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カイリー・ミノーグがディスコに拘り続ける理由

26 December 2020 | By Kei Sugiyama

Doja Cat「Say So」やBTS「Dynamite」の全米1位が示すように今年もディスコは潮流の一つだった。さらに、デュア・リパやウィークエンドなど80年代のサウンドを取り込んだ楽曲も話題を集めた。そんな中リリースされた本作『DISCO』は、カイリー・ミノーグのキャリア・ハイとなった『Fever』(2001年)から続いてきた、この20年間におけるディスコ復権の震源地としての彼女の功績を見直すという意味で重要な作品だ。

88年のデビュー直後は人気を博したカイリーだが90年代に入ると人気に陰りが見え始める。それは当時彼女に対して持たれていた、80年代のマドンナを模したような楽曲や80年代の青春モノ映画を取り込んだようなMVなどのイメージがムーブメントが切り替わったとき足枷となったからだろう。そんな彼女だがハウスを取り込んだディスコの形を提示した『Fever』により再ブレイクを果たす。ここで彼女が提示したサウンドは、現在のディスコ・ポップの雛形とも言える。

本作は、タイトルが示すようにほとんどの楽曲がストレートなディスコであるため、基本的には『Fever』で示したサウンドを2020年型にアップデートしたものだ。本作の肝となるのは70年代後半~80年代にかけてのディスコ期を思い起こさせるワードや楽曲が参照点として出てくることで、それはディスコを参照点としたダフト・パンクやカルヴィン・ハリス、マーク・ロンソンなどが『Fever』以降にリリースしたヒット曲の流れにも共通している点が興味深い。

「Monday Blues」は、カントリー色を打ち出した前作『Golden』(2018年)の流れも感じさせるが、歌詞にはディスコ界を代表するグループであるアース・ウィンド・アンド・ファイアーの名前が登場し、コロナ禍でも続く日常とパーティーの喪失が曜日を使うことで浮き彫りにするかのよう(タイトルはイアン・カーティスが亡くなったことを歌ったニュー・オーダー「Blue Monday」(1983年)を彷彿とさせる)。また「I Love It」では、音楽を介して見ず知らずの人々が集まって楽しむ光景が浮かぶライオネル・リッチー「All Night Long(All Night)」(1983年)の歌詞を参照点としており、本作のリリース時に彼女が行なったライヴ配信には、デジタルを通じてこうしたディスコの場を創出するような意図もあったのではないかと感じさせる。さらに「Where Does the DJ Go?」の生活が変化しても自分を持って強く生きることへの賛歌となっている歌詞は、グローリア・ゲイナー「I Will Survive」(1978年)を参照点にしているし、伝説のディスコ・クラブであるスタジオ54にも言及する「Dance Floor Darling」は自己表現を鼓舞する楽曲になっている。そしてラストには弱音も含めリスナーの全てを無条件に全肯定するかのような「Celebrate You」。アルバムを聴き終えると、冒頭「Magic」での”あなたは魔法を信じれるか”という問いかけは、悲観論に取り込まれて自分を喪失するのではなく人生の主導権を取り戻さないかという問いかけに変わる。

デビュー時にはマドンナなどを参照点としていたこと、00年代はハウスを取り込んでキャリアハイになったことは前述したが、彼女は「Word Is Out」(1991年)ではニュー・ジャック・スウィングを、「Into the Blue」(2014年)ではEDMを参照点にするなど、その時々の流行を取り入れてきた。この目線で考えると「Step Me from Falling」(2018年)などのカントリーを取り込んだダンス・ポップもAvicii「Wake Me Up」(2013年)以降に対するカイリー・ミノーグ的な解答と捉えられるし、そうしたキャリアを歩んできた彼女だけに、ここ数年間、カーリー・レイ・ジェプセンやリゾなど全米で80年代ディスコを参照点としたポップ・ヒットが生まれる中で本作『DISCO』が制作されたのは必然である。つまり彼女は、ディスコという言葉を音楽のスタイルとしてだけではなく、その時々の多くの人々が音楽を共有する場所という広義の意味合いで捉えてきたのだ。

(筆者注:この曲の作曲に関わっているブラッド・オレンジことデヴ・ハインズとアリエル・レヒトシェイドの2人はカイリー・ミノーグ作品にも関わっている。)

しかし、それだけではない。なぜなら彼女はこの80年代ディスコが再考される中で大きな役割を果たしてきたからだ。『Fever』をリリースした当時、彼女は故郷でもある豪州の若手バンドであったガーリング「G-House Project」(2001年)に客演し、その後豪州を中心とするオセアニア圏ではモジュラー・レコーディングスをはじめ若手バンドによる80年代ディスコの再考の流れが加速。この曲はその先鞭をつける作品のひとつだったのだ。また、この80年代ディスコの再考の流れはロンドンに移住したレディホーク、カーリー・レイ・ジェプセンに楽曲提供することになるブラッド・オレンジのヒットなどにより大きなムーブメントとなっていくが、その過程でもカイリー・ミノーグはブラッド・オレンジが作曲に参加した「Crystalize」(2014年)をリリースするなど80年代リバイバルの火付け役として、またはリビング・レジェンドとして関わってきた。こうして見ていくと、本作は80年後半に出てきた当時のスターが現在の流行りに乗っかった作品ではなく、彼女のここ20年間の積み重ねの上に作られた作品であると言え、本作が40年前のディスコ全盛期をただ模倣したモノではなく、現在の視点や人との関わりの中から作られた音楽であることを示している。

彼女は元々ディスコ・アルバムを構想していたそうだが、コロナ禍により良くも悪くも格差や人種など政治的問題が世界各地で噴出した2020年にあえてここまで衒いのないディスコを押し出すことになったのは、“最高のディスコ・ソングは、強さのミッション・ステートメントみたいなもの”という彼女の言葉に表れている。70年代後半~80年代にかけてのディスコを参照点とすることは、コロナ禍におけるパーティーがなくなったとのへのノスタルジックな対比だけでなく、ディスコの歴史が繋いできた居場所のない人ための居場所の提供を示していると考えられる。彼女がずっとディスコに拘り続ける理由がここにあるのではないだろうか。(杉山慧)

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