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女性の連帯とアメリカ音楽史の橋渡し
シャロン・ヴァン・エッテン
オリジナル・アルバム・ガイド

ファースト・アルバム『Because I Was in Love』から早いもので12年。自主制作でのリリースを含めると15年以上にはなるシャロン・ヴァン・エッテンのキャリアは、必ずしも華やかな話題にばかり包まれていたとは言い難い。例えば同じアメリカの女性アーティストでも知名度のあるテイラー・スウィフトやラナ・デル・レイのように何かと注目を集めるタイプではないし、同じインディー・ベースでもジェネレーションZとされるクレイロやクロードのように一つの世代の息吹の中で評価されるようなこともないままできた。だが、深い陰影と知性を宿したその歌声と、自身と社会にそれぞれ潜むダークネスを照射させたような淀みなき歌詞描写への評価と影響力は年々増すばかり。ザ・ナショナル、リー・ラナルド、エド・アスキュー、あるいはハーキュリーズ・アンド・ラヴ・アフェアといった一癖も二癖もあるアーティストたちの作品に力を貸してきた彼女だが、今年発表された彼女の企画作『epic Ten』のカヴァー・ディスクの方にはルシンダ・ウィリアムスやフィオナ・アップルら先輩アーティストが逆に参加している。この5月にはエンジェル・オルセンとのコラボ曲「Like I Used To」を発表、ウォール・オブ・サウンドへのアプローチを軸にしたポップ・ミュージックへの再検証が注目された。

近年は『ツイン・ピークス』の新シリーズなどテレビ・ドラマへの出演も相次ぎ、エリザ・ヒットマン監督・脚本による映画『17歳の瞳に映る世界』では主題歌「Staring At A Mountain」のみならず母親役で出演もするなど役者としての経験も重ねるようになったシャロン。今年40歳という節目を迎えた彼女のこれまでのアルバムを改めて振り返ってみた。(編集部)


(ディスクガイド原稿/井草七海、岡村詩野、尾野泰幸、加藤孔紀、高久大輝、山田稔明)


『Because I Was in Love』
2009年 / Language of Stone

地元ニュージャージーを飛び出し、テネシーのヴェニュー・スタッフとして5年。ブルックリンに移住後は《Ba Da Bing!》のレーベルスタッフとして働くかたわら、音源を自主制作していたシャロン。2008年には『Home Recordings』なる宅録作品をセルフ・リリース。翌年、その中に収録されていた楽曲も含め新たにデビュー・アルバムとして制作され《Language of Stone》からリリースされたのが今作だ。

タイトルが物語るように、彼女のキャリアは、ある関係がすでに“終わった“ところから始まっている。リリックにも過去を振り返り後悔する語りが目立つが、その楽曲には驚くほど毒気がない。素朴なソングライティングに、ひらりひらりと風にたなびかせるような、吟遊詩人のごときアコースティック・ギターの音色。清らかなヴォーカルに、自身の声によるハーモニーが折り重なっていく様子は実に美しいが、その調子はあまりに達観している。

だからだろうか、聴き進めるうちに、そのハーモニーを、満たされなかった想いが未来で昇華されることを祈るあらゆる女性たちの声のように錯覚してしまう瞬間が、個人的にはある。パーソナルな歌が増幅され、やがて他の誰かの物語となること。そんなフォークの真髄を1作目にして体得しているのは、当時28歳という年齢ならではか。“若気の至り“などとうに終えた人間としての器の大きさと成熟ぶりこそが、同時期デビューのSSWたちの中においても、彼女を決して埋もれさせはしなかったのだ。(井草七海)

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『epic』
2010年 / Ba Da Bing!

シャロン・ヴァン・エッテンのキャリア2作目『epic』がリリースされたとき彼女は29歳。少々遅咲きのシンガーソングライターという印象を受けるが、この作品の発売元であるインディー・レーベル《Ba Da Bing!》でシャロンはもともと広報スタッフとして働いていたというから、ステージでスポットライトを浴びて歌うまでに彼女が経てきた経歴、紆余曲折を想像するのも興味深い。

シンプルな弾き語りで始まり、けれんみのないバンド・サウンドが伴走して歌の解像度を大きくしていく。かと思えばD#とGの2コードを繰り返すM4「DSHARPG」や、後にボン・イヴェールとザ・ナショナルのデスナー兄弟によってカバーされた「Love More」では揺れ動くハーモニウム(リード式オルガン)のドローン音をバックに訥々と声を重ねて時空をぐにゃりと曲げてしまう瞬間もあり、“習作“と呼ぶのが憚られるほど深遠な感情と特別な気配が本作には渦巻いている。シャロン本人が自身の音楽を「Sad Prairie Folk Music(悲しい大草原のフォーク音楽)」と説明するように、どの歌からも荒涼とした風景のなかに滲み出していく憂いと哀しみ。後味の悪い大失恋の余波を受けて作られたそうで、苛立ちと諦観、そして癒やしへの希求さえ内包し、聴く者を文字通り「epic=叙事詩」の中へと惹き込んでいく。

2015年2月に行われた来日公演を観たが、長身で可憐な佇まいを眺めながら聴く歌はレコードで聴くよりもさらに心に響いた。曲間のMCで見せる子供っぽさやシャイな仕草、真摯に感謝を述べる姿が印象的だった。身体を折り曲げてオムニコードを魔法のように操ったり、フェンダージャガーをカリンカリンとかき鳴らす姿はとても躍動的で、物憂げに悲哀を歌うフォークシンガー以上の何者かであった。また生の歌を聴きたい。 (山田稔明/GOMES THE HITMAN)


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『Tramp』
2012年 / Jagjaguwar

キャリア3作目にして老舗インディ・レーベル《Jagjaguwar》からの1作目。ゲスト・ミュージシャンの顔ぶれはザック・コンドン(ベイルート)、ジェン・ワスナー(ワイ・オーク)、ジュリアナ・バーウィックといった彼女の存在感が滲む並びで、プロデューサーにアーロン・デスナー(ザ・ナショナル)迎えた。ちなみにデスナー兄弟からはブライスもゲストとして参加している。

そんな本作は「放浪者」や「浮気者」を意味する『Tramp』をタイトルに掲げている通り、漂うような旅を経てアーロンとのセッションを重ね制作されたという。ただ、それにしては地に足のついたというか、堂々たるモノクロのセルフ・ポートレイトのジャケットであるし、アーロンの得意分野であろう繊細なプロダクションによって屹立する歌は、青く静かに燃える炎のように力強い。どうやら「放浪」とは、あてのない彷徨いであると同時に、自分の足で歩くということ、らしい。詩情にあふれた情景描写に加えて、愛の機微を捉えながら悲しみや諦めを反転させ自己肯定へと向かっていくリリックを聴けば、そういった受け止め方もできるだろう。

また、少し間を空けて発表された『Demos』(デラックス版にも収録)には、本作に収録された楽曲のデモ段階のものがまとめられており、その即興的なスケッチと合わせて聴くと、仲間と共に完成へと近づけていく作業の中で、彼女は孤独であっても1人ではないことを理解したのではあるまいか、などという妄想も現実味を帯びてくる。フォーク・ロックを基調としたサウンドは嘘でも派手とは言えないが、後の音楽性の広がりを予見させうる確かなカタルシスを持った佳作だ。(高久大輝)

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『Are We There』
2014年 / Jagjaguwar

前作『Tramp』で試行したタイトなバンド・サウンドを軸とするサウンド・メイキングはそのままに、ヴァン・エッテンは自らの故郷ニュー・ジャージーにて、セルフ・プロデュースで本作を制作。リード・シングル「Every Time the Sun Comes Up」における“人は私のことを一発屋と呼ぶけれど/二回目があったら何が起きるでしょう”というリリックにあるような、挑戦心に満ちた作家性を作品に充溢させた。「Afraid of Nothing」での流麗なストリングスと壮大なサウンド・アレンジや「One Love」でのドラム・マシンとシンセサイザー・ドローンを用いつつサウンドの温度を下げながら、歌の生々しい存在感を際立たせる楽曲構成にその気概を観ることができるだろう。

作品全体を覆うのは「Your Love Is Killing Me」や「I Love You But I’m Lost」という曲名が伝える恋人との関係性(への執着)というテーマ。ヴァン・エッテンはしなやかかつ伸びやかな歌声をもって、“あなた”を強く想うがゆえの苦しみ、それでも頭を離れないかつてあった愛の姿が複雑に絡み合う感情を掬い上げ、それに折り合いをつけていく。作品を締めくくる「Every Time the Sun Comes Up」では同郷であるブルース・スプリングスティーンの「Girls in their summer clothes」を音響面で意識し、本作のリリースとほぼ同時期にはヴァン・エッテンが自らの故郷での生活を想起するという「Drive All Night」をカヴァー。離別した愛する人に対する行き場のない想いを語り続けるやりきれなさを湛えた同曲のリリックは、本作の物語とも接続しながらヴァン・エッテンの詩世界を構成していた。(尾野泰幸)

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『Remind Me Tomorrow』
2019年 / Jagjaguwar

前作のツアー後は、休息をとって人生を楽しみたいと話していた彼女が、本作を発表するまでに要した期間は約5年。その間に大学で心理学を学び、出産と育児を経験するなど音楽以外への専念も経て生まれたのが本作。我が子の育児を経て自身の幼少期を思い出したのかもしれないし、心理学によって自身を見つめ直すきっかけを得たのかもしれない。本作は、現在から過去を振り返って自己探究に踏み込んだアルバムだ。前作までのシンガー・ソングライター然とした弾き語りを中心に据えたスタイルから打って変わり、プロデューサーのジョン・コングルトンと共に曲名にもなっている70年代後半の名機Jupitar 4などのシンセの煌びやかな音や強調されたローエンドによって空間の広いサウンドを作り上げた。それはデヴィッド・ボウイのベルリン時代の作品群も思わせる。加えて筆者は、映画『ウォール・フラワー』(2012年)でボウイの「Heroes」が使われたことと、『ハーフ・オブ・イット』(2020年)や『17歳の瞳に映る世界』(2020年)で「Seventeen」が使われたことに、似た印象を持っていたのだが、それはいずれの青春映画も既に大人になった観客に過去の自分を振り返らせ、自分史の主人公が紛れもなく私自身なのだと自覚させてくれる両曲に共通点を感じたからかもしれない。ケイト・デイヴィスと共作し、現在の自身の視点から17歳の頃の過去の孤独な自分に優しく寄り添うように歌った「Seventeen」は、本作リリースの翌年には映画からも聴こえてくる彼女の代表曲になっていた。(加藤孔紀)

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『epic Ten』
2021年 / Ba Da Bing!

象徴的……というよりおそらくある程度は意図的だったのだろう。ここに多数の女性アーティストたちが参加していることが、シャロンがデビューしてからのこの12年の世の動向の意味の大きさを的確に伝えているのは一目瞭然だ。無論、ここには彼女の大先輩にあたるルシンダ・ウィリアムスやフィオナ・アップルもいるし、女性のみならずビッグ・レッド・マシーン(アーロン・デスナー+ジャスティン・ヴァーノン)やシャミールも含まれてはいる。だが、フィービー・ブリジャーズあたりを起点に広く拡張する今日の若い女性アーティストたちの原点の一つがシャロンにあることを、約10年前のこの作品から改めて教えられるのは事実。そのくらいオリジナルの『epic』は女性の1人の表現者として力強い息吹をいまだに放っている。

と同時に、セカンド『epic』の発売10周年を記念して制作された本作の、他アーティストによるカヴァー曲を収めたディスク2を聴いて驚かされるのは、女性云々という枠組みを超え、シャロンの音楽性の裾野の広さ、手法の多彩さ、タフネスそのものを物語っているということだ。オリジナルが聴けるディスク1と聴き比べるまでもなく、彼女が初期から様々なスタイルを柔軟に自身の作品に与えていたことが、いみじくも他アーティストたちの自由な解釈によって証明されている。ルシンダ・ウィリアムスにも負けないオルタナ・カントリーへの愛、セイント・パンサーのお手本になっていそうなベッドルーム・ポップへのシンパシー、あるいはアイドルズがここで聴かせるポスト・パンクさながらの演奏……それらはシャロンがこれまで自分の作品やパフォーマンスなどで体現してきたアプローチだ。極端に言えば、シャロンを聴けばこの10年……いや、20年、30年、もっとだろうか……アメリカ音楽のある側面が見事に掴めてしまう。多くの人がさりげなく、そしていつのまにかそんなことに気づかされてしまった。このアルバムは単なるアニバーサリー作などではなく、そんな歴史認識をも表出させた重要作ではないかと思う。(岡村詩野)

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Text By Toshiaki YamadaShino OkamuraNami IgusaDaiki TakakuKoki KatoYasuyuki Ono

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