Back

「人がなぜそういう発想に至ってるかについて、愛と理解をもって想像すること」
シャロン・ヴァン・エッテンが新作とザ・キュアーへの愛、死という問題を語る

18 April 2025 | By Nana Yoshizawa

シャロン・ヴァン・エッテンのソロとしてのキャリアは20年弱になる。彼女は地元ニュージャージーからブルックリンへ移り(現在はロサンゼルス)、自主制作でのリリースから2009年の『Because I Was in Love』でデビューしたシンガー・ソングライター、と文字にすれば駆け足で読めるかもしれない。けれど彼女の辿ってきたキャリアは地道というか、当たり前だけれど下積みの基盤があるからこそ成り立つ。

インディー・フォーク〜インディー・ロックとアメリカ音楽に根付いたソロ活動の傍ら、ザ・ナショナル、ベイルート、エド・アスキューなどのアルバムに参加。4作目『Are We There』(2014年)を発表後は音楽活動から離れて、臨床心理士の資格を取るために大学に通い、母親として子育てをしていた時期にあたる。復帰作『Remind Me Tomorrow』(2019年)では、このインタヴューで「今も勉強中」と語ってくれたシンセサイザーを自身の好奇心に応えるように導入した。シャロンは表現活動を通じて、人間の様々なパーソナリティーを映し出す音楽家だと思う。2021年にエンジェル・オルセンと共作した「Like I Used To」でのシスターフッドはもちろんのこと、女優としてNetflixのテレビドラマ『The OA』、『ツイン・ピークス』の新バージョンへ出演してきた。なかでも、エリザ・ヒットマン監督・脚本によるアメリカの人口妊娠中絶を題材にした『17歳の瞳に映る世界』(2020年)で主人公の母親役を演じたことは、少なからずシャロンの創作活動にも影響を与えたはずだ。

そして今回のニュー・アルバム『Sharon Van Etten & The Attachment Theory』は初のバンド名義でのリリース、彼女のバンドのデビュー作でもある。ジョイ・ディヴィジョン、初期ニュー・オーダーを想起させるポストパンク・サウンド、あるいはザ・キュアーの描く壮大かつ孤独な闇、つまり1979年以降の英ロック・サウンドが聞こえるようだ。加えて歌詞には、怒り、理解し難い状況、愛を持てない他人、死について綴られている。シャロンはなぜ、今、バンド名義で死や意識といったテーマを歌うのだろうか。

Zoomにて行われたインタヴューでは、今作のエピソード、ザ・キュアーが繋ぐ愛、そして社会のために行動を起こす思いなど、リラックスした雰囲気のなかたくさん語ってくれた。同時代に生きるリスナーとして、シャロンの思いが伝わることを願う。

(インタヴュー・文/吉澤奈々 通訳/竹澤彩子 Photo/Devin Oktar Yalkin 協力/岡村詩野)

Interview with Sharon Van Etten


Sharon Van Etten(以下、S):ごめんなさいね、急にインタヴューの日程を変更してもらっちゃって。ツアー前の準備だの、息子のお迎えだのですごくバタバタしてて!

──いえいえ、お忙しい中ありがとうございます! それでは早速。20年弱もソロ名義で活動してきたあなたが、今バンド名義でのアルバムを作ろうとした理由は何でしょうか? 今バンドというスタイルを選ぶ理由をどのように考えましたか?

S:そうなの。前作でコロナの影響もあって、遠隔でバラバラに作品作りをするという経験を挟んでるでしょ? それでライヴを再開するにあたって、バンドと再び絆を取り戻すために、無機質なリハーサル・スペースで練習する代わりに、人として友人として気持ちを通い合わせられるような合宿やリトリートみたいな場を設けたいと思ったの。それで砂漠にスタジオと家とキャンピング・カーが何台かある場所を見つけて。メンバー全員で朝昼夜と食事を共にしながら、作業の合間にお互いのそのときの人生の状況について語り合ったり、アルバムの曲をライヴでどう再現するのか話し合いながら、リアルタイムで会話しつつ演奏しつつリハーサルをしつつって感じで、みんなでライヴ用のセットを組んでいったの。その週の終わりに時間に余裕ができたのと、前作を元にみんなで新たに作っていった音のパレットにインスパイアされまくりの状態だったこともあり、「この音を元に今からジャムセッションしない?」ってメンバーに声をかけたの。自分の音を聴くのに飽き飽きしてたのもあるのかもしれない(笑)。ただ一切何の目標も掲げずに、自由に感じるままに音を出したいという衝動に駆られたのね。そしたら、その僅か1時間か2時間のあいだに2曲も書けてしまって、そこで出てきた音とそこから生まれる可能性にものすごく感動しちゃって……これが一体自分達にとって何を意味してるんだろう?、どういう新しい可能性をもたらしてくれるだろう?って予感して、家に帰るなり夫に「聞いて!次のステージに進むために曲作りを解禁することにしたわ!」って宣言したの。お互いのクリエイティヴィティを自由に解放してすり合わせることで、全員の距離がグッと縮まったことをあの砂漠でのセッションで実感してたから。

──バンドメンバーへの信頼も理由の一つだと感じます。

S:もうそれは絶対に。これまでの道のりで色んなレベルで信頼を強化してきた仲ではあるんだけど、どんなに相手のことを心から信頼していても、そこからさらに一歩その先に踏み出すためには自分の心の準備も必要だから。私はこれまでの道中で、色んな形で自分を手放すという作業をしてきたと思うのね。自分一人で曲を作って歌うところから始まって、そこからスタジオに人を招き入れ、ライヴに人を招き入れ、また新たにスタジオに人を招き入れってことをしてきたと思うのね。その次のステップとしてソングライティングに人を招き入れる段階に辿り着いたと思ったの。その一歩一歩が信頼に基づいているし、各段階で信頼レベルを積み上げながら今現在ここに至る、みたいなものよ。

──バンドメンバーと共同制作をした今作は、1979年以降のブリティッシュ・ロック、とくにジョイ・ディヴィジョンやザ・キュアーといったポストパンク/ゴスを想起させます。こうした英バンドの雰囲気は、ジャムセッションのときから感じていたとありました。当初の段階で、バンドメンバーとのビジョンをどのように描いていましたか。

S:もうほんとに、まさにご指摘の通り。セッション中に出てきた音がシンセサイザーにドラムが絡んでいって、そこにビートとドライブ感のあるベースが絡んでいく感じだったから……ただし、それがすごくメロディックなベースなの。ただ単にリズムを刻むだけでもなくドライブ感だけで押し切るのでもなく、すごくメロディックだったの。しかも、ザ・キュアーやジョイ・ディヴィジョンはウチのメンバー全員もれなく影響を受けた思い入れのあるバンドなんでね(笑)。そのへん、お互いに重なる部分がもれば、そうじゃない部分もあるけど、中心部にあるのは間違いなくシンセ、メロディックなベース、シンコペーションの効いたドラム・ビートで、中でもピンポイントでツボなのがあの時代なのよね(笑)。これに関してはもう、うちのメンバー全員とも瞬時にあの時代に嬉々としてタイムスリップできるくらいに根っから染みついてるものだから(笑)。

──もともとあなたが好む音楽性は、ナイン・インチ・ネイルズ、ポーティスヘッドなどのインダストリアルなテクスチャー、神秘性のある音響やクリアさがあると思います。今作は、あなたがよく語っている「自分をさらけだす」ことの重要性にどのように繋がっていると考えますか。

S:そもそも、シンセサイザー自体が様々な表現の可能性を秘めているわけじゃない? アルペジオやシンコペーションの効いたサウンドから、ストリングスやオーケストラ的な美しいサウンド・パレットを描くこともできる。すごく自由な楽器で一つの枠の中にとどまらない。私はシンセサイザーに関してはまだまだド素人の勉強中の見習いで、今回のティニー・リーバーソン(シンセ/ピアノ/ギター/ヴォーカル)のように経験豊富ではないんだけど……とはいえ、そんなベテラン級のティニーですらいまだに勉強中っていうくらい無限の可能性を秘めた楽器なわけよ。しかも、シンセサイザーやドラムマシンを使って、さらにそこに生バンドの音が加わることで、色んな形の音のマリアージュが可能になるでしょ? それこそポーティスヘッドなんてまさにその最たる例で、DJ、オーケストラ、生バンドのすべてを融合させながら、そこにトドメみたいにしてベス・ギボンズのあの圧倒的なまでにダイナミックなヴォーカルが被さってくるんだから! ごく最小限の静かな表現から、徐々に激しさを増して、最終的には爆発するくらいのレベルまで描いていくことができる。それこそインダストリアルなサウンドから、トリップホップ、ポストパンクの世界まで広範囲をカバーしてる……そこで大活躍しているのがシンセサイザーなわけよ。その幅広い音世界を漂いつつ、あっちこっちの影響を自分のフィルターを通して融合させていくのが好きなんだよね。

──バンドの話が出たのでベースについても聞かせてください。デボラ・ホフの躍動するベースは、今作のサウンドを決定付けています。彼女にどういった奏法を希望しましたか? ニューウェーブ/ポストパンクの奏法などについて、交わした意見があれば教えてください。

S:いやもう、デボラの何が素晴らしいかって、自分なりのスタイルと声を持っていることよ。それこそライヴ演奏するときなんて、彼女の生のベースの動きに影響を受けっぱなしなんだから。一緒にレコーディングする前から、彼女の持ってる音のトーンやソングライティングの感性や、ヴォーカルへのセンシティヴな配慮に感動してて。本当に色んな人と一緒に演奏してきた人だから……あ、ごめんなさい、スマホが鳴っちゃって。ミュートにするからちょっと待って。(戻って)そう、デボラはそれこそ、ジャズ・ミュージシャン、アヴァンギャルド、パンク・バンド、シンガー・ソングライターと様々な場を踏んできてる人だから、ロディやヴォーカルに対してすごく繊細な感性を持っているベーシストなの。しかも、それをすごく使いこなしてるところが最高に凄すぎる……ベースラインがまるでヴォ―カルみたいに予測不可能な流動的な動きをするんだよね……要するに、自由ってことよ。しかも自分が自由であることを知ってる人。だから私からはほぼ指示を出すことはなくて、彼女が見事なまでのプレイをキめたときに「今の!」ってリアクションを出すだけ。「ここから音を広げていきましょうよ!」って。だから、ティニーのキーボード、デボラのベースラインと、ホルヘ(・バルビ/ドラム、ドラムマシン担当)のシンコペーションによるドラム・ビートとベースの空間の中に、自分の声を探しに行く形で曲作りをしていったの。その正しいポイントを見つけるまでは歌い出すということをしなかった。だから今回はまず何よりも音楽が先で、自分がそれに反応して何を作り出すのかわからないまま作ってるのよ。

──前作『We’ve Been Going About This All Wrong』はパンデミック災害という暗いなかでも希望を見出す眼差しが描かれていたと思います。さらに「私の音楽の99%は共有できない。時にはあまりにも暗すぎるから」とありました。今作は、その暗さを受容するような安らぎを感じます。こうした変化に至ったきっかけは何でしょうか?

S:ああ、というより、私にとって曲を書く行為はほぼセラピーみたいなものなので。自分の人生において何か大きな出来事を経験しているときに書くことが多いんだけど、すべてを共有してるわけではない……自分の日記の内容をすべてを全世界に公開する必要はないでしょ(笑)。私にとっては大ごとでも、他人からしたら取るに足らないくだらないことだったりすることもたくさんある。ただ、その中からこれは取り上げなくちゃって思うときは、それが単にそれが私個人の枠を超えて、多くの人にとっての共通のテーマになりうるっていう可能性があると感じるときであって……その必ずしもすべてが暗いとは限らない。そこには希望もあるし、いくつもの問いが含まれている。それを曲の中でテーマとして取り上げたところで、自分の中に明確な答えが出てわけじゃないんだけど……ただの問いであり、感情よね。それをシェアすることによって、この気持ちを感じてるのは自分だけじゃないんだってことを感じてもらいたい。とはいえ、パンデミックについて扱うのは、自分でも正直、二の足を踏んでしまうところはあった……パンデミックについて取り上げた作品がさんざん世に出すぎて、みんなウンザリだろうと思って。それでも、やっぱり紛れもなく自分が経験していたことでもあり、この音楽外に出さないわけにはいかないし、自分の中でなかったことにはしたくなかったの。あるいは、自分の中にある恐怖や不安と立ち向かわんとする人のためにも、どうしても形に残しておきたかったの。後から振り返ることができるように単なるパンデミック渦の記録以上の意味を見い出すことができるように。たとえコロナ渦についての作品なんてさんざん出尽くしてるとしても、あの時期に誰もが直面していたであろう試練について、あるいはそうした中でも訪れた美しい瞬間だったり、そこから得た気づきだったりを、自分のために記録して残しておかなくちゃいけないと思った。それはコロナという特殊な状況かを差し置いても私たちが過去数年間に直面してきた感情を反映してるものだと思ったから……ごめんなさい、なんだか長くて、何を言ってるんだかわからない答えになっちゃって(笑)。

──いえいえ、本当に実直に答えてくださって。ところでプロデュースとミキシングを手掛けたイタリア人のマルタ・サローニは、ここ1、2年ほどの間だけでも、スクイッド、イングリッシュ・ティーチャー、デペッシュ・モード、フィル・セルウェイら実に多くのアーティストの新作を手掛けています。彼女にオファーしたのは彼女の仕事のどういう側面を評価し、どういう手腕を期待してのことだったのでしょうか。

S:ものすごい偶然なんだけど、最初に会ったのはなんと友人の結婚式での席なのよ。しかもお恥ずかしながら、当時、私は彼女がどんな作品に関わってるのかまるで知らなくて。ただ、その結婚式で人として出会って話しているうちに、彼女の音楽に対する思いだったり、経験だったり、アートや人生を生きることに対することへの思いに触れて、この人のことをもっと知りたい、絶対に知らなくちゃっ!て思ったの(笑)。そこから彼女が過去に手掛けた作品を調べてみたところ、ジェームス・フォードと一緒にデペッシュ・モードの作品を作ってることを知ったの。ジェームスは以前に何曲か私の曲をミックスしてくれたこともあって、彼のエネルギーもすごく好きだったの。ただ、彼女がジェームスと繋がってることすら知らなくて。ただ、彼女がこれまで手掛けてきた作品の幅広さを思うと、それこそ実験的な音楽だったり、アナログやループやテープを操る名手であり……しかも、彼女自身が素晴らしいパフォーマンス・アーティストでもあって。本当にミックスってことに関して極めてきたアーティストなんだなってことが見て取れる。しかも、彼女自身がアーティストでありながら、ミキシングの世界を通して様々なアーティストと一緒に仕事をしてきて、しかもプロデュースのほうをもっと手掛けていきたいと思ってることを知り、とにかく彼女と一緒に仕事をしたいと思った理由が山ほどあったの。それで今回のアルバム作りに興味があるかどうか打診してみたんだけど、彼女が開口一番に訊いてきたのが「今回のアルバムの目指してることは?」ってことで、「一番の前提としては、まずはバンドを中心としたアルバムにする、バンド全員が集まってプレイできる空間を確保したい」ってことを伝えたの。それこそ、今回の曲を書いていたときの状況と同じように、メンバー全員が輪になってアイコンタクトを取りながら、ライヴで演奏できる環境を確保したい、って……まあ、普通のプロデューサーからはあまり歓迎されないタイプの環境であることはたしかよ(笑)。しかも、レコーディングのプロセスだけじゃなくて、ミキシングやオーバーダブのプロセスでも、その姿勢を反映させていきたかったの。つまり、全員がイコールで同じ高さに立っているようにしたかった。アーティスト、バンド、プロデューサーの間にヒエラルキーや壁を一切設けずに、全員が同じ目線に立ってる作品にしたかった。しかも、私の注文に応えてそうするんじゃなくて、そこに本当に重きを置いて、私たちと同じぶんだけコミットしてくれて、その仕事に対する姿勢にもすごく感動したし尊敬してる。

今回のレコーディング・スタジオとしてロンドンの《The Church Studios》を勧めてくれたのも彼女の案なの。そのスタジオでも私たちが演奏するのと同じ部屋に彼女のミキシング・ボードを設置して。彼女も私たちと同じ空間の延長線上にいたわけよ、別の部屋から遠隔で指示を出すみたいな形でなくて。まるでバンドのもう一人のメンバーのように、私たち5人が同じ部屋にいて、そこにマルタもいて全体を指揮してくれて、お互いにアイコンタクトで直接コミュニケーションを取り合いながら作業していったの。それが何だかもう、すごく特別な体験で……私が彼女に惹きつけられた最大の理由もそういうところにあるんだと思う。彼女も私と同じくらい、この作品に対してバンドのパフォーマンスを最大限に引き出してやろうという意気込みが伝わってきたから。

──今回レコーディングを行なった、北ロンドンにある《The Church Studios》で実際にあの場でレコーディングしてみてどう感じましたか?

S:どのスタジオにもそれぞれカラーがあって、必要に応じて使い分けたらいいとは思うんだけどね。例えば、自分が完全に一人になれるスペースが欲しいときにはそういうスタジオを選ぶだろうし。ただ、これに関しては完全に好みの問題だけど、触れるのを躊躇してしまうような高価な機材に囲まれた豪華すぎるスタジオとか、ソワソワしちゃうタイプで。《The Church Studios》に最初に一歩足を踏み入れた瞬間から、自分が歓迎されてるような、この空間に受け入れられてるように感じたの。昔からよく知っている場所みたいな感覚……ホントにそうなのよ(笑)、「教会」っていうスタジオ名の通り(笑)……ただし、《The Church Studios》は音楽の教会だけどね。あの空間に一歩踏み込んだ時点で、場のエネルギーを実感したもの……それと歴史的重みが……しかも全然敷居の高い感じじゃなくて、スタッフもみんな「必要なものがあったらどんどん言ってね、好きにしてね!」みたいな雰囲気で……(吹き出す)だって、スタジオの中にいてずっと「ああ、アニー・レノックスに今、見守られてる……」みたいなテンションだったもの、私、ホントに!(笑)実際に会うことはできなかったんだけど、その存在を常に感じてたし、入った瞬間あの場に親しみを感じた。瞬間的に自分とあの空間が繋がってるような気がしたの。私たちの求めてたものすべてがここにあるって、そのエネルギーを常に感じてた。

──ちなみに、ザ・キュアーのとくに好きな作品や楽曲を教えてください。また、新作『Songs of a Lost World』についてはどう思われましたか。

S:ああ、もう本当に感動しちゃって……最初に聴いたときから共感しまくりだった! まさに私がずっと考えていたテーマについて扱われていたから。それこそ死について、私たちが地球の未来について、あるいは今世の中で起きていることに関して。それこそ政治や社会についてだけじゃなくて、パーソナルなレベルで、年齢的にパートナーや家族、友人と過ごしていく中で「この先一体どれだけ一緒の時間を共にできるんだろう?」っていうところから、どうしたって死について意識せずにはいられない……それこそ昔からロバート・スミスという人が向き合ってきたテーマよね。それがいまだに激しく切実に響いてくるし……少なくとも、ここ何年か自分の頭の中に思い浮かでくるトップ項目のテーマのうちの一つであることはたしか(笑)。それでお気に入りのアルバムで言うなら、『Disintegration』はもう絶対に外せない! まさに私の人生にとってのサウンドトラック的な一枚よ。でも最近になってから急上昇してるのが『The Head On The Door』 の「Screw」で、あの曲が私と息子との親子の絆を深めてくれたから。

──息子さん?

S:そうなのよ(笑)、まだ8歳ぐらいなんだけど、あの曲がかかる度に息子がニヤニヤして「うわー、何これ?!」ってなったり、「いや、今のドラム最高!」、「これこれ、このベース!」ってなったりして(笑)、「Screw」のベースラインが息子にとってはどうやら相当ツボらしいのよ(笑)。息子に曲の意味について聞かれて「本当の自分を隠していることについてだよ」とか、「自分以外の誰かになるためにメイクをするってことについて歌ってるんだよ」って、そこから親子の対話が生まれたり……もうまさにザ・キュアーの曲のこういうところなわけよ、こういうところが好きにならずにはいられないわけよ! 人生の色んな局面で違う角度からまた再発見するような、何度でも出会い直すような音楽……どこまでも深く探求していける。それでまた過去作品を一通り聴き直した後で、バンドと一緒にスタジオ入りする前にメンバー全員でハリウッドボウルにザ・キュアーの公演を観に行ったの。ちょうど曲作りのセッションに入る直前で、それが明らかに今回のアルバムの影響としても出ていて、「Afterlife」を書いたのなんてまさにハリウッドボウルでザ・キュアーを見た直後よ。他にも今回のアルバムに収録されている曲の約3分の1が、ザ・キュアーのハリウッドボウル公演後に書かれたものよ……ああ、というか、私にザ・キュアー愛を語らせたら、延々に終わらないわよ(笑)? 自分が成長していくにつれて、自分の中にある彼らの音楽も一緒に成長していくみたいな関係だから……子供から大人になって、そこから自分が子を持つ親になるまでずっと自分の人生に寄り添ってくれていて、その中で自分と彼らの音楽と音楽の関係性も変わっていく……本当に自分にとってすごく特別な音楽よ。

──近年からゴスの復権が顕著になっていて、ザ・キュアーの新作が発表されたのもきっかけの一つだと思ってます。エセル・ケインのサザン・ゴシックを取り入れる作風やソーシャルメディアを中心に若い世代からも支持されはじめた、ゴスの波についてあなたはどのように思われますか?

S:というか、正直なところ、自分はずっとこっち世界の住人なんで(笑)、ブームが去ったことが一度もないの(笑)。ただ、今の世の中に反抗すべきことや闘うべきことが増えているのは感じてる。これだけクレイジーな世の中なんだもの。ここで政治について議論するつもりはないけど、アメリカに限らず世界中が極右翼化していく流れの中で、疑わしいことやフラストレーションを感じることが多々起きてる。その結果、自分自身が生きている現実についても疑いの目を向けたくなってしまう。残酷な真実は大衆文化にとっては、飲み下すには苦すぎる薬なのかもしれない(笑)。それでも安易な解決策を拒否して、あえてその苦い薬を口にしようという人達も大勢いる。今、これだけ世の中が疑念や困難で渦巻いている時代において、世間的には根暗とされる、ただ大衆ウケ狙いでない音楽を作って、人とコミュニケーションを図ろうとする人達が一定層いるわけで……だからといって、ゴスがいつかメインストリームを支配するっていう図は、私自身、正直思い描けないんだけど(笑)。ただ、死や、意識について自分がなぜこの世に存在するのかっていうテーマについてどうしても考えさせられずにはいられない、その過度期に今の世の中の状況は達してるのかな、とは思う。

──「Southern Life」は南部特有の生活を憂いていて、率直にアメリカや世界の現状を描写しているようです。かつて、あなたはテネシー州のマーフリズボロにある大学に通われていました。マーフリズボロは南北戦争の中心的戦場になった町で、南部の重要拠点だったと思います。南北戦争時代からの歴史と「Southern Life」との繋がりを、どの程度意識して制作したのでしょうか。

S:そうなの、今回の曲の歌詞に取り組み始めた頃、バンドのメンバーのデボラに歌詞について意見を聞いてみたんだけど……今回、彼女の意見が歌詞を書き上げる上でがすごく役に立っていて。すごくズバッと的確な意見を言ってくれる人だし、彼女作詞のほうにももっと携わりたいと思っていることを知っていたから。そえで初めて「Southern Life」の歌詞を見せたときの彼女の反応が「これ言っちゃったら、南部を嫌いの人と思われるんじゃない?」で(笑)。「いや、私は別に南部を嫌ってるわけじゃないし!」って反論したんだけど(笑)、だって、南部の都会にも田舎にも住んだことがあるし、その両方の良いところも悪いところも散々知り尽くしてるから。たしかに南部には明らかに固有の歴史があるし、それがずっと隠ぺいされて何事もなかったかのように振る舞われてきた。歌詞の表面だけどさらった人達からは『なんでそこまで南部を毛嫌いするのか?』って反感を買われるかもしれないけど、そうじゃない、私は南部を嫌ってなんかいないし、現に夫は南部人だし、南部で生活していたこともある。だから内側と外側の視点を知っている。ニューヨークだってそうじゃない? みんながよく知っているシティの表の顔だけじゃなくて、その裏側には膨大な郊外が広がっているわけで……そこにうら寂しいような停滞した空気を感じることもあるかもしれないし、そこに付随するメンタリティみたいなものもたしかに存在している。南部が奴隷制度や戦争、南北戦争にまつわる黒歴史を抱えているのは事実だけど、KKKのような過激派は北部にだって存在しているわけで、南部だけを一概に非難することはできない。

ただ、「Southern Life」は、私にとって比喩とかアナロジーみたいな……いや、比喩やアナロジーよりもそれをもっと的確に表現する言葉があったはずなんだけどなあ……とりあえず、他人の視点を理解するための比喩のようなもの。たとえ自分がアメリカのどの地域に暮らしていたとしても……もしコロナや今回の選挙の件から得た教訓があるとするならば、それは自分と異なる意見を持っている人達とも共存する術を学ばなければならないということで。それがどれほど受け入れ難くて苦痛であってしても、自分と異なる意見を持っている隣人を愛する方法を学んでいかなくちゃいけない……たとえその人達が自分が見てるのとはまったく違う世界を見ているとしても。相手の考えを受け入れるということをしなければ、その先に待っているのは戦争でしかなから……。だからこそ、対話を重ねることがすごく重要になってくる。どうしたら、毎回争ったり決別することなく対話を持てるのか……私が昔からおばあちゃんに言われてたことは「他人の立場になって考えてみなさい」ってことで……みんな誰でもそれぞれ自分の意見を持ってるもので、自分と同じ環境に育ってきたわけじゃない。だからこそ、「愛を持って相手に接しなさい」と。「たとえそれがあなたには呑み込めない意見だとしても、愛と理解を持って接するように」と。もし相手を議論で打ち負かそうとするかわりに、その人がなぜそういう発想に至ってるかについて、愛と理解をもって想像することが大事だって。まあ、たしかに、あの曲では相当強烈なパンチの形に出ちゃってるけどね(笑)。ただ、そういう表現に走らざるを得ないほどのフラストレーションを抱えてるってわけよ。さらにそうした怒りやフラストレーションを抱えている自分の中にすら、相手のことを理解したいという気持ちがどこかに一部残ってる。たとえまるで自分には決して受け入れがたい、相容れない考え方だとしてもね。

──『Are We There』(2014年)をリリースしたあとは音楽の現場を離れて、心理学を学んだり、子供を産み子育てをしていた時期です。「Fading Beauty」の「The inherent beauty of light…The fading beauty of life(光が本質として宿す美しさ…儚く消えゆく人生の美しさ)」にはそうした経験が反映されていると思います。様々な経験をしてきたあなたは今の世の中に対して、どういったアクションが必要だと考えていますか。

S:『Are We There』以降、いったん活動を休止するという決断に至るまでの間、仕事に自分のすべてを注力したことから学んだこととして、自分の人生をおなざりにしていたってことで……結局のところ、自分の人生の現実から逃避するために仕事に走ってたってことに気がついたんだよね。自分の日常生活で満足を得られなかったから仕事にそれを追い求めた、そこが私にとっての幸福を見つけられる場所だったから。でも、そうすることで自分のプライベートでの人間関係を完全に犠牲にしてたし、もっと自分の日々の暮らしに投資する必要があるって実感したの。実際にそういう生活を選択した後で、恋に落ちて、子供を授かって、結婚して、家族との生活に自分を捧げるようになった。今回のアルバムを書き始めたときに自分の頭の中で考えていることの多くが……あるいは自分だけじゃなくてバンドメンバー達も同じように、年老いた両親や自分のパートナーとどう向き合っていくのか、あるいは今後の仕事と生活のバランスについて模索している時期に来てるんだということを実感して……。その過程で、自分自身だけでなく、誰かをケアする者の立場から、死という問題に直面することになる。今回のアルバムの制作中に、夫の父が認知症の診断を受けて、それが急激に悪化している時期があったの。今回、件のセッションで砂漠に滞在してるとき、夜中にこっそりタバコを吸いに外に出たんだよね。砂漠の夜って本当に真っ暗闇で、自分が夜空の星全体と一体化している感覚に陥って……そこに永遠に果てしない時間と空間に吸い込まれる感覚に包まれて、一人で星を見上げながら夫の父について、息子である夫について、さらに自分の息子について思い巡らせてたの。そのとき、夫の父の目の輝きが夫や息子の目に重なって、夫の父の顔が夫や息子の顔に重なっているのがたしかに見えた気がしたの……とてつもなく美しくて、畏怖すら感じさせるほど美しいものに触れた瞬間というか、それを認識することがいかに重要であるかをまざまざと思い知らされるような瞬間だった。果てしない無限を感じさせると同時に、人生が有限であることも感じさせるような……言葉で説明するのは難しいんだけど。ある意味、瞑想のような……自分の存在について、やがて訪れる死について明確な答えが見つかったわけじゃないんだけど、人生と家族の美しさについてどこまでも深いレベルでまざまざと思い知らされるような体験で……ただ、誰もが人生のどこかの地点で実感することになるだろう普遍的な経験の一つだと思うのよ。たとえ日常的に口にしたり取り上げられたりするテーマじゃないとしても……ただ、あの瞬間、砂漠で夜空を見上げながら、まさにそういう精神ゾーンに入っちゃってたの……ごめんなさい、長々とわけのわからない答えになっちゃって!

──いえ、むしろ聞き入ってしまいました。ところで2020年4月には出身地であるニュージャージーで周辺の様々なミュージシャンと共に行ったチャリティーコンサートに、あなたがベースで参加しました。アダム・シュレシンジャーがCOVIDで亡くなったことを受けて、ファウンテンズ・オブ・ウェインの生き残った3人のメンバーで演奏するコンサートに、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? そのとき、どういった思いがありましたか。

S:すごく恐れ多い上に、感慨深かったという……というのも、ロックダウン中に最初に受けたオファーだったので。当時、私はカリフォルニアで隔離生活を送ってて、実家や故郷の家族からも遠く離れていたしクリエイティヴな場所や音楽からも遠ざかって、ただ自分の家族という小単位の世界の中で気持ちを強く持って生きていこうとしてたの。自分の子供の抱いている疑問に答えて安心させることが親の役目だから。そうした状況の中であのオファーをもらって、ニュージャージー出身者として「わあ、地元のバンドから声をかけてもらった!」って舞いあがちゃって……その時点ではベースを弾けこなせる保証もないくせに(笑)! だってほら、私はベース・プレイヤーではないから。でも、自分にとって大切なものに協力する機会を与えてもらったんだから、これを自分を成長させるためのチャンスにしようと思ったし、毎回与えられたチャンスをできるだけ活かしたいという気持ちではあって。実際、あのときパフォーマンスしながら、コロナになってから初めて誰かと繋がっているっていう感覚を持てた……音楽コミュニティだけでなく、東海岸で暮らしてる実家の家族や、それまでこんなに長いこと会えなかったことなんてなかったのに会えない状態になっていた友人やファンとも繋がってるって感じることができた。ロックダウン禍の切ない出来事からもたらされたものとはいえ、それでもあの孤立した時間の中で、一番最初に自分の家族の単位以外で人との繋がりを実感することができた瞬間だった。

──女優として人工妊娠中絶をする主人公の母親役を演じた、エリザ・ヒットマンの『17歳の瞳に映る世界』は重要な出演作だと思います。1973年に女性の中絶権を認めた「ロー対ウェイド」判決を、2022年6月にアメリカ最高裁判所が覆し、現在は各州で中絶ができなくなり、それに対して多くの女性/クイア系のミュージシャンが反対署名運動をしました。昨今は日本でも、女性の連帯がソーシャルメディアを通じて広がりつつあります。フェミニズムについて、今あなたはどういった視点で考えているのか訊かせてください。

S:いやもう、あり得ないし、怒りすぎて気が狂いそう……! 一体、西暦何年の話よ?! 女性に人工中絶禁止するのなら、男性にもパイプカットを強制したら?!っていう(笑)、それくらい非常識な要求なわけで。正直、今のこの正気とは思えない状況を前に自分でもどう対処していいのかわからない。ただ、私はトランプには投票しなかったし、《プランド・ペアレントフッド》(*全米家族計画連盟/人工中絶を含め性に関する医療教育支援および啓蒙活動を推進しているNPO団体)を支援して毎月寄付をしている。息子の妊娠中でさえ《プランド・ペアレントフッド》のためのチャリティーコンサートに出演してたくらい(笑)。だって、自分が決めることだから。他人に強制されるものではなく、自分の意志で選択していくべきことだから。だから、今の状況には怒り心頭っていうのじゃ、言葉が足りない! そこであのエリザ・ヒットマンの作品について思うと、まるで彼女が未来を予見していたかのように感じられて……あの時点ですでに今の危機を察していたわけよね。私たちの国は歴史が浅いことを逆手に、あたかも自分達は進歩しているみたいな態度を取ってきているけど、実情はヨーロッパの多くの国ほど進歩的なんかじゃない。私だって、家族がいなければとっくにこの国を捨てて外国に移住してるはず(笑)。誰かの身体の権利を法律でコントロールするなんて、男性であれ女性であれ、性別に関係なく絶対に許されていいことじゃない。その当事者のことを思うともう本当に胸が押し潰されるような気持ちになる……もし自分に時間があるなら、中絶手術を受ける人が州をまたいで必要なサポートを受けるための車を出して運転、そうした取り組みを自分なりに支援する方法を今まさに探っている最中よ。望まない妊娠であること以上に、女性の命に係わる問題でもあるから。今みたいな状況に直面して、正直、自分でもどうしたらいいのかわからないし、もっと色んなことを学んで具体的に自分にどういう形の支援ができるか真剣に考えていきたい。あちらにもこちらにも壁がどんどん立ちはだかっているような今のこの国の状況において。

岡村(以下、O):とても貴重な話やご意見を共有してくださってありがとうございます。私からも一つだけ質問してもよろしいでしょうか?

S:もちろん、喜んで。

O:ありがとうございます。昨年、トロントでエズラ・ファーマンのプロジェクトに参加し作品を発表されました。あなたは常に弱い立場の人々のために立ち上がり、人権のために声を上げて、その思いを音楽に込めてきました。現在、あなたの行動が社会に何らかの変化をもたらしていると実感しているところはありますか?

S:というよりも、実際に何かの変化をもたらしてくれることを祈って、そのために行動するのみよ。自分が関わっている団体やそこにいる人達と直接結びつきを感じて実際に行動を起こして行くことで、それが波紋のように広がっていくことを願ってる。そうすることで自分が支持している団体や、人道的な価値観がたとえどんなに小さなレベルでも広がっていったら……とはいえ、私は決して政治家ではないから(笑)。自分の作品が過度に政治寄りになるのも決していいとは思ってないし。それでも私には信じていることがあるし、一人の人間としてどうしても声を上げなくてはいけないことがある。私は誰もが平等に権利が与えられるべきだと信じているし、自分自身の身体をどうするかは自分自身で決めるべきだと信じてるし、ただ愛をもって前進していくための力にできるということを信じてる。うちのバンドにはトランスジェンダーのメンバーがいるけど、私はその個人を心からリスペクトしているし、今回の『TRAИƧA』の主体である《Red Hot Organization》(*ポップ・カルチャーを通じて多様性を訴えかけるNPO団体、1989年にNYにてアーティストを中心にAIDS/HIV患者への支援および啓蒙活動を目的に起ち上げられた)のこれまでの取り組みにすごく敬意を払っているし、今回そこに自分も参加を呼びかけてもらってすごく光栄だった。あの『TRAИƧA』のチャリティ活動なんてまさに、私が個人的なレベルで深く共感したプロジェクトの一例よ。あるいはすごく個人的なレベルで、あるいはエズラや、自分のバンドのトランスのメンバーに対して「私は100パーセントあなた達の味方だし、あなたとあなたの仲間達のコミュニティをサポートするためにいつだって喜んで手を貸すよ」っていうことを行動として示したかった。

というか、それを全部抜きにしたって、エズラのやってることなわけだから、そもそも美しいに決まってる(笑)。さらにシネイド・オコナーに関わることで、彼女の音楽もアートも、あるいは活動家としての功績も本当にリスペクトしてるし、もう本当に色んな意味で、彼らの作品でコミュニティのために協力させてもらう機会を与えてもらったことに、むしろ心から感謝している。本当に身近でパーソナルなレベルでね……それがいつの日か大きな変化に繋がっていくことを祈ってる……実際にどれだけの変化をもたらすことになるかどうかは別にして、私はそういう気持ちで動いてる……それしか言えないけど、そういうことよ、そう……社会に大きな変化をもたらそうとしてそこに注力することも大事だけど、普通にシンプルに一人の人間として幸せも追求していく必要があるわけじゃない(笑)? もちろん、私はそこに向かって自分なりに努力はしているけど、ただ等身大の自分であろうともしてる。それで言うなら私が一番恐怖や不安を感じるのは、自分にとって不可抗力の状況が起きたときのこと……そうじゃないことについては、できるだけ自分から何かしら行動を起こしてコントロールしようとする。それはまわりの人間を自分の支配下に置こうということでは決してなくて、自分の友人であり、家族やコミュニティを大事にして、それを育んでいこうという気持ちよ……だからこそ、まずは身近で自分が直接関われるところから始めて、その輪が少しでも広がっていくようにただ願うのみよ……自分の起こした行動がダイレクトな影響として出てくる範囲内から始めなくちゃって、それがもっと大きな波に繋がっていくことを祈ってる。

──今日は本当にありがとうございました!

S:こちらこそ、こっちの都合でスケジュールを変更しちゃってごめんなさいね!

O:いえいえ全然。今回のアルバムをきっかけに、今年あたり日本にも来ていただけそうですか?

S:本当にそれは実現したい! もしかして来年になっちゃうかもしれないけど、何とかその可能性を考えているところ……もうだいぶご無沙汰してるから。これまでに来日経験は2回になるんだけど、どちらも本当に素晴らしい経験で。しかも最初に行った時は完全に一人だったから、自由気ままに日本の美しいところを探索できて、本当にすごくいい思い出。でも、前回訪れたときはそこまで時間が取れなかったんで。だから、もし次訪れる機会があるとしたらできるだけスケジュールを取って日本の色んなところをまわってみたいな。本当に長い間行けなくてごめんなさい。でも、次に日本に行くときにはスケジュールにも余裕をもって、ゆっくり日本を味わいたいなって思ってるよ。

 

<了>

Text By Nana Yoshizawa

Photo By Devin Oktar Yalkin

Interpretation By Ayako Takezawa


Sharon Van Etten & The Attachment Theory

『Sharon Van Etten & The Attachment Theory』

LABEL : Jagjaguwar / Big Nothing
RELEASE DATE : 2025.2.7
購入はこちら
Tower Records / HMV / Amazon / Apple Music


関連記事
【FEATURE】
女性の連帯とアメリカ音楽史の橋渡し
シャロン・ヴァン・エッテン
オリジナル・アルバム・ガイド
https://turntokyo.com/features/sharonvanetten-diskguide/

【FEATURE】
倫理観の狭間で翻弄される少女たちの苦悩と連帯〜 エリザ・ヒットマン監督最新作『17歳の瞳に映る世界』
http://turntokyo.com/features/neverrarelysometimesalways/

1 2 3 77