何度でも夢を見て
問題の一つは、先の見通しが立っていること。見通せてしまうこと。さまざまな夢の成れの果てを目にしてしまったこと。厳密に言えば、そう錯覚してしまうこと。
《ザ・ロフト》、《パラダイス・ガラージ》、《スタジオ54》……先人たちの言う、あの夏のこと……。1993年に栃木の片田舎で生まれた自分にとって、それらは過ぎ去った夢として、もしくは物語として、物心ついたときにははじめからそこにあった、というのも一つの錯覚だろうか。
「自分の逃避的な世界の一部として本当に夢中になり始めたのは(伝説のクラブで) ダンサーや用心棒、マフィアと一緒にドラッグをやっている人たちの物語を追跡することだった」
「これはわたしにとって本当にロマンティックなことなんだ。そのストーリーは、偉大なDJやプロデューサーの伝記よりもずっと興味深い。そういう物語を念頭に置いてクラブ・レコードを書くのはクールだと思うようになったのさ。追悼されることのなかった人たちをね」
《CRACK》のCover Storyに登場したジャム・シティことジャック・レイサムは、本作『Jam City Presents EFM』の背景についてこんな風に説明する。そう、物語。これは現実に基づいたレコードではない。
そもそもの話をすれば、ジャム・シティは初めから空洞からレコードを生み出してきたアーティストだった。ジャム・シティのデビュー作にして、すでに注目を浴びていた《Night Slugs》のシーンにおける存在感をさらに強めることになった『Classical Curves』(2012年)の持つ音楽的雑食性について思い出して欲しい。それは今考えるとインターネット的な文脈の横断、つまり実体験が欠落した時代の到来を独自に解釈し具体化した一例であり、その時代を生きることを肯定するためのものでもあった。前掲の記事でレイサムはこのようにも言う。「真正性には興味がないんだ」。つまり、彼にとっては現実がどうであるか以上に、そこにある感情のリアリティこそが要点であった(はっきりと政治的なコンセプトを持った『Dream a Garden』(2015年)、極めて異質なサイケデリアを出現させた『Pillowland』(2020年)から見えるジャム・シティの奔放さもこれである程度説明がつくだろう)。
本作『Jam City Presents EFM』でもジャム・シティは変わらない。サイレンがこだまし、ヒールの音がカツカツと鳴って、車のドアは閉じられる。そんなオープニング・トラックに挿入された本作の非常に簡潔な導入を聞いてもらっても、あるいはアニメーション的なタッチで女性がドラッグを象徴するキャンディを口にしているアートワークを見てもらってもいい。要するに「これからどれほど遠くまで行けるのか」「これからどれだけハイになれるのか」という期待そのもの、感情の高まりにレイサムはフォーカスしているのだ。
感情に重きを置くというジャム・シティの信念は、現実を蔑ろにしているようでむしろ逆だ。タイトルの“EFM”とは“Endless Fantasy Mode”、“Environment For Music”、“Emotions Forcing Memories”、“Every Freak Moves”など、複数の言葉の頭文字を取ったもののようで、本作は3部作の第1部という位置付けらしいが、とりわけポップ・ミュージックの中では兎にも角にも踊れるレコードであるということが何よりの証拠だろう。ダンス・ミュージックとして優れた機能性を有した音楽をパッケージする目的は、実際にフロアでプレイされることはもちろんだが、ダンスフロアへの期待を高めることでもある。
夢みたいなパンフルートの響く「Touch Me」、流麗な歌にニトロのようなベースが投下される「Wild n Sweet」、濃いフィルターの掛かったヴォーカルとフォー・オン・ザ・フロアの弾ける「Reface」……。滑らかな手つきで、メランコリックで美しいウワモノと強力なビートが掛け合わせられた10のダンス・トラックがどデカいサウンドシステムでプレイされたら、わたしはどうなってしまうんだろうか──実際にクラブの厚い扉を開くか否かを問わず、その期待が持たれた瞬間に世界の見え方は変わる。感情から現実を革命すること。それがレイサムの忍耐強く勇敢な目論みである。
『Jam City Presents EFM』は、積み重なった夢の残骸を蹴り上げ、何度でも人が夢を見ることを、何かを望むことを徹底的に肯定している。ここに提示されている可能性は、ダンスフロアにとどまらず、多様性について、複数性について、可変的な性/生について、ロボットとの共生について、あらゆる民主主義的な運動の可能性へと、容易に置き換えられはしないだろうか? (高久大輝)
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