Review

Shabason & Krgovich: At Scaramouche + Philadelphia

2022 / Idee Fixe / 7 e.p.
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コクーン=繭から外へ

28 November 2022 | By Fumito Hashiguchi

2018年3月11日に京都の《UrBANGUILD》でニコラス・ケルゴヴィッチのライヴを観た。長身の彼が一人でステージに立ち、小さなキーボードを弾きながら静かに歌う姿は目の前のことでありながら、どこか遠くで起きているアイソレートされた現象のようでもあって、その孤独感と親密さが混ざり合った独特の静謐な時間は強く印象に残るものだった。

2020年の秋にジョセフ・シャバソン、ニコラス・ケルゴヴィッチ、クリス・ハリスの連名で発表された『Philadelphia』を聴いたときに、あの日の感覚を再び思い出した。シンセやピアノのクリアでスムースな音色、奥行きのあるミックス、スローなテンポとなだらかなメロディ、自身に向けてささやいているような歌声。それらはまるでブルー・ナイルやトーク・トーク、プリファブ・スプラウトらの音楽がアンビエントの海やニューエイジのプールに半身浸っているかのようであった。そしてただひたすら日常の光景の描写に特化したような歌詞と直接的には語られずとも全編に渡って漂うように存在しているメランコリアとノスタルジア。これらの要素はリリース時のコロナ禍とそれに伴うロックダウン、ステイホームなどによって引き起こされた世界的なムードと図らずも大いにリンクするものだった。ある種の音楽や音像を語る際に密室という言葉が使われることがあるが、あの頃の自分にとって、この音楽は密室というよりもコクーン=繭として機能した。

2021年11月から2022年1月にかけて制作された本作『At Scaramouche』は、そういった内容の前作とほぼ同じ体制で作られた続編的作品である。録音やミックスも含めた全体のサウンドメイクは、このところ充実作を重ねているサックス奏者シャバソンの主導によるもの。前作との連動性を感じさせつつ、わかりやすい変化も見て取れる。メランコリックな要素は揮発の途中であるかのように薄まり、躍動感のあるリズムや演奏が顔を出してきている。コーラスやギター・ソロ、ヴィブラフォンの印象的な音色は楽曲の光量や彩度を上げることに大きく貢献している。ケルゴヴィッチによる歌詞は前作に続き日常のありふれた光景や事柄に触れていきながら、詩情を立ち上がらせていく素晴らしいもので、その視点は歌人や俳人のようでもある。自身を取り囲む風景や日常の出来事への意識や眼差しという意味で歌詞自体がアンビエント的だとも言えるかもしれない。目に写るものとそれから喚起されるものとの間に適切な距離感を保ち、何かに耽溺し過ぎることなく、風景の細部と自身の感情を同じ扱いで一つ一つ描写していく。ややもすれば習慣と怠惰でできているだけのように思われがちな日常を自身の心情や感情の息づく場所として肯定的に捉えている。前作と比べてもそういった印象をより強く感じさせる。

前作は最後に「僕は 学びつつあるから 前に 進んでいるから」と歌われて終わる。メランコリックであることが救いとして機能した季節は過ぎ、コクーンから外へと出ようとしているのが本作なのかもしれない。「In The Middle Of The Day」の中に「『ロック・アラウンド・ザ・クロック』の虜に」という一節がある。当然ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの1954年の楽曲を指すのだろうが、同時期の彼らの曲に「リズムとブルーズという名の2匹の犬」と何度も繰り返し歌われる「Two Hound Dogs」がある。この曲を引き合いに出して言うなら、本作における2匹の犬の名はケルゴヴィッチと実際に暮らしていて(いた)曲中にも現れる「シェリー」と「サリー」であって、もはや「メランコリア」と「ノスタルジア」ではないのだ。(橋口史人)

※歌詞はCDブックレットより(対訳:斉藤暁生)
※ここでは『At Scaramouche』『Philadelphia』の2イン1CDを紹介しています

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