「民族ルーツである二つの国に縛られているけれど、それもエンブレイス(抱擁)すればいい」
<対談>
高野寛 × Hana Hope
彼女が“デビュー”したのは、2019年、YMO結成40周年を記念したトリビュート・コンサート《Yellow Magic Children》にトップバッターとして登場した時だった。当時、13歳。バンマスの高野寛とともに「CUE」を堂々と披露した様子は、現在でも『Yellow Magic Children #01』としてリリースされたライヴ音源で聴くことができるが(初回限定版はブルーレイつき)、13歳とは到底思えない落ち着いた、それでいて初々しさと気品、どこか物悲しくも強さを感じさせる歌声には、高橋幸宏でなくてもほんのりと惹かれてしまう。そこから早6年が経過。とはいえ2006年生まれの彼女は、それでも今年まだ19歳。2023年にリリースされたデビュー・アルバム『HUES』を経て、このほどメジャー・ファースト・アルバム『Between The Stars』を発表した。cero(「Rain Or Shine」)、ゴンドウトモヒコ(「たゆたう」)、jo0ji(「フリーバード」)らがソングライティングや演奏で参加した曲での豊かな表現力に加え、彼女自身が自ら作詞、作曲した曲では、まだ何ものでもないけど何にでもなれる自分のあやうい可能性も味わえる作品集だ。少女から大人の女性へと階段を一つ一つ登っていくそのプロセスが刻まれた、そんな日記にような、フォトアルバムのような1枚と言っていい。彼女の名前はHana Hope。ここからがきっと始まりだ。
9月にアメリカの大学への進学が決まっているそんなHana Hopeと、デビューの頃からその成長を暖かく見守ってきた高野寛との対談が実現したのでお届けする。なお、柴田聡子、ROTH BART BARON、Black Boboi、マイカ・ルブテらが楽曲制作で参加、YMOの「CUE」のカヴァーや、作詞を加藤登紀子が、作曲を江崎文武が担当した「きみはもうひとりじゃない」などを収録したデビュー・アルバム『HUES』も、件の《Yellow Magic Children》での「CUE」など、デビューまでにその歌声が披露されていた参加曲で構成されたボーナス・ディスクつきの2枚組としてこのほど初CD化、同時発売されている。
(インタヴュー・文/岡村詩野)
Interview with Hana Hope, Hiroshi Takano
──お二人が最初に顔を合わせたのは、2019年のYMOの結成40周年記念のトリビュート・コンサート《Yellow Magic Children》の時だったと聞いています。
高野寛(以下、T):そうです。共通の知り合いがHanaちゃんという、歌を歌っているコがいるんだって言って、デモ・テープを聴かせてもらっていて。当時まだ13歳で、大きなステージに立ったことはないっていう話だったんですけど、(高橋)幸宏さんも既にデモを聴いて気に入ったっていうし、僕がトリビュート・コンサートのバンマスに任命されて、彼女にコンサートの最初に出てもらおうかと思ったんです。それが一番サプライズというか、みんな「あの子、誰?」ってなるんじゃないかって。でも、初めての大舞台で、しかもトップで出るって相当なプレッシャーじゃないかなと思って、初めてHanaちゃんに会いに行って、「実は一番最初に出て歌ってほしいんだけど、大丈夫?」って聞いたんですよ。僕、実はその時の反応で最終的に決めようと思ったんです。もしすごく怖気づいている様子だったら、出番を変えなきゃいけないなと思って。そしたら、肝が座った感じで「大丈夫です」って即答してくれて……覚えてる?
Hana Hope(以下、H):全然覚えてないです(笑)。
T:(笑)でも、これならいけるかなって直感的に思って。で、ゴーサイン出したんですよ。その時に僕も一緒にステージに出て一緒に歌ったのが「CUE」。実際、相当な緊張感だったと思います。今回、Hanaちゃんのデビュー・アルバム(『HUES』)のCD化にその時のテイクが収録されるってことで、久しぶりに聴いたんですけど、僕もあの時の雰囲気思い出して、あらためて緊張したな(笑)。終わった後にHanaちゃんに尋ねたら、実は足が震えてたって。緊張をちゃんと内に秘めて大役を果たしてくれたんだ、これからが楽しみだなあって思いましたね。
H:実際はガチガチに緊張していたんですよ。でも、いざ歌い始めたらのびのびと歌うことができた感じでした。ただ、正直あまり覚えていないんです。周りはすごい人たちばかりだったし。
T:すごいおじさんたちばかりだもんね(笑)。でも、いざ歌ったら楽しかったって、そこがすごいなって。実際、その最初の壁って大きいんですよ。漠然とデビューしたいとか、歌手になりたいと思っている人も、いざその舞台に立つと、萎縮しちゃってダメになっちゃう場合も多々あるんですよね。そこを最初に飛び越えたっていうのは、やっぱり経験としてものすごく大きかったんじゃないですかね。そういう経験って、ずっと記憶に残るんですよ。その後からは、例えばスタジオとか小さい会場で歌ってる時でも、その時の気持ちがよみがえる瞬間がきっとあって。僕も誰かに昔そんなふうに言われた気がします。その人が立ってきた舞台の大きさがそのプレイに出るんだって。一番最初がそういう大きなステージだったっていうのは、Hanaちゃんの今後に生きてくると思うな。
──それより前は全くライヴをやったことがなかったのですか。
H:小さいライヴ・ハウスで、30人ぐらいのオーディエンスを前に歌ったりしたことはありました。でも、大きな会場でプレイするポシビリティ(可能性)とか何もわかってなくて、あんまり実感としてなかったんでしょうね。だから逆に、大きなステージでも「大丈夫です」って言えたんだと思います。
T:(トリビュート・コンサートの)あの日、お客さん、1000人以上はいたと思うよ(笑)。
H:でも本当に、それまではデビューとかの予定も全然決まってなくて。デモを作って、色々な人に聞いてもらおうっていう感じでした。ライヴ・ハウスで歌っていた頃は洋楽のカヴァーが多かったんです。ケリー・クラークソンも歌っていたし、クラウデッド・ハウスの「Don’t Dream It’s Over」とかも……。
T:僕はそれらのライヴの様子を動画で観てて。動画ってごまかしがきかないじゃないですか。だから、ああ、しっかり歌ってるなぁっていうのは印象がありました。たまにウクレレ弾きながら歌ったりもしててね。もうあの時には音楽やっていこうって自覚があったの?
H:う〜ん……13歳の時にはあんまり真剣に考えてなかったかもしれません。 ただ、歌うのが好きだから歌ってるっていう感覚で。もちろん、プロフェッショナルな歌手として活動するって結構遠い夢だなって思っていたんです。だから、今でも自分ができることをやるって感じですね。
T:やっぱり声がすごく印象的なんですよね。Hanaちゃんのアルバムって、いろんなタイプの曲があって、歌詞もサウンドもいろいろじゃないですか。サウンドっていうのは言ってみればファッションみたいなもので、コーディネーターがいろんな服を用意してそれを着る、それが似合うかどうか、みたいなことだと思うんですね。 だけど、Hanaちゃんの場合は、すごく柔軟にいろんなサウンドに対応できるし、それでいて歌声はいつもトーンが一貫している。それは聴かせてもらった最初のデモからそうだし、周りのサウンドが変わっていっても、決して歌い上げる歌い方じゃないのに、1本芯が通った強さがあるっていう、そんな気がしますね。
H:自分ではあまり自分の声の魅力ってわかるものじゃないんだけど、芯がある声って言ってもらえてとても嬉しい。いつも私の声はなんかちょっと弱さとか儚さがあるとか言われてたので(笑)。
T:例えば大貫妙子さんもそうかもしれないけど、それは内面の強さの表れなのかもしれないよね。あと、今のシンガーは、ブラック・ミュージック的なフェイクを多用する傾向があるじゃないですか。それがテクニックの見せ合いみたいになっている部分もあるんだけど、Hanaちゃんにはそういう無駄なフェイクみたいなのがない。今どきの若いシンガーの中では、割と異色なんじゃないかなって気がする。
H:ボイス・トレーニングとか、そういうのはあの頃したことなかったので。でも、YMOトリビュート・コンサートの前は……。
T:やっぱり、した?(笑)
H:(照れて)はい。練習しました。ただ、テクニックにはとらわれず、自分の思う歌い方でやってみた感じですね。確かに高野さんも言ったように、そういう発声のスキルに結構とらわれちゃうのってもったいないなと思っていて。それだとその人の声の良さがなくなっちゃったり。みんなと同じように聞こえちゃったり……。みんな声が違うのが魅力なのに、なぜそれを変えようとするのかな? って。発声のスキルも大事だけど、私は自分の良さを生かした歌い方ができないかなって思っていて。だから……そう、高野さんが言ってくれた大貫妙子さんも大好きです。両親がシュガー・ベイブをよく聴いていたのでその影響で。
T:今回『Between The Stars』と同時にCDとして発売になる2年前のデビュー・アルバム『HUES』、今回のCDに入っているボーナス・ディスクの1曲目「Melody-Go-Round」は大貫さんの作詞ですもんね。
H:そうなんです。あと、荒井由実さんの声もとても好きです。やっぱり声に弱さも強さもあって、そのバランスがすごくいいなあって。
T:やっぱりノンビブラート系なんだね。そういや、幸宏さんに「自分(Hana Hope)の歌ってどうですか?」みたいに聞いたことある?
H:ないです!
T:僕は実は尋ねたことあって。幸宏さん、「すごくいいね」って言ってた。だから、その後、最初、幸宏さんの事務所でHanaちゃんのマネジメントを手伝う形になったんだと思う。ノンビブラートな歌い方とか、やっぱり幸宏さんのツボに入ったんだと思うな。僕もそう思ったし、でも、今やっと曲を作り始めたっていうところじゃないですか。まだ19歳でしょ。本当に全然これからだと思うな。
H:高野さん、19歳の頃ってどういう感じだったんですか?
T:19だと、浪人して大学に入って、やっと宅録始めたくらいかな。
H:19って、今の自分もそうですけど、自分の考えとか発言とかが変わっていく頃ですよね。その中で音楽を作るのは結構大変でしたか? それとも自分のやりたいことはもう決まってました?
T:いや、全然。僕は最初ギタリストになりたかったの。大学三年の時、当時やってたバンドが解散して、ソロで作ったデモを幸宏さんが審査員だったオーディションに応募した。で、合格したのはいいんだけども、その後、ツアーにも誘ってもらったら、プロのレベルの高さに打ちのめされて、もう全然自分はギタリストに向いてないなって自信をなくしちゃった。そしたら、僕のデモを聞いた幸宏さんが「高野くんは声に特徴があるから、歌ってみれば?」って、本格的にシンガーになるように背中を押してくれて。それが21歳とかかなぁ。
──とてもいいエピソードですね。
T:だからね、Hanaちゃんもまだまだこれから本当にいろんな可能性があると思う。例えばこれからプログラミングが上達して、エレクトロニック・アーティストになるかもしれないし、誰かバンドメイトが見つかって、一緒に面白い音楽を作り始めるかもしれないし……既にこうやっていろんなタイプの曲を歌っていて、これから新しい出会いもあるはずだから、まだまだ可能性がいっぱいある。
H:実は、今になって、YMOトリビュート・コンサートに出た時のことを振り返ってみているんです。あまり細かくは覚えていないし、若い時はあまり外の世界もわかってなくて、ただ、自分のバブル(泡)にいるから……でも、ああ、あのシンガーはすごいなって自分と比較しちゃったりもして。プロフェッショナルなアーティストとして活動していくには何が必要なんだろう? って気にしたり……。
T:まあ、誰かと比べても意味ないけどね(笑)。でも、最初に会ってから6年くらいになるけど、こうやって会った感じもすごく変わったと思う。最初はものすごくシャイで全然笑顔もなかったし(笑)。学校では自分はどういうポジションにいるの? いつも1人でいるタイプ? それともみんなでわーって騒いでるタイプ?
H:結構みんなが楽しんでいるのを眺めている感じでしたね。
──生徒会長をやっていたんですよね。
T:え、そうなの?
H:はい、高校の時に。
T:へえ! 自分から進んで立候補したの?
H:そうです。スピーチとかしましたよ。
T:それはきっとデビューして、気持ちが外に向かっていったからなのかな。
H:そうだと思います。音楽の力ってすごい! いい感じの影響があったなと思ってて。いろいろなアーティストの交流もあったからこそ、今、作詞も作曲もするようになって、自分の感情とかも自分の中で整理することができるようになったので。音楽がなかったら多分私、どこにいたかわからないですね。
T:そうだね。新作の中では、やっぱりHanaちゃんが自分で歌詞を書いた曲が、歌と言葉がマッチしてるなと思ったし。
H:高野さんが最初に歌詞を書いたのはいつですか?
T:高校の時に試しに3曲ぐらい書いたんだけど、何を歌っていいのか最初は全然わからなくて。よくあるタイプの曲の真似だったんだよね。自分らしい詞が書けるようになったのは、20歳過ぎてからかなぁ。それまではまだ全然表現にはなってなかった。でも、何かコツをつかんだらワーっと出てくると思うよ。Hanaちゃんもいろんな思いがあるはずだから。
H:結構ナチュラルに言葉が出てくる感じだったんですか?
T:僕は最初ラブソングが照れくさくて。で、歌詞のアイデアになるかもしれないと思って夢日記をつけてたの。最初は覚えていられないんだけど、だんだんさかのぼって思い出せるようになるんだよね。夢で観るビジョンは自分の潜在意識だから、ふだん自分が考えていることとはちょっと違う。自分の中の自分っていうのかな……そことアクセスするような感じ。今でもその感覚は大事にしたいなと思ってて。一個チャンネルが開いたことで、自分の知識以上の知識というか、経験以上のものが作れるようになった時期があったの。Hanaちゃんは歌詞はどうやって書いているの?
H:私もいろいろな方法を試しているかもですね。映画を見て、それのストーリーラインを使って曲を書いてみるとか、毎日じゃないんですけど日記を書いたりもしててるので、そういうところから生まれることもあります。私、詩を読むのが本当に大好きでそのフレーズとかをノートに書いたりもするんです。でも、そういうところから広げていくのが難しいんですよね。
T:これはまだ未熟だなと思ったら書きかけのまま置いとくの。ストックして。僕はそういう素材 がすごくたくさんある。それをあとから思い出して、ああ、これ、意外と今の気持ちにはフィットしてるかもと気づいたり、途中までしかできてなかったんだけど、続きは今ならこう書けばいいのかなってあとになってわかったりしてね。諦めないでストックしていくのもいいと思う。Hanaちゃんの今回のアルバムでいうと、「背中」っていうHanaちゃんが作詞作曲した曲が、等身大な感じがしてよかった。“1分もたたないうちに”ってリフレインがよかったな。歌詞は手書き?
H:全部手書きです。本を読むことで感じられる紙の質感とかも好きで。
T:手書きだとあとから変えたい表現が出た時に、傍線で前の表現を消して、横に新しく書いたりするじゃない? 前に書いた表現を完全には消せないでしょ。消しても履歴が残る。そこがいいと思っていて。パソコンで打ってると消去して、新しい言葉に置き換えちゃうから、元に戻せない。で、いよいよこれで完成って時に初めて清書して活字で見るとすごくなんかナチュラルにフラットな見え方してくるんだよね。
──Hanaさんが最初に書いた曲はどれですか。
H:『HUES』に入っている「16 – sixteen」って曲です。13歳で書き始めて16歳で書き終わらせた曲なんです。3年もかかっちゃった。
T:それでいいと思うな。僕もそういう曲いっぱいある。10年経ってから完成したとかね。しかも、10代の3年間でしょ。10代の3年間は結構長いですよね……。歌詞は何時ごろに書くことが多い?
H:夜ですね、すごい遅い時間。今回のアルバムの歌詞……自分が書いているものは全部夜中に書きました。自分の頭が落ち着くのはみんなが寝て一人になる時間……夜中なんですよね。
T:僕も若い時は夜中だったな。今はもう隙間をみつけたらいつでもできるっていうか、ある瞬間にパッと思いついたら、もう電車の中でもメモするし。今はあんまり時間帯は関係なくなったかも。あるとすれば……ボーっとしている時がいいかもしれない。普段の自分の考えてないことが浮かぶっていうか、さっき話した、夢日記で潜在意識にアクセスする感じっていうか、ボーっとしている寝入り端や寝起きがいいかもしれないな。歌詞とメロディーはどっちが先ってあるの?
H:私はだいたいメロディーが先です。いつもコードで作ってるんですけど、それにメロディーを合わせながら自然に。同時に歌詞も出てくる時もあります。
T:「背中」はどうやってできた曲?
H:これも同時っていうか……歌詞が初めに来たかも。そこにメロディーをつけた感じ。そう、私、これが初めて日本語で書いた歌詞なんです。だから、表現とか初めに書いた時はちょっとだけ間違ってたりしてて。でも、この歌詞はラブソングでもあり、その自分のルーツとのコネクションをまた生き返らせる感じの意味もあるんです。ルーツとか故郷はやっぱり場所じゃなくて“人(human)”かなって思うんです。人と人との出会いで作られたものが自分を本当の意味でのホームにしてくれる感じですね。自分のホームグラウンドは、そういう意味では常に探している気がしています。
T:さっき本を読むのが好きって言ってたけど、どういうジャンルの本を読むの?
H:フィクションが好きです。あとはバイオグラフィック……その作家さんが自分の経験から持ち出してきたストーリーラインが生きている本とかが好きですね。文化が感じられる本とか、よく読みます。
T:大学はどういうことを勉強しに行くの? アメリカの大学なんだよね。
H:そうです。政治学を専攻です。今、政治に興味ない人が若い世代には増えてきているように思えるんですけど、私は今この世の中で何が起こっているか、ちゃんと明確に理解して見ていきたいと思っているんです。だから自らそういう勉強をして、音楽と全然関係ないことを学んで、そこから新しい視点とか得られたらいいなと思ってます。
──アメリカの女性アーティストの多くは率先して政治的、社会的な歌詞の曲を歌いますからね。
H:そうなんですよね。そこに憧れて活動していきたいんです。私、ボーイジーニアスとかすごく好きなんですけど、彼女たちの歌詞の中のストーリーテリングはとにかく豊かで。その中に、直接的に出してなくても、社会や政治を意識した表現が歌詞に混じり込んでいる。そういう強さにすごい魅力を感じますね。ボーイジーニアスの「Not Strong Enough」とかすごく好きです。あと、70年、80年の世代のアーティストにもすごく憧れていて、特にジョニ・ミッチェルやノブコ・ミヤモトさんとかはすごく憧れています。
──ああ、ノブコ・ミヤモトさん。日系アメリカ人で、小さい頃、戦争中に強制収容所にいたこともある、俳優でダンサーでシンガー・ソングライターで作家でアート・パフォーマーでアクティヴィストでもある方ですね。80代半ばですが、自伝本も出てますし、ドキュメント映画『ノブコ・ミヤモト:ソング・イン・ムーヴメント』も公開になっています。素晴らしい方ですね。
H:はい、その本には本当に影響を受けました。ノブコ・ミヤモトさん、アメリカ育ちで、日本のバックグラウンドもありながら、ハリウッドの世界でも活躍できることができて……もちろん差別も受けながら、でも今もずっと強く戦っていて。
T:アメリカに住み始めたらHanaちゃんもそういう実感をさらに感じるかもね。
H:はい。実は私、自分の民族ルーツである二つの国に縛られている気がしていて。その中で二つに分かれちゃうようなアイデンティティがあるので、迷ったりいろいろ考えさせられたりするんです。民族ルーツがミックスの人は結構同じ経験していると思うんですけど、でもそれは決して悪いことではなく、自分が成長していくうちに自然と起こるものなので、それもエンブレイス(抱擁)すればいいんじゃないかなって思っています。「背中」って曲は実はそういう思いで書いた曲でもあるんです。でも、そういうアイデンティティがものすごいプラスになっていて。私は半分アメリカ人だし、見た目も全然日本人っぽくないのに日本の歌を歌っている。でも、だからユニークなニュアンスが出ているのかなとも思うんです。自由に表現していいんだっていうか。YMOトリビュート・コンサートに出た時に思ったことの一つでもあるんですけど、あそこにいた人はみんなそれぞれ自由に表現していたんです。だから、当時13歳の私のような子でも受け入れてくれたんだろうなって。
T:YMOといえば、彼らがワールド・ツアーをやった時に《Soul Train》っていうアメリカのテレビ番組に出ているんだけど、Hanaちゃん、それ見てみるといいよ。どんな音楽が好きなのって聞かれて、幸宏さんが「もちろんソウル・ミュージックだよ」って答えたら、司会のドン・コーネリアスが、「へえ、そうなんだ、君たちがソウルを聴くんだ!」 みたいに、ちょっと見下したような感じで反応して。今と比べると、まだ日本の音楽が全然世界に認められてない時代にYMOは頑張ってツアーをして、自分たちにできることはなんだろう、自分たちにしかできないことはなんだろうってことを自由に表現していた。僕らは彼らが作ったその道の上を歩いてるようなところもある。道も何もないところを彼らは切り開いていたんだよね。だからHanaちゃんもアメリカでいろいろなことをやってみるといいと思うよ。
H:はい、すごくワクワクしています。何もわからない世界で、とにかくいろいろなアメリカの小さいライヴ・ハウスで経験を積んで、いろいろなアーティストさんたちといっぱい交流して活動していきたいと思います。
<了>
Text By Shino Okamura

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