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卒業シーズン特別企画
TURNスタッフ/ライターの選ぶ2000年代の旅立ちソング

Beck「The Golden Age」

「ハンドルを握って黄金時代を始めよう」とは言うものの、その歌いぶりは明らかにくたびれている。窓を開け、当てもなく夜の砂漠を走る。遠くに見える灯りに寄るべなさを感じつつ、大丈夫だと思えるまで走り続けろと自分に言い聞かせながら。

ベックの「The Golden Age」は、オルタナ・カントリー調の枯れたバンドの演奏を従えた、力ない旅立ちの歌だ。どちらかといえば、逃避のようなニュアンスが強いかもしれない。すっかり擦れてしまい、旅立ち、門出という言葉にもはや華々しいイメージが喚起されなくなってしまった。何かしらの事情で出奔せざるを得ない状況を想像してしまう。

特に大きな責任を伴うような仕事をしているわけでもないし、何か耐えられないような悲劇があったわけでもないのだが、「すべてを捨てて出奔しちゃいたいな」と思わずにはいられない夜が誰にでもあるのではないかと思う。「The Golden Age」の4分35秒は言わば束の間の出奔だ。(鳥居真道)

BUMP OF CHICKEN「fire sign」

この曲が収録されたアルバム『ユグドラシル』を聴いていた当時、私は中学生だった。中学の卒業と初めて行ったBUMP OF CHICKENのライヴはタイミングが近く、この曲がセットリストの終盤に入っていた。クラスの異なる4人で駅前のサンマルクに集まり、ガラケーを持ち寄り必死に電話をかけ続けた末に勝ち取ったチケットのライヴだった。内部進学だったため卒業という言葉の響きはパッとしなかったが、別の高校へ進学するクラスメイトもちらほらいた。そのような状況下で「旅立つ人よ 声が聴こえる/『愛しい人よ あなたの中に』/星を廻せ 世界を廻せ/僕らの場所は 僕らの中に どんな時も」という歌詞と、のびのびとしたギターリフはいまでも眩しく優しい。そして、思春期の真っ只中だった少し複雑な自分の心をほぐしてくれた。もともとは『ユグドラシル』の制作中、メンバーへのバースデー・ソングとして贈られた曲だ。そして制作の裏側で、彼らも大きな葛藤下にあったらしい。新しいフェーズに進む際、励ましの一曲を持つということは、自分や相手の意思をより大事にしようと誓う行為であることを再認識する。(ぽっぷ)

Dragon Ash「静かな日々の階段を」

世代ドンピシャではないし、ましてや学生時代に合唱したような、同級生たち全員が知っている歌などではないが、卒業ソングと言われて最初に頭に浮かぶのがこの曲だ。深作欣二監督の映画『バトル・ロワイヤル』の主題歌としてエンディングで流されたこの曲は、政府に殺し合いを強いられる中学生達の鮮烈なヴァイオレンス映画のラストを、不意をつくような清涼感に包んだ。子供が子供のままでいられなくなるような社会や時代を20世紀の終わりに憂いた深作と、ピュアな感覚をなんとか手放すまいとしながら旅立ちを祝福するこの曲の詩は呼応し、この映画のラストに打ち出されるストレートなメッセージ性をより強固なものにした。Dragon Ashの2001年のヒット・アルバム『Lilly of da Valley』の収録曲でもあるこの曲の、刹那的でありながら郷愁すら誘うギターのイントロから始まるサウンドの趣やメロウなラップには、現代においても聴いている人間にメロディーを口ずさませ、過去と未来を回想させるような、歌としての普遍性が宿っている。(市川タツキ)

GRAPEVINE「アナザーワールド」

現在進行形のサウンドを消化しながら未だ異様なスピードで新作を出すバンドである。昨今では批評界隈が好むアーティストと対バンも厭わずメジャーと非メジャーの結節点のような存在だとも思えるのだが批評的な視点ではほぼ取り上げられない(本人達が避けているのかもしれないが)。本曲は創設メンバーながらコンディションの問題でこの時期を境に脱退した当時のベーシスト西原誠に向けたと思しき別れのナンバーで、平たく言えば旅立ちソング、なのだろう。初期の彼らが得意としたブリット・ポップ調のメロディアスなマイナー・バラードであり、Bメロのコードワークの捻り……からの「また手を伸ばして/やめて」「もうぼくらには見えやしない」。避け難い別れへのもどかしさと優しさの表現は流石の秀逸さだ。なお、以降は固定のサポートを前提とした編成となり、アレンジの幅を広げていったことで今日の姿がある。ちなみに筆者はアメリカン・ルーツ色を強めながらインディーR&Bにも接近していく、2009年以降の作品が好みなのですが。というかこんなオタク語りでこの企画大丈夫でしょうか?(井草七海)

Kanye West「Good Life ft. T-Pain」

色彩豊かなバルーンが空に舞いそうな中、角帽についたタッセルを右から左に移動させた瞬間、待ち構えているのは人生で一番最高な夏の始まりだ。“Welcome to the good life”と、カニエ・ウェストとT-ペインは「Good Life」で、私たちを祝福してくれる。もちろん卒業式では名残惜しい感情も渦巻くけれど、いろいろな制約から解放された身で友達とパーティをして、羽目を外し、卒業式の後って楽しいことだらけなんじゃないだろうか。スパークリーなシンセサイザーが高らかに鳴り響くこの曲は、ひとつの章が閉じる瞬間そのものよりも、その先に広がる未知の可能性を照らし出している。それは“卒業”を意味する『Graduation』発表後、自身のキャリアにおける最高傑作と名高い作品、『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』を発表したカニエの歩みそのものだ。(島岡奈央)

□□□「Tonight」

数多の人間がいまこの瞬間、この世から旅立っていこうとしている。□□□は美麗なストリングス・アレンジを施したエクスペリメンタル・ポップにのせて、偶然か必然か、命を失うこことなった人びとへ、その瞬間に脳裏によぎったであろう思いを語らせ、「君は?」と問いかけさせる。その問いかけに反応するように、ヴォーカルの三浦康嗣も、死にゆく人がこの世へ最後に落とした思考の切れ端を、矢継ぎ早に歌いあげていく。この楽曲で印象的なのは、その“終わり”に関するひとりひとりの語り口があまりにもあっさりとしていることだ。軽薄と言いたいわけではない。むしろ、祝祭的に仕上げられたサウンドを伴って、それらの語りは不可逆な終わりを丁寧に、悠然と受け止めるかのようにすら聞こえてくる。過去への未練を滲ませながら、眼前の終わりを受け入れて、いや受け入れさせられて、新しい世界は始まっていく。これは、そんな終わりの背中に貼りついた、始まりの瞬間についての歌。(尾野泰幸)

Nelly「One & Only」

高校時代、近くのバス停から同じバスに乗ってくる、隣の女子校に通う生徒(以下「Aさん」)がいた。その学校の制服は女学生然としたデザインのものだったが、彼女が友人たちと交わす会話は現代的なやんちゃさに満ちていた。ある週末、繁華街に出ようとバス停に向かうと、そこには私服姿のAさんが立っていた。ANAPだったのかLB-03だったのかbaby Shoopだったのか定かでないが、彼女は平日の古風な出立ちからは想像できないBガール(※)の装いをしていて、パイナップルのような香水の匂いを漂わせていた。その瞬間、Aさんに対して憧れにも似た感情を抱いている自分がいた。ネリーの“share the same bus stop”という一節を聴くと、私ははるか昔に卒業した高校時代を追憶する。私はネリーのようにAさんと距離を縮めることはなかったが、Aさんのことをとびっきりイケてる(so fly)と思ったのだ。(奧田翔)
※ Bガール:(当時の言葉で)ヒップホップ系ファッションの女性。現代では通例、Bボーイ・Bガールともに“ブレイクダンサー”を指す。

二階堂和美「日向月」

ここ5年くらい、いやもうちょい長いかもしれない。今の仕事に自分の未来を見出すことができないことを分かっていながら、もっともらしい理由を並べ立てなんとなく日々をやり過ごし、また生ぬるい春を迎えることを繰り返している。そんな中年会社員にとって、旅立ちや卒業というものは──それが本意であれ不本意であれ──、もはや直視できないほどに強い光を放つ。

いじらしく積み上げてきた石を蹴り飛ばし、見え透いた幸せに瞳を閉じてけりをつける瞬間。そんな苦味を含んだ再出発の尊さをすくい上げた鴨田潤(イルリメ)の歌詞。気負いそうになる門出に朗らかな光を差す赤犬の演奏。そして何より、強気と弱気を行き来しながら、最後には息を深く吸い込んで凛とした表情を見せる二階堂和美の歌声。2006年の傑作『二階堂和美のアルバム』の最後に収められた「日向月」を聴くと、私もこんな瞬間を自分で迎え入れなければ、と思うのである。(ドリーミー刑事)

Perfume「ワンルーム・ディスコ」

生活に侵入する入り組んだ思惑や誘導に足を取られない軽やかさがある。フォー・オン・ザ・フロアと控えめに跳ねるベースラインにのって歌われるのは、シャワーを浴びるときや夜に街にいるとき日々を生きる身体で感じたことで、新しい場所でやっていく不安も期待も気楽に受け止めている。困難から目を逸らしているのではない。先を急がずリズムを捉える身体の感覚に身を任せているのだ。それは実感を見失わないことがうまくいくために大切だと知ることであり、自分の身体でこれまで感じ考え過ごしてきた日々を信頼することだ。だからこそこんなにも眩しい。部屋は、たとえば泉まくら『マイルーム・マイステージ』(2013年)が社会での居場所を模索し、ラブリーサマーちゃん「ベッドルームの夢」(2015年)が現実理解の方法を求めた場所でもある。家という力学から少し距離を取れるこの空間で、別の関係や捉え方を探し実践してきたことが、私を私に、あなたをあなたにしてきた。(佐藤遥)

Plastic Tree「真っ赤な糸」

2020年代、シューゲイズの再燃とともに、再考の機運が高まるPlastic Tree。なかでも「真っ赤な糸」は、2007年に生まれた圧し潰されるようなノイズ・ポップソングだ。この曲が痛切なのは、別れが決まっているにもかかわらず、祝福の象徴であり永遠の約束でもある「真っ赤な糸」を、感情を切り裂くような歌声で包んでしまうところにある。「さよなら ああ 会えなくなるね」「優しい嘘に騙されながら いれたらいい」という歌詞に滲むのは、受け入れたはずの諦念だ。

シューゲイズとは、構造として前進を強調しない音楽である。ディストーションで溶けるギター、浮遊するリズム、拡散していく音像。力強く進行方向を指さすビートではないからこそ、そこには諦念が宿る。「真っ赤な糸」は、その諦念と前進が拮抗して破裂しそうになった顛末の音だ。「僕は独りで歩いていく さよなら ああ」と歌われる瞬間、本来ならば一歩を踏み出すはずの場面で、砂嵐のようなギターが視界を覆い、感情は粉砕される。(つやちゃん)

Rihanna「SOS」

往々にして、人を変えるのは自らの意思の力でも、偉人の名言でもなく、所属する環境。だから、自身を変えたいと願うのなら、自分の今いる場所とは違うどこかに飛び込まなきゃって話でもあるし、そういう意味では卒業とか就職とかって強制的に変えられちゃうタイミングなわけ。というわけで、リアーナが2枚目のアルバム『A Girl Like Me』の冒頭で、そういった飛び込む瞬間に襲ってくる不安を恋に喩えて歌っているこの曲を。まあ、リアーナはめちゃくちゃブライトに歌ってくれているからついポジティヴになってしまうけど、実際のとこ、すごくナーヴァスになりやすい状況なわけで、でもって、その変化にどうしても耐えられなさそうであれば、SOSを出すのも大事。「助けて」と直接言わずとも、新しい環境に身をおいて、変わっていく自分が外側からどう見えているのか、過去の友人に聞いてみるくらいでもいいけどね。自分らしくいられる場所に、みんなが出会えますように。(高久大輝)

SEEDA「Son Gotta See Tomorrow」

長いあいださして変わらない暮らしを送っているミドルエイジからすると、卒業や旅立ちという人生の節目の甘酸っぱい経験は、もはやノスタルジックでさえある。そこで、2000年代の曲で旅立ちを連想させる曲って何だろう?とぐるぐる考えてみると、思いのほかパッと浮かんだ。それが、ラッパー、SEEDAの「Son Gotta See Tomorrow」という曲だった。傑作『花と雨』で成功をおさめた数年後にリリースしたアルバム『HEAVEN』に収録されている。この曲の最初のヴァースでは、いわゆるストリート稼業から足を洗い、ラッパーとして本気で生きて行く決意するきっかけになったであろう出来事が歌われている。「Live and Learn」のスピンオフのようだ。それは、過去との決別と旅立ちを匂わせるのだけど、しかしセカンド・ヴァースへ聴き進めて行くと、この曲は、旅立ちたくても旅立てない人生を送る人たちへのエールでもあることがわかる。何にせよ、われわれは明日を生き延びていかなければいけない。旅立ちは劇的でロマンチックで感動的だけれど、その後も人生は淡々と続く。それは幸福であるし、同時に残酷でもある。(二木信)

The Streets「Empty Cans」

何かを得るには何かを手放さなければならない。とはよく言われることだけれど、自分が中年になったいまこそ痛感する。何かへの執着はひとをその場に押しとどめてしまうのだと。10代が終わろうとするとき夢中になって聴いたザ・ストリーツの『A Grand Don’t Come for Free』は、そんな真理を面白おかしく語った超名作だ。なくなった大金を見つけようとする冴えない青年のドタバタを描いているだけと言えばそうなのだが、じつは優れた青春劇になっているのだ。ラストから2曲目「Dry Your Eyes」でガールフレンドと別れた主人公は、この曲の冒頭ではやけ酒を飲んでいる――「この人生では誰もがクソで、誰も俺を助けない」。だが、そこでビートが巻き戻されると、ずっと探していた大金が思わぬところから見つかるのだ。人生における決定的な終わりと始まりを見事に活写したこの曲は、40代になったいま聴いても、僕をいくぶん楽観的な気分にしてくれる。思わぬ喜びは、至るところにある……あなたが歩みを続ける限り。(木津毅)

The Strokes「Someday」

言ってしまった言葉は戻らない。失った誰かには再び出会えない。もう何年だろうか、穴のあいた僕の感性は埋まることなくて、ただ自分のプライドとかルサンチマンとかを納得させるために誰かを攻撃することしかできない。「ああ こう言うのはつらいけど 君にはここにいてほしい/ときどき ときどき」。僕のまわりには誰もいなくなってしまったけれど、そのほうが楽なんじゃないかとも思う。投票所には行ったけど、昔親しかったひとは違うところに入れたと思う。「約束なんて 形になる前に壊れてしまう/ときどき ときどき」。(夢がないなあ。)5年前ならそう言っただろう。いまじゃパルクールのショート動画ばかり見てるよ。──不可逆な時間と、不可逆な人間関係への後悔。さみしさを埋める恋愛と自分らしさとの鬩ぎ合い。絶対大丈夫/絶対失敗する、と現在しか見えない幼さ。都市型リベラル特有の、飽食ゆえの観念的な悩みは、うそみたいにカラッと乾いたギターとともに歌われる。ジュリアン・カサブランカスの歌詞は2作目『Room On Fire』以降政治性を帯びていくが、この時点ではまだ僕と彼女の個人主義に終始していた。「いろんな意味で みんな昔のよかった日々を懐かしむんだろう/いつか いつか」。同窓会の帰り道とかに、この曲を思い出すんじゃないかな。この支配からの♪ 卒業♪ (髙橋翔哉)

Sufjan Stevens「Chicago」

出発は逃避であり、逃避は出発だ。この曲の語り手は、何かから逃げるように旅に出る。そして、シカゴという都市を(あるいはニューヨークも)逃避した末の“どこか別の場所=やり直しの象徴”として描いている一方で、そんな場所はどこにもないし、どこに行っても結局同じであるとどこかで諦めているかのようだ。万物は成長する。自分もきっと成長している。でも、何も変わりはしないかもしれない。それでも前に進め、進め。また元の場所に戻ったっていいじゃないか。だから、この曲は「成長の物語」などではない。単純な出発の歌でもないだろう。過去は完全には癒えない。後悔は消えることがない。そして、人は簡単に変われない。それでも、それを抱えたままそのまま進んでいいとする、そんな曲だ。悪いことが消えても、良いことも留まらない、すべては流れていく。「逃避」「後悔」「赦し」「再起」が幾層にも折り重なった時、それこそが出発の時だ。ロードムービーの主人公のようにあてのない旅の第一歩を踏み出せばいい。希望? 未来? 幸せ? 知ったことか。信用できるのはロマンティシズムだけ。私はスフィアン・スティーヴンスから、この曲から、そしてこの曲の入ったアルバムからそんなことをずっと今も受け取り続けている。(岡村詩野)

Text By Sho OkudaHaruka SatoShoya TakahashiTatsuki IchikawaMasamichi ToriiNao ShimaokaTsuyachanShin FutatsugipopDreamy DekaTsuyoshi KizuShino OkamuraNami IgusaDaiki TakakuYasuyuki Ono

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