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ヴァレンタイン・デー特別企画
TURNスタッフ/ライターの選ぶ90年代のラヴ・ソング

Bonnie “Prince” Billy「I See A Darkness」

ラヴ・ソングが大好きです。それはわたしが真剣に“愛がすべて”だと考えているからなのですが、愛は往々にして独占欲や色欲や承認欲などドロリとした欲望と混ざりあっているものです。だからこそ愛の歌は多層的であり、理屈を超えてひとの胸に響くものだと思います。

ウィル・オールダムが1999年に発表した最高傑作のタイトル・トラックであり、のちにジョニー・キャッシュにカヴァーされたこの曲は、ヴァレンタイン・デーに聴く歌としては暗すぎるかもしれません。「わたしには暗闇が見える/わたしには暗闇が見える/わたしには暗闇が見える」。それでもここで歌われているのは、紛れもなく愛だとも感じるのです。深い孤独と絶望のなかで、すがるように友に救いを乞うゴシック・フォーク。それでも彼のなかで友愛は永遠に消えない灯であり、わたしたちが心にその光を持ち続ける限り、世界から希望が失われることはないと、そんな風に夢想してしまうのです。「わたしがあなたをどれほど愛しているか知っているだろうか?」。(木津毅)

Brandy「Always on My Mind」

90年代の作品で真っ先に思い出すのは、94年に発表されたブランディの『Brandy』だった。まだ彼女の歌詞に共感するほどでもない学生の時に、ブックオフで出会ったこのアルバムを深夜に聞いていた記憶がある。このアルバム自体が名曲揃いのR&B必聴盤で、インタールードまで聞き入ってしまう。ブランディの繊細で温もりのある歌声と、シアバターの甘い香りがするようなこの楽曲は、なによりヴォーカル・アレンジが素敵。ホイットニー・ヒューストンへの敬愛も散見される。深夜ラジオをつけたら流れていて欲しい、そういう一種の安心感があるサウンドだ。15歳という若さでこの作品をリリースしたこともあり、純粋な少女の恋心について綴られた歌詞が多く、初々しさが眩しい。後に輩出される多くのアーティストに影響を与えた作品を、この若さで作ってしまう才能にも脱帽。パートナーがいる方も、シングルの方も、ハッピー・ヴァレンタイン! (島岡奈央)

The Cure「Friday I’m In Love」

back numberを「君はきっと優しすぎて〜僕はきっとそれを望みすぎて〜」と歌っていた10代のころにくらべると、ずいぶんわたしも“君と僕”からなる個人主義から解放されたなあと思っていた。ところがいま現役最前線の女優、レイチェル・マクアダムスとマーゴット・ロビーが出ていた2013年のロマコメ映画『アバウト・タイム』でザ・キュアーの「Friday I’m In Love」が流れている時間の、あのこじれた自意識が整頓されていくような何物にも代えがたさ。結局にんげんは、恋愛という最大の不条理から逃れることはできないのか。君と僕の第三次世界大戦は、より観念的なテーゼへ顔かたちを変え眼前に立ちはだかり続けるのか。ただし、キャリアをつうじて人間関係のひずみや不条理を歌いつづけてきたロバート・スミスは、ここでは星野源の「SUN」ばりに、執着的なまでに恋愛の明るい側面に焦点をあてようとしている。「みんな、俺たちが何か“憂鬱ムーヴメント”のリーダーであるべきだと思ってる。でも暗い曲なんて一日中だって書けるさ。ただ、そんなことをしても意味があるとは思えないんだ」。ザ・キュアーがバンド自身のブライト/ダークな両側面をほぼはじめて両立させた傑作『Wish』は、かれらをようやくポップ・バンドたらしめた。このポップネスは繰り返しおそってくる悲劇的結末を知った者だけがたどり着く、反動としての祝福だ。ポップに幸あれ。みなに幸あれ。型遅れ(バック・ナンバー)な僕たちも幸福と願いの使者となろう。だって金曜日、あしたはヴァレンタインだから。(髙橋翔哉)

Hi-Five「Unconditional Love」

「どんな高い山だって、どんな深い海だって、砂漠だって、君の愛のためなら越えてゆく」と、狂おしいまでの愛が歌われるアカペラで始まるこの曲。故トニー・トンプソンは“古い男”として恥ずかしげもなく無償の愛を口にするが、伸びやかながらも細めの声のおかげか、重すぎず何度でも聴けてしまう。サード・アルバム『Faithful』(1993年)のリード・シングルだが、映画『ポケットいっぱいの涙』(原題:Menace II Society、1993年)のサントラ盤『Menace II Society (The Original Motion Picture Soundtrack)』(1993年)収録曲として先に知られた(サントラにありがちな、1曲だけやたらメロウなやつがこの曲だ)。映画の結末は知ってのとおりだが、ケインとロニーの間にあった愛もこの曲で歌われる類のものだったのだろうかと想像するとなんとも切ない。(奧田翔)

Hole「Boys On The Radio」

Holeを知ったのは、当時中継された『MTV Video Music Award(VMA)』を見ていた時だった。1995年の『VMA』はマイケル・ジャクソンのライヴ・パフォーマンスもあったし、TLCが賞を獲りまくっていて「アメリカすごい!」とテレビに夢中だった。が、R.E.M.のライヴ後に登場したHoleの衝撃は今も忘れない。薄いピンクのスリップ・ドレスにギターを抱え、しゃがれた声で叫びまくるコートニー・ラヴ。幸運なことに10代の自分の初めて見る女性像として焼き付いた。だからなのか『Celebrity Skin』の「Boys On The Radio」や「Awful」の歌詞に一際可憐さを見つけたのかもしれない。夏の夜、天国に去った男の声がラジオから流れるラヴ・ソング。ファンとアーティストの関係を歌ってると、コートニーはカート説を否定する。女性シンガー・ソングライターとして過小評価されたコートニーの曲の中で最も好きな曲。(吉澤奈々)

□□□「00:00:00」

学生のころに出会ってから、もう何度聴いたかわからない。誰かのことを想う感情は、一秒で電撃のように体を貫くこともあれば、一世紀の時を超えて届くこともある。そして、永遠と思っていた感情の繋がりも、ふとしたきっかけで瓦解する。そのような刹那と永続が表裏一体となった想いのかたちを、楽曲タイトルの通り、“時間”というテーマをもってこの曲は表現する。時報のカウントダウン音と自動音声を象徴的にループさせ、一秒、一分、一時間……と時間の経過とともに揺らぐ想いを語り、異なる場所にいながらも繋がる想いのありようを時差の存在から掘り起こす。時間と空間を高速移動するような感覚に陥るエクスペリメンタル・ポップのなか、「今夜/どうか/どうか」と、その部分だけ自分の目の前から届くように聴こえる歌は、いつ聴いてもロマンチックに響く。2010年代に文化的スノビズムにまみれた学生生活を送っていたら、この歌にいろいろな想い出があるひともきっといるはず。(尾野泰幸)

※□□□「00:00:00」のリリース年は2009年でした。90年代という企画主旨には該当しませんがお詫びのうえ、掲載させていただきます。

Matthew Sweet「Girlfriend」

ロバート・クワインの激しいギター・ソロが行き場のない情念を引き寄せるイントロからすぐさま聞こえてくる迷いのない「I wanna love somebody」。とにかく愛する誰かが欲しい。それはもしかすると身勝手な感情の発露でしかないかもしれない。愛してくれなくてもいい、自分が愛したいんだから。重い? ストーカー? いや、違うだろう。だって、本来愛とはそういうものだから。1日で終わった愛だって50年続いた愛だって、誰かを愛すること以上に尊いことなどこの世にない。当時、どん底にいたマシュー・スウィートが必死で手を伸ばして掴んだ「あなたを自由になんてさせないくらい愛していたい」は、“趣味は恋愛”なんてふざけていた20代の頃以上に、遥かに今の方が愛の本質を私に突きつけてくる。“だからあなたも愛して”じゃなく“ずっと愛していればそれでいい”として。そもそもSweetでGirlfriendってだけでもうどうしようもなくセンチメンタルなんだけど。(岡村詩野)

SWV「Weak」

マッチング・アプリ、恋愛リアリティー・ショー、位置共有アプリ……周りを見渡してみると、取り巻く状況は昔と大きく変わったが、どうやらそれらの中心にある恋愛の魅力は変わっていないようだ。すなわち、冷笑がどうのこうのと頻繁に呟かれるこんな時代でも人は恋をするってこと。恋なんて、めちゃくちゃ恥ずかしいことばっかりなのに! そんな風に考えると、恋とは現代において最も手軽な革命なのかもしれない。「人間は恋と革命のために生まれてきた」と太宰は『斜陽』の中で綴っていたし、“erection”と“election”は一文字違いだしね。でもって、革命にBGMが必要なように、恋にもBGMが必要なわけだから、とびきりスロウでスウィートなやつをDJにリクエストしよう。ゆっくり揺れながら甘い言葉を囁いて。イタズラな視線と手つきで焦らしちゃって。「あなたのせいだよ」と「君のせいさ」がマニフェスト。恋に清き一票を! (高久大輝)

TOWA TEI「LUV CONNECTION」

「恋をしよう」と言われると恋をしたくなくなる天邪鬼な人間に効力をもたらすラヴ・ソングは、言葉に先立ったムードを提供するものであり、もし自分が生まれる前の時代の曲からそれを選ぶとするならば、とびっきり都会的で浮ついた豪奢なものにならざるを得ない。そうしたロマンが今も渋谷系的な表現に後輩世代を引き付けいてるのだと思う。彼らは恋が奢侈品であることを正しく理解していた。そして「LUV CONNECTION」の、ややもするとH&MのBGMとしてしか聞いたことのないスムースなハウスが、オリジナルの汗を纏って煌めく様に、恋焦がれるような羨望の眼差しを向けるのだ。僕らはKOJI 1200(今田耕司)のように、キックの箱庭に守られた時代に野暮ったく語りかけることしかできない。(風間一慶)

Weezer「Across The Sea」

日本に住む18歳の女の子から送られてきたファンレターに耽溺し、手紙の匂いを嗅いだり、舐めたり、良からぬ妄想に耽ったりするというアンチモラルな内容だ。日本人の我々は田山花袋『蒲団』を連想せずにはいられない。リヴァース・クオモは“キモい”の誹りを甘受する覚悟で書いていると思われる。オリエンタリズムにも自覚的だったからこそ、2作目のタイトルを日本を舞台にしたプッチーニのオペラ『蝶々夫人』から持ってきたのだろう。

恋愛はときに人を無様で惨めにする。そもそも恋愛はアンチモラルかつアンチソーシャルなもので、狂気の側にあり、きらきらしていないし、手放しで祝福されるような代物ではない。恋は人を“キモく”する。恋愛は業の深い営みだ。私たちが恋愛の業を背負えるのは、モラルを宙吊りにする創作物が世界に存在するからではないか。じとじとした“キモい”内容も、キュートなメロディで歌われると、きらきらと輝き出すから音楽って不思議。「I’ve got your letter, you’ve got my song」というフックの愛おしさといったらない。(鳥居真道)

井上陽水「ライバル」

90年代をティーネイジャーとして過ごした自分にとって、その時代のラヴ・ソングはトレンディドラマと深く結びついている。たとえば、藤井フミヤの「TRUE LOVE」(『あすなろ白書』)とか、久保田利伸の「LA・LA・LA LOVE SONG」(『ロングバケーション』)とか、えー、あとはチャゲアスの「SAY YES」(『101回目のプロポーズ』)とか。それらは、まだまともな恋だの愛だのを知らないガキに恋愛至上主義を叩き込んだわけだ。まさに良くも悪くも。また、ミスチルは、泣きながら女を口説く男の歌を絶唱した(私観なのであまり真に受けないでくださいね)。で、井上陽水というのは、そうしたトレンディドラマ的恋愛観や泣きながら女を口説く男のカタルシスとは別の次元での恋や愛があることを教えてくれた。いろいろあるなかから、いまあえて選ぶとすれば、「ライバル」か。これを井上陽水なりのフェミニズムのあらわれとか、そうしたこじつけを言う気はない。とにかくこの曲を聴いて、大人の世界は、子供の想像が及びもつかない不条理や、性愛の駆け引きや、しのぎ合いがあるのだろうなと妄想をふくらませたのだ。ただそれだけの話である。(二木信)

Text By Sho OkudaShoya TakahashiNana YoshizawaIkkei KazamaMasamichi ToriiNao ShimaokaShin FutatsugiTsuyoshi KizuShino OkamuraDaiki TakakuYasuyuki Ono

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