で信頼してくれるパートナーが欲しかった。だから、自分でやらないといけないと思った。アーティスティックでクリエイティヴな面では、妥協したくなかったから。そんなわけで、今のインディペンデント・レーベルとパートナーになった時点で、アルバムが9割方出来上がっていたから良かった。その状態で気に入ってもらえて、一緒にやりたいと言ってもらえたからね。大体出来上がっていたから、あとはミキシングとマスタリングをやれば良かったの。そうやってできたのがこのアルバム。とてもうまくいったと思う。

──同世代や周囲のアーティストで、活動や音楽性に共感する人はいますか?

C:興味深い質問ね。LAの音楽界はとてもいいところで、クリエイティヴな人たちが素晴らしいものを作っている。友人のDora Jarは素晴らしい音楽を作っていて、私と同じ世界にいる。ワリスも素晴らしいアーティストで同じ世界にいる。それから……一緒に仕事をしてるJaredはレミ・ウルフのメイン・プロデューサーだし、オルタナ・インディ・シーンの興味深いところは、そのシーンにいるアーティストを10人ピックアップしたら全員まったく異なるタイプの音楽を作っていることだと思う。スペクトラムの両端にいるような感じ。多岐にわたるものを作ることができる人々と一緒に仕事ができるのは、素晴らしいことだと思うの。そうね、Doraとワリスが2大要チェック人物といったところかな。

──ところで2年くらい前に、サブリナ・カーペンターのツアーのオープニングを務めたのはどのような体験でしたか? 何か学んだことがありましたら教えてください。

C:プロダクションの壮大さに圧倒された。その当時ですらね。今じゃそこからさらに500万倍は大きくなったけど(笑)。ショウひとつを組み立てるのに村人総動員みたいな感じで、本当にたくさんのコラボの賜物。それに彼女は本当に優れたパフォーマーなのよ。彼女の自己管理には本当に感銘を受けた。私はどっちかというと「ショウが終わったらビールを飲もう!」みたいなバックグラウンドで、終わったらバスに乗るまで2時間は飲んでいるタイプなんだけど(笑)。

──(笑)。

C:でも、22歳のときはそれでも良かったけど、27歳になった今はもう無理。ヘルシーな状態じゃなきゃいいショウはできない。だから彼女の自己管理の仕方がすごく参考になった。お茶を飲むし、声も必要あるときはちゃんと休めているからね。私もそれを見習って、自己管理ができるようになってきた。毎晩飲んだくれるんじゃなくて(笑)。

──彼女はまったく違うタイプの音楽をやっていますが、そのオープニングを務めたのはどういう経験でしたか?

C:彼女のファン層の本当にスペシャルなところは、みんな大歓迎してくれること。オープニングは他のアーティストでも務めたことがあるけど、多くの場合はみんな聴いていても無表情だったりするから。「何だこいつは、早く終わらないかな」みたいな感じでね。ファン層が年上の場合も、「22時半までに帰らないといけない、明日早いのに」みたいなのが伝わってくるのよ。でも彼女のファンは若い子が多くて、すごくいいエネルギーを持っていて、前座でも大歓迎してくれた。その子たちの多くにとって、人生初のコンサートがサブリナで、私が生まれて初めて観たアーティストだったりしたから、その子たちの反応が可愛くて可愛くて。みんな13歳とか14歳とか、そのくらいだった。ああいうコンサートができて本当に良かった。

──アルバムをリリース後、ライヴのステージングには変化がありますか?

C:すごくいい質問! 今まさにそれを考えあぐねているところなの(苦笑)。新作から1曲残らずやりたい気持ちもある。どの曲もすごく誇りに思っているし、32分しかないから、全部セットリストに入れようと思えばできるのよね。ただ、ツアーの大変なところは、明らかにすごくお金がかかるということ。いつもツアーは赤字だし……でも目下の目標は、少なくとも1人はゲストに出演してもらうこと。シンセサイザーを多用しているアルバムだから、それをやる人がいるバンドでやりたいし。セットリストにはやっぱりできればアルバム全曲入れたいな。友だちがいる街でやる時には、例えばトランぺッターの知り合いに来てもらって吹いてもらうとか、ショウによってはストリングス・セクションを入れるとかして、できる限り生演奏の要素を取り入れたいと思ってる。そこが私にとってはライヴ・ショウで一番ワクワクすることだから。

──最後に、このアルバムで初めてスピル・タブを知る日本のリスナーにメッセージをお願いします。

C:もちろん! 私にとってとてもスペシャルなプロジェクトだから、みなさんにも気に入ってもらえることを願ってる。もし今回じゃなくても、次作を気に入ってもらえればいいな。日本は行ったことがなくて、みんなに「死ぬほど行きたい」って言ってまわっているくらい。日本でショウができる日が待ちきれない。早くみなさんに会えて、生で曲を聴いてもらえますように!

<了>

Text By Tsuyachan

Photo By Neema Sadeghi

Interpretation By Sachiko Yasue


spill tab

『Angie』

LABEL : VMG
RELEASE DATE : 2025.05.16
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