重層的なディメンションを持った記念碑的大傑作
アメリカの頂点に君臨するアーティストが、イギリス、特にロンドンに集まった才能に仕事を任せるケースは少なくはない。今に始まったことではないが、特にここ10年はフランク・オーシャンやカニエ・ウェスト、トラヴィス・スコット、ケンドリック・ラマーなどの作品で、ロンドンの才能がフィーチャーされ、その中でもジェイムス・ブレイクとヴィーガン(本名:ジョセフ・ウィンガー・ソーナリー)の2人の名を頻繁に目にする。
ジェイムス・ブレイクは、独立したアーティストとしてその名を確立しているが、ヴィーガンが紹介される際には、“フランク・オーシャン、トラヴィス・スコットのプロデューサー”という注釈が憑き物で、その注釈を目にする度にどこか居心地が悪くなる。カリスマ性やパフォーマティヴな面では、前述のスター達はあまりにも巨大であるし、彼らの才能を過小評価するのは愚かだが、いつまで虎の威を借る格好で“仕事を受ける側”のアーティストを紹介するのかと考える。だが、その注釈を外すために努めるのも、仕事を受ける側の目指すべき指標だとも思うのだ。
ヴィーガンの場合、最新作『The Road To Hell Is Paved With Good Intentions』がその契機になるかもしれない。それほどの心意気を感じるし、実に彼のキャリアの中でも最高傑作だと思う。この作品には、彼の生まれる前から幼少期、ティーンエイジ、そしてミュージシャンになってから今までの全てが詰まっており、統一感のない6つのマテリアルに坐禅を組んだ人物が囲まれているアートワークは、それらを表しているのかもしれない。
最近になって明確になった事実だが、彼の父親はザ・キュアーの『Pornography』のプロデューサーで、後にベーシストとしてバンドに加入したフィル・ソーナリーだ。スタジオ・アルバムにはプレイヤーとして参加していないのだが、ザ・キュアー屈指のベース・ラインとも言われる「The Lovecats」でダブル・ベースを弾いているのが彼であり、その他にもプリファブ・スプラウトの「When Love Breaks Down」のプロデュースや、数多のポストパンク/ニュー・ウェイヴの作品にプロデューサーやエンジニアとして参加した重要人物だ。
父親のフィルに言及すべき理由は、彼がザ・キュアー脱退後に加入したジョニー・ヘイツ・ジャズだ。88年のファーストにプロデューサーとして参加し、91年の『Tall Stories』にバンドの前任フロントマンと入れ替わる形で加入。ジョセフが誕生する直前にリリースされたその作品を聴くと、特にベース・ラインという一点において父親から強い影響を受けたといることが窺える。
2019年の『Only Diamonds Cut Diamonds』のアートワークには、幼少期のジョセフがフィルに肩車をされた写真が使用されているが、それが父への畏敬の念であるのは言うまでもない。
ジョセフが生まれてからのフィルは、基本的に音楽製作の裏方に回ったわけだが、それを傍で見てきたバックボーンがあるからこそ、ジョセフが弱冠22歳でレーベル《PLZ Make It Ruins》を立ち上げ、キャリアのスタート時点からプロデューサーとしてのノウハウと気質を持ち合わせたアーティストであったことに納得がいくだろう。
今作では、ブレイクビーツやビッグ・ビート、トリップ・ホップといった、90年代のイギリスから生まれたビートが用いられている。ただ、彼がこれらのビートを用いたのが初めてではなく、ここ2、3年のプロデュース・ワークを振り返ると、今作2曲に参加したJohn Glacierの21年『SHILOH:Lost For Words』で、「If Anything」や「Some Other Thing」といった楽曲でトリップホップを引用し、昨年Headache名義でリリースした『The Head Hurts but the Heart Knows the Truth』では、ブレイクビーツやマッドチェスターが引用された。
当時はアンダーグラウンドなものであったドラムンベースやガラージが、時代を一周して世界的なトレンドになっている一方で、彼の幼少期に世界的な評価を得ていたエイフェックス・ツインやケミカル・ブラザーズ、ポーティスヘッド、マッシヴ・アタックらの存在はクラシックとなり、今はそれらのビートが鳴りを潜めることになった。価値の反転を得意とする彼が引用するのならば、後者になるのは必然的だ。
彼のシグネチャー・サウンドとして、グリッターで奇妙なキュートネスを持ったシンセ・サウンドと、それを付与するフィルターやエフェクトがある。
彼は、『ブレードランナー』のOSTでヴァンゲリスが使用したことで知られる、Yamaha CS-80系のソフト・シンセを主に愛用しているだろうと言われていたが、2022年の暮れにそのクローン機であるBlack CorporationのDeckard’s Dreamを入手したことをストーリーズで嬉しそうにシェアしていた。それが関係しているかもしれないが、音はふくよかになった一方、以前よりも遊びが減った、或いは実機という制限がある中で表現している印象を持った。もしくは、ヴォーカルをフィーチャーするために抑える必要があったか、音数も増えているので抑えたのかもしれない。明らかに“プロデューサー”としてのスケールが増している。
また、彼のサウンドの大きなルーツであるフレンチ・タッチからの影響は、より前傾化した印象がある。それは、エフェクト面でフランジャーの扱いがよりダイナミックになったことや、フレンチ・タッチの更に奥にある80年代のサウンドを追求・分解・再構築しているところにも感じる。それに、22年暮れに私が観たDJセットでも、ジャスティスやアラン・ブラックス、カヴィンスキー、セバスティアン、トーマ・バンガルテル(ダフト・パンク)などをプレイし、確実にフレンチ・タッチのモードであった。中でも、バンガルテルがギャスパー・ノエ監督の『CLIMAX』のサウンドトラックとして提供した「What to Do」は、フレンチ・タッチにブレイクビーツが乗ったキメラ的ビートで、今作の大きなインスピレーションになったに違いない。
もう一つのシグネチャーとして、“LimeWireでダウンロードした低音質MP3”とも例えられる、チップチューンでもない、フレンチ・タッチのものとも違う独特なノイズを付加するフィルターがある。この作品と同じ日にリリースされたもので、同様のノイズを意識的に用いたバンドがいる。それは、ヴァンパイア・ウィークエンド(VW)だ。『Only God Was Above Us』は、初期作品のセルフ・オマージュに満ち、2000年代末から2010年代初頭までのインディ・ミュージック最盛期と、その終焉のムードを纏っている。アートワークが表すように、役割を遂げたものをサンプリングやカットアップといった手法でリユースし、再構築した上で先鋭性を見出すスタンスは、ヴィーガンの作品にも通じるものがある。
ヴィーガンは4年ほど前に、“2016年くらいを境に聴かなくなった”という所蔵の音楽作品をDiscogsで売りに出した。その内容はもう残っていないのだが、VWのサード『Modern Vampires of the City』(2013年)がそこに含まれていたことは強く記憶に残っている。聴かなくなったとはいえ、ルーツにはあるわけだが、両者は一昨年にフェニックスがエズラ・クーニグをフィーチャーした「Tonight」をヴィーガンがリミックスしたことで、間接的にコラボを果たしており、目に見える形で接近していた。
そうした中で、同日にリリースされた作品には多くの共通点がある。前述したような、ビッグ・ビートやトリップ・ホップといったビートを共に使っているのにまず驚いたのだが、そこで個人的な記憶が呼びおこされた。VWのサードは私が高3の時にリリースされたのだが、それとポーティスヘッドの『Dummy』を並べてヘヴィー・リスニングしていた学友がいたのだが、確かに「Step」のリバーブの効いたレイドバックしたビートには、トリップ・ホップ的ニュアンスがあったし、チェンバー風のトラックと組み合わせる“突飛さ”は、ヴィーガンにも受け継がれているのではないだろうか。
ただ、それだけでは説明がつかないほど、深層的なところで両者は繋がっていると思うのだ。VWの最新作に収録されている「Connect」の終盤、エズラの声に低音質MP3風のフィルターがかかっているのだが、これには明確な意図を含んでいると思う。私自身もVWの音楽をLimeWireからダウンロードして聴いていた記憶があるが、そのようなデジタルネイティヴ黎明期を回顧しているのではないだろうか。一方はNapster、一方はLimeWireという大きなライブラリーから恩恵を受け、音楽を受容していた世代。2000年代中期から2010年代初頭のカルチャーにスポットが当たりつつある今、両者の提示したある意味「アカシックレコード」にコネクトするようなスピリチュアリズムは、間違いなく共通している。
クーニグは10年前にこんなことを言っていた。
「僕が音楽に夢中になったのは、ライヴを見て圧倒されたからではない。 両親のレコード・コレクションを探索したり、友人の寝室で何時間も音楽を聴いたりしていたからだ。 アルバムの想像上の空間が好きなんだ。 何よりも、インターネットは物理的な空間ではなく、想像上の空間なので、音楽を聴くのにとても安心感がある。 人々が初めてNapsterを使い始め、MP3を再生し始めた頃を覚えている。 これが私たちがいつも望んでいたことなんだ。 お互いに音楽を聴かせ合ったり、誰かのベッドルームでまったりしたり、ただチルしたり」
そんなデジタル・ネイティヴ世代のど真ん中のヴィーガンだが、22歳で自主レーベルを立ち上げるという感覚は、A.G.クックが2013年に立ち上げた《PC Music》然り、この世代特有のものだろう。実際に会って話した彼は、少し繊細で決して外交的ではないが、愛のある人物という印象だったのだが、活動を始めた時には既にSNSがある環境で、インターネットを介してコネクトし、徐々に仲を深めていくという工程が彼に向いていたのかもしれない。
レーベルを始めて10年が経つが、その間に随分と仲間が増え、ヴィーガンの最新作には多くのゲストが参加している。彼のレーベルから作品をリリースしているJohn GlacierやJohn Keek、イーサン・P・フリン、Double Virgoであったり、Léa SenやDuval Timothy、ロレイン・ジェイムス、Matt Maltese、サム・フェントン(バー・イタリア)、Tysonといったロンドンの優れた才能、ツアー先で出会ったトロントのLouke Manや、『Blonde』以来の彼の仕事には欠かせないベーシストのBen Reedなどが参加。デジタルでありながら非常に人情味も感じる作品になっているのは、やはり彼の人望や愛情深い人物像がそのまま反映された結果なのだと思う。
切る度に断面の模様が変容するかのような、重層的なディメンションを持った、“アーティスト”ヴィーガンとしての記念碑的な大傑作。きっと末永く愛でることになるだろう。(hiwatt)
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