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バンドが死に、音楽が息をしはじめる
ソーリーが語る、ポップ・カルチャーへの“再”接続
最新アルバム『COSPLAY』インタヴュー

11 November 2025 | By Daiki Takaku

昨日観たテレビの話を誰にでもできる時代は、もうとうに過ぎ去ってしまった。しかし自分が求めさえすれば、欲しい情報へと手軽にアクセスできる時代が訪れた。そこにある寂しさは、大きな物語が死んだことの証左だろうか。そこにある楽しさは、山ほどある小さな物語を選び取る立場がもたらす愉悦だろうか。

どこかアンヴィバレントな現代にあって、バンド──大なり小なり、物語の主人公だったはずのものだ──は、何を鳴らし、何を歌えばいい?

2010年代後半にサウス・ロンドンのコミュニティから現れた“バンド”群の一角、ソーリーは3作目のアルバムに際して、この難しい問いを目の前に置いている。そして、このような宣言とも受け取れる言葉をアルバムの資料に記載した。

「このアルバムを作りはじめたとき、私たちは死んだ」

勘違いしないでほしい。ソーリーは相変わらず5人組で、ましてや解散などしていない。それにそのエレクトロニックかつバンドらしいサウンドを合わせ持った音楽性や、ヴィジュアル面でのDIYな表現といった特徴も失っていない。ただ、ソーリーは自分たちの物語の主人公の座を蹴り飛ばし、代わりに音楽を、そこに描かれているものだけを、こちらに差し出そうとしているのだ。

地道にライヴを続け、ファースト・アルバム『925』(2020年)とセカンド・アルバム『Anywhere But Here』(2022年)で築き上げた方法論を詰め込み、ポップ・カルチャーの歴史的アイコンたちを独自のニュアンスで積み上げた、この最新作『COSPLAY』(コスプレイ)を携えた上で、そのような態度を見せる勇敢さに、まず拍手を送りたい。次にリスナーとして、できるだけその軽やかさと誠実さに応えたいと思った。以下に掲載するオフィシャル・インタヴューの全文を読み返しながら、このアルバムと、あるいはこの先で出会うすべての音楽と、どのように向き合うのべきか何度も考えている。なお、質問にはソーリーの中核を担うアーシャ・ローレンツとルイ・オブライエンが応えてくれた。
(インタヴュー・文/高久大輝 通訳/近藤麻美)

Interview with Asha Lorenz and Louis O’Bryen(Sorry)

──ファースト・アルバム『925』のリリース直後はパンデミックが世界中を襲いツアーやライヴが難しい状況でしたが、セカンド・アルバム『Anywhere But Here』から約3年の間は過酷なツアーも含めライヴに忙しい時期だったかと思います。まずはこの3年間を振り返って、あなた方の現在に大きく影響を与えた出来事や経験があったら教えてください。

Asha Lorenz(以下、A):どうだろう、安定して地道にライヴをやってきたことかな。まあライヴはずっと力を入れてきたことだから、特にこの経験とかこの瞬間が大きかったというのはないかもしれない。これをやったおかげでバンドが一気に成長したとか、そういうのはなくて。本当に着実にライヴをやってきて、割と大きい会場も経験しつつ、でも自分たちのために小さい親密な空間でも続けてやってきたっていうのは良かったと思う。今度のアルバムではもっと自分たちのツアーをやりたいっていうのはあるけどね。というのも去年12月のフォンテインズD.C.のツアーをはじめとしてサポートで参加することが結構あって。もちろんそのおかげで大きな会場でもやれて嬉しかったんだけど、でもこのバンドの音楽は狭い空間にも合うから、両方できたのは良かったんじゃないかな。

──最新作『COSPLAY』の制作はいつ頃から、どのように進めていったのでしょうか?

 

A:曲は常に書いているし、前作を書き終えた時点ですでにもうアイデアはあって。たとえば「JIVE」のフックとかは6年前に書いたものだったり。だから『Anywhere But Here』後に古いアイデアを書き直したりしつつ、新しい曲も作ってたから結構な曲数になって。それから出来上がった楽曲群について、そこで何が起こっているのかをまとめるというか、アルバムの定義を試みるという作業をして、それで自分たちが強いと思うメインの曲にフォーカスして、かなり早い段階でダン・キャリーとレコーディングをしたんだけど、まだ曲数が足りなかったり、アイデアが固まってなかったりしたから、そこでレコーディングしたものを持ち帰って、さらにいろんな場所でレコーディングしながら1年半くらいかけて改良していった。だから同じ曲でも複数の録音があるんだけど、それを寄せ集めて一つにして、またダンとスタジオに入って仕上げたの。そこでヴォーカルも全部録り直したから、ある意味それでまとまったんじゃないかな。

──あなた方2人を中心としたこれまでの制作方法に何か変化はあったのでしょうか?

A:そんなには……。曲は今もこの2人が書いていて、一緒にアレンジして、それからバンドで演奏してそれぞれが自分のパートをちょっと変えたりする感じだね。

Louis O’Bryen(以下、L):前2作のうちのファースト・アルバムは主にデモを元にして作って、もちろんバンドも参加したけどどちらかと言うと閉鎖的な作り方だった。一方セカンド・アルバムはバンドとしてもっとライヴ・アルバム的だったんだ。それで今回はその両方の手法を取り入れて、バンドと演奏しながら曲を仕上げつつ前作よりもプロダクションに力を入れて、それを中心に据えるというようなことだった。というわけで、今作では前2作の制作方法を合体させたってことだね。

──資料にあった「このアルバムを作りはじめたとき、私たちは死んだ」という言葉がとても印象的でした。

A:その言葉は自分たちにとってはある種のジョークだったけど、でもここ数年のテクノロジーの進化や世界との断絶とかで、まるでみんながもう一度、自分自身の居場所や時間、文化の中での立ち位置を探し直しているような気がしていて。物事の意味にしがみついて、今可能な形で再接続しようとしているというか……。ちょっと抽象的なんだけど。

──そういった考えは今作のコンセプトと繋がっていますか?

A:少しは繋がってると思う。コメント自体は抽象的なものだけど、曲が自分たちに属しているんじゃないっていう考え方をしたかったというか。曲ごとにいろんなアイデアやリファレンスを寄せ集めて、曲という乗り物に積み込むから、誰か特定の人のパーソナルなものにはならないし、特定の何かを参照しているわけでもなく、その曲自体が語ろうとする普遍的なアイデアに帰属するもの、みたいな。

──過去のポップ・アイコンに扮する(コスプレする)というより、呼びかけること、その呼びかけ方によってその対象にこれまでとは別の解釈を与えているように感じました。あなた方はポップ・カルチャーの過去、歴史に対してどのような意識で向き合っているのでしょうか?

A:昔はもっとポップ・カルチャーがみんなの意識の中で大きな存在だったと思う。みんながテレビを見ていて、同じ映画を観たり同じ音楽を聴いたり、そういう共有された体験がもっとあったよね。でもそれが少しずつ分散していったというか、かなり前からそうなっていて。だから今は、もはや何か別のものになっている気がする。一つのまとまったものではなくて、全体の中の断片のような。だから今はそれを自分なりに見て再解釈しようとしているということだと思う。そこにまだ何かは残っているけれど、かつての意味はもう薄れてしまって、むしろ自分が描いている絵の一部として存在しているような、そういう感覚。

──縦横無尽に過去のポップ・カルチャーを参照していますが、あなた方の琴線に触れるものにはどのような共通点があると思っていますか?

A:共通点というよりも、それぞれ全然違う。単純にそのとき読んでいるものとか、作っているときにたまたま出会って参照しようとさえしてなかったものが紛れ込んだりもするしね。今はあらゆるものがコピーだから、それを覆い隠すんじゃなくて、むしろコピーであることを露わにしつつ新たな文脈に置き直そうとする、みたいなことだと思う。

──「Into The Dark」の歌詞には三島由紀夫が登場します。資料にはあなた方(アーシャとルイ)が彼の本を貸し借りしていたとありました。

A:ある友だちから『三島由紀夫生と死』っていうヘンリー・スコット・ストークスの本を教わって、基本的には伝記なんだけど、すごく内的対立を抱えた人物だなと思って興味がわいたんだ。自分たちが曲作りでやろうとしていることと近いというか、彼は政治的に両極端なものを同時に抱えていて、その矛盾が理屈ではなく情念として現れるというか。なんていうか、クレイジーなパフォーマンス・アーティストみたいだと思ったんだよね、作家界のレディー・ガガ的な。それがすごく刺激になったし、それに彼には死への強い執着があるでしょ。だからその要素が「Into The Dark」に入り込んだんだと思う。ちなみに『仮面の告白』や『春の雪』も読んだけど、どちらかというと著作より人間としての彼の人生に興味があるかな。

──先ほども話に挙がりましたが最新作ではダン・キャリーがプロデューサーとして参加しています。彼の影響はどのような部分によく表れているのでしょう?

L:元々今回のアルバムは自分たちでプロデュースして、自分たちのプロダクションを中心にやりたいと考えていたんだ。それで自分たちでできるところまでやりきったあとで彼のところに持っていった。彼が関わる前の段階では曲同士を繋ぐ鎖のようなものがまだ足りなかったけど、彼といくつかのパートとかヴォーカルを録り直して全体がうまく一つにまとまった。彼の手を借りることで各曲の中で自分たちにとって重要な部分もより輝いたんだ。

──「Echoes」の冒頭で聞こえる“hold me”のサンプリングは、オブライエンがSoundCloudにアップロードした初期の楽曲のヴォーカルから引用されていて、「JIVE」は、ローレンツ自身のSoundCloudでデモ版が最初に発表されていたんですよね。ご自身たちの過去の作品を最新の作品で再訪することはあなた方にとってどのような意味がありますか?

A:まず長いこと音楽を作ってきたから昔の素材やアイデアがたくさんある。それで当時はまだ形にならなかったけれど、何か特別なものになるかもしれないとか、あとで意味が生まれるかもしれないと予感がすることがあって。今回の作品では、そういうメロディや歌詞が、自分のなかで他の曲やテーマと自然に結びつく瞬間があって、それを今の文脈で生かせるかもしれないとやってみて、実際それができたのは良かったなと思う。

L:そう、永遠に日の目を見ないままになってしまう曲がたくさんあるなかで、一瞬でも光を当てることができたら嬉しいからね。たとえ自分たちのためだけだったとしても、それらの存在を感じられるからさ。

──サンプリングも含め多層的な『COSPLAY』のサウンドではミキシングもとても重要だったのではないかと思います。最新作ではニール・H・ポーグ(Neal H Pogue)とマルタ・サローニ(Marta Salogni)という伝説的な作品を手がけてきた2人のエンジニアがミキシングを担当していますよね。

L:今回の曲はそれぞれ違うから、いろんな人にミックスをお願いして、全体をうまく繋げられないかと思ったんだ。特にニールは、アルバムの中でもスケールの大きいポップ寄りの曲を手がけてもらったんだけど。それによってミックス前のそれぞれの曲が持つ世界観から少しだけ外に出たというか、アルバム全体がより一つにまとまったと思う。

──アーシャさんは最新作のMVでも(幼馴染のフロー・ウェッブと共に)クリエイティヴィティを発揮し続けています。ヴィジュアルの面でもDIYを貫くことでバンドとしての世界観が強化されていると思うのですが、ヴィジュアルの制作に関して、アルバムのリリースを重ねていく中で意識の変化などはあったのでしょうか?

A:基本変わっていない。ただたとえば「Echoes」みたいに少し規模の大きいMVを撮ったりとか、ちょっといいカメラで撮ってみるっていうのはあったけどね。でもローファイが一番しっくりくる場合もあるから、やっぱり基本的には変わらない。ああでも今後はライヴでも映像的な要素をもっと取り入れてみたいとは思っていて。それがあることで曲に新たな層と色が生まれたり、生き生きしたりするんじゃないかと思うし。他の人にとって楽しいかどうかは別として、個人的にはその方がやりやすくなる気がするから。

──サウンド、リリック、ヴィジュアルにおいてバンドの中でも重要な役割を担うアーシャさんが最新作の制作中によく聴いていた/観ていた作品があれば知りたいです。その作品の影響は最新作にありますか?

A:うーん、特にこれっていうのはないかな。さっき話したように、この作品はコラージュみたいな感じで映画だったり本だったり音楽だったりいろいろ混ざってて、特定のものに限られるわけじゃないから。それに具体的な作品を挙げない方がいいとも思っていて。それを言うと、そこまで遡ってくれちゃう人が出てくるけど、当の本人たちはとっくに好きじゃなくなってる場合もあったりするし。常にいたるところから影響を受けているしね。

──シーンについても教えてください。あなた方を筆頭にThe Windmillの周辺から世界へと羽ばたいていったバンドたちは変化を経ていまだにシーンを牽引しているように感じます。あなた方の目から見て現在のロンドン周辺のシーンはどのように映っていますか?

A:最近はあまりライヴに行かないからよく知らなくて。自分たちが特定のシーンに属しているとも感じていないしね。でもLife is Beautifulっていうコレクティブがあって、詩とか音楽とかダンスとかいろんなアーティストが集まってるんだけど、それはすごく面白いと思う。でも今のシーンがどうなっているかとかはちょっとよく分からない。

L:結構ロンドンの外から新しい音楽が出てきてると思う。若いバンドでロンドン出身っていうのをあまり聞かなくなった気がするし、それは結構いいことじゃないかと思う。単純にロンドンの家賃や物価が高すぎるっていうことでもあるけどね。

──冒頭でも名前が挙がりましたが、2024年末にはフォンテインズD.C.のUK/アイルランド・アリーナ・ツアーでサポートを務めました。バンドとしてギグする会場の規模も大きくなっていると思うのですが、最新作のリリース後のギグについて、パフォーマンスや演出などすでに何か考えていることがあれば教えてください。

A:さっき話した視覚的要素も含めて、もう少しシアトリカルなものにしたいと思ってる。実はずっとやりたいことではあったけど予算的なこともあったし……もちろんこれまでのライヴも楽しかったし満足だったけどね。でも今は3枚アルバムを作って曲数も十分あるから、やってみても面白いと思う。というかこれまでもちょっとサンプルを挟んでラジオとかテレビみたいにして、いろんなタイプの曲を演奏するっていうのはやってきた。基本的には、オーディエンスにとってより観やすくて楽しめるものにしたいということ。それぞれの曲の感じが違いすぎて観客を混乱させることもあると思うから、曲の多様性を残しつつも、観客が楽しめるようなものにしたい。

<了>



Text By Daiki Takaku

Interpretation By Mami Kondo


Sorry

『COSPLAY』

LABEL : Domino / BEAT
RELEASE DATE : 2025.11.07
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