Back

植民地主義に奪われかけた声を取り戻す
映画『KNEECAP/ニーキャップ』リッチ・ペピアット監督インタヴュー

01 August 2025 | By Goshi Asai

植民地主義は、被支配側の言語を奪う。その結果、被支配側の言語が徐々に失われていきつつある。日本でもアイヌ語などの事例を挙げれば理解しやすいだろう。アイルランド語もまた、2022年までイギリス政府から公用語として認められず、話者が減少していった。その法制化を求める抗議運動を背景に、ベルファスト出身のラップ・トリオ、KNEECAPが誕生。アイルランド語でラップをし、反体制的なアティチュードやユーモラスなリリックで、注目を集めている。「セックス・ピストルズ以来、最も物議を醸すバンド」とも呼ばれる彼らは、2025年の《コーチェラ・フェスティヴァル》パフォーマンス中には、ジェノサイドを行うイスラエルを批判し、全世界で話題となった。

その姿に衝撃を受け、映画化を決意したのが、リッチ・ペピアット監督だ。映画『KNEECAP/ニーキャップ』は、ラップ・トリオの半自伝的な物語で、メンバー3人がそれぞれ本人役を演じている。支配層によって長く抑圧されてきた言語とカルチャーが、若者たちによってストリートで声を取り戻し、やがて世界へと広がっていく──。政治性とユーモア、破天荒さを同居させた彼らの音楽と生き方を、監督はどう捉えたのか。日本で8月1日公開の映画『KNEECAP/ニーキャップ』の背景や、ラップという表現の可能性まで、じっくりと語ってもらった。
(インタヴュー・文/浅井剛志 通訳/伴野由里子)

Interview with Rich Peppiatt

──監督のパートナーはアイルランドの方で、2019年くらいからベルファストにお住まいなのですね。住む前後でアイルランドや、ベルファストに関する印象は変わりましたか?

リッチ・ペピアット(以下、R):引っ越す10年ほど前から、何度もベルファストには訪れていました。だから以前から街のことは知っていたんです。引っ越して初めて発見したのは、アイルランド語を表現にしている若者たちのコミュニティーがあるということでした。そしてその1つが、KNEECAPだったんです。

それまでイギリス政府は、アイルランド語の公的な使用を認めていませんでした。そうした境遇にありながら、若者たちが自分たちの言語を守るために表現に落とし込んでいる姿勢に、非常に驚かされました。歴史を振り返ると、植民地主義を行ってきた大国が支配のためにまず何をするかといえば、その国の人々の言葉を奪うことなんです。自分たちの言葉を語らせることによって、その人々の思考まで変えるという手段なのだとまざまざと感じさせられました。

──この映画は、2019年10月にKNEECAPのライヴを監督が見たことがきっかけのようですね。

R:子どもの夜泣きから逃れたくて、ビールを飲みに出かけたときに地元のヒップホップ・グループで人気急上昇中だったKNEECAPのライヴの告知ポスターを見かけ、思いつきで見に行ったのがきっかけです。彼らのステージでの存在感、カリスマ性、何にもとらわれない姿勢に圧倒されました。そして、イギリスという国で、ほとんど知られていない言語でラップしているにも関わらず、満員だった。1000人近くの観客が歌詞をすべて覚えていたという事実に驚きました。

──アイルランドの人々からKNEECAPはどう受け止められているのでしょうか?

R:北アイルランドでは何事もコミュニティが真っ二つに分断されているので、KNEECAPに対しても熱烈に支持する層と、強い反感を抱く層がいます。例えば7月12日にプロテスタントの祝日があり、そこで大きな焚き火をするんですが、「KNEECAP」と書かれたフラッグを燃やす人たちもいます。そのくらいプロテスタントの一部はKNEECAPに強い拒否感があります。一方でカトリック側の人たちは彼らの姿をグラフィティとして壁に描くなど、ヒーロー化しています。

偉大なアーティストというのは、賛否両論があってしかるべきですし、そういうアーティストたちが優れた功績を残してきたと思います。だから彼らも大きな爪痕を残していて、素晴らしいと思います。現在、イギリスの首相が彼らについて名指しで発言するぐらいにまでなっているんですから。

──KNEECAPの活動がアイルランドの文化に変化を及ぼしていると実感することはありますか?

R:北アイルランドでは学校でもアイルランド語を教えていますが、日常生活で使われているものではなかったんです。かつて使われていた古い言語として学ばれることはあったんですけど、今ではストリートで若い人たちが使うようになりました。まだペラペラと話せるレベルではないものの、日常の中でその言葉を復興させました。

音楽的な貢献や、俳優として爪痕を残した以外にも、消えかかっていた言語を復活させたことが、彼らの役割として大きかったと思います。だから、アイルランドではそれを「KNEECAP革命」という言葉でメディアでも取り上げられました。アイルランドに限らず、他の地域でも消えかかっている言語は数多くありますが、それらを復興させる可能性を示したことは大きいと思います。

『KNEECAP/ニーキャップ』 8月1日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開 © Kneecap Films Limited, Screen Market Research Limited t/a Wildcard and The British Film Institute 2024

──どのエリアでも、ラップは若者の言語に変化を与えていますね。ラップというカルチャーが持つ可能性の一端を感じられます。

R:ヒップホップ、ラップという音楽の誕生を振り返ると、アフリカ系アメリカ人のコミュニティの人々が自分たちのコミュニティで起きていることを音楽を通して伝えていく表現方法という側面があります。白人がヒップホップというジャンルに乗っかると「文化の盗用」という問題も生まれますが、KNEECAPの場合は抑圧された人々、社会からはみ出た人々の代弁者として、自分たちの経験をもとに表現しているので、まさにヒップホップという音楽の原点を体現する存在でもあると思います。

だからこそヒップホップコミュニティからもリスペクトを得られていると思っています。実際にサイプレス・ヒルのようなレジェンドとコネクションができたりするのを見ると、80年代、90年代にラッパーがやっていたことを彼らは体現しているのでしょう。

──学校で学ぶ「教養としての知」と、「ストリートの知」と呼ぶべき知性がそれぞれあると思います。映画を観ていて、その2つを併せ持つのがKNEECAPだと感じました。

R:僕と彼らが意気投合できたのは、どちらもいわゆる労働者階級出身ということなんです。映画の中で労働者階級は冴えないとか、ドラッグ・ディーラーのような犯罪者になったりする人物として描かれることがすごく多い印象があります。

実際には、労働者階級にも知的な人はたくさんいるし、政治的な見解を持っている人たちもたくさんいるんです。この映画を通してそれを伝えたい気持ちが僕にも、KNEECAPのメンバーにもありました。彼らはすごく知的で切れ者だし、政治に対して確固たる信条を持っているんです。

『KNEECAP/ニーキャップ』 8月1日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開 © Kneecap Films Limited, Screen Market Research Limited t/a Wildcard and The British Film Institute 2024

──そうした政治的メッセージを発しながらも、今回の映画を観ると彼らが単なる「政治的に正しい聖者」ではなく、ドラッグやセックスに溺れるクレイジーなメンバーであることがわかります。それがユーモラスに描かれているのが、映画のおもしろいところでした。

R:彼らの音楽が、そのまま映画のトーンにつながったと思います。政治的にシリアスなテーマを扱っているけれど、そこにユーモアやコメディがあったりする。この映画はそれをしっかりと反映していて、彼らと自分が似たユーモアセンスを持っていたことも、そのバランスをうまく捉えられたんじゃないかなと思っています。

私自身、メッセージ自体はシリアスでも、観客がエンターテインメントとして楽しめるものにしたかったんです。映画という表現形態がこれからも生き残っていくためには、観客に娯楽として楽しんでもらわないといけないと思っているからです。KNEECAPの存在はまさにそれを体現していたし、必ずしも政治的なメッセージがなくても彼らの歩んできた道のりを描くだけでも十分に楽しい映画になったと思います。

『KNEECAP/ニーキャップ』 8月1日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開 © Kneecap Films Limited, Screen Market Research Limited t/a Wildcard and The British Film Institute 2024

──フォンテインズD.C.やバイセップなど、他にもアイルランド出身アーティストの曲が映画内で使用されていますね。

R:この作品は私にとって初の長編映画なので、とにかく自分たちのやりたいように映画を作ろうという思いから出発しています。映画を構想しはじめた当時、どのレーベルにも所属していない、無名のアイルランド出身のラップ・トリオの物語だったので、成功する保証もありませんでした。だから音楽に関してもただただ好きなアーティストの音楽を使用しようと思ったんです。

──TURNでは以前、フォンテインズD.C.のメンバーにインタヴューしたことがあります(「天使の羽根は結局誰のものかわからなかった」フォンテインズD.C.『Romance』インタヴュー )。

R:おお、そうなのですね。今年7月、フィンズベリー・パークで行われたフォンテインズD.C.の公演で、4万5000人を前にゲストとしてKNEECAPもパフォーマンスに参加しました。かつて北アイルランドの小さなパブでライヴしていたKNEECAPがそんな大きなステージに立ったことを思うと感慨深いものがあります。

──彼らへの注目が世界的になっている例として、2025年の《コーチェラ・フェスティヴァル》への出演もありますね。そのステージでパレスチナ支持を表明して話題になっていました。

R:北アイルランドでは、自分たちの旗と同じくらい、パレスチナの旗を掲げている人が多いんです。長年、パレスチナの人々に共感して支持をしているから、それが一般的で当たり前のように育っているんです。逆に北アイルランドでは、イスラエルを支持したほうが反論も大きいし、顰蹙を買うくらい。だから支持を表明するのは彼らにとって当たり前のことでした。

ただ私自身は、イスラエルと一口に言っても色々な人がいるわけだから、あそこで「ファック・イスラエル!」という言い方をしてしまったことは誤りだと思っています。彼らは今、パレスチナで起きている虐殺行為に対して「何かを言わなきゃいけない」と思って善意でメッセージを発しただけです。彼らは決して、反ユダヤ主義ではないんです。

──では最後に、KNEECAPの特にお気に入りの楽曲を教えて下さい。

R:あえて1曲選ぶなら、「Thart agus Thart」ですね。これは英語で書くと「round and round」、つまり「堂々巡り」という意味です。この曲を聴くと、コロナ禍にロックダウンで家の中に引きこもって4人で脚本を書いていた時期を思い出すんです。「この映画をいつか作れるだろうか」「こう作れたらいいな」と言い合いながら脚本を4人で書いていました。今や映画も無事に公開され、成功したことを思うと、この曲には特別な思い入れが生まれました。

<了>

Text By Goshi Asai

Interpretation By Yuriko Banno


『KNEECAP/ニーキャップ』

8月1日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開
監督・脚本:リッチ・ペピアット
製作:トレバー・バーニー、ジャック・ターリング
撮影:ライアン・カーナハン
音楽:マイケル・“マイキー・J”・アサンテ
出演:モウグリ・バップ、モ・カラ、DJプロヴィ、ジョシー・ウォーカー、マイケル・ファスべンダー
2024年/105分/イギリス・アイルランド/原題:KNEECAP/カラー/5.1ch/2.35:1/R18+
© Kneecap Films Limited, Screen Market Research Limited t/a Wildcard and The British Film Institute 2024
日本語字幕:松本小夏 後援:アイルランド大使館 配給:アンプラグド 
公式サイト

1 2 3 84