ソフトウェアからはみ出す音楽を
『マジエルのまどろみ』LP発売決定記念インタヴュー
磯田健一郎が語る、受け継ぐことの意義
昨年『Oscilation Circuit – Série Réflexion 1』(以下、オシレーション・サーキット)のリイシューで改めて注目を集めた音楽家、磯田健一郎。90年代、彼が主に《Apollon》(アポロン株式会社)から発表していた、複数の(あえて括るなら)ヒーリング・ミュージック作品の中から4曲が再録音され『マジエルのまどろみ』として先日リリースされ、この度LPとしてのリリースも決定した。彼は近年再評価の波が押し寄せていると言っていいであろう、吉村弘や芦川聡と近いところで活躍した音楽家でもあるが、今回の作品はそういったいわゆるJ-アンビエントの枠組みから外れたところにあるかもしれない。では、なぜこのタイミングで、しかも再録音という形でリリースされることになったのだろうか。今回はそんな『マジエルのまどろみ』についての濃密なインタヴューをできるだけカットすることなく掲載する。
2024年6月1日にKankyō Recordsから発行された雑誌『HOJO』に掲載されているTOMCによる磯田健一郎のインタヴューもぜひ合わせてお読みください。
(インタヴュー・文/高久大輝 トップ写真/Hayato Watanabe)
Interview with Ken-ichiro Isoda
──まずは今回再録された作品、《Apollon》からオリジナルがリリースされた90年代当時の状況から教えていただけますか?
磯田健一郎(以下、I):まず前提として今回4曲入りですが、実は4曲目「虹のポプリ」というのは、《Apollon》が消えた後というか、会社として《バンダイ・ミュージックエンタテインメント》になってからなので3曲目までは《Apollon》で、4曲目もスタッフは同じなんだけど資本は変わっていて《Apollon》という会社がなくなった時代のものなんです。
で、90年代の初め、僕の友人のいわゆるJ-クラシックの若手演奏家で、今回のアルバムやオシレーション・サーキットにも参加してもらってる須川展也さんという現在は日本を代表するサクソフォン奏者で、世界的にも有名になってしまったんですが、当時はまだコンクールを制覇してバリバリ売り出し中の若手、気鋭、名演奏家という感じだった方がいて。彼が僕の高校の一つ上の先輩で、僕も吹奏楽部に所属していたのでよく一緒に遊んでたりしたんです。そういう人たちと一緒にオシレーション・サーキットを作って、なおかつその彼の交友関係も含めながら、小さなアンサンブルで環境音楽を作りたいなと。
そんなタイミングの前後ですかね、《Apollon》のディレクターさんが僕がオシレーション・サーキットを作ったことを知っていて、当時そのディレクターさんは「1/fのゆらぎ」だとか、脳のどうのこうのというのに大変興味をお持ちで、僕はその理屈はよくわからないんですが、ヒーリング、瞑想的なもの、メディテーション的なものを作りたいという話があって、それならやりましょうと。ただ当時いわゆるシンセサイザーでアルペンシオを弾いただけのようなヒーリング・ミュージックが山ほど──まあ今でもありますけど──あって、それが実際かなり売れていたんですよ。それに対して僕としてはどうなんだろうという気持ちもあり、発想としては、シンセでどうしたこうしただけの音作りではなく、繰り返しではあるし、ミニマルなものではあっても、人間が演奏することで、特に揺らぎが出るだろうと。「1/fのゆらぎ」とは別の話として、音楽としてずれていったり、ニュアンスが変わっていく。例えばドミソシと弾くのを繰り返してもニュアンスは当然毎回同じじゃない。そのズレがとても大切な音楽の要素だろうと。最初はおそらくスティーヴ・ライヒあたりから来てる発想かと想うんですが、そういうことを考えてアンサンブルでやることにしたんです。スタジオで多重録音するのはデジタルで録るのとそんなに変わらない。そうじゃなくて、演奏の達者な人たちを集めているし、せっかくだからクラシックのアンサンブルとしてやろうかなと思ったんですね。
加えて、子どもの頃に宮沢賢治の『やまなし』の「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」を読んだときから音楽劇にできないかとずっと思っていました。それがこのとき《Apollon》で使ってる楽器編成と似ていたんです。ビブラフォンやピアノ、ハープ、フルートだったりといったような楽器でやれないかなっていうイメージがずっと僕の中にあったんですね。それが尾を引いていたので、《Apollon》で環境音楽を作るときに、一つの具体化したものとして、音響として出てきた。実際「クランボンの瞑想」という曲が入っていたりするんですけど、それはかなり子どもの頃の音のイメージを使っています。そういう背景があった上で、ここまで申し上げたような、機械的に、シンセサイザーの音を使うとかではないやり方でやれたら面白いなということでやってます。今で言うネオクラシカルなもんなんだと思いますけども、それをやることによって、他のいわゆる割と電子音楽でファーってファンタジックにやってます的なものからはちょっと違う音響であるということを音として示したかった。
ディレクターさんからのオファーは最初申し上げたようなオファーだったので電子音楽でファーってやってしまうともろそのままになってしまうし、それに「1/fのゆらぎ」などとキャッチコピーを書かれてしまうと、僕の音楽的なポジションとも違うと思い、いろいろと捻っていって。捻りながらも、綺麗でわかりやすいものを作るっていうことに対しては正直忸怩たる思いはあって。「そういうものはもうたくさんあるのになんで俺はまたこれやってるんだろう」というところがあったんですよ。何枚も作ってますから、「拡大再生産的なことをやっていいんだろうか?」っていう自分に対しての問いはすごく厳しくて。「もっと違うことをしなきゃいけないんじゃないかな?」と思いながら作っていました。結局《Apollon》で90、91、92年あたりかな? 6枚まとめて作っていると思うんですけど、そういう葛藤を抱きながら作ったというのが本音ですね。
──実際に「1/fのゆらぎ」や「OLのためのステキな環境音楽」といったキャッチコピーで売られた状況で、磯田さんが葛藤を抱えながら音源に対して世間のリアクションはいかがでしたか?
I:やっぱり十把一絡的に「またヒーリングか」といった感触の方も大きかったです。メディアではほとんどまともに言葉として取り上げていなかったんじゃないかなと。ただ六本木《WAVE》さんが一階で面出し、全面展開をしてくださっていて。当時今でいうタワレコの《intoxicate》のような性格の、《WAVE》のフリーペーパーでいきなり「“1/fのゆらぎ”というキャッチコピーに騙されるんじゃない」と、僕の言いたいことを言ってないのに書いてくれて。「繰り返しだけどブライアン・イーノの以来の何も起こらない演奏集団。キャッチコピーに騙されちゃいけません」「あなたの好きな空間やお店の展示で使ってください。計CD6枚、どれもめっけもん」という風に書いてくれて。僕はそれで「聴いてくれた人はいたんだ」と安心したんです。特にバイヤーさんがそうやって聴いてくれているのはすごく大きいことですから、本当に感謝しています。
セールス面では正直言って売れました。ヒット商品でNHKの番組でも有線でも流れていた。紀伊国屋で立ち読みしてたら流れていて、よく聴いたら自分の曲だったということもあったり。当時はそこら中で流れていたんです。ですが、もちろん音楽評論の方たちからは無視されていましたね。今でもそうですけど、聴かずに先入観で切っちゃうライターってすごく多いから。僕もライターだったことがあるので、それはわかるんですよね。パッと見でこれは書ける書けないと選ばなきゃいけないから。僕でももしかしたらスルーしてたかもしれない。そういうものとして捉えられていたと思うし、僕も仕事として良くも悪くもビジネス的には作っていたから。ただビジネスとして受けるからといって中身を妥協する気はない、それだけの話ですから。届くところに届くのはありがたいし、そうでないのも仕方ないという感想ではありました。
『HOJO』でも話して、ライナーにも書いたホスピスの話の影響もあります。たまたまホスピスの末期の患者の方が受持医に「僕は音楽をあんまり聴いたことがなかったから、最後に少し聴きたいな」とおっしゃったときに、受持医の方がリスナーとして《Apollon》の作品の一つをCDをお持ちで、「ちょっとこれ聴いてみたら?」とお聴かせいただいたらしいんですね。それで聴いた患者さんが「ああ、音楽って綺麗なもんだね」と感想をおっしゃったという話を伺って。しばらくしてその患者さんは亡くなったらしいんですが、その話を聞いたときに自分の中に忸怩たるものがあるとかないとか、そういうことを考えてはダメだと思ったんです。格好つけて言えば、音楽は世に出たら作った人の手を離れていると思うんですよ。それに対して使い方はこうだよ、こう聴け、ああ聴けというのは、西洋音楽、クラシックの歴史ではやってきた人はたくさんいますけど、どう聴かれたっていいじゃんという立場もあっていいと思うんですね。特にこういう音楽の場合は、僕はこうであるべきだとか、こう聴いて欲しい、ここでかけて欲しいということは言いたくないと、そのエピソードを耳にして思いました。使い方を限定したり、あるいは自分がやった仕事に対して忸怩たる思いがありますとなどと言うのは音に対して失礼ですし、死ぬ間際に聴いた方が「綺麗だね」と言ってくださったことに対しても失礼ですよね。それ以上のほめ言葉はおそらくない。本当にいろんなことをこのエピソードから考えましたね。ホスピスの話は90年代。一通りマーケットに出回ってからその話を伺いました。
──そのエピソードを『HOJO』で読んだとき、自分もすごく感動しました。
I:強く影響された話がもう一つあります。さっき名前出したサクソフォンの須川展也さんが演奏会を川崎のミュージアムで演奏会をやったんですけど、当時僕は彼のソロ・アルバムも少しプロデューサーとして参加していたので観に行っていたんです。その演奏会の客席に障害のある男の子が来ていらっしゃって、車椅子でね。演奏が始まったらジーッと聴いているわけです。そうしたら車椅子からズルッと降りたんです、本番中に。「あ、まずいな」「怪我していないかな?」と心配していたら、ステージの方に這っていくんですよ。びっくりして、後で親御さんに聞いたら、「あんまり良かったんで、そばに行きたかったみたいです」と。音楽って本来そういうものだろうとやっぱり思ったし、こう聴け、ああ聴けではなく、聴き手が作る音世界というのは当然あって然るべきだと心から思いましたね。
あえて今回のアルバムに繋げると、去年のちょうど今頃、僕は初期の大腸癌になりかけのポリープを取ったんです。もう20年ぐらいずっと受け持ってくれてる町医者からどうしてもと言われて検査を受けたら大きなポリープが3つあり、その場で切除したんですよ。癌、だったんですね、どうやら。でそれがちょうどオシレーション・サーキットのリイシューがリリースされたちょっと後のタイミングで。その頃にアメリカの音楽ブロガーさんからネットでインタヴューを受けまして、その方が『マジエルの星』(《Apollon》からリリースされた作品の一つ)というアルバムをYouTubeにアップしたら2年くらいの間に76万回再生されたとおっしゃっていて。皆さん《Apollon》のアルバムが好きだというのは聞いてはいたんですけど、自分としては他人事というか、「え、そうなの?」くらいで「何がウケてるんだろう?」という感じだったんです。《Apollon》で作ったものは、いわゆるJアンビエント的なものとはサウンドも違いますし、ちょっと性格が違うのでよくわからなかった。だけど実際にいろんな方が聴いてくださって、再生数もそうだけど、Instagramをオシレーション・サーキットのリイシューの前後から始めてみたら、僕をフォローしてくれた海外の方から「このアルバムを聴いたけどどこで買える?」「生演奏するから譜面をくれ」「このアルバムのこの曲が好きだから演奏させてくれ」といったメッセージが来るんです。で、そういうことであれば僕もぼちぼち死ぬかもしれないし、今のうちにお礼を言っておこうと。口で言ったって仕方ないと思い、ちょうど去年の今頃、癌の後に一人で作り始めたというのが今回のアルバムの始まりです。
そんなに再生数があるんだったら、いっぱい売れるだろう、ということではなく、単純にいつ死ぬかわからないからお礼としての音楽。皆さん聴きたいとおっしゃっているので、それならば自分で作り直したかった。僕は《Apollon》で作ったトラックに全部満足してるわけではないし、今とは音楽的な感性も違う。例えばオリジナルでも自然音を使っているけど自然音のミックスについて僕はノータッチなんです。僕がチョイスしたものでも録ったものでもないのでかなり不満なんです(笑)。だから今回はもう全部自分でやろうということで自然音も自分で録ったものしか使わず、ミックスも自分のバランスでやった上でもう一度世の中の方に再提示しようと思ったんです。
──2003年頃に一度リイシューされたタイミングもありましたよね。そのときはこうして再録音したいとは思わなかったのですか?
I:はっきりと言ってしまうと、僕は《Apollon》の一連の作品群の原盤権を持ってないんです。当時の音楽業界のルーズさによるところなんですけどね。だからリイシューされようが僕に何の利益もないし、僕に口を出す権利もないわけですよ。だからリイシューのタイミングでは何のタッチもしてないんです。言っちゃえば、いろんなオファーが来てるんですよ、「ウチからアナログでリリースさせてくれ」「CDボックスセット出させてくれ」だったり、ヨーロッパ、アメリカ、カナダからも来てるんですけど、僕にはその権利はないからっていつも言ってるんです。
原盤権が僕になく、なおかつ不満を持っているものが人気があるからと言って新しく世に出ていくのは正直言うとあまり嬉しいことじゃないですよね。金が儲からないという以前の問題として。
今でも《バンダイナムコミュージックライブ》さんが原盤権を管理なさっているんで、《バンダイナムコミュージックライブ》さんが出していいですよって言ったら、もう出ちゃうわけですけど。でも実際《バンダイナムコミュージックライブ》さんに《Apollon》の作品を海外で出す話がいったとき「僕としては今は困ります。自分で再録音したい、自分の作品として出してからにしてください」と言ったら話を聞いてくださって。いろんなトラブルにも対応していただいて、すごくしっかりした方々が管理してくれると僕はホッとしたんです。普通だったら原盤管理者は売らなかったらビジネスにならないわけで、売っちゃえばいいわけですよ。《バンダイナムコミュージックライブ》さんといえばいろんなアニメーションやゲームのライセンスを扱っておられるでしょうから、その中で見たらもう小さなもんですよね。でも守ってくれたのがすごく嬉しくてね。そういう人たちの助けもありながら、癌やオシレーション・サーキットのリイシューなど、そういうのが本当にいっぺんに来たタイミングだったのでリテイクしようという発想に至ったわけです。
──なるほど。ではここからは今回の作品『マジエルのまどろみ』について伺わせてください。資料には「現代的制作手法であらためて再録音した」とありますが、“現代的”というのは具体的にどういうことなんでしょうか?
I:当時との圧倒的な違いは、今回の作品では僕がデスクトップで全部一人で背景を作っているということです。当時はホールを借りて、ステージでみんな並んで、クラシックと全く同じように一発録りでやっていたりするんですよ。スタジオで録るだけじゃなく。若くてみんな芸達者だったからできたことではあって、そのこと自体には満足しているけど、やっぱり今の時代に聴くとちょっと生真面目なんですね。まずその生真面目さが嫌だったし、全部自分でコントロールしたかったので、だったら全部自分で作ろうと。本当は100%自分で打ち込もうと思ったんですけど、結局最後の最後で旋律部分だけは生楽器を一つだけ加えています。
今回打ち込みでやったのにははっきり理由があります。今いわゆるアンビエント系の音楽って正直雑多になっていて。「ちょっとフロアっぽくない?」といったものもアンビエントという名詞がついていたり。もちろん、それはそれでいいんです。それはそれでいいんだけど、音の作り方がソフトウェアの中だけで完結してるから、ソフトウェアからはみ出ていないのを感じることがあるんですね。空気が鳴ってない。よくKankyō Recordsの高橋さんたちにも話を伺うんですけど、彼らより下の世代はそもそもスピーカーで音を鳴らさない人も多いらしいんです。それに僕はびっくりしてしまって。Kankyō Recordsさんが掲げている「Home Listening」っていうテーマを耳にしたとき、よく意味が分からなかったんですけど。話を聞いてみると、みんなで持ち寄ったレコードをみんなで同じスピーカーで聴いて、ああだこうだとやり合う音楽のコミュニケーションとか広がりとかコンテキストの共有が目的なんだというわけです。それってスピーカーから鳴らさないとできないことですよね。もう初めからAirPodsで、制作までしちゃう、それは良くないだろうと彼らは言っていて、確かに僕も良くないと思うんです。だから同じデスクトップの制作でも違うものはできるというところを見せたかった。最終的なミックスは僕の付き合いの長い友人のエンジニアに手伝ってもらったんだけど、僕のこのトラックをPro Toolsで展開しても「磯田さん、これ全然グリッドに吸着しないですけど、大丈夫ですか?」という感じです。僕としては「そんなことさせるわけがない」と。
同じデスクトップで、同じソフトウェアで作っても、もっと違うアトモスフィアだとか、ヒューマナイズされたもの、それも自動的なヒューマナイズじゃないですよ。もう少し違うテクスチャーのようなものが作れるよっていうことを見せたいという想いがあったんですね。今のテクノロジーで、今のソフトウェアで作っています。でも音は違うと思いますよと。
──実際に磯田さんはどのようにソフトウェアからはみ出していくんですか?
I:まず第一は、例えば4拍子で4小節あるとするとフレーズ終わりで123412341234終わりになるじゃないですか。でも実際、人間が欲してる音楽は微妙に違っていると思うんです。それをどうやってデータ化するかということなんですね。だから僕が今回使ったmidiを譜面化するとやたら変拍子だったりする。細かくずれている。そういうことを注意して、音感や音の長さをかなり注意してやっていたりとか。ソフトウェアが自動的に生成するデータの部分ももちろん使っているけど、それも初めからバラけるように仕込んでいる。それをやった上で小節ごとにまた変えていたりする。バラける楽器のバラけ方っていうのを、あえてエディットして揃えていくとか、そういう馬鹿なことを一個一個やっているんです。初めから全部揃っていれば揃うものを、揃わないものを作ってあとで揃えるようなことを平気でやるんです。アホなことやってますね。でも、そういう細かいことをやらないとデスクトップで作ってちょっと違うぞというものになっていかないと思うんです。
多くの若い作家の方はそこまでアンサンブルやリズムをいじっていないですよね。「まんまだね、これ」って正直思う。和音でいうとシンセが何台か重なっているんだけど、同じような音域でシャーって鳴っていて。音域ってやっぱり重要で例えばピアノの左手と右手ってすごく大事だったりするんですね。例えば両手でCというコードを鳴らすんだったら下から左手がドソ、右手がミドとか、和音の重ね方っていろんな定番パターンがあると思うんだけど、そういう響きのルールを知らないでせまい音域にぐちゃっと音を固めてたりする。スピーカーで鳴らしていない一番悪いところはそこです。和音として響かないんですよ。「響かないね」って言うんだけど本人たちはどう響かないのか分からない。スピーカーで鳴らしていないから。なぜベースという楽器があって、ピアノの左手と右手があって、ギターがここにいてって譜面をかけるようになるとわかるんだけど、ベースの実音域ってここですよ。ピアノの左手ここですよ。ピアノの右手ここですよ。でギター、実はちょっと下ですよ、フルートはその上です。ヴォーカルはここですとか、実音域って楽器によってバラバラで、決まっているわけですよ。で、その楽器同士の和音の重ね方のルールっていうのはもう長いこと人間の耳のルールとしてできてるわけですよね。それを打ち破ってもいいんだけど、使った方が基本的な響きは良いわけです。
──音源制作のハードルが下がり、iPhoneでもできるようになっている一方で、昔だったらもっと知っていなければ作れなかったものを知らずに作っているようなところも、もしかしたらあるかもしれないですね。
I:先日ロンドン大学東洋アフリカ学院の大学院生の方のインタヴューを受けて、そのときにも答えたんですけど、僕もiPhoneで音源を作ったり、楽しいからやるんです。で、何が問題なのかというと、例えば「DAWの使い方」のような本、これを世の中の出版社や楽器屋さんが「作曲の仕方」とキャッチコピーを付けて売っていることです。それは違うなと。これは道具だろう。作曲っていうのは(頭を差しながら)ここでやるもんだろうって思うんですよ。そこが伝わっていない。だからiPhoneのGarageBandを使って音を出すのはできる、ピアノ弾くこともできる、自動的に演奏することもできる。でも「それは作曲か?」と。あくまでも道具なんです。それが伝わってないことが問題だと思うんです。楽器で言えば、弾き方、音の重ね方を知らなかったら演奏できないわけで。同じことなんです。同じことだけど大衆化する段階でこれは作曲ですという話になってくる。で、なんとなく自動演奏すると曲ができているような気になる。でもそれは曲ができている気になってるだけで作ってるのはソフト、もっと言っちゃえばソフトを作った人、別の人だからっていう話です。それだけのことなんです。そこが伝わってない。
──それこそDAW上でもズレを再現できるのは、磯田さんの頭の中に鮮明なビジョンがあるからこそというか、機械の前に磯田さんが存在しているからこそ、ということですね。
I:今、例えばアンビエントに限っていうとアンビエントだよっていう音がいっぱいある。白玉でシャーってコードが鳴っているだけの作品が多いわけです。否定はしません。僕も嫌いではないものもあります。だけどそれが増えると、後から入ってくる若い人はシャーってやってるのがアンビエントだと信じちゃうわけですよ。それがお手本になっちゃう。例えばブライアン・イーノの『Ambient 1: Music for Airports』なんて始まりはピアノでしょ? これがアンビエントなんだと思った僕らからすると、シンセで白玉シャーなんて安易にはできないわけです。「この音の構成は一体どうなってるんだろう?」から入る。だからそこがなくて、お手本になるもの自体がすでに規格化されたものなんです。それは良くない。Kankyō Records周辺の方と話すと、みんな大なり小なり同じような感想をお持ちなんですよね。僕より遥かに年下だけど。手本になるものが、さっき言った作曲法とされているものも本当はDAWのの使い方で、作曲ではないということがわからずに突き進んでしまうと、ソフトウェアとハードウェアが作っているものを作曲したって話になり、その作曲したものがお手本になってしまい、その拡大再生産をされてしまう。もしかしたら拡大ではなくて縮小再生産をやってしまう。それは音楽の喜びからあまりにも離れるんじゃないかと。だから『HOJO』で、「風呂場行ってね、口笛吹いたらもうアンビエントだ」ととんでもないことを言ってますけど、でもそういう自由な発想は持って欲しいな。
──ある種これから学び直していくというか。逆に若い世代にも危機感を持ってる人は多いかもしれません。それっぽいものはできるようになった、本当の音楽はこれからだなと思っている方も、もしかしたらすごくたくさんいるんじゃないかと。
I:僕もそんな期待はしてます。
──フィールド・レコーディングのお話も出ましたけど、今作では東京の八丈島(「マジエルのまどろみ」「虹のポプリ」)と長野の八島湿原(「クラムボンの瞑想」)で録った音源が使われてます。これはいつ録ったものなんですか?
I:長野のはかなり前ですね。10年ぐらい前、音を使おうと思って録ったわけではなくて、たまたま当時もう安物のワンポイントレコーダーをポケットに入れて山歩きをしていて、気まぐれでずっと回していたんです。そしたらちょうど朝だったからカッコウが鳴き出したり、いろんな声がしてきて、それを記録として持ってたんですけど、ちょっと今回使おうかなと。
──これだけでもずっと聴いていたい音になっています。
I:だから尺が結構長いですよね。曲はなかなか始まらない。小川の音と鳥の声は別の場所、広い意味で言えば同じ高原の中だけど別で録った音源なんです。それらをあえてミックスしてアンビエンスっぽいエコーをかけてあります。それで一つの幻想空間を作って、それこそ宮沢賢治の『やまなし』のようなイメージを作りたかったんです。だから曲が始まる前にあれだけ聴いて欲しい。カッコウの声を聴いてねと。ちなみにカッコウの声は繰り返していないんです。全部違う声、実際に鳴いているんです。一個一個サンプリングして貼ったわけじゃなく、実際に鳴いている、全部違う声です。
──10年くらい前のものとのことですが、磯田さんはどういったときに録音しておこうと思うんですか?
I:そもそもまず音として好きなんでしょうね。そうとしか言いようがない。川のせせらぎや波の音を昔から録っていますし、仕事としては1990年代の初め、沖縄の離島の砂浜でずっと波を録るっていう作業が必要なアルバム制作が最初でした。近年だと2016年にはいくつか沖縄の島々を回って波の音や生活音、自然音、島の音楽を録っただけのハイレゾの配信アルバムを作ったこともあります。仕事にかこつけて好きなことやっている(笑)。一番ずるいパターンですね。自分が家の周りの鳥の声、風の音でもなんでもいいんですが、やっぱり気持ちいいなと感じるときはたくさんあるんで、それを記録として留めておきたい。子どものときもカセットテープでやっていたはずなので、ずっとそうなんだと思います。70年代のソニーのデンスケを使った生録ブームのとき、大勢のマニアがフィールド録音を楽しんでいましたね。蒸気機関車の音響を録音したり、クラシックの演奏会のホール全体をデンスケのユーザーが埋めてマイクを立てて、ライヴ・レコーディングをみんなでする企画をやったりもしていました。羨ましかったですよ、デンスケなんて買えなかったから本当に。
音遺産 ”mora Earth”沖縄・久米島の豊かな自然音(磯田制作フィールド録音シリーズ)──お仕事でも趣味的にも録音しているとなると膨大な量のデータが手元にありますよね。使いたい音は覚えているものですか?
I:大体覚えています。例えばある島の砂浜で一瞬アジサシの声がしたなっていう記憶はあるからね。もちろん「あの時の音なんだっけ?」と一生懸命探すこともありますよ。でも自分が気に入ってる音っていうのは意外と商売にはしてなかったりして隠してあったりするんです。
──記憶と結びついているわけですね。
I:実は波の音に関しても使おうと思って録ったわけじゃなく、ただ録っておこうと思って録音していただけなんです。太平洋の荒い波の音だからヒーリングっぽくはない波音なんだけど、合ってるなと思ったんで使ってみた。よく聴くともともとの《Apollon》の作品に使われている自然音と言われてるものって結構キツいんですよ。あまり良い音じゃない。それがすごく嫌だった。そうじゃないものを今回作りたかったんです。
これも作曲法の話と近いのですが、フィールド・レコーディングなぜか最近の流行りのようになっているけど、新しくもなんともないです。実際僕も30年前から仕事としてもやっています。今回のアルバムはフィールド・レコーディングの部分だけではないですが、そういう技術、録音の歴史がどこかで断絶してるような気がします。急にフィールド・レコーディングの本が流行ったりしてるけど、「いやいや、ノウハウは前からあるから」と僕は思っていて。フィールド・レコーディングなんて昔からある分野で、おそらく一番技術的に高いのは映画の録音部なんです。当たり前です。どんなコンディションでも音を録ってくるんだから、あの人たち以上のフィールド・レコーディングのプロフェッショナルは絶対にいるわけがない。そういった歴史やコンテキストを全て無視するのは良くないと思うんです。これは例えば最近の『フィールド・レコーディング入門』のようなものの著者に対する批判ではなく、こういった動向、現在の雰囲気に対する批判です。やっぱりコンテキストがあって受け継ぎがあった方がいい。その方が上に行けるはずなんです。なんでまた下から開始するんだと思うわけです。そういう思いもちょっとフィールド・レコーディングの部分では考えていましたね。
──今回の作品ではどの曲も90年代にリリースされたものより収録時間が短くなっています。どのような意図があったのでしょうか?
I:まず今回収録してある4曲は、当時生楽器のために手書きしたメモというか、スケッチのフルスコアが残ってるんですよ。それをたまたまオシレーション・サーキットのリイシューのときに発見して、「30年前のものが残ってるぞ」と思って、それを再生しようと思い清書し始めて、清書する中で「30年前でコイツなかなか頑張って書いてるじゃん」という部分と、「お前、音がぶつかっているじゃないか」っていう部分とあるわけです。で、ちょっと修正したりもしたんだけど、やっぱり当時生楽器の強度でホールで録ったりしてるんで、それを反復しても15〜20分程度は持続可能という計算でやっているんです。ところが今の時代って1トラックがそんなに長いと耳が離れてしまう。それは大きい問題としてあるんです。あともう一つの色気というのは今の時代、仮にこれがアナログ盤でカッティングできるとすると、あんまりにも長い尺というのは良くない。もっと音を良くするために、やっぱりどうしても1トラック10分程度に抑えて、片面20分程度にしたいという欲はありました。
実際、当時3回繰り返しているのを2回だけ、あるいは2回プラスちょっとでフェードアウトしましたというサイズにしているんですけど、自分で聴いていてそのくらいが一番持続するんです。環境音とかBGM的なものだったりしても、人間の心ってどこかで聴いている。だから完璧に飽きちゃうとただのノイズに近くなる。その前で止めたいんです。それに30年前と今ではたぶん今の方が気が早いと思うんですね。2時間の映画を5分で観る人がいるわけだから、それはどうかと思うけど、今言ったいろんな要素も考えた上で、かなり短くしています。あと、どうしてもデスクトップで作ると持続しにくいとも思います。生楽器の場合ピアノでアルペジオを繰り返し弾いても厳密に言えば同じ音は一個もないけど、デスクトップでサンプリングした音を使ったらいくらズラしているとはいえ全部同じ音でしょ。そういったことも含めすべてが理由ですね。
──その上で波の音で始まり、波の音で終わる円環構造になっている。つい繰り返し聴いてしまいます。
I:楽曲としてのアップダウンで持続はできているはずだからもう1回聴けるだろうという計算なんですよね。それでもう1回聴いてねっていうふうにライナーには書いているんですけど、リピートしても大丈夫ですよって。もしこれがアナログ盤になったらそうはいかないんだけど(笑)。
──そもそもこの4曲を今回選んだ理由についても教えてください。
I:まず「マジエルのまどろみ」に関しては海外でものすごく再生されていてファンが多い曲であるということが大きいですね。お礼をしたかったのが今回の作品の発端の一つなので、そういった曲の方がいいだろうと。はっきり言うと、自分の好き嫌いではないんです。
「クラムボンの瞑想」は、似たような反復だけど実は伴奏もメロディーも少し変わって転調もしていたりしますよっていうような、そういうコンセプトを一番わかりやすく提示できていると思うんです。この曲はメロディをずっと聴き込むものでもないし、だからと言って聴いていて嫌な感じになるようなものではないし、でもずっと聴いていると実は転調していたりする。そういう意味では、僕の当時のこの作り方、《Apollon》で作った長尺の曲の作り方として、一番典型的にうまくいったと思っているんです。なおかつ使いたかった自然音が一番これにハマる。この音を使いたかった、これしかないだろうと。サワガニかなんなのか、2人の兄弟がクランボンという誰だかわかんない存在について、川の中で喋っている。そんな幻想空間のために、僕が大好きだった録音を使いたい。大まかにそういった2つの理由が同時にあったので選びました。
「シリウスに想う」は単純にぼく自身好きだからです。この曲ははっきり言ってヒーリングでも何でもなく、ほとんど作品に近いんですが、これが好きだって言ってくださる方もたくさんいらっしゃいまして、日本のアーティストもおられますし。アルベルト・カルフというポーランドのワルシャワのプロデューサーで、ドラマー兼ピアニスト兼作曲家のアンビエント・ミュージシャンの方がいて、日本では青葉市子さんとデュオをやったりしているんですが、彼が日本通で日本にやたら来るから日本語もしゃべれるんですけど、いきなり日本語で「『シリウスに想う』素晴らしいです。譜面を送ってください」というわかりやすいDMが来ました(笑)。僕としては自分が好きな曲なのはもちろんなんだけど、同じものを並べてしまうと、ちょっと自分の中で飽きるんです。やっぱりアルバムとして引っかかりが欲しい。この曲はピアノと2つのサックスで完全にクラシカルな室内楽編成、わかりやすいトリオの編成で書いてますし、昔から好きなフランス近代的な響き、90年代日本の吉松隆さんや佐藤聰明さんがやっておられたことの影響も出ているし、これを推したいなと。で元の曲と違うのはピアノのソロのところで、こんなに長くないんですよ。そしてこんなに遅くもない。それをあえてやって、もっと違う時空に自分で持っていきたかったんです。本当はこれがやりたかったことですよという意味で3つ目に置きました。昔からA面B面思考の古い人間なので、仮想的にB面アタマということです、CDであっても。
そして皆さんありがとうございましたっていう4曲目です。カーテンコールですね。初めの「マジエルのまどろみ」と両方同じモチーフで始まっているんです。と言っても聴いている方には伝わりにくいかもしれないけど、同じモチーフなんですね、完全に、音の動きが。だからそれを置くことで、その循環的なもの、ぐるぐる回るアルバムとしてのトータリティーを出したかったし、「シリウスに想う」で1回正直言って、あのかなりグッとメンタルの世界の方に行っちゃってるんで、1回解きほぐす意味も含めて、少しふわっとした曲を最後に置きたい。という構成です。根本的には譜面が手元に残ってたものの中から選んでるんですけど、自分でもびっくりするぐらい並びが良かった。
──ちなみに譜面が残っている曲はどのくらいあったんですか?
I:譜面が残っていてやってない曲は数曲、片手で収まるくらいですね。この間もアメリカの大学院の方から問い合わせがあったんだけど、問い合わせのあった曲は残ってなくて。引っ越しをしたり、仕事でいろいろやってる間に失われていったものも多いです。もっと正直に言えば、《Apollon》の作品群の譜面は自分の作品として管理をしっかりしていたわけじゃないので、仕事として終わったら終わりだったんです。
──残念ではありますが仕方のない部分も大きいですね。ここまで磯田さんを形作ってきたエピソードなども伺って来ましたが、磯田さんの哲学にはこれまで変化はあったんでしょうか? 影響を受けた人物などはいらっしゃいますか?
I:若い頃は、僕もギター持って叫んだり、ライヴハウスで転げ回ったりしていたわけです、バンドの曲いっぱい書いたりして、俺が俺がねで。今だって傲慢で後ろ指を差されるようなダメな人間なんで、俺が俺がの部分はたくさんあると思うんですけど、さっきのホスピスの話と同じような時系列の中ではあるんですけど、90年代に沖縄の仕事もいっぱいしたんです。沖縄民謡のアルバムの制作もしましたし、90年代後半には『ナビィの恋』という沖縄の映画の音楽もやらせていただいて。これは『ちゅらさん』の元ネタですね。元ネタだけど「NHKは全然挨拶に来なかった」とプロデューサーは怒ってました(笑)。出演者の顔ぶれまで似ていますからね。記憶があいまいだけど僕が作ったサントラも流れたりしたような、まあそれはいいとして。沖縄の仕事したときに普久原恒勇さんという一昨々年に亡くなった沖縄の大作曲家がいて、戦後の沖縄の音楽シーンで重要なポジションを占めた一人なんですが、60年代初めに『みんなのうた』で使われた「芭蕉布」という曲を作った人なんですね。この「芭蕉布」がまたひねくれていて、沖縄の曲のクセに3拍子なんです。ありえないんですよ。沖縄って基本2拍子か4拍子、それが3拍子。「何をやってるんだろう?」って。なんというか、本当の作曲家なんです。「もっと人がやっていないことをやりたい」っていう人なんだけれども、親しくしていただいて、いろんな話を聞いていて。彼は民謡も沖縄のポップスも書いているんだけど、「人が口ずさんでいる。いろんな人が知っていて口ずさむ。だけど、誰が作ったかは忘れている。そうなって初めて歌は一人前なんだ」と彼はよく言ってたんですよ。禅問答だなと半分思いながら、でも確かにわかる。歌の生命とはそういうものかもしれないと。実はよみ人しらずの曲っていっぱいあるんですよね。民謡であれ、名曲と言われるものであれ。音楽っていろんな人の耳とか口とか手先とかを通過していきながら作られていく。そういう部分もやっぱりあるだろうなと、その話を聞きながら思って。例えば僕がなにかメロディを書く、それを誰かが口笛で吹く、その口笛を聴いた人が、それをまた歌ってみる。その歌を聴いた人がまた覚えて歌ってみる。その中で、僕が最初に書いたメロディは変化してるはずですよね。でも根本的なものも生きてるはずで。そういう過程を経ていく中で音楽はきっとどんどんのアノニマスなものになっていくだろうと。でも音楽は生きてる。音楽の最初の生命を出したのは僕だけど、それが僕ですよっていう印鑑が押していないだけで、それはすごく音楽にとって幸せなことだし、受け取る人にとってもたぶん幸せなことだろうなと思っていて。そういうふうに伝わっていくことは、やっぱりその曲の旋律の根っこにある部分には命があって、その命に魅力を感じるからみんな歌うんだろうと。それが一番大事で、誰が作ったかなんていうどうでもいいこと。音楽にとってはね。そういうことを彼はよく言っていました。だからまずそういうベーシックな考えが一つあって、その上にそのホスピスの話や、演奏会の障害者の方の話があり、だんだん自分の考え方が少しずつ変わっていったのかと思いますね。僕ももともと傲慢なので「これは俺のだよ!」って言いたいし、言ってきたんですけど、もう今は「まあ別にいいかな」と。歳を取ったからっていうのはあるんですけど、それを主張すること自体がおかしいかなと思っています。ドレミファソラシドって誰でも使ってるけど、誰か権利主張してますかっていう話ですよね。別に誰のものでもないわけです。まあ僕には幼少期に受けた虐待トラウマがあったり、癌の以前にも病気を患っていたりして、メンタル的にも不安定な時期も長かったので、本当にそう思えているのはこの数年かもしれませんけれども。
──そうなんですね。『HOJO』のインタヴューでは今作を「遺言」とおっしゃっていましたが、今はもう何か作ったりはしていないんですか?
I:これで引退するとずっと言っていて、本気でそう思ってたんですが、コンピレーションのお誘いがあったのでとりあえず2、3分の曲ですけどトラックを作ろうかなと思っています。今イメージを考えているところです。それから僕が00年代にすごく大好きだったアルバムを作ったクリエイターがいらっしゃって。ausさんという僕がずっと00年代聴いていた『Lang』というアルバムを作った方です。これとRei Harakamiばっかり聴いていましたよ。本当にすごい才能だなと思っていたausさんがオシレーション・サーキットを愛聴してくださっていたようで、共作のお話があったので、ちょっとやってみようかなと思ってます。自分が好きだったアーティストで、しかも若い方が声かけてくれるのって本当に嬉しい。この間もトークセッションしたmaya ongakuの園田さんなんかも、まだ20代だけど「オシレーション・サーキットが好きです」って、いきなりメッセージくれたのが交流の始まりで。嬉しいですね。もちろん年寄りがいきなり出てきて、偉そうに音を作っているのもどうなんだろうという自己批判的なところは常にあります。ただ楽しくやれるうちは楽しくやらせていただこうかなと。ausさんにも「楽しくやらせていただきます」と伝えています。
──すごく楽しみです。お話の中にあった少し断絶していた部分が磯田さんを経由して、すごく若手の作家だったりと繋がっていくという面でもすごく大きいのではないかと思います。
I:『HOJO』のインタヴューでも僕はかなりキツいことも言ってるじゃないですか。でも「僕もそう思ってました」とおっしゃるクリエイターの若い方が結構いらっしゃるんで、これからまた色々変わっていくのかなと思っています。やっぱりこういう憎まれ口を叩くのは年寄りの仕事なので、やって良かったですね。だからそういう意味でも次は遊びとして楽しく音を作る自分というのも一つ見てもらえればなと思います。
<了>
■磯田健一郎■
1962年生まれ。84年『オシレーション・サーキット』をリリース。以後音楽プロデューサーとして芸術祭賞作品『黛敏郎作品集』など現代音楽のほか嘉手苅林昌ら沖縄の音楽家のアルバムを制作。アポロン/バンダイからはニューエイジアルバム計八枚をリリース。アコースティック・ユニット「といぼっくす」として細野晴臣をゲストに『アコースティックYMO』を完成させた。映画では『ナビィの恋』『ホテル・ハイビスカス』で毎日映画コンクール音楽賞を二度受賞。主な著書に『近代・現代フランス音楽入門』、『芭蕉布』『沖縄、シマで音楽映画』など。
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Text By Daiki Takaku
Photo By Hayato Watanabe
磯田健一郎
『マジエルのまどろみ』
RELEASE DATE : 2024.07.03(配信/CD)
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