曽我部恵一 ロング・インタヴュー
「ちょっとずつ難しい問題が解けるようになっていくみたいなことはできていない。でもそういうことをクソくらえみたいにどっかで思っちゃっている」
この夏、曽我部恵一はソロ・アルバム『パイナップル・ロック』、サニーデイ・サービス『サニービート』を立て続けにリリースした。いずれも新作で、サニーデイ・サービスのアルバムに至ってはライヴで訪れていた中国で、唐突に録音した曲も含まれているという。もちろん、その合間合間に曽我部はギター片手に日本全国を歌い歩いている。この情熱、フットワークの軽さは10代の若手も足元に及ばない。ファースト・アルバム『若者たち』から早30年が経ち、再結成からも17年が経過した。現在の曽我部恵一、田中貴、大工原幹雄のラインナップになってからも既に5年。絶好調のバンドの中で何が起こっているのか? そこで今回から3回に分けてサニーデイ・サービスの記事を公開する。初回は曽我部恵一のロング・インタヴュー。軽妙な語り口の中に秘められた“捨て去ることは若くあること”をぜひ感じ取ってもらいたい。(編集部)
世界はどうしちゃったんだろうね?
AIが道徳を書き換えて、チャットボットが知性を奪う。橙色のメガネをかけた兵士は「お前はどっちの日本人だ?」と問いかけてくる。米は値上がり、瓦礫の街では子供が飢えている。たぶんあの曲がり角の向こうでは、戦車が潜んでいる。
サニーデイ・サービスが2017年にリリースした『Popcorn Ballads』で描いたディストピアSFの舞台に、人類はあっという間に到達してしまった。
世界はどうしちゃったんだろうね?
もう一度つぶやいて、気温が異常に上がりすぎた夏の空を見上げる。たぶん何億年も前から変わらない色。何も遮るものもなく、誰も買い占められない、唯一の場所。まだ空は空のままだ。じゃあロックンロールはどうだろう。まだ自由のまま?
2025年7月にリリースされたサニーデイ・サービスの最新作『サニービート』。再生ボタンを押すと飛び込む逆回転のシンバルが、私たちを白い雲の向こうへ連れ去っていく。そこには恋とレモネードと麻婆豆腐。つまり嘘も打算も入り込むことのないものだけでできた世界が広がっている。
このインタヴューの中で曽我部恵一は、この通算15作目のオリジナル・アルバムを「普通のことを普通にやりきっただけ」と何度も強調し、その純粋さに分析や批評、虚飾が入り込むことを拒んだ。しかしそれでもあえて言いたい。漂流する社会の中で、誰しもが邪な不安に絡め取られていく中で、ここで鳴らされる「普通」はあまりにも眩しい。
名作『若者たち』から30年。再結成から17年。そして現在の体制になって5年。なぜサニーデイ・サービスは、昨日よりも若く、青く、「普通の」ロックンロールを鳴らすことができるのか。「サニーデイはもう解散させてもいい」という言葉の裏側にある、奇跡にも似た何か。その一端を感じ取ってほしい。
(インタヴュー・文/ドリーミー刑事 撮影/三瓶康友)
Interview with Keiichi Sokabe
◼️制作と曲作り◼️
──最新作『サニービート』は『パイナップル・ロック』とリリース時期がほぼ重なっていますが、これは偶然ですか?
曽我部恵一(以下、S):たまたま同じ時期になっちゃいましたね。制作時期はサニーデイの方が全然早かったんですけどね。もう2年ぐらい前からスタートしてたんで。ただ、途中どうしてもまとまらないから1回お休みして、ソロに移行して。だからサニーデイで録音してうまくいかなかった曲とかをソロで録ってみたりして。
──そうなんですね。
S:例えば「虫になった」とかはもともとサニーデイのアルバムのレコーディングで作ったんですけど。それをもう一回別のメンバーでやってみるとわりと良かったりとかして。
──曽我部さんが曲を作っている段階では、ソロ用、サニーデイ用って分けているんですか?
S:作ってる時は分けていないです。あんまりそういう風には考えてなくて。曲ができてからですかね、「これはサニーデイに合うかも」とか考えるのは。基本的にはあんまり考えずに作っちゃう。
──昔のインタヴューでは「歌詞が先にできるのがほとんど」とおっしゃっていましたけど、それは変わらない?
S:いや、ほとんどってこともなくて。6割か、半分ぐらいかな。メロディーだけを作っちゃうみたいなことはほぼなくて、それは1割もないくらい。歌詞とメロディーが同時とか、キーワードだけとメロディーが一緒になるとか。詩だけバーって書いて、そこにメロディーを当てはめるっていうのはあるんですけど。
──『パイナップル・ロック』は32曲入りで、かなり作り込まれた大作じゃないですか。
S:そうっすね。弾き語りみたいな感じじゃない。
──レーベル・オーナーの曽我部さんとして、それだけ手間とコストをかけた大作ならば、サニーデイと間を開けて出そうみたいな発想はなかったんですか?
S:サニーデイのアルバムがね、急にばばばってまとまっちゃったんですよ。夏っぽいアルバムだったし、ディレクターの渡邊(文武)さんが「これは夏休み中に出したい」とか言って。本当は夏休みの初めぐらいがいいとかも言ってたんだけど、最後にもう一曲、中国ツアーの間に録ったりしたこともあって、7月の後半になったんですけど。だからね、本当はあんまり近いのは良くないんですよ。どちらの作品の話題もフェイドアウトしていくし。良くないよねっていうのは重々承知なんですけど、しゃあない。でも例えば10年後とかに、一緒のタイミングに出たなんてことは別に誰も気にしないし。まあいいかって。
──どちらも20年、30年先も残る作品ですからね。
S:いやいやいや、ほんとにわかんないから。それは。
──『サニービート』を聴いて最初に感じたことはとにかく「眩しくて若い」ということです。詩人として、若者の目線、それも『若者たち』とか『いいね!』の主人公たちよりももっと若い、少年の目線をもう獲得している。
S:ああそうですか。ほうほうほうほう。
──まだ愛なんて知らない、恋をしてるか知らないかぐらいの男の子っていうのが何度も作品の中に現れる感じがする。そういう世界を描きたいんだという思いはありましたか?
S:あんまりコンセプチュアルなことはなかったんです。自分がやりたいものが今そういうものじゃないなって。ややこしいのは、ちょっとめんどくさい。例えば1曲目の「青空であること」なら、青空の日に、自分がいる。ただそれだけ。別に意味を持たせるわけでもなく、ロックンロールとして描ければいいなっていうだけ。なんかそこに伝えたいことだったり、裏の意味だったり、そういうのはもう何にもないっていうか。ただ青空で、自分がいるっていう、それって気持ちいいよねとかっていう、それだけ。
──それは誰にでもある、どこにでもある瞬間ですか。
S:うん。どこにでもあるんじゃないですかね。どこにでもあるし、それは人それぞれで気持ちが違うとは思いますけど、自分にとってフィットする言葉でそれを描くって感じ。ほんとに多分それだけ。うん、ただそれだけです。「麻婆思考」とかも、麻婆豆腐作ってる時の楽しさとか、誰かに食べさせる楽しさとか、うん、ワクワクする気持ちを書いてるだけ。
──でも最後は「宇宙には叡智がある」ってところまで一気に飛びますよね。
S:あの曲は、ちょっとエロいこととダブらせてるっていうかね。叡智はエッチみたいな。俺の中では。
──ああ! でも前も「上海レストラン」って言葉が出てきましたよね。中華料理には独特の生命力みたいなのがあります。
S:確かにね。料理はいいよね。料理は楽しいし、好きっすね。料理することって結構大事じゃないですか。肉とかを料理するのは、やっぱり生命を奪うこと、殺すことでもあるから、結構深いっすよね。
──確かに。
S:でもまあ、普通のことですよ。ほんとにごく普通のこと。ごく普通のことを、ごく普通に歌って、いいじゃん! っていうのがやりたいだけ。普通のことをかっこよく歌ったりするんじゃなくて、ごく普通のことをそのままごく普通に歌って、いいなっていうのが、僕はいいなって思うから。
──とはいえ、曽我部さんはソロではかなり社会的なメッセージをもった作品をリリースし続けているアーティストでもある。例えば「青空であること」で、「空腹」「めまい」「青空」という単語の並びに、ガザの景色を重ねているようなことはないですか。
S:そういうのはもう一切ないです。そういうことっていうのは、曲でこっそり言うことじゃなくって、自分がはっきりと意思を持って主張していくことだから。はっきりと戦争に反対する自分っていうのを持って生きていくことだから。ちょっとなんかメッセージを小出しにするようなことじゃない。それはもう自分の全てがそうなんだから。ラブソングをやるときも、自分はそういう立場に立ってラブソングを歌うということ。そのラブソングに戦争の悲惨さみたいなことがちょっと描かれている必要もない。いつも平和であってほしいっていう自分の思いを絶対に通って歌が出ているわけだから。歌の中にこっそり入れなくても大丈夫。本当に戦争のこととか、平和であることを歌いたいと思う時は、そういうことを歌ったらいいと思う。今回のアルバムでは具体的にそういうことを歌う必要はあんまり感じてなかったです。
──やっぱりじゃあ青空があって、そこに少年がいてという景色を……。
S:少年というか、おじさんでもいいですけどね。それが「青空であること」ですよ。だからね、このアルバムは書くことがないでしょ?
──そんなことないですよ!
S:いや、俺はそれでいいんだと思うんです。この作品は別に批評の取っかかりなんてないものであってほしい。言葉で説明できない何かであってほしい。
◼️完成まで2年かかった理由。捨てるということ◼️
──でもその「普通にいい」というところまでたどり着くまでに2年間かかったわけですよね。
S:ひたすら曲を作るだけなんですけどね。
──その普通にいいっていう瞬間がなかなか来ない?
S:なかなか来ない! 僕はもうだいぶ長いこと(音楽を)やっているからね。これが最初の作品の人だったらもうポンって終わっちゃうんでしょうけど、もう自分はたくさん曲を作ってるから。年老いてるし、知識もすごいいっぱいあるから、なかなかそういうところに行けないんですよ。なんかすぐ技で書いちゃうし。
──そういうことをこのアルバムでは全部綺麗に放り出した感じがあります。
S:だってめちゃくちゃ選んでますからね、そういう曲だけを。そうじゃない曲は全部ゴミ箱だから。ちゃんと録音はしてるんですよ。なんだったらダビングとかもちゃんとして、キーボードの人にも来てもらって完成してるわけですよ、ミックスダウンまでして。それをポイするっていう。
──『DANCE TO YOU』の頃にも、いったん録った曲を全部お蔵入りにしたという話がありましたよね。ファンの中ではそういう曲はどこに行ったんだ、という謎がありまして。
S:ねえ。
──アウトテイク集がいつか出るのか、みたいな。
S:いや出ない出ない。
──それはクオリティの問題じゃないんですよね?
S:そうっすねー。そこがすごく一番悩むところなんですよね。だからスタッフはね、入らなかった曲の方がいいって言うこともあるんですよね。もっと熟成された、ちゃんと構築されたものがあるから。(バンドとして)ステップを超えて、成長していく過程を踏まえた到達点っていう感じのものが何曲もあるんですね。
──ポップ・ミュージックとしてもっと完成されているもの?
S:ポップ・ミュージックかどうかは分かんないけど、自分たちが今までやってきたことの延長線上にあって、今の年齢とかキャリアをちゃんと活かしたものづくりができてるっていう曲がいっぱいある……と言うか、あったんですよ。でもそれを全部入れないことにしちゃってるから。よくわかんないよね。もちろんそういう曲の良さもすごいわかるんですけど、やっぱりそれは自分にとってあんま必要ないって思っちゃってるから……。そう、しょうがないですよね。いつか、いつかそれをまた作り直すかもしんないし。
──そのジャッジみたいなのが一番大変だったりとか。
S:いや、それは自分の心に聞くだけだから。これが必要かどうか、これがいいと思うかどうか。今の自分が。それだけですから、ジャッジは。
──迷わない?
S:うん。もう(レコーディング費用が)何100万かかっても関係ないです。
──その感覚が「曽我部さん、やべえな」って思うんですよ。
S:それがやっぱり物づくりの醍醐味ですよ。捨てる瞬間が。よくほら、陶芸家がバーンと割っちゃうシーンとかあるじゃないですか。あれですよ。
──あれですか。
S:あれですよ。あー!! って思うじゃないですか。
──あー!! って思いますよ。それを聴かせてください! って思いますもん。しかも曽我部さんは自分で金出してレコーディングしてるわけじゃないですか。
S:だからできることかもしれない。僕一人で決められるから。他の人に費用を出してもらってたら申し訳ないなとか思っちゃう。
──すごいっすね。
S:いや、すごくはないですけど。楽しいっすよ。ただただ楽しい。振り返るとね。作ってる時は結構苦しみももちろんあるんですけど。
──壊して壊して、最後に残ったものがこのアルバムということですね。
S:そう言われると、すごく研ぎ澄ましたものみたいに聞こえちゃうけど、そうではないんですよね。大名曲とかっていうんじゃなくて、むしろもうちょっと見落とされそうなものばかり選んだっていうか。でも、それはあまのじゃく的な選び方じゃなくって、自分にとってキラッと光る何かがあるものだけにしたってことなんですよ。力技でいいものを作ったとかっていうんじゃなくて。そんなのはどうでもよくてね。例えば、すごい女優さんがいて、素晴らしい人を感動させるような演技をしてくれたシーンとかじゃなくて、普通に名前のない女の子がさっと振り返って一瞬目があった瞬間の、なぜか忘れらんないような何かの方が重要だってこと。
──そのジャッジにリスナーとか、ファンはどう思うんだろう? みたいな要素は入りますか?
S:もちろんもちろん。まずは自分がリスナーだから、自分だったらこっちがいいなって考える。自分が一番目のファン代表として聞いてるから、他のファンの人もそうだろうって。ファンの人たちも、絶対ここで「大名曲できたぞ!」みたいなものよりは、こういう方がいいよねって思うだろうなって。もしくは、今は分からなくても絶対ずっと聴いてもらううちに好きになってもらえるとも思うし。でもまずはいいもの作ろうっていうのが一番思うことですね。
──ファンのことも頭にあるんですね。
S:うん。ファンの人たちのことをいつも考えてる。恥ずかしくないものを作ろうって。真剣勝負でもあるから、お客さんとの。八百長試合とかじゃなくって、いきなり1ラウンドのしょっぱなからもう攻めていくような試合をしたい。それをやることが絶対に自分の存在意義だから。やっぱ甘いことはしたくないなっていつも思ってるんですよ。もちろん全てが全てそういう結果になるわけではないんだけど、いつもそう思ってます。うん。
──今日のライヴ(9月5日 京都《MOJO》でのkiss the gamblerとのツーマン)もそうでしたね。
S:いつもそうありたいすけどね。いつもそうありたいっすよ、ほんとに。エンケンさん(遠藤賢司)とか見てると、やっぱいつもそうだったもん。
◼️まぶしさについて◼️
──話題が変わりますが、このアルバムのまぶしさっていうのは、親の目線もあるなと思ったんです。自分も高校生と中学生の子どもがいるんですけど、彼らを時々眩しく感じることがある。それとまったく同じ輝きが歌詞とメロディーに宿っていると思ったんですけど。
S:あるかもね。子供を持つとか、子供と過ごすってことは、もう一回そこから生き直すことでもあるから。もう一回子供の目を通して、14歳だったら14歳の世界をもう一回体験するっていうことでもあるから。それはあるかもしんないな、どっかに。今言われて思いました。
──そういう自分と曽我部さんの目線が重なるような瞬間があってグッとくるんですよ。
S:もちろん僕が自分の子供を見る目線っていうのもあるし、自分自身の子供時代を追体験するっていう部分もすごいあるんですよね。自分が子供の時に思ったことに対して歌っているというか。小学生の時に、クラスとか、学校とか、時代とか、要は他の世界に馴染めずに、なんか閉じこもっていく自分。そこに向かって歌うっていうか。で、自分の子供たちが、今は子供がそういうところにいるわけで、彼らに向かって歌うということでもあるし。もちろん自分の子供じゃなくても、いろんな子供たちの情報とかを見て、で、そこに向かって歌いたいっていう気持ちもあるし。
──なるほど。
S:16歳の時の自分ってどうだったかってことを忘れたわけじゃないからね。16歳とか12歳の自分がずっと自分の中にいて、彼らとずっと対話しながら生きているっていう感じはする。そのことを忘れそうになると、例えば(若い時に影響を受けた)林静一さんの作品を見て、「俺もこういうものを作りたい」って思っていた頃にググッと戻っていけるんですよね。
──若いバンドとか対バンのミュージシャンを見てそういう気持ちになってることありますか。
S:時々はありますね。フレッシュなものを感じたりする。でも対バンするときは、もう対決なんで、なんかそこにぶつかっていくって感じ。相手が元気がいいとこっちもよっしゃ! みたいになるんすよね。それはあんま若さとか関係ないんですけど、対バンの人が良ければいいほど燃えますよね。うん、それは本当に。
◼️シンプルなサウンド◼️
──前作の『DOKI DOKI』は今のメンバー3人でゼロから作る初めてのアルバムで、コロナ禍もあったし、ライヴ・バンドとしてのエネルギーが凝縮した作品だったと思うんです。今回はノスタルジーみたいなものを含めて、サニーデイはさりげない日常にいい光を当ててくれるバンドだったなってことを思い出しました。
S:本当ですか? どうなんだろ。あんまわかんない。『DOKI DOKI』は、今振り返るとサニーデイ・サービスの到達点というか、あそこまで行ったぞって感じのイメージを持ってます。今回はもう一回ゼロからという感じで作った。サウンドはとにかくかっこいいやつを、という感じで。それだけだったかな。
──「サマーギグ」とかちょっと洒脱な感じで、こういう感じが戻ってきたなという気がしたんですよね。
S:あれはシティポップな感じだね、自分の中では。最後の方でできたから、最初はもうちょっとなんかロックっぽいというか、バンドっぽさの方が強かったですかね。でもアルバムを作り終えて、ライヴで何曲か演奏してみる中で、もう次これだなみたいのがなんとなく見えてきたから。
──もう?
S:もう。今はそっちかなって感じですね。
──ちなみにそれはどんな感じなんですか。
S:なんかね、もっともっとシンプルで、もっとタイトで、もっと速い。うん。だからパンクだよね、パンク。パンク・ロックやりたいんだなって。
──『DOKI DOKI』からビート・パンクみたいな要素が出ていましたよね。昔のサニーデイだったら絶対やらなかった感じの。
S:昔はね、そういうのがいっぱいあったから、逆にちょっとなんか反抗してたんですよ。バンド・ブームに。
──そうですよね。サニーデイとは真逆の音が出てきたな、と。
S:なんか今は自分たちなりの、速いロックンロール。ギターのコードがシンプルで、普通のスリーコードとはちょっと違っていて、メロディーはすごい印象に残って、エイト・ビートで、みたいなものをやりたいかな……。でもそれって普通にパンクだよね(笑)。ニルヴァーナのセカンドみたいなことがやりたいんじゃないの? っていうことかもしんないけど。普通にそういうのがやりたいだけかも。
──2020年1月が最初のライヴだったから、今の3人になってちょうど5年ですよね。
S:そうですね。まだ5年しか経ってないのか。あんまやってる方としては変化しているかどうかは分からないっすね。バンドとしてはすごいまとまってきましたよ。だから、ちょっと今はもう一回方向性変えたいなと思ってて。バンドを解散して他のバンド名で再出発でもいいぐらい。同じメンバーでも。もうなんかそれくらいサニーデイ・サービスとしては、やりきったって感じがすごいあるから。次はまた新しいことやりたいなって感じで。
──パンクをやりたい?
S:パンクって言うのか分からないけど。なんかバッド・レリジョンの『Suffer』ってアルバムみたいな、ああいうのやりたいなって。もう全部エイト・ビート。それ以外何にもない、バンドの音がただそこで鳴ってる。エイト・ビートのロックが詰まったアルバム。ニルヴァーナのファーストとかセカンドとか、なんかそういうやつ。
──新しいモードが見えてるんですね。
S:バンドでこういうのやってるとき楽しいな、みたいなのが見えてきて。パンクっていう言葉でくくっちゃうとつまんないんすけど、バンドが楽しい瞬間っていうのがあるんですよ。難しいことを一生懸命やるっていうのももちろんいいんだけど、簡単にできることをやってて楽しいみたいなところだけでもいいかも、みたいな。
──へえ!
S:ビートルズとか、初期の曲ってもう簡単に演奏できて、メンバーみんなめっちゃ楽しかったと思うんすよ。でも『Rubber Soul』くらいに「これライヴでどうやってやるの?」みたいに多分なっていった。もちろん頑張って難しい作品を作ることにもすごい意味があったと思うんだけど、なんか初期の頃の曲とかやりたかっただろうなとは思うんですよ。僕もそういう、簡単なことで楽しいことあるかもっていうのは今見えてきて、わかる。
──『サニービート』よりもシンプルに?
S:『サニービート』もちょっと難しいことあるぞ、みたいな。次はもっと簡単なやつで、中学生がすぐコピーできるものぐらいにしたい。
──それはもうあらゆることをやり尽くしたっていうことの証左?
S:どうなんだろうな。高いギターとかも全部持つのやめようかなって。「なんか俺、めちゃくちゃ高価なもの持ってるな」みたいな気持ちになってて。ギターを手放すことはないけど、ステージで使うのは安いもんでいいかな。
──もうホワイトファルコンは使わない、みたいな。
S:ホワイトファルコンは使う(笑)。あれはあれでしか出ない音があるから。でもなんか象徴としてはもっとチープなものでいいかな。安物のギターで頑張っていい音出してて「安物でもかっこいいじゃん!」みたいなのがいい。こないだ息子がギター買うって言うから「フェンダーの廉価版のスクワイヤーがいいよ。俺も使ってるし」って言ったら「えー、フェンダーの方がいいな」とか言ってて。弾けもしないのにって思ったんだけど。
──(笑)。
S:でも高いブランドの方がいいなって方向に人間は自然に向かうと思うから、そこに反逆したい。安くていいし、安くてもできることに変わりはないんだってことを示すようなことをやりたい。音楽も込み入った装飾が多ければ多いほどいいみたいになりがちだけど、本当はそんなことなくて。ポツンとしたものでいい。そういうことをやりたい。
──安いものを作っても今の自分ならいいものが作れるという感覚もある?
S:うん。だからちょっとずるいんですけどね。「できるようになったからそういうこと言ってるんでしょ」って言われたら確かにそうだなって思うし。
──若い頃からそういう感覚はあった?
S:若いうちからそういうのが好きだったんだけどね。ダニエル・ジョンストンとかはずっとそうだったじゃないですか。
◼️バンドの状態◼️
──そういえばライヴが3時間を超えるようになったのって、『DOKI DOKI』以降ですかね。
S:うん。でも昔も長かったんですよね。『24時』の頃とか、3時間半とかありましたからね。
──もともとこれくらいやりたい?
S:ツェッペリンとかは3時間以上やってるとか、グレイトフル・デッドは大体4、5時間やるとか、そういうの聞くと、90分ぐらいで自分たちが帰っていくのってなんか違うのかなとか思って。ツェッペリンが3時間やるんだったら俺らも3時間やろうみたいな。そういう感じっすかね。キュアーもすごい長くて、聴きたい曲を全部やってくれたから嬉しいってみんな言ってて。僕たちもなんかもったいぶって「また来るね」とかじゃなくて、「今日見れたら一生見なくていい」ぐらい思うほどにやって帰りたいなって思ってます。
──ああ。
S:だって一期一会じゃないですか。ほとんどの人がその日しか一生のうちで来ないわけで。何回も来てくれる人がいれば嬉しいけど、自分たちだって好きなバンド何回見た?って聞かれたら、一番多いダイナソーJr.でも4、5回ぐらいかなって感じだから。「一回しか観たことないけどすごかった」みたいな感じで記憶に残ったらいいなと思って。
──そして今年は2015年のライヴ盤『Birth of a Kiss』からちょうど10年経ったんですよね。そこから色々な形態がありましたったけど、大工原さんが入ったこの5年がバンドとしては一番安定していますよね。
S:そう。メンバーが固まったから、今はサニーデイ・サービスの全歴史を通しても一番いい状態。サポートもいないし、メンバーだけでどこでも回れるし、チケットも安くできるようになっている。
──少し前までのサニーデイ・サービスでのライヴって、常にドキドキするというか今日は大丈夫かっていうメタ的なスリルがあったんです。
S:何が起こるか分からない的な?
──そう。それがない状態っていうのがここ3年ぐらいという印象なんですけど。今はやっぱやりやすいですか?
S:うん。もう早くスタジオ入りたいし、早くライヴやりたいなって感じ。新曲もどんどんやりたい。
──その安定感が今回のアルバムに反映されていますか?
S:うん。あるのかもしれないです。バンドを始めた時のこととか、リハスタに入ってみんなで音を出す瞬間のこととか、そこだけを重要視して作っていくって感じですね。
──やっぱりベースは田中(貴)さんで、ドラムは大工原(幹雄)さんだっていうことが最初から頭にある。
S:曲を作るときはわかんないけど、アレンジしていく中ではあるかもしんない。レコーディングへ持っていく時にはありますね。
──例えばドラムが大工原さんだから、この曲をやるんだみたいな曲って今回の作品は入っています?
S:全部そうじゃないかな。うん。ダイクくんのドラムありきで今の自分は動いている。例えば(丸山)晴茂くん時代だったらこれはちょっと速いかなとかいろいろ考えたけど、今はダイクくんのドラムを想定して、テンポとか自分の中で決めてる気がしますね。それは確かにそう。
──今は作品を作るにあたっての制約があまりない感じですか? 晴茂さんの時代には、やれないこともあったのではと思ったりもするんですけど。
S:というか、昔はやりたいことが複合的に混ざり合ってて、自分も混乱するほど多かったんですよね。今はやれることだけをやるという感じ。このドラムとギターとベース、音が一個ずつしかないなら、そこでどれだけのことをやれるかを考える方向になっているかもしれない。昔はこれだけじゃ足りないからキーボードを入れて、パーカッションも入れてとかっていう、もっと足し算だったんですけど。今は限られた中でやっちゃうっていう方がいいっすね。
──本当のバンドって感じですか。
S:うん。これだけしか持ってないんだけど、これでなんとかやるしかないよね、というところに、どれだけ自分たちを追い込んでいくかっていうのが楽しい。めちゃくちゃそれが一番重要。ないところからの発想。
──それだけでどこまで行けるか。
S:うん。そこからどういうエネルギーが出てくるか、ということ。モノがいっぱいありすぎるとね、やっぱつまんないっすよ。
◼️キャリアとプレッシャー◼️
──ところでサニーデイは特に『DANCE TO YOU』以降、名作と呼ばれる作品しか出してないじゃないですか。
S:いや、そんなことないっすよ。常にトライ&エラーで。
──でもバンドのファンだけじゃなくって、シーンに対してインパクトと意味のある作品しか出ていないわけですよ。
S:そういうのはもう全然意識してないですね。ほんとに意識してない。一枚ずつ思いっきりやるだけ。
──これだけディスコグラフィーが重なると大変なんじゃないかって。
S:枯渇感みたいなものも全くないっす。全くない。自分の作ってきたものがすごい良いからって、そのプレッシャーで押しつぶされそうな時はないな。全然ないです。
──なんでないんでしょうね。
S:別にすごいものを作ってきたとも思ってないし。もちろん気に入ってるものではあるけどね。今の自分を全部やるだけ。来年は来年の自分なんで、そこで思いっきり自分を突き詰めてやるだけだから、(作品と自分が)切り離されてると思うんですけどね。でもキャリアを重ねて社会的地位を上げて、動員や知名度を上げていこうとするアーティストは大変だと思いますよ。でも僕はそういうの関係ないから。
──関係ないですか。
S:全く関係ないです。言うたら誰にも別に特に求められてないんで。ほんとに。だからそういうプレッシャーないんですよ。もちろん売れようと思ってないわけではないですよ。売れれば売れるほどいいと思うし、お金もいっぱいあればあるほどいいと思うけど、そういう仕事の仕方はしてないってことですね。
──でもどんなアーティストでも、過去の自分の作品を超えたいとか、最近超えられてないぞというジレンマがある気がするんですよ。例えばアズテック・カメラはずっとファースト・アルバムを追いかけてる、みたいな。
S:うん。だからみんな、ちょっとわかってないっすよね。今が一番いいはずなんだから。今が一番いいもの絶対作れるはずなんですよ。それなのに、昔の自分のある時点に(目標を)設定してしまうんですよ。
──今が一番いいってどういうことですか?
S:だって今が一番よくなきゃ生きてないでしょ。なんかロック・ミュージシャンってある時点から、老けないとか、ずっとスリムなままでいるんだって、ピチピチのズボンとか履いて、髪も染める。そういうことするから先に行けない。それは多分セカンド、サード・アルバムの頃の自分を守るためでしょって思っちゃう。それじゃもうどこも行けないですよ。サードの世界を守って、サードっぽいことをずっとやっても、魅力も目減りしていくだけ。
──でも曽我部さんだけなんじゃないですかね、その境地に達しているのは。
S:いやいやいやいや。ニール・ヤングとか、友部正人さんとかクロマニヨンズとかも、別に何かを守ろうと思ってやってない気がする。自由というか、自然体な気がする。いい人はいっぱいいますよ。でもロック・バンドはイメージもあるから、難しいっすよね。
──キャリアが長くなってくると、どうしてもファンの方にも自分が若かった時にあの曲をやってほしいって気持ちも出てきますよね。もちろんサニーデイが「サマー・ソルジャー」やってくれれば嬉しい。けど、サニーデイは昔の曲やっても今日の曲に聴こえる。懐メロにならないぞっていう意思はありますか。
S:あんまり意識してないですけどね。でもいつまでもヤングなんて人いないし。年老いるってことは赤ちゃんに近づいていくぐらいピュアになっていくことでもあると思うから、自分ならそういうものを見たいって思っちゃう。
──なるほど。
S:めったにそういう人はいないけど、鈴木慶一さんはある時そういう瞬間があった。老成して「慶一さん、死ぬ直前みたいな歌ばっかりっすね」みたいな。でもそこで見えるピュアなものがあってね。それを例えば俺が関わらせてもらった作品(2008年〜2012年にかけて曽我部のプロデュースで制作された鈴木慶一のソロ・アルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』『シーシック・セイラーズ登場!』『ヘイト船長回顧録』)ではやろうとしてたような気がして。もう年老いて力がなくなっていく、命も短くなっていく中でのピュアを歌っていて、それがすごいかっこいいなとか思った。
──あの時の鈴木慶一さん、今の曽我部さんと同じくらいの年齢でしたっけ?
S:もうちょっと上だったかな。だからあの時はめちゃくちゃ老けたおじいさんを演じてたなって思いますね。
──でもありのままを見せればいいと言っても、曽我部さんはどんどん若くなってくじゃないですか。
S:若くなってないですよ。そんなもう意識全然してないです。やっぱり老いること、年を取っていくってことは汚れていく、不潔なことだと思うんです。おじさんは不潔。女子高生がおじさんをいやだなって思うのって不潔だからなんですよ。でもそれは魂が不潔ってことなんです。ニオイがくさいとかそういうこともあるかもしんないけど、もう本質的に不潔なんですよ。おじさんはいろんな嫌なことを考えてる。でもそうじゃないところで俺は生きたいって思う。高校生とか見てると、もっと悶々としているかもしんないけど、すごい清潔なんですよ。あの清潔さってどっから来んのかなって。やっぱりそれは魂の汚れなさなのかなって思う。でも自分にもそういう時があったし、そこにいつもいたいなって思ってますね。
──どうすればそうなれるんでしょうね?
S:どうすればいいんでしょうね。わかんないです。でも自分がいつも自分が楽しんでいられるようにはしようとはしてます。本当に今楽しめてるかなとかって考えている。例えば音を出している時に、中学生の時にエレキ・ギター持って初めてスタジオ入った瞬間の興奮がちゃんとまだあるかなっていうことは考えてる。
──その興奮ってミュージシャンだったら、誰でもいつまでも持ってきたいものだと思うんですけど、維持するのは難しいですよね。
S:俺はもうそれが宝物だなって思っちゃってるから。例えば人間にとって記憶とか思い出ってすごい大事じゃないですか。それはもう現実にないものだけど、心とか脳の中にはストックされていて、それがあるからこそ生きているじゃないですか。音楽の感動とかもそうだしね。それが宝物だと思う。エレギ・ギターを持ってスタジオ行って音出した瞬間のこととか、セックス・ピストルズ初めて聴いた時のショックとかね。ピストルズは世界の全てを否定したようなことをやっているのに、自分一人だけは肯定されたような気持ちになったこととかはずっとこう覚えていたいし、それを自分が今もちゃんと持ててるかなっていうのは、自分の中では大事なこと。それが全てではないけど、どこかで基準になっているかもしんないです。
──それを覚えているというのは本当にすごいことですよね。
S:逆に言うと新しい楽しみを見出せてないだけかもしれないけどね。もっとこうさ、年をとっていって、いろんな場数を踏んでいったミュージシャンがやることっていうのもあるじゃないですか。例えば、レゲエやパンク・ロックから始めたスティングがすごい大人っぽいかっこいいジャズをやる、みたいな。ああいうのもすごい成長だと思うし、俺はそういうのできてないなとは思う。でもそういうことは自分が求めてないんだなとも思う。
──ああ。
S:ちょっとずつ難しい問題が解けるようになっていくみたいなことはできていない。でもそういうことをクソくらえみたいにどっかで思っちゃっている。もっと馬鹿になってもいいって思ってるのかもしれない。反逆なのかもしれないね。人間は成長していかなきゃいけないんだよとか、人間はもっと賢く大人になっていかなきゃいけないんだよっていうことに対する反逆。もっともっと馬鹿になって、いろんなもの忘れていって、最後は何もない真っ白いものになったらいいじゃんって、どっかで思っているかもしれない。『サニービート』もその過程の一部なのかもしんない。
──こないだインスタに曽我部さんが「昨日より若く」って書いていて、本当にそういうアルバムだと思ったんですよ。
S:捨てていくってこと。やっぱりね、持ち物を増やしていくんじゃなくて。「ジミー」っていう曲には軽い荷物を持って旅をするっていう瞬間が出てくるけど、軽い荷物持って歩けてるかどうかっていうのはすごい大事かもしれない。重い荷物じゃなくて。
──ディスコグラフィーはどんどん増えていく中でも。
S:人生ってややこしいことばっかりになってるから、自分がロックに向かう時だけは軽やかな気持ちでいたい。「あー今日もライヴやだな」とかじゃなくって、「やってやるぞ」って思えるような、軽やかな気持ち。それがなんか「青空であること」みたいなイメージなんだけど。
──あのイントロの逆回転シンバルはライドの「Like A Day Dream」ですよね。
S:あの曲のシングルを聴いたときはほんとにショックだったな。人生の中で何回かしかないです、ああいう瞬間って。あの曲が始まって10秒で「あ、なんかもう世界の全てがここにある」ということが分かる。世界の全てと繋がるっていうか、もうこれだけあればもうあとは何にもいらないっていうか、そういう瞬間があったんですね、あの曲には。ピストルズの「Anarchy In The UK」もそうだけど。
──文字にはできない感覚?
S:時々、昔の作品を聴いて感動した人がその体験を書いてくれることがあるんですけど、同じものが伝わってくる。「背筋に電流が流れたように思った!」とかね。僕がセックス・ピストルズを聞いた時だって、本当にもうそれしかないわけだから。
<了>
Text By Dreamy Deka
Photo By 三瓶康友
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https://turntokyo.com/features/sunnyday-service-iine/
【FEATURE】
サニーデイ・サービス
映画『ドキュメント サニーデイ・サービス』
バンドと“私たち”の記録
https://turntokyo.com/features/movies-document-sunny-day-service/
【FEATURE】
曽我部恵一
無尽蔵の創造性
全身芸術家・曽我部恵一の生き様をリリックから読み解く
https://turntokyo.com/features/keiichi-sokabe-hazard-of-love-heaven2/
【REVIEW】
サニーデイ・サービス
『Birth of a Kiss』
https://turntokyo.com/reviews/birth-of-a-kiss-sunnyday-service/
【REVIEW】
曽我部恵一
『Loveless Love』
https://turntokyo.com/reviews/loveless-love-keiichi-sokabe/
【REVIEW】
曽我部恵一
『劇場 – Original Sound Track』
https://turntokyo.com/reviews/gekijo-original-soundtrack-keiichi-sokabe/
【REVIEW】
曽我部恵一
『Memories & Remedies』
https://turntokyo.com/reviews/memories-remedies-sokabe-keiichi/
【REVIEW】
サニーデイ・サービス × カーネーション × 岸田繁
『お〜い えんけん! ちゃんとやってるよ! 2020セッション』
https://turntokyo.com/reviews/enken-2020-session/
