Back

「ザ・ナショナルとツアーをしてステージで歌うことが好きなんだということを実感した」
ブライス・デスナーの妻でもあるミナ・ティンドル
生活の中にある音楽への愛

14 October 2020 | By Shino Okamura

このミナ・ティンドルの存在を知ったのは、2016年にリリースされたCD5枚組『The Day Of The Dead』でのことだった。総勢60組が参加したこのグレイトフル・デッドのトリビュート・アルバムのディスク5に「Rosemary」で参加していたのがミナ・ティンドル(&フレンズ)。クレジットでは「ポリーヌ・ド・ラサス」がヴォーカル、ザ・ナショナルのブライスとアーロンのデスナー兄弟、ジョシュ・カウフマンがバックアップしている。そう、「ミナ・ティンドル」というのはあくまでプロジェクト名。本名を「ポリーヌ・ド・ラサス(Pauline De Lassus)」というパリジェンヌを中心とするユニットが「ミナ・ティンドル」なのだ、ということをその時知った。なお、「Mina Tindle」という名前は、ジョーセフ・L・マンキーウィッツ監督の最後の長編映画『Sleuth(探偵<スルース>)』でマイケル・ケインが演じた「Milo Tindle」にインスパイアされて名付けたのだそう。その後遡って調べると、ザ・ナショナルの4作目『Boxer』(2007年)に既に彼女の名前がクレジットされていたのだが。

2012年に最初のアルバムを、2014年にはセカンドをリリースし、本国フランスではマイペースに活動をしてきたそんなミナ・ティンドルが、アーロン・デスナーとボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンらによるレーベル《37d03d》からサード・アルバム『SISTER』をリリースした。メイン・プロデューサーはトーマス・バートレット(ダブマン)。スフィアン・スティーヴンス、そして今や彼女の夫君であるブライス・デスナーもプロデュースや演奏、アレンジなどで全面協力した話題作だ。英語とフランス語のどちらでも歌詞を書け歌える才女だし、トーマス・バートレットらのバックアップでサウンド面ではモダン・フォークのような側面を聴かせるようにもなった。もちろん、決して達者になったわけでも、器用に表情を使い分けるでもなく、ただただ静かに身の回りの出来事や思いを綴っている、そのナチュラルな風合いがいい。

『SISTER』……それはザ・ナショナル周辺の“ファミリー”の一員として自由に表現することへの気づき、歓びを象徴する連帯の合言葉なのかもしれない。今春には同じ《37d03d》からイヴ・オーウェンがアルバムをリリースしたし、10月23日にはイギリス出身ながら現在はこちらもパリに暮らしているというケイト・ステイブルズのソロ・プロジェクト=ディス・イズ・ザ・キットの新作『Off Off On』が、こちらはデスナー兄弟が運営する別のレーベル《Brassland》からリリースされる。そしてもちろん、この夏、アーロンのプロデュースで『folklore』をリリースしたテイラー・スウィフトも……! ザ・ナショナル周辺には多くの女性アーティストが集まっているからだ。

2015年のザ・ナショナルのツアーに参加、2016年、2018年とボン・イヴェール周辺企画の《PEOPLE》のフェスにも登場し、彼ら周辺人脈と切り離せない存在となったそんなミナ・ティンドル=ポリーヌ・ド・ラサスに話を訊いた。
(インタビュー・文/岡村詩野)

Interview with Pauline DeLassus

――あなたの祖先には作曲家のシャルル・グノー(Charles François Gounod)がいるそうですね。

Pauline DeLassus(以下、P):ええ、そう。ただ、グノーが先祖にいる父方の家族とは実はほとんど交流はなくて。子供の頃に祖母の家で父のピアノをすごく大きな音で弾いたのを覚えているぐらい。ただ、私自身はシンガーだった母と祖父母の影響で音楽への愛情が小さい頃からあったの。母はプロではなかったけど、私が大きくなる間ずっと歌っていたので。その歌声は何かを創ろうとしているようなものではなく、むしろ控えめなものだったけど、ラジオやレコードで聴くどの歌声よりも美しく、その美しさは心を引き裂くほどの何かがあったわ。それは愛する人と共有できるただただ素晴らしいギフトのようだった。そういうわけで、私自身はいろんな音楽を聴いて育ったの。母が持ってたビートルズからクラシックまで……。自覚的にインディー・ポップを聴き始めたのは15、6歳の頃だったかな。エリオット・スミスのレコードに恋をして、長い間彼の作品に憧れていたのを覚えているわ。その後、20歳の頃にギターを弾きながらの曲作りを始めたの。

――キャット・パワーの影響で歌い始めたと聞いてます。

P:そう、ショーン・マーシャルの声、歌詞、メロディーのセンスは心に直接触れるような何かがあるから。彼女の作る曲の多くは悲しくて、居心地の悪いものだけど、彼女を最初に知った時は何週間もその催眠術にかけられたかのように夢中になって聴いたわ。その後、他に何も聴けなかったくらい、もうキャット・パワーばかり……。他にはラサ・デ・セラ、ニーナ・シモン、トム・ヨークの歌にも心を動かされた。ある種の魔術師、あるいは時に暗号のように真実を歌う現代のピシアス(注:Pythias=ギリシャ神話の『デイモンとピシアス』の登場人物。二人の名前は固い友情で結ばれている絆を象徴する)のような……。ちょっと霊的な感覚で聴いていたところもあるわ。あとは、ファイストね。彼女の音楽にも無限の愛と称賛を捧げるわ。本当にラッキーなことに彼女と知りあうことができて、ここ数年は一緒に歌うこともできた。彼女は本当に特別なアーティストであり、特別な人間。私が今まで聴いてきた中で最高のシンガーよ。それからミルトン・ナシメント、カエターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタ、ナラ・レオン……といったトロピカリア時代のブラジルのアーティストも大好きで夢中になったわ。 

――同じフランス出身の女性アーティストからのインスピレーションはいかがでしょう? ジュリエット・グレコ、フランソワーズ・アルディ、あるいはセルジュ・ゲンズブールが手がけたり曲提供してきた数々のミューズ……。

P:敢えて言うならばフランソワーズ・アルディかな。特に彼女の60年代、70年代のものは多く聴いてるわ。ただ、それでもそこまで影響を受けたとは思っていなくて。 フランス人の歌手、フランス人の女性という誇張されたイメージが世の中にはあるけれど、私はそういうフィールドにはもうずっと長いこと関わってはいないの。フランス人女性のイメージってどういうわけか、いつも、私自身が普通に一人のアーティストであること以上に何か強いものを訴えかけてくるのよね。でも、実際はそれほどでもないのよ(苦笑)。

 

――2012年にファースト・アルバム『Taranta』を、2014年にはセカンド『Parades』を発表していますが、そもそもデビューするに至ったきっかけと経緯は?

P:気がついたらきっかけがあったという感じかな。私が作ったアルバムは今度の新作も含めて、全て他のアーティストあるいはプロデューサーとのコラボレーションで。最初のアルバムでは80年代のフランスのバンド、レ・ジノサン(Les Innocents)で活躍したフランスの象徴的なシンガー・ソングライターであるジペ・ナタフ。2作目では私が知る限り最も才能あふれるミュージシャンのオリヴィエ・マルグリット(Olivier Marguerit)。彼は私のキャリアのごく初期から私とステージで共演していたの。そして今度の『SISTER』はトーマス・バートレット……。いつも彼らは私に魔法をかけてくれる、その方法を知っているかのようで……その3人それぞれが特別なコラボレーションのきっかけを作ってくれたって感じ。もちろん3人とも大好き。そうやって多くの人と音楽を共有することが私の主なモチベーションなの。

――そもそも「Mina Tindle」という名前は、アメリカの映画監督、ジョーセフ・L・マンキーウィッツ監督の『Sleuth(探偵<スルース>)』でマイケル・ケインが演じた「Milo Tindle」にインスパイアされて名付けたと聞いています。あの映画のどういうところにインスピレーションを感じたのでしょうか?

P:もう随分と前のことだけど、自分の名前がちょっとばかげていて、大げさだと思っていたので、まずは何か他の名前をつけてしまいたいってずっと思ってたの。ちょうどそのころあの映画(『Sleuth』)が好きで。映画では2人の俳優の間で無限のロールプレイが繰り広げられ誰が誰だか分からなくなる感じの展開なんだけど、そういう誰が誰か分からなくなる感じも、他の名前をつけて隠れるのに参考になるかなと思って!

――セカンド・アルバムと今作との間に、ご主人であるブライス・デスナーやボン・イヴェールといったネットワークと交流をさらに深めていますよね。フランス出身のあなたから見て、アメリカで一つの「コミュニティ・ミュージック」とも言える草の根的な活動の輪を広げている彼らの素晴らしさはどういうところにあると感じていますか?

P:そのコミュニティに参加できて本当に幸せだと思ってる。彼らは多くの作品を作っているし、周囲のアクションにも寛容。そうやって広がるコミュニティのミュージシャンたちが、一緒に創り出すフェスティヴァルやイベントはその最高の成果だと思う。例えば、シンシナティで行われた《Music Now Festival》や、2016年、2018年にベルリンで行われた《PEOPLE FESTIVAL》、コペンハーゲンとかで行われた《Sounds From a Safe Harbor》あたりは全部彼らのネットワークのなせる技。スフィアン・スティーヴンスとのツアーも私には最高の思い出の一つ。そうやって次々と新しい世界を見せてくれた彼らのことは本当に素晴らしいとおもっているし、私にとってこの6年間は世界中のコミュニティと出会い、交流を持つことができた尊い年月だったと思ってるわ。

それに、何よりザ・ナショナルとツアーをして、私はステージで歌うことが好きなんだということを実感した。ミナ・ティンドルとしてのライヴでそれまでずっと感じてきた、何もかも自分でやらなきゃいけない、伝えなければいけないというストレスがなかったし、とにかく歌うことが楽しく感じたの。それはある意味瞬間瞬間の安堵でもあったんだけど、最終的には多くの素晴らしいアーティストたちと音楽を共有できた大きな経験になった。バンドのメンバーはお互いに良く知っているし、彼らが毎晩ステージで演奏しているのを見るのも楽しかった。それに、あのザ・ナショナルとのツアーには他にも多くの女性アーティストが関わっていて……ケイト・ステイブルズ(ディス・イズ・ザ・キット)、ゲイル・アン・ドロシー、イヴ・オーウェン、リサ・ハニガン……みんな素敵な女性で、才能にも恵まれた素晴らしいアーティストだったの! そういう女性アーティストたちを共演者として迎え入れたザ・ナショナルはバンドとしての包容力があるんだと思う。様々な女性をたたえる姿勢は素晴らしいわよね。

ただ、一つだけ……主に英語圏の音楽から影響を受けているとはいえ、フランス人の私は実はほとんどグレイトフル・デッドのことを知らなかったの。グレイトフル・デッドは今もアメリカの象徴のようなバンドでしょ? でも、そんな彼らのトリビュート・アルバムに参加することで彼らの世界と美学に飛び込むことができて本当に良かったと思ってるわ。

――そんなザ・ナショナルのブライスらによるレーベル《37d03d》からあなたの3枚目の作品が出ることになったのも自然な流れだったかと思いますが、アルバムの作業はいつ頃から始まったのか、制作のプロセスをおしえてください。

P:2016年にトーマス・バートレットとニューヨークにある彼のスタジオ《Reservior》で録音を始めたの。最初はただEPを作りたかっただけなので、少しの曲を用意してすぐに好きな音作りで録音した。トーマスはレコーディングを始める時にどのように始めるのかをよく知ってるし何よりジャッジが素早い。 とても頭脳明晰なミュージシャンなのよね。適切なテンポや声のキーや……シンガーにとって一番エレガントな表現スタイル、それを生かす楽器を選択してくれたの。だけど、彼は自分のスタジオで作業をするのがとにかく好きで、でも私は基本はフランスにいる……というわけで、予想よりも時間がかかってしまった。結局、その後もっと曲を書いたということもあって、予定より多くの曲や多くのミュージシャンが加わってフランスでレコーディングをすることになったの。最終的には去年2019年の11月にニューヨークでトーマスと一緒に仕上げたというわけ。トーマスのプロデュースは独特でね、レコーディング中に昔の名作映画やショッキングな動物のドキュメンタリーを音を消してスクリーンに流したりするの。その映像が音楽に別の側面を与えたり、もっと映像的で魅惑的な広がりをもたらしたりすることになって……それでこういう素晴らしい作品になったんだと思う。もちろんブライスも……彼は全体の構成と何年にもわたる変化を身近な場所からずっと見守ってくれていた。録音も手伝ってくれたし、最後の最後に「Fire and Sun」を書いた時にも、このレコードのミックスが終わっているはずのタイミングだったのにも関わらず、最後のフォロウをしてくれたわ。

――あなた自身のソングライティングにおいて今作のヴィジョンはどのようなものだったのでしょうか。過去2作とはかなり雰囲気の違う曲が揃っていることもあり、最初に何か明確なテーマを用意したのかなと思いました。

P:う~ん、それは言うのは難しいな……本当に分からないけど、母親になったこと、多分それ?(笑) 

――(笑)確かに家族との関係を象徴するような、あなたとブライスとで仕上げた曲もありますね。例えば共作したという「Triptyque」、あの曲は1曲だけ10分もの長尺の曲で、構成や展開もユニークです。どのようにあの曲を制作したのでしょうか?

P:あれは実は3曲それぞれ別の曲として録音したの。最初、私の親友でもある素晴らしい教授で小説家のHécate Vergopoulosのために3曲歌ったんだけど、彼女はその3曲にある種同じテーマを感じたみたいで。どれも船旅のようなイメージがあったとかで、どうやら同じ方向を向いているように聴こえるって言うの。それならいっそ……って感じで3曲を一つにしてみたら、これが完全にフィットしてうまくいったの。まるでミステリーのようで、思いがけないハプニングだったわ。というわけで、あの「Triptyque」は私が基本一人で作ったものなんだけど、3曲くっつけた最後の曲だけ、ブライスが作ってくれたギターのインストルメンタルの曲に合わせて、2時間で書き上げたものなの。そういう偶発的な出来事も含めて曲作りのプロセス全体が直感的でまるで旅をしているような感じだった。私にとっては……そう、旅はかなり暴力的とも言える嵐のように始まり、無鉄砲で神秘的な人魚の歌を聴きながら、最後には温かい日差しの静かな海へとたどり着く……みたいな旅。白い小さな家が山肌にあるギリシャの小さな島にたどり着いたと想像できるような、そんな旅を連想させるソングライティングだったわ。

――フランス語で歌われた「Belle Pénitence」はあなたからBryceへのラブレターのような歌詞ですね。ミュージシャンとして、一人の人間として、ブライスと出会い、どのように変わったと言えますか?

P:はははは、そうね、確かにラブレターのようで……まあ、YesでもありNoでもあるって感じかな。でも彼も私の状況にインスパイアされているみたいだから……確かに互いのラブレターであることは間違いないわね。

――スフィアン・スティーヴンスが作詞とプロデュースを担当し、彼とデュエットもしている「Give A Little Love」はどういういきさつで?

P:スフィアンがあの曲を私にプレゼントしてくれたの。彼はあの曲を何年も前に作っていたみたいで、でも当時は満足できなくてずっと寝かせていたらしいの。それを私に提供してくれたってわけ。ある日の午後に私たちは一緒にレコーディングをしてたんだけど、彼はとても寛大で才能あふれる人……一緒に作業をしているだけで自然と彼に感謝していたわ。彼の世代では彼こそ最も才能あふれるアーティスト。なのに、こちらに緊張させることなく居心地よくしてくれる。説明なんか要らない、一緒に作業をしているだけで、曲を自然と共有できたの。

――あなたはフランス語でも英語でも歌詞を書き、それぞれの言語で歌うことができます。どのようにして二つの言語を歌い手として使い分けているのでしょうか?

P:時によって水彩画と油彩画を使い分ける画家のような感じかな。いつもどちらの言葉を使用するか決めているんだけど、それは本当に美学的なチョイスであって、歌や曲に全く違う色付けをする作業になるのよね。

――例えば、フランス語で歌詞を書いたり歌ったりする場合……近年だと移民政策の問題やテロなど国際社会としての環境をおのずと意識することになるのかなと思いました。言語によって変わってくる社会との向き合い方についてはどのように考えていますか?

P:音楽を通じて政治について明確に訴えるのは難しいわ。確かに国境に建てられた壁や多くの西欧諸国には制度化された差別などがある。それに対し、芸術の世界ではそれらはそこまで厳格ではない。特に音楽の世界ではそのような壁はそこまで厳しくなくて制限も少ないでしょ? 心を開けば、世界中の音楽の美しさや人間性を感じ取ることができる。そもそも、ポピュラー・ミュージックは伝統的にアフリカン・アメリカンの文化に基づいているし、私が作る音楽や、仲間の音楽だって深く黒人文化に由来していると思っているの。私にとってニーナ・シモンはそういう意味でも最も輝く光のような存在。世界の美と恐怖をはっきりと見た人の作る音楽がそこにある。でも、多分それが彼女を狂気へと導いた側面もあると思う。ニーナ・シモンの作品とそこから感じられる未来への予言こそが今私たちが最も向き合うべき重要な問題。そしてこれこそがあなたの質問への答えになるんだと思うわ。

――ええ、しかも、今年に入ってから新型コロナウイルスの影響で、ライヴはもちろんのこと、人と人との交流や行き来も不都合になっています。こうした2020年に、アルバムをリリースすることの意味をどのように考えていますか?

P:確かに私たちは今、難しく厄介な時に直面している。沈黙していたり声を上げているけど、多くの面で苦しんでいると思う。正しい意見を言うことは最近はとても難しいと思うけど、多くのことがいつも間違っているように感じられ、意味を成さないのよね……。だけど、希望を持ち続け、作り続けることは大切。私はモノを作り続ける重要性と、それが治癒効果があると信じているの。それが今の私が知っている唯一のこと。そして、最も正直な方法だと思うし、それを信じて続けていこうと思っているわ。

――では、『SISTER』という、ある種の連帯を示唆するようなタイトルの真意はどういうところにあるのでしょうか?

P:このアルバム『SISTER』はもともとシスターというタイトルだった1曲目「Jessa」にちなんでつけたの。あの曲は私が知りうる限り最も力強く立派な愛すべき女性と、彼女が過去数年に渡って克服しなくてはならなかった障害についての歌。私には姉妹はいないし、一緒に育った兄弟がいるような伝統的な家族もいない。でもここ数年は新旧の家族と姉妹になることの素晴らしさを知る機会が増えている。だからこの言葉は私にとって驚き、変化、学び、導き、真実や愛とともに心に鳴り響く言葉となっているの。


<了>


i, i

Mina Tindle

SISTER

LABEL : 37d03d / CA VA? Records / Hayabusa Landings
RELEASE DATE : 2020.10.09


購入はこちら
Tower Records / HMV / Amazon / iTunes


関連記事
【INTERVIEW】
世界に誇る最強バンドであるために〜アーロン・デスナーが語るザ・ナショナルが無敵の理由
http://turntokyo.com/features/interviews-the-national/

【FEATURE】
ボン・イヴェールはどこを目指すのか?〜新曲2曲にみるコミュニティ・ミュージックという理想主義
http://turntokyo.com/features/talk_about_bon_iver/

【FEATURE】
テイラー・スウィフト『folklore』が表出させる コミュニティ・ミュージックの必然
http://turntokyo.com/features/taylor-swift-folklore/

Text By Shino Okamura

1 2 3 71