Review

Billie Eilish: HIT ME HARD AND SOFT

2024 / Universal Music
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苦い記憶の追体験

09 July 2024 | By Nana Yoshizawa

冒頭からいきなりだが、筆者は普段メイン・ストリームのポップスに明るくない。それでも、ビリー・アイリッシュの3枚目のスタジオ・アルバム『HIT ME HARD AND SOFT』はすぐに気に入った。おそらく今作を聴いて同じような体験をした人は多いと思う。もちろん、フィニアスによるプロダクションが微細な点まで行き届いているのもあるだろう。それでもサウンド・エフェクトのアプローチ、細かく練熟された構成から今作を捉えてみたい。

まずラジオ出演時にビリーが選んだリファレンスから、とくに興味深い楽曲群を挙げてみる。コクトー・ツインズ「Wax and Wane」、エール「Sexy Boy」、ビートルズ「Blue Jay Way」、カイリー・ミノーグ「Can’t Get You Out of My Head」、ニルヴァーナによるレッドベリーのカヴァー「Where Did You Sleep Last Night」だ。

コクトー・ツインズ、エール、ジョージ・ハリスンの作曲によるビートルズ「Blue Jay Way」からはエコーの多用、くぐもった音響などドリーム・ポップに通じる要素があると思う。今作でも、ドリーム・ポップの要素はそこはかとなく表れているだろう。顕著なのは「BIRDS OF A FEATHER」のヴォーカルに深くかかるエフェクトではないだろうか。エコー、ディレイなど反響音の効果は、ハーモニクスだけでなく拡がりや抜けのよさを与えている。そこに、モジュレーション系の揺らぎを加えたコード進行も相まって、メランコリックな儚さが際立つ。あとコンプレッサーの処理だと思うが、これだけ高音を伸ばしてもローファイな柔らかさのある音質には、ビリーとフィニアスのこだわりが感じられる。他にも、サウンド・エフェクトを用いた展開で印象深いのが「L’AMOUR DE MA VIE」の後半だ。それまでのバラードからフィルターの高音を絞ると、一転してぶつぶつした無骨なキックが鳴り、シンセを多用していた80年代の音作りに変わる。その視界の広がりは、まるでクラブの扉からフロアに向かうような躍動を覚えるほど。この曲を聴いて、ビリーが先のラジオ番組で、カイリー・ミノーグの「Can’t Get You Out of My Head」も挙げていたことに納得してしまった。

さらに興味深いのは、ニルヴァーナによるレッドベリーのカヴァー「Where Did You Sleep Last Night」。この楽曲は、1870年頃が起源とされているフォーク・ソング「In the Pines」だが継承される要因の一つに、人間の持つ、複雑な暗い感情があるからだと云われている。同じように、つまびくギターと歌声から始まる「THE GREATEST」がある。ビリーは公式インタヴューで今作の芯となる楽曲に挙げており、そのインタヴューで彼女は「過剰運動や体のケガがメンタルに深い影響を与えた」とも語っている。不幸なことにレコーディングと足のケガが重なった日に制作された「THE GREATEST」、その芯にあるのは過去の体験やトラウマではないだろうか。今作における、過去を見つめ直す歌詞だけでなく、エフェクトや細かなショットをつなげた展開の多さは、彼女のフラッシュバックする記憶を見ているようでもある。

「THE GREATEST」と同様、核に思える楽曲が「BITTERSUITE」だ。アルバム・タイトルの『HIT ME HARD AND SOFT』は《FabFilter Twin 3》に備わる同名のプラグインから来ており、このプラグインは「BITTERSUITE」のアウトロで聴くことができる。制作の初期段階で使用された、この「BITTERSUITE」のシンセ・フレーズの音色の妖美さは、そのままアルバム全体の奇妙な色彩を決定づけているようだ。そして、ストーリー性がある展開の多さは、錯覚とも思えるシネマティックなフィーリングをもたらしているとも。さらに「BITTERSUITE」の告白的な歌詞──「恨みからあなたは麻痺しているように見える、それはとてもロマンチックだ」「これが私の死に方ならそれでいいんだ」と歌う潔さも相まって、彼女自身が過去の再生をしているように思えた。そう考えると『千と千尋の神隠し』からの影響を受けている「CHIHIRO」も過去の追体験だろう。分離するベース・ラインやクラップを用いた手法にトリップ・ホップの揺らぐグルーヴを加えた音像は、奇妙なサイケデリアそのものだ。「振り向いたけど、君の顔じゃなかった」「どうして僕が振り向いたら、君はどこかへ行ってしまったんだろう?」という歌詞も、映画からの影響のみならず、過去と今の想いが交わっている。

不明瞭なサウンド・エフェクトのなかで浮かぶ歌声。彼女が“正直になれた”と語る今作には、抑圧された体験とトラウマ、そして過去の失恋が存在している。苦い記憶を辿った作品と言えるかもしれない。かつて感じるべきだと話していた痛みは、たゆたうサウンドの奥に未だある。それでも感情を揺り起こすように歌うビリーの声は、これまでで最も伸びやかに聴こえてくる。(吉澤奈々)

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