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【From My Bookshelf】
『うたのげんざいち 遍歴』
中村佳穂+大竹昭子(著)
音楽をしなやかに語るために──音楽家と文筆家による対話集

17 April 2025 | By Hajime Oishi

音楽の語り方はもっと自由であっていいと思う。いつもそう思いながら執筆活動を続けているものの、音楽についてしなやかに語るのはそう簡単なことではない。

本書は中村佳穂と文筆家の大竹昭子が行った対話を再構成したもので、一部は中村のコンサート《うたのげんざいち 2022 in 東京国際フォーラム ホールA》のパンフレットに掲載されていたものだ。大竹が主宰するカタリココ文庫という対談シリーズの一冊であり、ページ数は70ページ強。文庫本サイズのささやかな本だが、ここには音楽についてしなやかに語るためのさまざまなヒントが隠されている。

本書のきっかけとなったのは、中村がカタリココ文庫0号『美術と回文のひみつ』に掲載された美術家・福田尚代と大竹の対話に感銘し、対談相手に大竹を指名したことだった。大竹は写真や街をテーマに横断的な執筆活動を続けてきた書き手であり、音楽については決して専門というわけではない(『カラオケ、海を渡る』(筑摩書房)や『バリの魂、バリの夢』(講談社)など大竹のノンフィクション作品は音楽リスナーにもぜひ読んでいただきたいが)。そのため、当初はその依頼にためらいがあったというが、大竹は後日彼女の音楽を聞いたうえで依頼を受けることになる。

ここで行われているのは先入観なしのまっさらな状態の大竹と中村の対話である。その対話はときに音楽の領域から逸脱しながら、しなやかに進行していく。たとえば、大竹は中村の表現の根底に横たわる空間と構造に関する意識に着目すると、そこを糸口にしながらライヴパフォーマンスに関する考え方について掘り下げていく。また、身体表現としての音楽のあり方に関して中村が発言すると、その発言を起点として身体をテーマとする対話が繰り広げられる。

そもそも中村佳穂自体、定型化された音楽表現から常に逸脱し、“音楽”という狭義のフレームでは収まりきらないものを指向してきた音楽家である。それゆえに定型化された言葉をもって中村の音楽を語ろうとすると、大抵は敗北することになるわけだが(私も以前一度だけ彼女にインタヴューする機会に恵まれたが、身をもってそのことを実感した)、大竹は中村の言葉と真摯に向き合いながら、かたちのないものに言葉を与えていく。大竹は「歌というもっとも身体的なツールによってミクロコスモスを探検している」というたった33文字で中村の表現の本質を言い当てているが、こんな言葉は(自分も含めて)凡百の音楽ライターがいくら頭をひねっても掴み取ることはできないだろう。

また、大竹は「歌は空間をつなぐ接着剤」という(極めて祭祀儀礼的とも思える)中村の言葉を引き出しつつ、自身の活動に引き寄せながら「言葉は視野を拡げる拡張剤」という言葉をそこに添える。MCバトルにおける瞬間的なアンサーにも思えるこのやりとりにはハッとさせられた。そして、この対話自体がまさに「視野を拡げる拡張剤」でもあったことに気づかされる。

言葉の乗せ方、歌詞の書き方に関する中村のテクニカルな解説は、魔法のタネあかしをするようでとても興味深い。ここではメッセージや感情の吐露ではなく、音として言葉を操ってきた中村ならではの作詞術が語られている。また、本書では中村ならではのレコーディング術もあきらかにされている。レコーディングの際、中村は音楽とは関係ない知人をあえてスタジオに呼ぶ。「そうすると、その空間自体がキラキラしはじめて、それに当てられて歌が喜んでいるように感じられる」のだという。これらは定型化された歌詞や録音物のあり方から逃れようとする試みでもあるはずだ。

何よりもふたりの対話が「パンチラインありき」ではなく、あちこちにより道をし、みずから迷子になり、ようやく互いが納得できる“答え”に達するというプロセスそのものを楽しんでいるところがいい。音楽を語る楽しさをあらためて教えてくれる一冊である。(大石始)

Text By Hajime Oishi


『うたのげんざいち 遍歴』

著者 : 中村佳穂+大竹昭子
出版社 : カタリココ文庫
発売日 : 2025.2.27
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