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ヴァンパイア・ウィークエンド
『Only God Was Above Us』
クロス・レヴュー

05 April 2024 | By Shoya Takahashi / Tsuyoshi Kizu

争いに満ちた世界を生きる実感の音

「世界なんてクソくらえ」
きみは静かに言った
誰にも聞こえなかった
ぼく以外には誰も
(「Ice Cream Piano」)

ヴァンパイア・ウィークエンドが登場したときのことをよく覚えている。マルチカルチュラルでリベラルな都市ニューヨークの空気をたっぷり吸いこんで、知的かつ溌剌としたインディ・ロックを清々しく鳴らすピカピカの新世代。(プレッピーなルックスのグループである)自分たちがアフロ・ポップを取り入れることが搾取的に見えることをじゅうぶん承知のうえで、それでも文化のミックスのために実行するんだという意志が当時の彼らには感じられたし、2000年代──つまり9.11からイラク戦争へとアメリカが突入し内向きになっていくなかで、「世界」の一部であることをどれだけ軽やかに提示できるかの挑戦がそこにはあった。ヴァンパイア・ウィークエンドが愛されてきたのは、ある種の理想主義を手繰り寄せるときの抜けのよさに他ならなかったと思う。「世界」に対してオープン・マインドであること、あるいはそうあろうとすること……は、若者たちによってこれから生き生きと実践されていくのだと、彼らと同世代の僕は当時頼もしく感じたものだ。

それからしばらく経ち、前作『Father of the Bride』(以下『FOTB』)を引っさげたフジロックのステージで地球の模型が掲げられるのを見て、僕は複雑な気持ちになったのだった。世界市民であろうとする意志、それはヴァンパイア・ウィークエンドから失われていない。だけど、肝心の「世界」のほうはどうだろう? 植民地主義の歴史が生み出した歪みは薄れるどころか至るところでますます深刻化し、ほんらい理解し合えたかもしれない人びとがあらゆる対立を前提としていがみ合っている。ヴァンパイア・ウィークエンドが西アフリカの音楽を無邪気に(見えるように)鳴らすことに対する文脈も2000年代よりも複雑化した。アルバムのムードとしては明るかった『FOTB』はだから、僕にとって、彼ら……とりわけエズラ・クーニグの複雑な心境を嗅ぎとれる作品だった。もはや輝かしい新世代ではなくなった自分たちが、年を取って社会的な責任を負っていくなかで、どうすれば「世界」を祝福することができるのか。その苦闘の記録だったと思う。

だから『Only God Was Above Us』(以下『OGWAU』)が20世紀のニューヨークにインスピレーションを受けていると聞いたときはずいぶん内向きだなと思ったが、それ以上に先行して発表された「Gen-X Cops」を聴いて驚いた。あるいは同時にリリースされた「Capricorn」にも……とにかく、音色が荒々しい。独自のクセがあるメロディをクーニグが歌えばそれでヴァンパイア・ウィークエンドのポップなインディ・ロック・ソングとして成立はするのだが、耳を刺すような尖り方をしたエレキ・ギターの音が胸をざわつかせる。初期を思わせる室内楽がノイジーなサウンドとともに乱れていく「Capricorn」も同様だ。ヴァンパイア・ウィークエンドらしい軽やかさ、スマートさは健在ではあるのだが、音の激しさがそれを内側から食い破るようなのだ。アルバム全体としても『OGWAU』はそのような印象を強く残す一枚だ。グローバルに多様な音楽的要素は初期よりも自然に入りこんでいるし、彼らが得意とするユーモラスでチャーミングなフレーズは随所に発見できるものの、たとえば「Classical」のヘンリー・ソロモンによるサックスの音、あるいはクーニグ自身によるギターの音が聴き手を心地良い場所に留まらせない。ときに痛く感じられるほどラフで、整ったフォルムを崩す無軌道さを内包している。

「それぞれの世代がそれぞれの謝罪をする」と歌う「Gen-X Cops」は現在様々な層でその功罪が問われているXジェネレーションを紛糾する歌ではなく、X世代とZ世代に挟まれたミレニアル世代である自分たちの中途半端さや宙ぶらりんさを歌ったものだと……クーニグと同い年の僕は勝手に共感してしまう。あるいはタイトルからして皮肉めいた「Prep-School Gangsters」(この曲はアウトロの弦の音がワイルドだ)にしても、局所的な対立があらゆる場所で巻き起こっていることに対するフラストレーションがこの音に表れているのではないだろうか。『OGWAU』はアルバムを通して何度も「war」という言葉が登場するが、それは文字通りの戦時下の現代を生きるわたしたちの心境を示すものであると同時に、つねに争いを自ら呼び起こす人間を憂うかのようだ。抽象的なリリックを持ったミドルテンポのバラッド「The Surfer」が曲調そのものでメランコリックな感情を喚起するように、「war」で壊れた世界を前に抱く悲しみや失意が『OGWAU』にはある。それはダークなムードを湛えていた『Modern Vampires of the City』よりも根深く、行き場を見失ったものとしてここには存在する。

最終曲のタイトルは「Hope」だが、それは文字通りの希望ではなく「I hope you let it go」……すなわち「そうっとしておいてほしい」というフレーズの一部としての「Hope」である。クーニグはいま、何に対して「そうっとしておいてほしい」と歌うのだろう? 明るい未来どころか、ますます悪くなるようにすら思える「世界」に対してだろうか? だが、それでも誰かが「世界なんてクソくらえ」とつぶやく小さな声を現在のヴァンパイア・ウィークエンドは拾い集め、持ち前の利発さやエレガントな佇まいを崩してでも、いまここにある葛藤や混乱を音の感触で表そうとする。だから『OGWAU』は、大人になることを主題のひとつとした『FOTB』以上に、人間として成熟することの意志と責任を追い求めた作品だと僕には感じられるのだ。(木津毅)


まず『Only God Was Above Us』をポストパンク・レコードとします

暴力的に言えば、『Vampire Weekend』はギターを、『Contra』はシンセサイザーを聴いて楽しむためのアルバムだったと思う。室内楽的な『Modern Vampires of the City』は残響を聴くための、ラップがポップになった時代へのロックからの回答と言える『Father of the Bride』はベースとキック、つまり低音を聴くためのアルバムだったとも言える。そして今回の『Only God Was Above Us』はギターとスネアを聴くためのレコード。それも、ドリルのような金属的なギターと、水の中で聴くようなリヴァーブの効いたスネアをだよ。つまりはポストパンクということ。

『Only God』はポストパンク・レコードである──それを思いついたきっかけは、最初の先行曲の一つ「Gen-X Cops」のドラムパターンとギターの音色が、ジョイ・ディヴィジョン「Disorder」を露骨に連想させるものだったこと。もしもJDに馴染みのない場合は、The 1975「Give Yourself A Try」やムラ・マサ「No Hope Generation」が「Disorder」を下敷きにしている事実の延長線上に、「Gen-X Cops」を並べてみてください。

あるいは、「Ice Cream Piano」や「Classical」の金属的なギターの音処理を、パブリック・イメージ・リミテッドの『Metal Box』~『Flowers Of Romance』期と比較しても楽しいはず(金属的なサウンドは、ギターまたはストリングスの単音をショートディレイによりナンバーガール的にサステインさせ、またプレート系のリヴァーブにより倍音を過剰に強調させて作っているのだろう)。またあるいは、彼らと同年にデビューした“ベッドルーム・ポストパンク・ギャング”、またの名をゼロ年代の100ゲックス=レイト・オブ・ザ・ピアと比較してみる? いや、ダフト・パンク以降に生まれた80年代ナードと比べるには「ダンス」が足りないか。ヒップホップ/マッドチェスター的な手法をとった『Father of the Bride』はダンサブルなレコードだったが、あくまでヴァンパイアの本分はオングリッドなエディット感ではなく、生々しいアマチュアリズムの延長にあるから。

フロントパーソンのエズラ・クーニグは、本作の守護聖人は1993年のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとウータン・クランによる合同ツアーだと発言している(このインタヴューでは以前のアルバムの守護聖人も自己分析している)。なるほどわたしがポストパンクの幻影を見出してしまったサウンド・デザインは、トム・モレロのマシナリー・ギターとブーンバップのスネアの融合によるものだったのか。つまり、ストロング・ミュージックのstrongなところだけ。これまでも『Vampire Weekend』や『Father of the Bride』において、誰も思いつかなかったジャンルの悪魔合体をすることでありもしないはずの幻想郷を描いてきた彼らしい。

最後にリリックにも言及してみる。「予備校の野郎どもが邪魔をする/何も言えなかった」、「嫉妬と言われ、狂ったと罵られ/ないものはないんだ/僕の家系のどこかにも同じような人がいた」(「Prep-School Gangsters」)。「徴兵は躱したのに戦争は躱せない/永遠に不安な日々にさいなまれる/幕が下りて、X世代の警察が集まってくる/人間の本性を前に震える」(「Gen-X Cops」)。ここに、マンチェスター生まれのイアンという名の男の低い声の残響を聴き取ることは可能──以前と異なりポジティヴなレコードだというヴァンパイア・ウィークエンド『Only God』と、ジョイ・ディヴィジョン『Unknown Pleasures』で唯一のメジャーコードによる楽曲「Disorder」との間に、不思議な縁を感じながら。

かつて「僕はいつか、ガイドの人が僕の手をとりにやってくると思っていた/この感覚は僕に、普通の人間と同じ快楽を感じさせてくれるだろうか」(「Disorder」)と、底知れぬ日常的な不安を社会的に弱き男性の視点から歌ったその声は、大西洋と時代を越えて伝播し、より視点を社会的/相対的なものに広げながら、ニューヨークのプレッピーな青年を共振させた。この文章を書いているわたしも共振させられた。イアン・カーティスが死んだ年齢をゆうに超えて、つい先日27歳に、ロンドンのエイミーやシアトルのカートとタメになりました。ここからきっとつらく長い人生が始まる。ポストパンクの星に生まれた人間はもれなく、底のない不安と死の気配を肩に感じ続けなければならない。しかも「私たちの上には神しかいない」んだって、がんばろうね。(髙橋翔哉)

Photo by Michael Schmelling

Text By Shoya TakahashiTsuyoshi Kizu


Vampire Weekend

Only God Was Above Us

LABEL : Columbia
RELEASE DATE : 2024.4.5
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