ヘッドフォンで聴かないと「音楽を聴いたことにならない」絶望感について
iPhoneをカーステに繋げて聴いていたが、AirPods MaxとMacBook Proに切り替えて、ブライトン出身のポストロック・バンド=スクイッドの『Cowards』を改めて聴き直している。あとでプレイボーイ・カーティの『MUSIC』もそうしようと思っている。気づいたのだが、近年のinstant classicと見なされる多くのレコードの音響は、カーステレオで聴くことを前提に設計されていない。残念ながら。
スクイッド「Crispy Skin」のいくつかのパートで聴かれる、人の声をコラージュしたようなノイズを、今この原稿を書き始めたタイミングで初めて聴いた。冗談ではない。ヘッドフォンで音楽を聴いているあなたは、わたしが聴いていなかった音を聴き取っていた。わたしはあなたが聴いていた音を聴かずに、このレコードを聴いていた。もちろん、単に聴き流していたものもあるだろうが。
メンバーのルイス・ボアレスが《Qetic》のインタヴューで答えたように、本作『Cowards』は「これまでで一番空間の広さを感じる」レコードである。つまり聴き手はその空間を頭の中に広げられる機器=ヘッドフォンを使わなければ、このレコードを正確に聴き取ったことにはならない。『Cowards』に収められた音の中で、わたしがヘッドフォンを使うことで初めて聴き取ることのできた音を挙げてみる。
・「Crispy Skin」のイントロに現れるテープコラージュされた声。
・「Building 650」のイントロのラジオノイズ、ヴァースで鳴る開放弦のリズムギターとトム・ヨークのようなファルセット。
・「Fieldworks I」のアウトロのトーン・クラスター。
・「Fieldworks II」のコーラスの金属的で不協和な電子音。
・「Cro-Magnon Man」のコーラスで細かく切り刻まれたギターの単音。
・「Cowards」のアウトロの雨音のようなパーカッション。
・「Showtime!」の曲後半のヴァースで金切り声をあげながら上昇するギター。
これらの音を列挙することに、読者諸兄姉の興を削ぐ意図はない。だって、これらの音は「いつだって聴くことができる」のだから。余談だが、こうして上に書き連ねるだけで、わたしは45分(このレコードの再生時間)以上の時間を費やしている。この原稿をあなたは3分で読み切ることができるというのに。音楽を聴くことと、文章を書くことの非効率さを実感する(《Pitchfork》でLISAのアルバムに5.2点をつけて炎上し、「私は自分のアルバムレビューに、LISA がアルバム制作にかけた時間よりも多くの時間を費やした」とポストしたライターのJoshua Minsoo Kim氏にメンションしながら)。
しかし、こうして見てみると、適切に選択された聴取環境でないと音楽の構成要素を正確に捉えることができないスクイッドの音楽を、今なお「パンク/ポストパンク」と見なすのはやはり誤りであると言えるだろう。かつてライヴの熱量をパッケージした『Bright Green Field』も今は昔。上でルイスの発言を引用したように、音楽を多次元的にデザインするようになったスクイッドというバンドの手つきは、ジョン・マッケンタイアをエンジニアに迎えるようになった前作『O Monolith』以降、さらに先鋭化したものになっている。3作目『Cowards』をもって、ポストロック/エクスペリメンタル・バンド=スクイッドが完成されたのだと思う。
また、わたしは音楽を「うるさいかおとなしいか」、あるいは「複雑か単調か」のチャネルでしか聴いていないことに気がついた。そしてこのアルバムで特に気に入った楽曲(「Crispy Skin」、「Building 650」、「Cro-Magnon Man」、「Showtime!」)が、どれも「うるさくて複雑」なタイプの楽曲であることにも気づく。
「うるさくて複雑」な音楽は、それだけ音の要素が多いため、聴取環境や聴取回数によって新たな気づき(聴き取ったことのない音を聴き取ることができた、など)が得やすい。これは、明確に一音一音に耳を傾けることを前提にしたASMRやビートボックス(ゼロ年代エレクトロニカやアンビエントにも同様のことが言える)とは大いに異なる。単一のテクスチャに特化することで快楽性を自明化させるASMRとは対照的に、スクイッド『Cowards』は重層的に要素をコラージュすることで快楽性を隠蔽する表現であると言える(もちろん、これはASMRやビートボックスへの批判を意味しない)。
そしてもったいないことに、本作『Cowards』のようにヘッドフォンで聴かれなかったために、それに没頭されることのないまま見過ごされているレコードが、今も無数に存在するという現実がある。田中宗一郎が教えてくれたように、「何かと何かが出会うには、時間がかかる。だが、逆に言えば、必ずどこかに君と出会うべき『何か』は、『今も、そこに、いる』のだ」。
最後に、カーステで聴いても走行音にスポイルされることのない、ドライブに適した今年のアルバムを紹介しよう。JENNIEの『Ruby』だ。と、ここまで書いてJENNIEの『Ruby』をヘッドフォンで再生し、ぶっ飛ばされている。(髙橋翔哉)
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