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KID FRESINOによる傑作『ài qíng』をそのキャリアから紐解く~諦めから生へと手を伸ばす葛藤の日々~

14 January 2019 | By Daiki Takaku

よく晴れた日の池袋で全てを諦めた少年は笑っていた。どうにでもなればいい。諦めていたからこそ世の中にしっぽを振る必要がない。彼の気持ちとは裏腹にその姿は蔓延る忖度を食い破り、痛快で、希望にも見えたーーKID FRESINOがラップ歴わずか10ヶ月ほどで送り出した初のソロ・アルバム『horseman’s scheme』には、「全て終わっても構わないと思っていた」とインタビューで語っているように厭世観がテーマに挙げられている。しかし諦めの一方で、彼の英語と日本語を軽やかに行き来しサンプリング主体のビートにテクニカルにアプローチするフロウや、ストリートを蹴るように不遜なリリックはフレッシュでありながら、DOWN NORTH CAMPから連なるアンダーグラウンドのヒップホップ観を携え、彼を一気に注目を集める存在へと押し上げる。この時点でKID FRESINOという存在は、世界へ、自らへの諦念と人々からの期待、或いは誤解を抱えていた。

NYから飛び立つ旅客機を少年は見上げていた。諦めていてもなお足を搦めとる、東京を、いや日本中をぼんやりとだがジリジリと確実に包む閉塞感から逃れるように彼は場所を変える。だがその目は僅かに微笑みを含んでいたーー2作目となる『Conq.u.er』は語学留学の後に音楽のエンジニアとしての術を身につけるためのNYへの移住によって、NYと日本とを行き来しながら制作された。ラップ・スキルの向上も著しいが、耳を引く変化は12曲目「Turn.(who do) feat.JJJ」に認めることのできる郷愁や仲間意識といった暖かな人間的感情が現れている点だ。それはおそらく日本との距離を、彼が日本で築いてきた周囲との人間関係と距離を置いたことにより見えたものだろう。しかし依然として初作から地続きの諦めに基づいた強さが我々を惹きつけていたことも事実としてある。故に『Conq.u.er』は諦めと、それとともにポジティブな感情も並ぶ、矛盾を孕んだ1枚であった。

ステージを見つめ少年は涙を流した。ストリートの定義を書き換えるべく、声を張り上げるC.O.S.A.に。生まれ育った街の声を、そして自らの人生を背負いラップするその姿に。理由はわからないままーー愛知県は知立のラッパー、C.O.S.A.と共鳴し生み出した、ダブルネーム・アルバム『Somewhere』はいよいよKID FRESINOという名をシーンの外へと届けることとなる。PSG、SIMI LAB、RAU DEFらを世に送り出した増田岳哉氏の率いるレーベル<SUMMIT>からのリリースだったことは元より、2人が互いに引き立てあうようなラップはそれまでのどちらのソロ作品よりポジティブかつ軽快で、聴く者を選ばぬ絶妙なバランスが成立した作品だった。また前述したセカンド・アルバムで起きた変化もNYへの移住の他にC.O.S.A.の影響が大きいとも語っている。つまり『Conq.u.er』にある矛盾は、諦念を抱えたKID FRESINOと、ストリートの声と自らの人生を背負うC.O.S.A.という2人の関係性に言い換えることもできる。諦めるか、背負うか。そう、『Somewhere』ではまさに真逆の方向から生を捉える2人が溶け合っていたのだ。そんな邂逅を機に、KID FRESINOは自らが遠ざけたものへと無自覚に手を伸ばし始めていた。

NYから日本を見つめて、少年は苛立ちを隠せずにもいた。そしてそんな状況は自分では変えることは出来ないと諦めを浮かべながらーーあるインタビューで彼は東京の嫌なところはどこかと問われ「若者がダサいところ。望みない。俺ぐらいの年齢から下は、全部望みないです」と言い切った。それは今となってはあまりに若く、無知であったが、初のEPとなった『Salve』にはその言葉に有無を言わさぬ説得力が宿っていた。この1枚にはバンド・サウンドとの共存が試みられ、無論ピッチ・コントロールを否応無く求められる状況で、それを挑戦というにはあまりにも簡単にやってのけられているからだ。彼は諦めることで責任から逃れようとする中で、無意識に自らの可能性を探ろうとしていたのではないだろうか。バンド・サウンドに呼応して現れる僅かな声の揺らぎには、そんな可能性を前にしたとき覚える不安や恐怖に怯えているかのようにも見えた。

ーー彼が所属していたクルー、Fla$hBackSを脱退すると知ったのは同クルーのメンバーであり幼馴染みでもあったfebbのツイートからだった。後のインタビューやエッセイからも読み取れるが、彼はこの時期に渡米の目的であった音楽学校がトランプ政権の影響を受け閉校し、帰国を余儀なくされている。帰国をきっかけにFla$hBackSを再始動させるかの話し合いで意見が食い違ったことが原因というのはあくまで想像の範囲だ。また、Fla$hBackSとしての活動が止まっている間に両者の音楽性には大きな違いが生まれていることを考えると脱退は仕方のないことにも思えた。しかし直後にSoundCloudに投稿された「Easy Breezy」では“1人で始めたわけではねえが、1人も悪くはねえか”とため息交じりにスピットされ、Fla$hBackSの存在が、febbの存在が彼にとってどれだけ大きかったかを認識することができる。また、この後迎えるfebbの死がどれだけ大きなものになるかさえもーー

少年は気がつく。いや、本当ははじめから気がついていたのかもしれない。諦めることで捨てようとしたもの、場所を変えることで遠くから見つめたもの、他者を通して触れたもの、苛立ち、怯えたもの。その正体は彼の人生そのものだったーー最新作である『ài qíng』はアルバム・サイズでは『Somewhere』から実に2年4ヶ月の時を経てリリースされた。その間に彼に起こった変化は、本作へ強く影響している。日本への帰国から京都への移住、クルー脱退、febbの死、東京への帰還、結婚、そして子供の誕生…結果としてそのような変化は彼が今まで避けていたものに向き合わなければならない状況を産んだ。拒んできた自らの可能性、責任、人生に。だからこそ本作においてそれらは強く、真っ向から受け取められている。ハウス・ミュージックにバンド・サウンド、ラップに歌、日本のヒップホップ作品には類を見ない多彩なアプローチが一定の低い体温で描かれ、そこに浮かび上がるのは“Living to suffer(苦悩するために生きている)”という仮説の下、傷口を撫でながら、痛みが、苦悩がまだ足りないと彷徨う青年の姿だ。つまり『ài qíng』とは、諦めることで向き合わずにいた自らの生をもう一度取り戻そうという挑戦である。

言ってしまえばこの1枚に明確な希望などはない。あるのは生まれ落ちた命に対して誠実に応えようともがく音楽だけだ。それは無意識のうちに自分を誤魔化して、目を逸らして、傷を舐めあって、やっとのことで笑顔を作っている私たちを戒めるように鳴っている。しかしそんなレコードにKID FRESINOはこう名付けた。『ài qíng』。愛情。本来は1人の人に向けてのみ使われる言葉だという。それはきっと、勇気を与えてくれるものだ。作り笑いなど捨てて、生と向き合うための勇気を。(高久大輝)

Text By Daiki Takaku


ài qíng

KID FRESINO

LABEL : AWDR/LR2
RELEASE DATE : 2018.11.21
PRICE : ¥2700 + TAX

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