実験と形式との往還
90年代〜2000年代初頭のジム・オルーク作品を聴く
リリースからそれぞれ20年以上の時を経てもなお名作として聴き継がれているジム・オルークの『Bad Timing』『Eureka』『Insignificance』をはじめとする《Drag City》からリリースされたアルバムが2022年3月半ばにApple Musicでストリーミング解禁された。
しかもただストリーミングで聴けるようになっただけではなくハイレゾ対応(現時点ではハイレゾ対応曲はまだかなり希少)なので再生環境が揃っていればCDよりも高音質で聴けるようになったというのはなかなかすごいことだと思う。
レコーディングの際のマイキングや音の重ね方、響きかたにただならぬこだわりのあるジム・オルークの作品なので、長年これらのアルバムを聴きこんでいる人にとっても新たな発見があるかもしれない。
もっともスマホ等でハイレゾのクオリティで再生するにはハイレゾ対応の有線のヘッドフォン(Bluetoothのヘッドフォンは不可)と外付けのDAC(D/Aコンバーター)が必要なので手軽に聞くにはなかなかハードルが高いけれど。
それまでApple Musicで聴けるオルーク関連の音源としては近年リリースの灰野敬二やオーレン・アンバーチなど他のアーティストとコラボしたエクスペリメンタル系の作品は公開されていたがソロ名義のアルバムがストリーミングで公開されたのは初めてだ。
ちなみにオルークのBandcamp「Steamroom」では近年録音の初出の音源だけでなく過去に他のレーベルからリリースされていたエクスペリメンタル寄りの音源(ライブ会場限定でごく少数販売されていた『Old News』シリーズの初期作品群や『Happy days』『Long Night』などフィジカルは廃盤となっている名作を含み50作以上)が試聴や購入できるようになっている。
今回のApple Music解禁は本人のストリーミングに対する考えに何か変化があったのかもしれないし、リリース元の《Drag City》のカタログではオルークの作品は今のところ軒並み廃盤になっておりLPやCDなどのフィジカルは流通していないというのも一つの要因なのかもしれない。
ちょっとストリーミングからは話が逸れてしまうがジム・オルークの《Drag City》からリリースのアルバムはコンスタントに全てのタイトルがリプレスされ続けていて去年の夏あたりまで流通していたのだけれど現在はプレス切れで廃盤状態。おそらく近いうちに再プレスされるとは思うけど、ここ数年のレコード・ブームでプレス工場の予定が混みあっている状況なのでいつになるかは分からない。《Drag City》《Thrill Jockey》《Matador》《Touch & Go》《Merge》などアメリカの老舗インディ・レーベルは看板アーティストの名作を数年ごとに定期的にLPでリプレスしていて作品を流通させ続けているのは本当に偉いと思う。
90年代初頭にインプロビゼーション/ノイズ/エクスペリメンタル・シーンからキャリアをスタートさせ、デヴィッド・グラブスとのユニット、ガスター・デル・ソル以降、インディ/オルタナ・シーンでも脚光を浴び始めたジム・オルークだが、本人にはそのシーンに属しているという自覚は余りないとは思うが、当時のシーンに与えた貢献度はかなり大きく、90年代半ばを代表する音楽家だといっても誰も異論はないだろう。
90年代半ばのオルタナ・シーンはグランジやメジャーになっていったオルタナの快進撃も落ち着き、《Thrill Jockey》や《Drag City》周辺のポストロックの先駆けといえるシカゴ音響シーンや、イギリスからはステレオラブやハイ・ラマズといった多種多様な音楽的バックグラウンドを交配させた新しい響きの音楽を鳴らすミュージシャンの作品に脚光が当たり始めた時代だった。
それまでのメインストリームのオルタナティヴ・ミュージックはパンクやハードロック、フォーク、ファンクなどに影響を受けた作品が多かったが、90年代半ばを過ぎるとそれまでアンダーグラウンドな存在だったフリージャズやジャーマンロック、電子音楽、前衛音楽などの実験的なサウンド、そしてブライアン・ウィルソンやヴァン・ダイク・パークス、映画音楽などのオーケストレーション/アレンジ手法を取り入れたアーティストが意欲的な作品をリリースしシーンを活性化させていた。
そんななかでもジム・オルークが『Bad Timing』~『Insignificance』で提示してみせた、忘れ去られていた古き良きアメリカ音楽へのリスペクトと、これまで培ってきたエクスペリメンタルな音楽で得た実験精神を掛け合わせたサウンドはリスナーに大きなインパクトを与え、これまで過小評価されていたアレンジのボキャブラリーが豊富な音楽や実験的な要素を含む音楽を聴くリスナーの裾野が広がっていったのは間違いない。
『Bad Timing』がリリースされた90年代半ばから日本に移住する00年代半ばまでを振り返ると自身のソロアルバム、メンバーとして参加していたガスター・デル・ソルの作品、ファウストやジョン・フェイフィなどのレジェンドクラスの大御所からウィルコ、ステレオラブ、ソニック・ユース、サム・プレコップ、スーパーチャンクなど当時のシーンの人気アーティスト等のプロデュース、リミキサ―としてもトータスやパステルズをはじめ多数の作品に参加、ブライアン・ウィルソン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、そしてあまり知られていないものではスパークスやビル・フェイのカバー曲などコンピへの楽曲提供も多数、アレンジや演奏での参加も含めると優に50以上の作品に関わっており、《Drag City》傘下の再発専門レーベル《Moikai》の運営やソニック・ユースのメンバーとして在籍していた時期もあり、こんなに多数の作品に関わりながら自身でも時代を代表する作品を多数生み出していたのは本当に驚嘆に値する。
これらのジム・オルークが関わった作品群はそのアルバムだけを聴いても十分に楽しめるけれど、その作品の影響元となる過去の作品の縦の繋がりと、その人脈や参加アーティストなど横の繋がりなどジム・オルークを媒介して様々な広がりを見せ、リスナーの音楽的好奇心を拡大していったことこそジム・オルークが20世紀末に残した最大の功績だと思う。
■Bad Timing(1997年)
ジョン・フェイフィとヴァン・ダイク・パークスへの愛とリスペクトに満ちたアメリカーナ路線の1997年リリースのインスト・アルバム。
ガスター・デル・ソルの最高傑作『Upgrade & Afterlife』(1996年)のラストに収録のジョン・フェイフィのカバー曲「Dry Bones In The Valley」、そしてアコースティック・ギターの爪弾きとハーディ・ガーディによって生み出されたドローンのみで構成されたジョン・フェイフィのレーベル《Revenant》からリリースの全1曲47分の美しい実験作『Happy Days』(1997年)と続いたアメリカーナとドローン/ミニマルミュージックとの融合というコンセプトをさらに進化させ、アヴァンギャルドなシーンからよりポップフィールドへの接近をみせたエポックメイキングな作品。
ジョン・フェイフィ直系のギタースタイルの再評価が進み、様々なアーティスト/ギタリストがこのスタイルのギターを取り入れ始めたのはこのアルバムがきっかけだろう。
アコギをもっている人なら誰もが耳コピしたくなる印象的なフレーズの1曲目、そして荒涼とした風景を想起させるノイジーなギターのフィードバックから始まり、ユーモラスなラップスティール・ギターとカーニバルのような賑やかな鼓笛隊が途中から加わり大団円へとつながる最終曲までジム・オルークのギタリスト、アレンジャー、コンポーザーとしての才能を堪能できる傑作。
印象的なタッチの松ぼっくりのミラーボールが描かれたアルバムのアートワークはペイヴメントの『Woowee Zowee』やアップルズ・イン・ステレオの『Fun Trick Noisemaker』などのジャケのイラストも描いているスティーヴ・キーン。
■Eureka(1999年)
鮮やかなパステルピンクの背景に友沢ミミヨのインパクト抜群なイラストが目を引くジム・オルーク、初のヴォーカル・アルバム。そしてこのアルバム以前はエクスペリメンタル・シーンの新鋭という評価だったオルークを一躍オルタナティヴなシーンの中心人物へと押し上げたこれまたエポックメイキングな作品。
これまでポストロックの名盤というカテゴライズをされることが多かった本作だが改めて聴いてみると意外にも王道ポップスへの愛が溢れるアレンジが多い。
イントロのスリー・フィンガー・ピッキングのギターにグロッケンシュピールとストリングスのユニゾンが加わった瞬間に桃源郷に連れていかれる1曲目「Prelude to 110 or 120 / Women of the world」は前作でも試みていたヴァン・ダイク・パークスとジョン・フェイフィのコンビネーションをさらに発展させたもの。2曲目「Ghost Ship In The Storm」のコロコロと転がるように進んでいくリズムと流麗なコード進行はバート・バカラック。3曲目「Movie On The Way Down」(個人的にジム・オルークで一番好きな曲)の前半の夜の帳が降りてくるようなサウンドスケープを縫うように展開される繊細かつ緊張感あふれるフリーフォームなギターはデレク・ベイリー、後半の昏い夜の空を想起させる歌のパートの世界観はスコット・ウォーカー。5曲目「Please Patronize Our Sponsors」の前半のジャズを下敷きにしたようなアレンジはジャック・ニッチェみたいだし、後半の牧歌的なピアノとストリングスのパートはペンギン・カフェ・オーケストラのようといった感じでオルークが影響を受けた王道ポップスを下敷きに、幅広い音楽に精通したオルークならではのオーケストレーションと音響的装飾を加えたそれまでの音楽の集大成ともいえる完成度の唄もの作品になっている。
■Halfway to a Threeway(1999年)
『Eureka』リリースから9か月と短いインターバルでリリースされた4曲入りのミニアルバム。
シンセや電子音による装飾や弦楽器や管楽器など様々な楽器が使用されていた前作とは違い、ニック・ドレイクを思わせるアコースティック・ギターのアルペジオを中心としたこじんまりとした編成のバンドセットで奏でられるネオアコのような感触もある唄もの中心の作品。初期のシー・アンド・ケイクにも通じるクリーントーンの2本のギターの絡みとシンコペーションが多用された躍動感あふれるリズムのインスト曲「Not Sport, Marital Art」も名曲。
アートワークはジム・オルークの私物のカエルとクマのぬいぐるみの写真。そういえばこの作品がリリースされた頃の来日公演ではこのぬいぐるみ達も連れてきており演奏中はギターアンプのうえにちょこんと座らせていた。
■Insignificance(2001年)
まるでレッド・ツェッペリンのようなギターリフ(ギターのトーンやドラムの鳴りもジミー・ペイジとジョン・ボーナムのよう)で幕を開ける『Eureka』から2年9か月のインターバルでリリースされたヴォーカル・アルバム第2弾。
2年間かけて制作していた音源の仕上がりがなかなか納得いくものにならず、結局それまで録音したマテリアルをいったん全部捨ててしまい、また新たに曲を書き始めて『Eureka』にも参加していた信頼のおけるミュージシャンであるグレン・コッチェ(Dr)、ティム・バーンズ(Dr)、ダーリン・グレイ(Ba)とスタジオに入り2か月ほどの短期間で仕上げられた。
そういえば00年の来日公演ではアコギの弾き語りとして録音されていた「Halfway To Three Way」をハードなギターのロックバージョンにアレンジして演奏していたが、あれはこのアルバムへの伏線だったのだろうか。
のちにグレン・コッチェはウィルコに加入し、ジム・オルークはウィルコの転機作となる『Yankee Hotel Foxtrot』(2002年)のミックスを手掛けることになるが、ウィルコの中心人物のジェフ・トウィーディーもアルバムの7曲中4曲に参加。意気投合した3人はルース・ファーとして今のところ2枚のアルバムを残している。
ここでは『Bad Timing』や『Eureka』のようなヴァン・ダイク・パークスやジョン・フェイフィ的な要素はほとんどなくなり、ウィルコと共振するような70年代のシンガーソングライターや、リトル・フィートなどの70年代ロックやからの影響が多く感じられる。
以下の作品は《Drag City》からではないけれど、同時期に初めてApple Musicの配信が解禁された音源。どちらも裏『Bad Timing 』的な要素をもつ作品なので併せて聴いてみてほしい。
■Loren Mazzacane Connors & Jim O’Rourke / In Bern(1999年)
寂寥感溢れる線の細い幽玄で独特なギターのトーンで様々なアーティストからリスペクトされるNYのギタリスト、ローレン・マザケイン・コナーズとジム・オルークの共演盤。灰色の曇り空が似合う子守歌のようでもあり鎮魂歌にも聴こえるギター・インプロヴィゼーション作品。膨大なリリース量のローレン・マザケイン・コーナーズの作品の中でも屈指の名作。
■Jim O’Rourke & Mats Gustafsson / Xylophonen Virtuosen(1999年)
デレク・ベイリー主宰のレーベル《Incus》から1999年にリリースされたサーストン・ムーアと共にディスカホリック・アノニマス・トリオのメンバーであるスウェーデンのサックス奏者、マッツ・グスタフソンとのコラボ作。ジム・オルークのドライだけど詩情溢れるアコースティックギターと、マッツ・グスタフソンのアンビエントな響きのサックスの絡みが極上。今年に入り未発表音源5曲を追加してリリースされており、何故当時この音源を外したのか不思議に思うほど未発表音源(特に1曲目)がどれも素晴らしい。
(文/澤田裕介)
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【REVIEW】
Jim O’Rourke
『Shutting Down Here』
http://turntokyo.com/reviews/jim-orourke-shutting-down-here/
Text By Yusuke Sawada