ロンドン・シーンを支えるミュージシャン集団の“実験”を記録したファースト
Speakers Corner Quartetのファースト・アルバム『Further Out Than The Edge』が発表された。このグループの名前を聞いたことのある人はそれほど多くないと思うが、UKのインディ・シーンを追っていれば気づかないうちにその演奏に触れている可能性は高い。たとえば、ドラムのKwake Bassは私的なパートナーでもあるティルザをはじめとして、サンファ、ケイ・テンペスト、シャバカ・ハッチングス、Wu-Luの作品にマルチ奏者として、プロデューサー/エンジニアとして参加しており、ヴァイオリンを担当するRaven Bushも同じくWu-Luや、ファウンテンズD.C、ヤング・ファーザーズの作品、そして最近ではマイルス・デイヴィス『Bitches Brew』を再解釈するプロジェクト“London Brew”にも参加していた。こうした近年のロンドン・シーンを支えてきたミュージシャン4人。その集合体がSpeakers Corner Quartetなのである。
彼らの成り立ちを遡ると、そもそも00年代半にブリクストンで行なわれていたラップ/スポークン・ワード・イヴェント、“Speakers Corner”のバックバンドとして結成されたのがはじまりだという。スポークン・ワードのバックバンド…と言われても具体的なイメージが浮かびづらいところなのだが、このイヴェントは観客がつぎつぎとステージに上がって夜を徹して行なわれるようなものだったといい、そこでぶっつづけで演奏するなかで各人の技術も磨かれていったのだろうと想像させる。その傍ら、南ロンドンを拠点とするさまざまなミュージシャンとのセッションに参加してきたというのは先述したとおりだ。本作はそんなグループの待望のファースト・アルバムということになり、いままでかかわってきたサンファ、シャバカ・ハッチングス、コビー・セイ、ティルザ、Lea Sen、ミカ・リーヴァイ、ケイ・テンペスト……といった豪華なアーティストたちが一同に会している。
しかし一方で、作品を聴いた印象として残るのはその抑制された感覚だ。端的にいえば非常に“地味”なのである。Speakers Corner Quartet自身、たしかな技術をもったプレイヤーたちの集まりながら個人が派手なプレイを聞かせることはない。Kwake BassとPeter Bennie(ベース)は“人力ブーンバップ”的なループを延々と生み出し、Raven Bushによるストリングスもときに現代音楽的な、緊張度の高い響きを帯びつつも大きく逸脱することはない。楽曲はセッションの一部を切り取ったように始まり、やや唐突に終わっていく。この淡々としたカジュアルな雰囲気はティルザやコビー・セイらの作品と通底する“ロンドンの空気感”とも思え、そこではサンファのようないまやインディ・スターといってもいいゲスト・アーティストも例外ではなく、一緒にスタジオでセッションするような雰囲気が漂っている。
アルバムの中で個人的にもっとも印象にのこったのはティルザをヴォーカルに迎えた「fix」で、ノンビートのなかでコントラバスだけが鳴る、どこか東洋的な「間」を感じさせるトラックだ。ふだんはアンビエントR&B/インダストリアルなトラックで歌うことの多い彼女がこのアンサンブルのなかで歌うと、ヴォーカルの柔らかい表情が強調されるのが面白かった。この「fix」については、楽曲として発表されてからしばらくしてライヴ映像が公開されたのだが、それはSpeakers Corner Quartetがプログラミングしたロボットがベース、鉄琴、琴などを同期演奏するまえでティルザがあぐらをかいて歌うというユニークなものだった。
この「熟練したプレイヤー集団によるロボット演奏」というパフォーマンスはやや倒錯したものにも思えるが、彼らの「生演奏」へのこだわりのなさ――むしろ人力/自動という境界を混乱させることを面白がるような姿勢――が感じられて興味深い。Speakers Corner Quartetのメンバーは、MFドゥームなどを愛する一方でザキール・フセインやオリヴィエ・メシアンをフェイヴァリットに挙げる学究肌の音楽家であり、ときにはプレイヤーの枠を越えてプロデューサー/エンジニアとしても活躍している。つまり、単なるプレイヤー集団という言葉ではくくれない“音楽家/実験家集団”というのがその本質なのではないだろうか。そう考えていくと、今回のアルバムはその“実験”を切り取ったものと受け取れると同時に、ここで聴ける音楽はあくまでその一側面にすぎないのでは…とも思えるのだ。彼らの次なる実験と、“さらに境界を超えた(Further Out Than The Edge)”サウンドを聴けるのを引き続き楽しみにしたい。(吸い雲)