Mitski『Nothing’s About to Happen to Me』
クロス・レヴュー
彼女の土地、彼女の部屋
本作の立ち位置を考える上で、前作『The Land Is Inhospitable and So Are We』(2023年)を先に振り返っておく必要がある。この『The Land~』は彼女のキャリア上、重要なターニングポイントだったと思うからだ。不思議なアルバムだ。これまでで最も生々しく、飾らないミツキであり、けれど同時に謎めいている。一筆書きのような展開の不明瞭なメロディと宗教的な比喩でもって、罪、トラウマ、愛についての思索に耽溺する様は、荒涼とした心象風景のようだ。そして全体に漂う抑制されたトーン。壮大でドリーミーなアレンジながらどこかずっとイビツで、地面にずっと引っ張られているような……『The Land~』というタイトルの通り、「地」を強く感じるのである。これは、ジャケットや全曲公開されているリリックビデオのアートワークが、床や地面にこだわり下界を志向するとされる日本由来の「舞踏(暗黒舞踏)」を思わせる点からも妥当な見方と言っていいはずだ(例えば「The Frost」のリリックビデオのミツキのポーズは土方巽のオマージュと思われる)。
彼女の音楽に宿る虚しさや諦念はいくつもの国を転々とした幼少~思春期、またアジアン・アメリカンとしての疎外感と度々結び付けられてきたが、それゆえにこそ「帰るべき場所」= The Land を自らの心象のうちに創造しようというのが、『The Land~』の意図のように思える。『Be The Cowboy』(2018年)以降の空虚なダンスビートをすっかり捨て去り、フォーク~カントリーやゴスペル、室内楽を行ったり来たりするのもその証左だし、この作品のツアーを『Mitski:The Land』(2025年)として映画化していることからも本作が彼女の集大成と言える理由だ。<I’m king of all land(私は地上の王)> というアルバム最後のリリックを堂々と歌えるようになるのに一体どれほどの葛藤を乗り越えたのだろうか。
前置きが長くなったが、『Nothing’s About to Happen to Me』は、この『The Land~』のツアーに参加したミュージシャンを再び起用しており、アコースティックを取り入れたアレンジ面でも前作を踏襲した作品だ。ただその一方で、本作は「荒れ果てた家に暮らす引きこもりの女性を主人公にした物語」「家の外では異端者だが、家の中では自由である」という創作的なコンセプトも内包している。アメリカン・フォーク、オリエンタルな旋律や舞踏のモチーフなどに人種的なルーツを彷彿とさせるモノクロームな印象の前作と比較し、ポップ・パンクからスウィング・ビート、緩やかなクラーベを忍ばせたボサノヴァ風のチェンバー・ポップ、そして初期のような轟音の激情ギターロックまで、今作は“多国籍”でカラフルな印象だ。エキセントリックに着飾っているのも、「その身一つで」といったビジュアルの前作とずいぶん違っていて、おもちゃで溢れた子供部屋のような無邪気ささえある。
子供部屋といえば、ミツキ自身が子供時代に「自分の部屋やベッドなどを持ち続けることも難しかった」といった趣旨を、以前のインタビューで語っていたことを思い出す。帰るべき場所を自分の中にとうとう創り上げた感覚のある今の彼女だからこそ、音楽という部屋の中で、様々な創作に浸れる自由を本作でやっと得ることができたのだろうか。展開の明瞭なメロディ、そして何より歌唱や声には、前作にはない明るく穏やかな開放感を感じるし、あいにく歌詞情報が手元になく正確な意味は量りかねるものの、リリックの面でも「自分であることを受け入れ、愛すること」を歌っているような印象を受ける。つまりは、“諦念という土地”に深く根を下すことで、唯一無二の自分を帰る場所として受け入れる境地に本当の意味でたどり着けた結果が、本作だと言えるだろう。蛇足だが、前作の歌詞には「dog」が登場し犬の鳴き声も用いていたが(「I’m Your Man」)、今作は自由でしなやかな「cat」がモチーフだ。その対比も、前作との違いを端的に表現しているように思う。(井草七海)
オーガニックな破壊衝動
ミツキの前作『The Land Is Inhospitable and So Are We』(2023年)とこの新作に共通している音作りは、LAの《Sunset Sound Studios》で一部レコーディングされているということだ。『The Land~』では主にオーケストラ部分の録音だったようで、とりわけ収録曲「Heaven」などのロマンティックな風合いは、この西海岸屈指のレジェンダリーなスタジオの残響音が大いにプラスに働いた。そもそも《Sunset Sound》の音の特徴の一つは、元ガレージ由来の斜めの床(定在波を防ぐ設計)が効いた室内の空気感が自然に混ざるところにある。加えて、ライヴ・エコー・チェンバーを活用したリバーブが、物理的な反射による立体感と減衰を生み出し、デジタル・リバーブのような人工感ではない、温かく広がりのある空間を生み出していくのだが、その点でもミツキのこの新作は、もちろん録音の一部だけとはいえ、《Sunset Sound》の特性が前作以上に生かされていると言っていい。とりわけヴォーカルに顕著だ。
というのに気付かされたのは、前半部分でアコーディオンやマンドリンがうっすらとカントリー色を引き出している1曲目「In A Lake」の最初の第一声が耳に飛び込んできた時のことだった。スライドギターが70年代のウエストコースト・サウンドを連想させる3曲目「Cats」も然り。そのナチュラルで伸びのある歌声を聴いて、すぐさまリンダ・ロンシュタットを、そして、リンダのアルバム『Don’t Cry Now』(1973年)など初期の作品のいくつかが《Sunset Sound》で録られている事実も思い出した。そうなると、もう、聴けば聴くほど、なんなら初期の荒々しくオルタナっぽい作品でも、ミツキの歌がリンダ・ロンシュタットに聞こえてくる。ミツキはことヴォーカルに関してはデビュー当時から鷹揚に構えていて麗らかだが、そこからは、リンダ・ロンシュタット、あるいはジョニ・ミッチェルにも似た野生味と知性が同居した表現が感じられるのだ。そういえば、ジョニのファースト・アルバム『Song To Seagull』(1968年)の一部も《Sunset Sound》録音だった。
ミツキ自身がリンダやジョニの影響を受けているという話は聞いたことがないし、そうだったとしてもあまり言及されていない。ビョークやケイト・ブッシュの影響は受けているようなので、それゆえに、叫びと囁きが交互に訪れるようなエキセントリックなアプローチがミツキの歌の深層にあると見られているのかもしれない。だが、少なくとも3年前の『The Land~』前後から彼女のヴォーカルの聴かせ方は明らかに変わった。それは《Sunset Sound》の音に象徴される、伝統的なウエストコースト・サウンド・スタイルのオーガニックな録音、機材選び、アレンジに軸足が置かれるようになったということもあるのだろうが、30代も後半になった彼女自身こそが、ヴォーカルの描写に新たな息吹を送り込みたかったのではないか、という気もする。デキシーランド・ジャズ風のホーンが間奏で楽しませてくれる、本作中で最もルーツ・ミュージック色が強い「Rules」の優美でリラックスしたヴォーカルは、カントリー、フォーク、ジャズ、ポップスの間を軽やかに行き来していた頃のリンダが歌っていてもおかしくない。いや、ほんとうに、熱心な音楽ファンの間では過小評価されているが、リンダ・ロンシュタットのすごい時は今のミツキくらい神がかっていた。ちなみに、ミツキの今作のプロデュースは馴染みのパトリック・ハイランドだが、リンダで言えば全盛期を支えていたピーター・アッシャーのような絶対的な存在なのだろう。アレンジを担当しているのはドリュー・エリクソン(ラナ・デル・レイ、ファーザー・ジョン・ミスティ、ワイズ・ブラッド他)だ。
ただし、その「Rules」にしても、冒頭の「In A Lake」にしても、曲の後半……帰着点は予測不可能な展開に持ち込まれる。今作も長くてせいぜい4分台前半のコンパクトな曲ばかりが揃っていて、2曲目「Where’s My Phone?」などはラフなバンド演奏はともかく、曲調、リズムは60年代のサンシャイン・ポップのようだ。だが、それでも、途中から大きく崩壊していく。そこはやはりツアーの模様がドキュメント映画にもなった『The Land~』で手に入れたバンド・サウンドとの融合が実践されているということなのかもしれないし、元来、彼女は短い尺の中にも落差のある表現を好む作り手である、ということを証明しているようにも思える。歌詞における「F×××」がピー音で消されている箇所もいくつか散見されるのは、もちろんリリックにおける攻撃的な気性の表れだろうが、それこそが、いくら《Sunset Sound》で録音した有機的な音でも、心地よく、いい感じのまま終わることを激しく拒絶したくなるミツキの変わらぬ破壊衝動ということなのかもしれない。そして、そこに説得力を持たせているのが、マスタリングを請け負ったボブ・ウェストン(シェラック他)ということだ。(岡村詩野)
最も彼女の“個”を示した作品
ミツキというアーティストを紹介する時の定形文がある。“謎めいたアーティスト”。彼女のこれまでの作品に対しても、どこか同じ印象があった。もちろん彼女の学んだクラシック音楽、オルタナティヴ・ロック、幼少期から抱える孤独、と一貫して作品に組み込まれているのは重々承知してる。そのうえでギターのディストーションと柔らかな歌声などの対比が曲の中で際立っていればいるほど、アルバムとしての整合性を筆者は見つけにくかった。
しかしながら、前作『The Land Is Inhospitable and So Are We』(2023年)と初のコンサート・フィルム『Mitski : The Land』の活動を得て届いた本作『Nothing’s About to Happen to Me』は、これまでで最も連続性がある。アルバムを通して甘美な物語性があり、ジャパニーズ・ブレックファスト『For Melancholy Brunettes(& Sad Women)』、ルーシー・デイカス『Forever is a Feeling』に宿るロマンティシズムへ通じるようにも思う。
ミツキは本作の着想源に1970年に結成されたパワーポップ・バンド、ラズベリーズの創設メンバーであるエリック・カルメンのソロ曲「All By Myself」(1975年)や憂鬱なバラードがあったという。「All By Myself」は、ロシアの作曲家/ピアニストのセルゲイ・ラフマニノフによる「ピアノ協奏曲第2番」の旋律を引用したことで有名だ。「ピアノ協奏曲第2番」のメロディーを基にした楽曲でいうと、フランク・シナトラが歌い、ボブ・ディランがカヴァーした「Full Moon & Empty Arms」、チェット・ベイカーの「You Can’t Go Home Again」(1977年)もある。
おそらく本作における「All By Myself」の着想は、旋律の変奏だろう。「In A Lake」で静かに幕を開けるとアップテンポの「Where’s My Phone?」に続き、再びバラード曲の「Cats」、歪んだギターを重ねる「If I Leave」とダイナミックに変化していく。こうした振り幅の大きさに違和感がないのは、例えば、「If I Leave」のイントロのギター・フレーズが主題だとしてシンセのような装飾のある響きに変化した後も、次曲「Dead Woman」の旋律として存在している。ほかにも、「In A Lake」で聴こえるガラス音や人の話し声といった外の環境音が「I’ll Change for You」で印象的に使用されるなど、本作は一連の変奏があらゆる場面で施されている。
そして本作に登場する引きこもりの女性。外と一人の世界を表わすサウンドには起伏があるけれど、ミツキのヴォーカルはいたって自然体だ。「Where’s My Phone?」で携帯電話を探している時も、「Rules」で決まり事を並べる時も、彼女の声は落ち着きを払ってる。まるで自分の世界に没入する事で平穏を取り戻しているかのように。ここで一人でいる寂しさを歌った「All By Myself」の話に戻るが、長い間孤独と向き合ったミツキにとって、引きこもりは自身の避難場所として重なるのかもしれない。本作の甘美な旋律の中には、彼女の孤独やトラウマが流れる。いや、きっとミツキは意図的に過去の自身を本作で再演しているのだろう。(吉澤奈々)
Text By Nana YoshizawaShino OkamuraNami Igusa
Mitski
『Nothing’s About to Happen to Me』
LABEL : Dead Oceans / Big Nothing
RELEASE DATE : 2026.2.27
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Mitski『The Land Is Inhospitable and So Are We』
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ミツキ
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