Back

「僕がポップスを作る理由はそこにある」
butajiの最新作『RIGHT TIME』が探る、対話の可能性

07 October 2021 | By Daiki Takaku

前作『告白』(2018年)から約3年。人気ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の主題歌をSTUTSと共に手がけたことも手伝って、butajiの最新作『RIGHT TIME』に募る期待は高まるばかりだった。そして実際に届いたのはそんな期待などはハナから気に留めていなかったのではないかと思うような、どこまでも開け、アップリフティングで、それでいて胸に迫る、全10曲の傑作。暗く、出口の見えない時代、などと形容したくなる状況で、STUTSだけでなく、石橋英子やtofubeatsら盤石のゲスト・ミュージシャンと共にフォーキーなサウンドからバンド・アレンジ、エレクトロニクスまで自在に操りながら、butajiは手を伸ばして、きっとあなたを“今”に誘っている。

今回のインタヴューでは、もちろん傑作『RIGHT TIME』について話を聞いたわけだが、ポップスとは、歌詞とは、優しさとは、途中とても個人的な人生相談をしているかのような会話も挟みながら、初対面の若輩者である私なんかにもbutajiは目を逸らさずに応えてくれた。ぜひアルバムとともに最後まで楽しんで欲しい。

P.S.
取材が終わったあと、「良かったら聴いてみてください、いい曲なんで」という言葉に笑顔を添えて、butajiはジェイミー・リデルが歌う「Alone Together」という曲の歌詞が印刷された1枚の紙をこちらに差し出した。家に帰ってその曲を聴いてみると、繰り返されるのはこんなフレーズだった。

“Let me hold your hand
Cause we don’t have to alone together”

(取材・文/高久大輝)

Interview with butaji

──まず今作『RIGHT TIME』を作るに当たってテーマのようなものはありましたか?

butaji(以下、b):まず2018年に『告白』という作品ができていて、それを踏まえて次作を作ろうとしていた段階で『告白』とは違ったものしようとは思っていて。2018年の段階でアルバムには入れなかったけれど「中央線」は既にできていたんです。「RIGHT TIME」という曲もできていて、その2曲を柱に仮に据えるとして、アルバムの可能性があるかなと考えていったら今のカタチになったという感じですかね。

──“多様性”をテーマとした『告白』の延長線上にあるようにも感じました。

b:全く分断されたものではないですね。近しいんだと思います。ベクトルが違うだけで通底しているものはあると思います。

──『告白』はミックスまでご自身で完結していたと思うんですが、今作にはたくさんのアーティストが参加しています。制作のプロセスを見直したんですか?

b:基本的にデモは自分で作っているというところは変わらないですね。全部のパートを打ち込みで作ってそれをバンドに共有するっていう方法は。前作はその後も全部1人でやりましたけど、そこまでの過程はどちらも共通しています。

──その先を他のアーティストに投げてみようと思ったきっかけはあったんですか?

b:前作は全く他のアーティストが関わっていなかったから、そういうチャレンジをすることが作品を良くする方向に繋がっていくだろうなと最初は思っていたかもしれないです。「中央線」のシングルを出したときから挑戦していた部分ではあって、もっとやれるかもなと。こういう他のアーティストにアレンジをお願いするという工程は本当に奥行きがあるので、もっともっとやれる気がします。

──そもそものところになってしまうかもしれませんが、エレクトロとフォーク、あるいはバンドといったサウンドの方向性はまずイメージしてから制作を始めるんですか?

b:何がフィットするかというのは常々考えていますね。横断できるんです、自分が作った曲の骨が強いのであればジャンルというかアレンジメントはいろんなものに。そこの可能性については柔軟にやっていますね。バンドで演奏するときは打ち込みのものは再現できない、というか再現すると面白くなくなるので生楽器用にリアレンジして演奏したりもしますし。一応ひとつ形づくっておきながらいろんな可能性を考えています。

──STUTSさんは2曲参加していてどちらもフィーチュアリングの扱いです。こちらもbutajiさんの作ったトラックが先にあったんですか?

b:2曲とも僕から投げました。「I’m here」についてはほぼ完成したトラックがすでにあってそのパラデータをSTUTSさんにお送りしてリアレンジしていただいた感じで。「YOU NEVER KNOW」は僕がコードとメロを吹き込んだボイスメモをSTUTSさんにお送りしてコード譜もお送りしてSTUTSさんに弾いてもらって、そのうえでどういうコードが合うかなというのを2人で考えながら作っていきました。

──やりとりは頻繁にしていたんですか?

b:実際に同じ場で作業しましたね、STUTSさんのスタジオに行って。

──ちなみにドラマ主題歌「Presence」はどういったプロセスでした?

b:「Presence」はSTUTSさんのトラックが先にあって、そのトラックにフィットするメロを考えるのが最初の僕の仕事でしたね。

──そのときから相性の良さのようなものがあったんですね。

b:うん、とってもやりやすかったというか、もっといっしょにやりたいなと単純に思ったのでお誘いしました。

──「free me」はシングルでリリースされた時点で既にダンス・チューン的でしたが、tofubeatsさんがリアレンジしてよりクラブ仕様の楽曲に仕上がったように感じました。ダンス、クラブ、フロアへ近づいたのは意図的ですか?

b:クラブ・カルチャーってレベル・ミュージック的というか、自己解放運動というか、そういう側面があると思うんですよね。「free me」についてはそういったダンス・フロアに向けたアンセムを僕の立場から作っていくのが面白いかなと思って挑戦してみたんです。そういうものをフロアで聴いてもいいし、イヤフォンで聴いてもいいしというか……。うーん、結局僕はイヤフォンで聴いている人を前提にしているかもしれないです。リスナーの方が1人で聴いているっていう、そういうシチュエーションを考えているときの方が多いかもしれない。

──クラブでプレイされるときのことはあまり考えなかったんですね。

b:自分には現場の音の作り方の面で知識がないので、そこはtofubeatsさんが考えてくれた部分かもしれないですね。

──FNMNLで公開されたフランク・オーシャン『Blonde』についての記事でダブステップの影響を受けていると書いていましたが、言葉のない音楽を作ることは考えたりされませんか?

b:ファーストには言葉がないインタールードが入っているんですけど。ただそれって僕がやって面白いんですか?と思ってしまうときがあって。やるはやるというかできるんですけど、僕がやるより上手い人というかフィットする人がいるんじゃないかな。あと僕、歌いたいんです(笑)。で、そこを求めてくれるお客さんもいるからそこに応えていく方がいいんだろうなと思っています。

──ちなみにダブステップだとどの辺りをよく聴くんですか?

b:ずっと僕はジェイムス・ブレイク……だからフランク・オーシャンより僕はずっとジェイムス・ブレイクだったんです。もちろん彼がやっている表現てとても大事なものだともちろん認識しているんですけど、音楽的にずっと聴いているのはジェイムス・ブレイクの方で。歌詞でいえば影響を受けているのはフランク・オーシャンの方かな。

──ジェイムス・ブレイクの作品はずっと追いかけているんですね。

b:最近の作品はもうダブステップではないと思うんですけど、彼の作風はどんどん好きになっていってますね。

──ジェイムス・ブレイクは抽象性のバランスというか……。

b:そうそう、ジェイムス・ブレイクはとても抽象的ですよね。ただ近年になればなるほど具体性が増してきて、2018年の『Assume Form』が大好きだったんですよ。どんどん具体的になってきて、何がやりたいかというのがわかりやすくなってきたんで。

──「トーチ」は折坂悠太さんの作詞です。まるでbutajiさんご自身のことを歌っているように聴こえました。

b:あの歌詞を折坂さんと歌っていると、「折坂さん、僕のことを歌っているの?」みたいな(笑)。そういう特等席に座らせてもらったような気持ちはありますね、共作だからこそ味わえる気持ちを味あわせてもらった気がしました。

──石橋英子さんがアレンジで参加していますね。

b:元々は自分が作った打ち込みがあって、そこに沿って石橋さんにバンドとフィットするようにしてもらった。あとはスタジオの録音のノリで練り上げましたね。

──絶唱するように歌う箇所もあります。

b:そこは石橋さんのディレクションを僕が解釈したような感じかな。役になりきるというか、演ずるというか、そういった提案が石橋さんからあって。この歌詞も折坂さんからもらったものだし、カバーするような気持ちでやってみようかなと思って録音しましたね。

──折坂さんのアルバム『心理』も同日のリリースです。すでにお聴きになっていらっしゃるとのことで、ぜひbutajiさんの感想を教えてください。

b:もちろん折坂さんの曲が柱になっているんですけど、京都のバンドのメンバーで練り上げていった賜物という感じの音がしていましたね。あと後半になればなるほどコード自体もメロもシンプルになっていって、折坂さんが幼少期に音楽から受けた初期衝動のようなものを聴いている印象でした。折坂さんのルーツを辿っているような。そこまで正直に表現することってすごく度胸がいることなので、素晴らしいと思います。

──折坂さんの『RIGHT TIME』を聴いた感想も聞きたいです。七尾旅人さんは今作について「少し浮かれたような」と表現されていましたね。

b:七尾さんの言葉から僕が解釈したのは、世間とは逆の姿勢を見せるということですね。陰鬱とした社会の情勢に対してこっちはカウンターとして希望を見せるという演出。逆に『告白』は、浮かれたような世間に対して陰鬱なものをぶつけた。そういう姿勢について七尾さんは指摘していたんじゃないかな。

──そういった姿勢はポップスの作り手としてのbutajiさんの中にもともとあったものですか?

b:ポップスってすごく大きな広がりがあるので、聴く人をお祭りのようにはさせないというか、立ち止まって考えさせるとか、そういうポジションに置いておきたいんですよね。そして聴いて欲しいっていうのももちろんある。そのポップスっていうジャンルの役割と、聴いて欲しいっていう気持ちにちょっとした矛盾があるんですけど、そこをどうやって叶えていくのかっていうところが僕個人のやりがいではありますね。

──矛盾に立ち向かっていくと。

b:まあ矛盾といいながらそういうことっていろんな方がやられてきたことなので。そういう平衡感覚というか、バランサーとしてのポップスの役割というか。

──その在り方は先人たちの影響ですか?それともやっているうちに発見したことですか?

b:そういうものが好きだったんでしょうね、たぶん。僕は七尾さんのことをずっと追いかけて、聴いてきたし、そういった方々の影響は多分にあると思います。

──ちなみにご自身のTwitterでは「明日地球が滅亡するならどうする?というありえない質問に真面目に答えてみたアルバムなのかもしれない」と書かれていましたね。

b:それに触れるのはやめた方がいいですよ(笑)。ああいうプロモーションぽい言葉を作家自ら言うべきじゃないと思います。文庫本の帯に書かれそうな、ああいう安易なラベリングは。でも広がりというか、わかりやすくはあるので言っておいた感じですね。

──でもそのツイートを読む前にこのアルバムを聴いていて感じた、切迫感というか、歌わずにはいられないというような感覚を言い得ているような気がします。

b:さっきのインストの話とも共通していて、僕がやらなくていいことは僕がやらなくていいってことなんですよね。歌うべきことがあるのだったらそれを歌うべきだし、そうじゃないものについては誰かがやっているからいい、という。だからやるべきことを自分で探してきて、それについて歌うということに一生懸命なんです。

──そのやるべきことというのは『告白』にも通づる「多様性」を歌うということですか。

b:それも含めてなんですが、そうじゃないものもあるんです。社会の中には、そうじゃない「不理解」や「不寛容」といったものもあって。それらをひっくるめて今ここに全部ある、それを見ること。例えば2人だけで何かを話しているような、1対1の関係性、そこには社会、社会性っていうのはあんまり介在していないと思うんです。倫理観というようなものは便宜上あることはあるんですけど希薄だと思います、そこをゼロベースで考えることが対話の関係性だから。そこには社会的な通念とか常識っていうのは介在する余地はなくて、その人のことを理解しようとするんだったらその人と話すしかない。そこに自分の考えているいろんな物事を挟む余地はないんです。そういう1対1の関係性だと思っているんです、僕が音楽を作る理由というのは。そういう関係性で聴いて欲しいと思っているから。誰かのことをちゃんと見ようとするといろんな側面が出てくるんですけど、それも含めてその人だよってことですよね。見渡してみると、不都合なこととか、不寛容なこととか正しくなさそうに見えることがいろいろとあるけどそれを含めて“今”ということかな。

──逆にいえば対話はそこにしかないということですか?

b:うーん、まあ、決まっちゃないかもね。余白というか、そこは保留にしておきたいです。やりようがあるかもしれない。そこにしかないと言ってしまうのは簡単ですから。

──たしかに、butajiさんの歌はその余白にあるような気がします。

b:僕がポップスを作る理由はそこにあるんですよ。自分がマイノリティであるという立場から大多数に向けてのポップスを作っていくというのは、対話の可能性を探るという理由があるのかもしれません。

──すごく観念的ではありますが、アルバム全体を通してbutajiさんは愛について歌っていると個人的に思っていて。誰かを愛そうと思うとどうしても自分を知ることが必要になる、その過程の大切さが描かれているような。

b:うーん、それは優しさかな……。優しさというのを考えたときに、自分自身が自分であるということを認識した上でそこにいるということだと思うんです。相手に対する思いやりということじゃなくて、自分が自分としてそこにいるということ、自分の意見を自分の声で主張できるということが優しさだと。それで、変わらずそこにいるということ。自分が変わらずそこにいるということを認識している状態。変わらない優しさってあるじゃないですか、私はここにいて自分のことを主張していますという優しさ。そういうものが優しさだと思うんですよ。そうやって考えていくと自分のことを見つめざるを得ない。

ただたしかにこういうことを考えて曲を作っていますけど、表れてきたものっていうのはパーソナリティとちょっと離れていたりしますけどね。歌詞に直す段階で全部が僕というわけではなくて、全く僕ではないだろうし、でもどこか僕かもしれない、という状態があるという感じですね。

──ちなみにこの10曲の中で最もパーソナリティと近いものはどれでしょうか?

b:いや、どうでしょうね。言葉にする時点でそれを取り逃がしている気がするんです。だから追いかけているところがあって。『告白』についても……言葉はツールだから伝わらなきゃしょうがないので、伝わるようにしていくと自分からちょっと離れていくところがある。俯瞰で見ている自分が、自分が考えている自分かというとそうかもしれないし、そうじゃない気もするし。他人が僕のことをこういう人だよねと言って、自分はそう認識していなくても、他人が持っている印象がそうなのであれば自分ってそうなのかも、と思うようなことかもしれない。

──自分から出てきたものを伝わる形へ、俯瞰的に見た上で調整していると。

b:そうですね、そこはすごく冷徹にやっています。そのままでは生かしていない。そのまま生かすと矛盾が出てくるんですよね。言葉として繋げて見てみたときに齟齬があったりすると歌詞として美しくない、しっくりこないんですよね。

──言葉の特性ですよね。

b:そう思います。作詞はそういうものを徹底的に俯瞰して綺麗に整えていくという作業ですね。毎回それは試行錯誤しているところです。

──俯瞰で見たときに重点を置いているのは長く聴かれるというところですか?

b:うん、長くですね。

──普遍的なものということ?

b:普遍はまた別軸だったりしますね。普遍的なものを作ろうとすると何も言っていないことと同じような歌詞を書いたりするというか。

──抽象的になりすぎる。

b:そうそう、シンボル的な言葉ばかりになったりしてくるので、また別軸だったりしますね。

──つまりリスナーを想定しているということですか?

b:いやー、リスナーっていうのは本当に想定してない(笑)。いや、聴かれて欲しいですよ。でも大きな数っていうのはわからなくなってくるんです。その中でも誰か1人にとって助けになるようなことがあったらいいなと思いますけどね。それ以上に自分がどう満足するかどうかなんでしょうね。

──冷徹にみている軸というのはご自身の中のハードルということですね。

b:そうだと思います。どこまでやったら自分は満足できるのかというところ。

──ところで、コロナ禍で観客を入れて行うライヴが少なくなった影響などはありましたか?

b:やっぱりお客さんがいると意気込みが変わってきますよね、気迫が違うというか。その熱量の差が具体的にヴォーカルに出てくるから面白いなとも思っていたし。お客さんを制限しながら僕はライヴをやっていた方かもしれないですね。あんまり具体的に、この状況下でもできることを探していくことが面白いことじゃないですかね。そういう意味で僕も自主的に「second thoughts」という動画のシリーズを始めて、ライヴ配信の可能性っていうのを監督さんと1対1の関係性でまた構築できないかという企画で。

──なるほど、たしかに対話を観ているような感覚でした。

b:ライヴ配信はライヴではないという葛藤から生まれたライヴ配信の形ですね。カメラが、第3者の視点がある限り、ライヴとは同じではない、じゃあライヴ配信ができることってなんでしょうか?というのを改めて考えようということで始めたので。そういったチャレンジって、大変でもできることというのが出てくるんじゃないかと。

──状況を利用するような。

b:そう、制限があるからこそ面白いというか、そういう表現ではあると思いますね。

──じゃあ前向きに捉えていたんですね。これまで見えていなかっただけかもしれませんが、コロナ以降、暗いニュースも多かったと思います。社会的なニュースを見て塞ぎ込んでしまうようなことはありませんでしたか?

b:1ヶ月単位で考えるとわからなくなってくるというか、毎日で考えると本当に上がり下がりがあるんですけど、1ヶ月経つとそれが全部均されているところはありますね。それも曲を作る基準にしているところはありますね、1ヶ月くらい置いてみてそれでも聴けるかどうかを。

──SNSも含めて情報過多なのもあってか、どんどん閉塞感が強くなっているような感覚があります。butajiさんのお考えはいかがですか?

b:それをどうやって摂取するかですよね。目に触れたくないんだったら目に触れなくていいと思います。SNSって中毒性があるからついついやっちゃいますけど、その中毒性とか誹謗中傷が個人に向いていくこととか、そういったことはSNSのシステムのひとつなので、その前提を考えておくことが大事。個人に向けられた誹謗中傷じゃなくて、それはもちろん嫌なことだけど、それはSNSのシステムに含まれたプログラムのひとつなんです。だからそういった弊害がある、それがSNSなんだよということはわかっておいた方がいい。不必要に傷つく必要はない、傷つかないで欲しいです。プログラムのひとつだから、と思うようにして欲しい。というか、思うようにしました、僕は。そう考えると少しは冷静になれて、対処できるようになると。

──キャンセル・カルチャーと呼ばれているものもSNSと強く結びついていると思います。『RIGHT TIME』では間違いを犯してもその先があるということも歌っているとも感じました、成長の過程で自分自身を探求していくことというか。

b:そこに尽きるんじゃないですかね。そこに向き合っている時間の長さというか、それが結局は創作にも繋がってくると思っているので。

──すごく勇気をもらいました。自分が少しでも楽しく生きていくにはどうすればいいかが見えたようで。

b:そうそう、自分が主体で、自分の代表として自分が生きていくことの大切さってあると思うんですよね、そのスリリングさも。そういうことが歌いたかったんじゃないかな、アルバムを通して。

──制作者として何を伝えたいか……はっきりした回答はありますか?

b:聴いた人で判断してください、ということですね。それでいいのかどうか。何か規定していないようでしている、大きな枠組みを作りたいとは思うんです。もちろんなんでもいいわけじゃないんですけどね。ただそうとしか聴こえないというか、そういう大きな枠組み、ルールの設計を曲の中でしている気はします。その上で、どう聴いてもらってもいいし、どう見てもらってもいい。曲を聴いてもらって、それが全てという感じです。

<了>


関連記事
【FEATURE】
心と道理の狹間に揺れる折坂悠太 新章
http://turntokyo.com/features/orisaka-yuta-shinri/

butajiは「それでも」と歌い、誰かが語り始める
──最新作『RIGHT TIME』を待って──
http://turntokyo.com/features/butaji-right-time/

   

Text By Daiki Takaku


butaji

RIGHT TIME

LABEL : SPACE SHOWER
RELEASE DATE : 2021.10.06


購入はこちら
Tower Records / HMV / Amazon / iTunes


1 2 3 62