2025年のアメリカ映画を振り返る
──メインストリームで足掻く映画たち
「ようこそ、ここがアメリカのメインストリームだ」
──『ワン・バトル・アフター・アナザー』
2025年は年始に劇場に足を運んだ『ジョーズ』(1975年)のIMAX上映から始まり、12月にはニューヨーク犯罪映画の傑作『ジャグラー/ニューヨーク25時 4K修復版』(1980年)やジョン・カーペンター監督作『ダーク・スター』(1974年)の上映もするらしい(本稿の執筆は2025年11月末)から、それを見に行って1年を締めくくろうかな、などとぼんやり思っている自分が、2025年の映画について語れることとはなんだろう。2025年の印象に残っている劇場体験と言えば(そしてこの原稿を描いている時点で楽しみな劇場公開といえば)、数十年前の旧作映画のことばかりで、具体的に2024年の映画(特に外国映画は、例年通り2024年の賞レースやメディアのベストを騒がせた話題作の多くが上半期に公開された)を差し引いた2025年の映画、という点においてこれほど琴線を動かされなかった年は久しぶりかもしれない。
ただその中でも、印象に残った作品がなかったわけではない。まず、名前を挙げるとするのであれば、作家性もへったくれもない、まるでAIが再編集したような作家の亡骸が転がっている作品も多いハリウッドのメジャー資本作品の中で、強い作家性を持つクリエイターが、自らのスタイルや世界観を崩さずに作り上げた映画たちだ。特に、ポール・トーマス・アンダーソン監督作『ワン・バトル・アフター・アナザー』、ジェームズ・ガン監督作『スーパーマン』、ジャレッド・ヘス監督作『マインクラフト/ザ・ムービー』、ダニー・ボイル監督作『28年後…』は、強固な作家の意思が、形式においても貫かれた2025年のヒット作だろう。
1月20日のドナルド・トランプ再選を皮切りに、アメリカ国内の景色は変わったが、優れた映画はヴィジョナリーな感覚を持ち、図らずも時代と合致してしまうものである。その代表例として取り上げられるのが、『ワン・バトル・アフター・アナザー』だろう。時代に取り残された革命家崩れの中年男と、親の因果に巻き込まれていく娘の物語である本作は、アンダーソン映画らしく過去のアメリカ映画の記憶を彷彿とさせるようなスタイルで、普遍的な人間関係の物語を、現代を舞台に映した作品だ。本作がメインストリームから逸れるアウトサイダーたちの幾つもの人生を、その対立と闘争の先の景色を見せていることにこそ、2025年らしい世界の捉え方と態度が詰まっていると言えるだろう。また、国内では劇場公開されなかったルカ・グァダニーノの新作『アフター・ザ・ハント』も、それぞれの個人が抱える数々の“真実”の対立と、その先の景色を映していた。これが世代間闘争、文化闘争の時代における一つの潮流と呼べるかもしれない。
また、2025年はホラー映画のアメリカでのヒットも大きかった。『罪人たち』『ファイナル・デッドブラッド』『WEAPONS/ウェポンズ』といった変化球のホラー映画のヒット作が日本国内においても緊急公開と銘打って輸入されたが、これらの作品が一つの勢力や自分達の力ではどうにもできない大きなものに取り込まれる恐怖、そしてそれに争おうとする個人の姿を描いていたことも印象的だ。それぞれのテーマを持ったこれらの娯楽作品は、全体主義に対抗する自由意志の行方を、ジャンルレスな作風の中で描いていたように見える。
もう一つ。ここで言及しておきたいのは音楽映画について。スコット・クーパー監督作『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』で、アルバム『Nebraska』を作り上げるブルース・スプリングスティーンは、スタジオの期待とは違うような(暗く陰鬱で、ざらついた宅録の音像を再現したような)完成品を目指した。商業的に安全な作品を作ることよりも、アーティスト個人の心情を刻み込むことを優先した作品を、過去や実存の葛藤を抱えながら作り上げていく。アーティスト対商業主義、または大衆の要請といった構図はこういったアーティストの伝記映画においてそれほど珍しいものではないが、アメリカで昨年公開されたボブ・ディランの伝記映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』に、世間の要請とディラン自身の自由を貫く信条の対立が描かれていたこととの連続性は、どうしたって感じてしまう。
一方で、変則的だったのは(これも例によって配信によって上陸した)スパイク・リーが黒澤明の『天国と地獄』をリメイクした『天国と地獄 Highest 2 Lowest』。現代を舞台にしながら、主人公を音楽レーベルのオーナーという設定に変更した本作は、音楽映画としての要素が強く、成功した昔かたぎの音楽業界人が、資本主義的なゲームに翻弄される様を描いていた。スパイク・リーらしい前時代性が詰め込まれながらも、あらゆる意味で“本物”の存在が見えにくくなっている現代の有り様をクリティカルに捉えた作品でもあったと思う。
かつての時代を舞台にした作品と現代を舞台にした作品それぞれで、業界の商業的なシステムに抗おうとする人間が映されていたことも、上記の作品たちと連なる感覚や魂が潜んでいる気がしてならない(付け加えると、『罪人たち』はブラック・ミュージックについての映画として、これらよりさらに突き詰めた話をしており、それこそスパイク・リーのかつての作品のコンテクストを思い起こさせる作品だった)。
思想的な分断の激化と、絶対的なものを欲しながらも共通の真実や物語を見出すことが難しい時代の中で、そういった状況を捉え、いかにして自分達の物語を紡いでいくか。または一方的な糾弾や批判を超えたものを提案できるのか。巨大なものに争っていくような個人の動き、または作家の動きにこそ、それを見つけた年だった。
最後に、劇場公開されなかった『立ち退き回避のススメ』と『裸の弾を持つ男』は、本当に面白い作品なので、日本のメインストリーム的な需要からすっかり逸れた、アメリカン・コメディの現在地を覗きたい方はぜひチェックを。前者は、シリータ・シングルトンが脚本を書いたロサンゼルスのフッド・コメディで、シンガーのSZAと『NOPE/ノープ』のキキ・パーマーが主演。後者はレスリー・ニールセンのクラシック・コメディをリーアム・ニーソンとパメラ・アンダーソンの円熟しきったキャストでリメイクした2025年の北米ヒット作。どちらも、かつてのコメディ映画の再現を批評的かつ現代的に試みていた作品で、内容も素晴らしい。単純な懐古主義に溺れない形で、かつての映画らしい映画の多幸的な面白さを再現できることを証明してみせた必見作だが、こういった作品を、2026年には果たしていくつ見ることができるのか。もはや、ひっそりとした配信でもいいので、変わらずにこういう作品が見られることを願うばかり。(市川タツキ)
Text By Tatsuki Ichikawa
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