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カオスからフォーカス、そしてまたカオスへ──ギースが『Getting Killed』でケニー・ビーツと描いたひとつの山

23 October 2025 | By Shoya Takahashi

2つめのリード曲「Trinidad」のギターの音が可笑しくて、私はこの記事を担当するに至っています。ピッチシフト系エフェクトを使った〈きゅる〉〈ぱわ〉みたいな形容(口真似)でしか説明できないこの音色は、間違いなく初めて耳にする質感だった。スネアの置き所を慎重に制限したドラムスと、マキシマムなサックスがそこへ乗ったときの混沌、それらは、珍妙で混沌としてありたい自分の煩わしい自意識にぴたりと寄り添ってくれるのだが、サード・アルバム『Getting Killed』を最初に聴いたときも、その珍妙さと混沌を志向しているであろうかれらの創作意識をさらに信頼するところとなった。というか私は、“すごく音がいい”ことによる充足感を、珍妙でありたい渇望の満たされた感覚と取り違えているのかもしれないが。たとえば「Husband」の1拍目にキックとベースが同期したときの、体が地面へずんと沈むような圧。「Bow Down」で強調されたベースの低い残響を、ギターの細かな刻みが千切りにしていくASMR的な快楽。いずれもその錯覚を誘ってくる。

前作『3D Country』の時点で、私は初期のポストパンク的インディーをギース(Geese)に期待し、カントリー風味のギターとソングライティングによって見事に突き放された気でいた。今作にも黄土色にくすんだフィルターのようなオルタナ・カントリーの風味は点在するが、それ以上に耳を引くのはビートとウワモノの厄介なミスマッチや、空疎な音像と迫りくる音圧がつくる緩急だ。プロデュースを手がけたケニー・ビーツが近年関わったレミ・ウルフ、JPEGMAFIA、パリ・テキサスの作品も、おなじく破壊的で打撃的なプロダクションを持ち味として非常に好みだったことも付記しておきます。

評判を呼ぶ本作『Getting Killed』はまさにベース&ドラムスのレコードであるが、今回はベーシストのDominic DiGesuに話を聞くことができた。来年2月には日本公演も控え、すでに追加公演も含めソールドアウトしているという。飛ぶ鳥を落とす勢いとはギースのことだが、そんなかれはとても気さくで率直に語ってくれた。創作への向き合いかたや等身大の実感にいま耳を傾けよう。
(質問作成・文/髙橋翔哉 写真/Lewis Evans 通訳/竹澤彩子)


Interview with Dominic DiGesu (Geese)

──『3D Country』からケニー・ビーツ(Kenny Beats)と組んだ『Getting Killed』へ──バンドとしてなにを手放し、なにを拾い直しましたか? とくに「Trinidad」で幕を開け、「Taxes」を10曲目に置き、「Long Island City Here I Come」で締める曲順は、明確な緊張と解放のアークを描いているように感じられました。

Dominic DiGesu(以下、D):いやもう、前作はマジでハイテンションというか、自分たちの持ってるもの、使いたい音とか楽器があったら全部ぶち込んで、シンセサイザーとかガンガンに使いまくってってノリだった。今回はそれが若干トーンダウンしていてね。とはいえだいぶ盛りだくさんではあるけど、前回みたいにいっぺんに同時進行でガチャガチャ起きてるみたいな感じではなく。『3D Country』のカオスぶりに対して今回はよりフォーカスが定まってるっていうか、一つ一つのパートが研ぎ澄まされてる感じ。

──具体的な曲で例を挙げるとするなら?

D:「Husbands」とか、最初はものすごく静かに始まるんだよ。ミニマルでレイドバックしてる感じなんだけど、そこからジワジワと大きくなって最後には巨大化していく。しかもそれが、派手にクラッシュ・シンバルが鳴るとかあからさまな転換が入るわけじゃなくて、自然に大きくなって徐々に完全体に近づいて、最終的にクライマックスに到達するみたいな作りになってる。つまりセクションとか曲の構成頼みじゃなくて、あくまでも演奏の仕方とかトーンから生まれる緩急のダイナミクスを徐々に変化させていくこで、最終的に大きな実を結ぶみたいな形になってる。

──本作は2000年前後のUSの、音響を強く意識したころのインディーに近いものを感じたのですがそういう意識はありますか?

D:特定のサウンドを意識してたとかはなくて、自然に起きたって感じかなあ。強いて言うならそのとき自分たちがハマってた音がそのまま出てるみたいな。トーキング・ヘッズとかレディオヘッドとかマイルス・デイヴィスとか、あの時期めっちゃ聴いてたなあ……。2000年前後ってとこでいうなら、子供のとき聴いてた音楽がごちゃっと出てる感じじゃないかな。インナーチャイルドじゃないけど、2000年代に子供だったころの自分たちをここにきて解放したみたいな。

──今作の核を一言で定義するとなんですか?

D:えーっと、「山」かな。いろんな高低があって、山登りでいうなら最初スタート地点の底辺は平らで緑が生い茂ってて森に囲まれてて、そこから上に向かっていくほど凸凹してゴツゴツとした岩に囲まれだして、頂上近くになると雪がチラつき始めて山頂は雪に覆われてるみたいな。いろんな景色がそこには入ってるけど、全部同じ一つの山なんだ……ってな感じでどうでしょう? いや、自分なりに頑張ったよ!?(笑)

──完璧です(笑)。短期集中のLAセッションにおいて、意思決定の基準や優先順位はどこに置きましたか?

D:とりあえず、必要なところにだけ楽器が鳴ってるってとこは意識してたね。すべてのパートが全部同時に鳴っててしかもガンガン主張しまくるみたいな感じじゃなくて、すべてのパートがそこに存在してる意味がある。待つことの大切さというか、溜めて溜めて「ここぞ」っていうタイミングで一気に前に出るっていう、それが曲の終盤になってものすごく大きなうねりに変化していくんだ。自分のパートを曲にしていくんじゃなくて、むしろ自分のパートが曲に同化していくみたいな感覚だったね。

──ギースの魅力のひとつは、トラック(演奏)とメロディの意図的なミスマッチだと思います(たとえば「Taxes」でパーカッシブなビートに、カントリーな上ものが乗っているような)。このように衝突を快感に転化するために、どんなルールを共有していますか?

D:今のコメント、めっちゃ嬉しいんだけど! ありがとう。だいたい曲作りの流れとして、キャメロンがバンド内で通称「スケルトン」って呼んでる曲の骨組みをスタジオに持ち込んで、そこに筋肉だの臓器だのを足して最終的に人間の形にしていくみたいなプロセスで作ってて。「Taxes」も最初に土台となる骨組みをキャメロンが持ってきたのをとりあえずバンド全員で演奏していたんだけど、すごく似てるAとBってセクションがあるとして、それぞれに対してどう変化を出していくかという方向で動いていった。一応全体的な狙いどころとしては、最初の緊張感漂う感じから一気に解放するっていうその変容ぶりというか、そこに訪れるカタルシスみたいな。「Getting Killed」もいま言ったパターンかも……ただそれを意識してやってたかというと微妙。今回のアルバムの曲とかまさにそうなんだけど、うちのバンドの曲の大半がジャムから拾ってきた掘り出し物みたいな感じで。毎回だいたい30分くらいのジャムやって、そのジャムを制した音がその曲を制する。

──楽曲の出発点がビート先行なのかメロディ/コード先行なのか、あるいはアイデアを合奏に立ち上げるまでの流れを、具体的な楽曲を例に説明してほしいです。

D:そう、うちのバンドの曲のほぼ90%はキャメロンが持ち込んだ素材から始まってるんだけど、その3、4コード+最後にリフ、みたいなものから発展させている。ただその元の素材自体はたいていの場合は超シンプルだったりして、そこにチャネリングすることで個々のパートが育っていくみたいな感じかな。当初のバージョンよりも洗練されて強化されている感じ。ただ、さっきの「Taxes」の質問でも言ったけど、こっちが曲に対してなにか働きかけている感じではないんだよね。最初はガンガンにいろいろやっていくんだけど、途中からは「別にこれ必要なくね?」みたいな感じで、ひたすら手放していく段階に入る。自分たちがなにをしたいかよりも、その曲がなにを必要としているのかに全力で奉仕する、みたいな。

──「Long Island City Here I Come」は最終曲としての解放感をどのように設計しましたか? ベースが印象的なアウトロが、アルバム全体の物語においてどんな役割を担っていると考えていますか?

D:いやもうあの曲、マジで気に入ってて。アルバムの中で個人的に一番のお気に入りかもしれない。ロングアイランドシティに絡めてあるのもいいよね。あの曲って、要はロングアイランドシティに行きたいって願望を滔々と訴えかけてて、曲の語り手にとってはそこがものすごく重要な価値のある場所なんだけど、ロングアイランドシティって実際には大して特別な場所でもなく……(笑)。自分はなにかに対してものすごい憧れを抱いているかもしれないけど、現実像はそれと違うというギャップを描いている。

アレンジも二面構成になっていて、荒々しいギターと美しいピアノがコインの裏表みたいに、物事には良いところと悪いところの両方があることを描いてる。曲の構成も静かで美しいところでキャメロンの呟き声から始まって徐々に崩壊に向かっていって、最終的にはそれぞれのパートがバラバラに解体されながらも必死で食らいついているような崩壊状態で終わるようになっている。

──ケニー・ビーツと組むことで、決定のスピードや「削る勇気」はどう変わりましたか? 印象的な場面を挙げて説明してほしいです。

D:なにしろスタジオやレコーディングに関して百戦錬磨的に経験豊富な人だからね。主にソロ・アーティスト中心に手掛けてる人なのに対してうちはバンドだから、向こうからしたら特殊だったかもね。でまあ、一緒にやっていくうちにだんだんわかってきたのは、ケニーって口を出すべきタイミングと自分からは議論に口を挟まないタイミングを直感的に読める人なんだろうなあって。こっちが脱線しそうになるときもさりげなく軌道修正してくれたりして、おかげで安心して集中できた。しかも頼んだら徹夜で付き合ってくれる人なんで。だから、ケニーとバンドのあいだでどこまで相手に委ねていいのか探り合っているような空気っていうか……だいたいこっちが動く前にケニーのほうが先回りして動いてたけど(笑)。

──ケニー・ビーツの「音色の粒度」へのこだわりをもっとも体感した瞬間はどこですか?

D:ケニーって、まさにザ・“ケニー・ビーツ節”みたいなサウンドで知られてるじゃないか。本人はギターロックも好きですごくやりたがってるのは知ってるんだけど、でも世間の目からすると名前のとおり“ビーツの人”で、ヒップホップのイメージが強いよね。だから、「このスネアの音がいい」とか「このピアノのパートはもっと長めがいい」とかプロデューサー目線はちょいちょい入るけど、それによって作品に大きな変化が出るってことはなくて。むしろ自分たちと同じ方向をむいて「最高のアルバムになるよう全力でサポートするぜ!」みたいなスタンス。クリエイティブな視点から意見を差し挟むことはほぼなくて、こちらが好きにやるのを見ながら必要なときにちょっと力を貸してくれる、カウンセラーのような存在というか。そもそもケニーって少量でも入れすぎ注意!的な濃すぎる存在だからさ(笑)。

──もしセッションが一度止まるほど迷ったパートがあれば、その理由や「やめどき」の決め方について聞きたいです。

D:あー、めっちゃいい質問。ケニーってさっきも言ったようにR&B/ヒップホップ系のプロダクションをやってて、しかも基本的にソロアーティストと向き合って作っていくスタイルの人だから。それがバンド形式で、自分より10個下くらいの若造が複数でわちゃっと自分のスタジオにやってきて、苦労して集めた超大事な高級機材に触れるって状況に最初は引いてたんじゃないかな。内心、「おい、こいつらに任せて大丈夫? なにかあったらどうしてくれる?」って(笑)。しかも僕たちがわりとおとなしくてシャイなタイプだから、向こうも最初は相当警戒してたはず(笑)。

たしかにまあ、ケニーの意見が正しいのか判断つきかねた場面もあったけど、よほど的外れな提案じゃない場合は「まあ向こうはプロだし、言うとおりにしてみよう」って素直に受け入れてたけどね。このアンプ使ってみようとかこのペダル試してみようとか、そのへんは向こうがプロなんで、こっちも反論するだけの知識や意見があるわけでもないし。そういう意味ではケニー・ビーツ的なるサウンドは今回のアルバムにも確実に反映されてると思うよ。とりあえず一緒に作ってて「いやそれはちょっと…」と思うことはなかった。いまだったら今回のアルバムを通じて少し成長してるから、「やっぱあそこでああ言っとけばよかった!」とか思うところもあるかもしれないけど(笑)。

──ブルックリンのバンドシーンって、制作プロセスの工夫や新しいアイデアを試みるのにとにかく意欲的な磁場があると思っています。ギースが自分たちなりに達成できた実験があれば、曲名と箇所で語ってほしいです。

D:一番良い例でいうなら「Half Real」かな。あの曲って全体的にすごく静かでシンプルなんだけど、やけに壮大に感じるんだよね。最初はすごく小さくて静かな印象なんだけど、曲が終わるころにはものすごく大きなスケール感になっているのが爽快で、今回のアルバムの中で特に気に入っている曲の一つだよ。「Trinidad」もそうでサビの部分で一気にいろんなものが押し寄せてくる感じ。めちゃくちゃクレイジーっていうか、中に入ってる要素自体はシンプルなんだけど、全部が一緒くたになるとランダムなスープみたいな巨大な音像になっていく様子が我ながら圧倒的。一つ一つのセクションはむしろシンプルでスカスカだけど、それを順序だてて並べることでトラック全体が生き生きと動き出して、実際に起こってる以上にいろんなことが起きてるみたいに感じられる。

──リズム隊としてドラムスのマックスとの関係性について。今作は“リズム隊がフロント”のアルバムだと思ったのですが、なにを共有しているからそのような音楽になったのでしょうか?

D:いや、まずシンプルにありがとう。まあとりあえずマックスと2人で遊び尽くしたって感じかも……っていうかそこが一番大事。もちろん良い演奏をしようという気持ちはあるけど、やりすぎないようにはしてる。そこは前回の『3D Country』からの反省点で、ちょっと詰め込みすぎたかもって曲もチラホラあった。今回だったら例えば、裏でパーカッションがシェイカーだのベルだのホイッスルだの細かい音がいろいろ入ってて、全体としてはすごく豊かなサウンドを描き出している。あと、セクションによってはあえて演奏を控えめにすることで、後から音が入ってきたときにより効果的なインパクトを残すようにしたりとか。最初からエンディング並みにガンガンに飛ばしまくっていたら、おそらくあのスケール感には到達しなかっただろうね。自分のパートを演奏してるっていうより、曲全体を丸ごと演奏してるような感覚かもしれない。その曲に必要とされるものを必要なぶんだけジャストなタイミングでサーブするみたいな。多すぎも少なすぎもなく、ちょうどいい塩梅を探っていったみたいな。

──最後に、次作でリスナーを良い意味で裏切るとしたら、音楽性/録音方法/コラボレーションのどこに“初めて”を仕込みますか? 現時点での構想があれば聞きたいです。

D:現時点で言えることは、ギースはこれからもずっと音楽を作りつづけるってことで、それはうちのソングライターのキャメロンにしてもそう。キャメロンの脳みその中に無限に曲が溢れてて、他のメンバーもそれに対して無限に音符を鳴らして応える覚悟ができている。いまのところ具体的な構想があるわけじゃないけど、自分たちでも気づいていないことがすでに脳みその中で煮込まれている最中なのかもしれない。とりあえずなにかしらあるから期待してて!

<了>


Text By Shoya Takahashi

Photo By Lewis Evans

Interpretation By Ayako Takezawa


Geese

『Getting Killed』

LABEL : UNIVERSAL MUSIC / Partisan / Play It Again Sam
RELEASE DATE : 2025.9.26
ストリーミングはこちらから


来日公演は追加公演含め全日程SOLD OUT!

https://www.creativeman.co.jp/event/geese25/


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