【From My Bookshelf】
『すべての門は開かれている――カンの物語』
ロブ・ヤング+イルミン・シュミット(著)江口理恵(訳)
自分とCANの間を漂う関係性を問い直す一冊
「つまり、六十年代後半から七十年代前半にかけてドイツで生まれた重要なグループには、共通項があったということだね。皆、何の真似もせずに、実験することを選んだ」
イルミン・シュミット発言(第二部 カン雑考インタヴューより抜粋)
正直に言うと、僕はカンの真の魅力を理解するのにかなり時間がかかった。大学時代にレンタルで聴いた時は「Vitamin C」を除いて、ほとんどピンとこなかった。それがベルリンに移住して、友達のバンドであるMinami Deutchなどを熱心に聴き、ライヴに足を運ぶようになってようやく円環し、反復するハンマービートでの瞑想状態にも近いところからの逸脱がいかに気持ちいいのかを知った。ちなみにカンのアルバムで現在一番好きなのは、激烈な実験と破壊が応酬される『Tago Mago』(1971年)ではなく、アンビエントなど全く異なるジャンルの影響をも感じさせる『Future Days』(1973年)だ。
『すべての門は開かれている――カンの物語』をカジュアルな音楽本と捉えるべからず。480ページの2部構成された本著は気が遠くなるほどの綿密な取材とルポルタージュの蓄積によって成り立っている。とりわけカンが六十年代後半から七十年代中盤まで、いかに膨大な実験と偶然の出会いを重ね、新しい音楽を生み出すための野心的な取り組みを実践したかが詳細に描かれる。
入門書にしてはいささか難解に思える。しかし、最初からいい機材を買って演奏したほうが本物に近づくという考え方もある。いかにしてカンが生まれ、当時の音楽シーンの中で強烈な“異物感”を保ったまま、現代において神格化されるような存在になりえたのかが克明に記されている。
世界中で政治的に不安定で同時に様々な新しいジャンルの音楽が勃興していた60年代後半。日本でも学生運動真っ盛りの時期だが、ドイツもまた激しい政治の季節を迎えていたようだ。カンはその時代精神を反映したひとつの健全なレジスタンスの反応として生まれたことがわかる。しかし音楽性においては時代の流行に見向きもせず、彼らは自分たちの2台のREVOXとホルガー・シューカイによる独学の編集(彼らはコラージュとも呼んでいた)技法で、奇跡的に独自の音楽を生み出すことに成功し、商業的にも成立しうるハリの穴を通すような偉業を成し遂げた。そのことが彼らを他のバンドにはないユニークな存在たらしめ、彼らのあとに轍ができているのだ。
ケルン近郊にこしらえた《Inner Space Studio(インナー・スペース・スタジオ)》で日々実験的な録音に明け暮れた。時に衝突を挟みながらもそのエネルギーをも楽曲に落とし込む音楽ありきの態度があった。そこで映画のサウンドトラックの依頼を受けたりしながら、金銭的にシビアな状況をタフに乗り切る技術を身につけた。それから後に皆が知っているようにダモ鈴木という異邦人を新しいスパークの材料として、受け入れたこと。彼との路上での邂逅からライヴ・パフォーマンスの実践にいたるまでのプロセスは奇跡のように美しい。そしてあまりに正直でアナーキーなエピソードの応酬にはつい笑みが溢れる。不当に逮捕されていたダモ鈴木を奪還するという危機的状況を乗り切るためにあらゆる人脈を駆使して、新聞記事に寄せた嘆願文の抜粋は秀逸だ。とにもかくにも泥臭く、今まで自分たちが聞いたことのない音を、ジョイントを回しながらも熱心に追い求め続けた求道者たちの道筋がわかるだろう。
それは音楽の創造性や革新性を信じる読者、そして自分でなにかをゼロからつくることを希求する人たちにとって本物であるためにもっとも大事なエレメンツが散りばめられていて、なんらかの形で背中を押してくれるに違いない。だからこそ彼らは既存の音楽やロック、実験音楽やクラシックとは違う地平の音を鳴らし、いまなお新しいリスナーを生み出し続けるタイムレスな存在となったのだ。
マーク・E・スミスの鋭い指摘
第二部「カン雑考」で、ザ・フォールのマーク・E・スミスが対談で指摘していることにドキッとした。「カンのレコードを買うのが最高にヒップなことだ」という状況に成り下がり、「ほとんどのイギリス人は、カンはダモ鈴木とベーシストのホルガー・シューカイで成り立っていると思っているけど、俺はカンはイルミンとヤキだということを知っている」という本質的な批評だ。
僕自身、まさにこの指摘が刺さる。カンをファッション的に消費しかねない可能性がある自分への問いかけでもある。すべての物事が模倣と再生産される現代だからこそ、カンのような圧倒的無謀とも言える取り組みから生まれた音が異質に響く。
本書は、カンという音楽集団、あるいは音楽と人との関係性自体を問い直すための一冊なのだろう。丁寧に語られた膨大な語りを《The Wire》をはじめ、《The Guardian》などのメディアで活躍するイギリスの音楽ジャーナリスト、ロブ・ヤングがまとめた第一部と、対談集の第二部を、交互に読み進めるのがいいだろう。願わくば、部屋の中で爆音でカンの音楽を流しながら読んでほしい。最後に、この膨大な資料をまとめあげ、プロジェクトを遂行したロブ・ヤングと、カンのオリジナル・メンバーのイルミン・シュミット。そして細かなニュアンスを丁寧に拾い上げた翻訳者の江口理恵さんに畏怖と感謝の念を込めて。
自分もまたじっくり長い時間をかけながら、読み解いていくことにします。そうして時間をかけることで自分とカンの音楽の関係性が変わっていくのも楽しみだから。(冨手公嘉)
Text By Hiroyoshi Tomite

『すべての門は開かれている――カンの物語』
著者 : ロブ・ヤング、イルミン・シュミット
出版社 : ele-king books
発売日 : 2025.3.19
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