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「You Are My Sunshine」90年の歴史
第一章
You Are My Sunshineとレイ・チャールズ

28 April 2023 | By Kei Sugiyama

今回の調査において“You Are My Sunshine”と歌う最も古い楽曲は、ジミー・デイヴィスの著作とクレジットされている「You Are My Sunshine」(以下、「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)と表記する)だ。しかし、三井徹の研究[*1] によると実際にジミー・デイヴィスが書いたかどうかは疑わしい。ジミー・デイヴィス歌唱の「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)がリリースされたのは1940年。その前年1939年にPine Ridge BoysとRice Brothers Gangがこの楽曲をリリースしているが、そこにジミー・デイヴィスのクレジットはなかったからだ。彼はこの曲ではないが、1930年代後半頃から楽曲の版権譲渡の書類が見つかっており、当時から音楽著作権に対して精通していたことが伺える。そのためクレジットがないということは、この時点で彼がこの楽曲の著作権を持っていなかったということだろう。Pine Ridge Boysは作者の記載はないがアトランタのKGST局で出会った女性からこの楽曲をもらったと証言しており、Rice Brothers Gangはメンバーのポール・ライスの記載があった。ポール・ライスは妻の治療費のためにこの楽曲の著作権をジミー・デイヴィスに売ったと三井徹は結論付けている。ついでに記しておくと、ジミー・デイヴィスは1970年代には音楽出版社を3つ経営するほど楽曲を所有していたが、実際に彼がどれくらいの楽曲を書いたかは不明だとのことだ。

このように「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)は実際に誰が書いたかは不明だが、現在ジミー・デイヴィスが版権を持っていることは確かであり、現存の記録ではPine Ridge Boysが歌った1939年が最初のリリースとなっている。いまから約90年ほど前の楽曲となるが、現在も多くのカヴァーがリリースされており、誰もが一度は聞いたことがあるだろう。この曲の内容を簡潔にまとめるとこんな感じだ。

朝ベッドで目を覚ますと、もう隣には君がいない事を思い出し泣く。幸せだった過去の思い出を振り返る中で、あなたは私の太陽(You Are My Sunshine)だと歌う。思い出を振り返り恋しくなった主人公は、別れた恋人に対して、もし君が私と別れて他の人を好きになったら、あなたはいつか後悔するよと戻らぬ恋を引きずっているという歌だ。

この歌詞を見ているとちょっと怖いなと思うのが、この振り返りの感じから、相手からするとこの恋は別れた後のように思える。だが、“You Are My Sunshine”と歌う思い出の振り返りが現在系になっており、さらに最後の恋人に対する執着の一文が感情的に許せないという雰囲気を醸し出している。そんな主人公の引きずった感情を想像させる。ジミー・デイヴィスは自身の楽曲に対して「私の歌はたいがい、女の子がいなくなって気が狂いそうになっている男のことをうたったものですよ」と三井徹のインタヴューに答えている。「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)もこの例に漏れず、まさにそうした楽曲と言えるだろう。彼はずっと歌手活動をしていたが常に別の職も持っていた。彼はルイジアナ州知事など選挙によって選ばれる職を何度も経験しており、その選挙戦において彼は自分のテーマ・ソングとして「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)を何度も歌い当選している。この詳細については本稿とは話がそれてしまうため、三井徹著『ユー・アー・マイ・サンシャイン物語 アメリカ南部の音楽と政治』を参照されたし。

この曲から遡ること約10年。この曲の“You Are My Sunshine”の部分の元ネタとなるような楽曲を見つけた。それは、1928年にリリースされたマーク・フィッシャー「Everywhere You Go」だ。この曲は、あなたが行く所に太陽もついていくという歌詞で、あなたの存在が周りを明るく照らすという表現をしている。これは後のYAMS楽曲で多く使われる表現方法の一つである。この楽曲のこうした表現は、100年単位でも変わらず大衆文化の中で使われてきたフレーズであることが理解できるだろう。それだけでなく、海野弘著『ビーチと肉体:浜辺の文化史』(2001年)によると1920年代からカリフォルニアを中心として若者たちの恋愛に影響を与えるスポットとして浜辺(ビーチ)が機能してきた歴史がある。それは、ボディビルやサーフィン文化を生み出した。こうしたカルチャーが発展する中で太陽と恋愛が結び付けられ、You Are My Sunshineという言い回しが受け入れられていく土壌が作られていったのだろうとも考えられる。このようにYou Are My Sunshineという言い回しが定着していく背景には、カルチャーの変化が要因として考えられるが、この変化は後にザ・ビーチ・ボーイズを生み出したり、現代のヒップホップにおけるビーチ表現なども踏まえると、アメリカのポップ・ミュージック史において重要な起点の一つであると考えられるだろう。少し話が脱線するが、湘南の代名詞として出てきたサザンオールスターズも、こうしたビーチ・カルチャーの影響下にあると考えられる。そのフロントマンである桑田佳祐が「なぎさホテル」(2022年)で、あからさまな「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)オマージュをみせたのもこうしたカルチャーが地続きであることの証左と言えるのではないだろうか。

少し話が脱線してしまったが、再び20世紀半ばに話を戻す。ザ・ブラウンズ「Where Did the Sunshine Go?」(1959年)などオリジナルのYAMS楽曲もリリースはされているが、今回調べた限りにおいては、1960年頃までは基本的に「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)のカヴァーが大勢を占めておりリリース数もそこまで多くはなかった。「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)は1939年に初めてリリースされ、翌年にはジミー・デイヴィスが歌ったことは上述の通りだが、その後も歌うカウボーイとして映画俳優/ミュージシャンとして活躍したジーン・オートリー(1941年)や、こちらも歌手/俳優として活躍したビング・クロスビー(1941年)と人気俳優/ミュージシャンがカヴァーしていることから考えると、発売当初からこの曲が支持されていたことが伺える。その後も1955年には女優/歌手として活躍したドリス・デイなど、男女問わずカヴァーされてきた。本稿のテーマであるダニエル・シーザー「Best Part (feat. H.E.R.)」への流れを考える上での一つのポイントとなるのは、ナット・キング・コールから始まったと言えるかもしれない。アフリカンアメリカンとしては全国ネットワークで初となる冠番組『The Nat King Cole Show』が1956年から放映されるなどポップ・ミュージックにおいて大きな功績を残した彼も、Nat King Cole With Orchestra Conducted by Nelson Riddleという名義で、1955年に「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)をカヴァーしている。しかし、このカヴァーはビッグ・バンド・スタイルであり、こうしたスタイルはHarry Roy & His Orchestraによるカヴァー(1942年)などでも見られており、アレンジ面での目新しさはあまりなかった。

そうした認識を変化させたのが、1962年、レイ・チャールズによる「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)のカヴァーだ。本楽曲は、元々アルバム『Modern Sounds in Country and Western Music Volume Two』に収録される形でリリースされた。このアルバムは、タイトルからも分かるようにレイ・チャールズがカントリー/ウエスタンの楽曲をカヴァーする作品だ。この選曲の一つには上述したようにレイ・チャールズが最も影響を受けたと語るナット・キング・コールが歌っていたことも大きかったのかもしれない。リリースされるとこの曲は、R&Bチャート1位を獲得するなどヒットを記録した。翌年の1963年には、モータウンのヴォーカリストとして頭角を表してきたマーヴィン・ゲイがライヴ版としてこの曲のカヴァーをリリースするなど、ここからYAMS楽曲がR&Bにおいて目に見えて量産されていく事となる。

「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス)のカヴァーでは、あなたは後悔するだろうと相手を貶める表現の部分がカットされる事が多い。レイ・チャールズもその部分をカットしたビング・クロスビー歌唱版の歌詞を使用した。それだけでなく、このカヴァーはビッグ・バンド・スタイルだが、彼のソウルフルな歌い方であること。さらにソロ・パートで同じ分量を女性ヴォーカルが歌っている。このようなデュエットにすることで、ジミー・デイヴィスが意図的に表現していた自分の中で沸々と相手への憎悪を溜め込んでいく自己中心的で周りからみれば惨めな男像ではなく、終わった恋を悔み自分の非を認める男性像が立ち上がる歌となっている。このカヴァーのヒットはこうしたアレンジがあったことにより広く受け入れられたのだろうし、YAMS楽曲という型ができあがったという意味においてもエポックメイキングな楽曲だと言えるのではないだろうか。実はレイ・チャールズは、この『Modern Sounds in Country and Western Music』シリーズのVolume1でもジミー・デイヴィスが著作権を持っている楽曲を2曲カヴァーしている。一つはTed Daffanとジミー・デイヴィスの共作とクレジットされている「Worried Mind」。もう一つはフロイド・ティルマンとジミー・デイヴィスが共作とされている「It Makes No Difference Now」だ。後者の楽曲は、フロイド・ティルマンの回顧によると版権が更新された1966年に買い戻したとのことで、現在はフロイド・ティルマンの楽曲となっている。それを踏まえると、Ted Daffanがソロで1940年4月25日にリリースした「Worried Mind」もジミー・デイヴィスが書いたかどうかは分からない。(杉山慧)

[*1] 三井徹『ユー・アー・マイ・サンシャイン物語 アメリカ南部の音楽と政治』(1989年、薩摩書房)

筆者作成のプレイリスト
第一章 You Are My Sunshineとレイ・チャールズ

短期集中連載
「You Are My Sunshine」90年の歴史

第一章 You Are My Sunshineとレイ・チャールズ
第二章 You Are My Sunshineとモータウン
第三章 You Are My Sunshineとディスコ
第四章 You Are My Sunshineとヒップホップ
第五章 You Are My SunshineとR&B
第六章 You Are My Sunshineとゴスペル
第七章 ダニエル・シーザー「Best Part (feat.H.E.R.)」とその後
まとめ

「You Are My Sunshine」90年の歴史 扉ページ

Text By Kei Sugiyama

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