「本気でやろうと決めたら何だってできる」
シャバカが携えた多次元的な創造性
『Of The Earth』インタヴュー
シャバカ(・ハッチングス)が自身の立ち上げたレーベル《Shabaka Records》からの初作品として最新作『Of The Earth』をリリースした。
過去10年ほどの間、シャバカはサンズ・オブ・ケメット、ザ・コメット・イズ・カミング、シャバカ&ジ・アンセスターズといったバンドでの活動を中心に、主にサックス奏者としてエネルギーの迸るサウンドでUKジャズ・シーンを牽引。そして2022年のシャバカとしてソロ名義で発表したEP『Afrikan Culture』を起点として、サックスから距離を置き、尺八やフルートといった楽器の演奏を内省的な響きで聞かせるようになる。そして2024年のファースト・アルバム『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』では尺八やフルートの演奏技術を磨き上げながら、モーゼス・サムニー、エルシド(E L U C I D)、フローティング・ポインツら多彩なゲストと共に一層深く自身のパーソナルな世界を音で構築した。
そういった流れを踏まえれば、作曲、再開したサックスも含む楽器の演奏、プロデュース、ミックスのすべてをシャバカ自身が手がけたこの最新作『Of The Earth』は、楽器の演奏技術の習得や機材の理解といったスキル面も込みで、これまでの活動の集大成としてシャバカが辿り着いた一つの極地と呼べるだろう。音としてもこれまでバンドで提示してきたようなダイナミックさとソロで表現してきた静けさが同居している(テクスチャに関しては実に興味深い)。しかも、本作で彼は自らラップにも挑戦し、私たちを支配する資本主義のシステムに対して言葉を紡いでもいる。つまり、彼は今、驚異的なラッパーから流浪の笛吹きへと転身したアンドレ3000(シャバカの前作にも参加)のごとき自由さも手にしているのだ。
だが、このようなシャバカの活動の見取り図は、彼の持つ一面を照らしているに過ぎない。というか、こうしたわかりやすい解釈の提示こそ、資本主義のシステムに囚われているということなのかもしれない。以下に続くオフィシャル・インタヴューの全文(読みやすいよう少々編集しています)では、もちろん作品の成り立ちや制作のプロセスについて語ってくれているが、シリアスかつ現実的な現状認識からくる彼の言葉は、そういった現代に蔓延る様々な呪縛から、あるいはこびりついた固定観念から、私たちの耳を、心を、解放する意味も持つだろう。
(インタヴュー・文/高久大輝 通訳/長谷川友美 写真/josephouechen)
Interview with Shabaka Hutchings(Shabaka)
──最新作『Of The Earth』の制作のプロセスについて教えてください。いつ、何をきっかけに新作の制作に着手しましたか?
Shabaka Hutchings(以下、S):実際にいつから始めたのを特定するのはすごく難しいんだ。というのも、このレコード自体、電子楽器の使い方や制作のやり方を学んでいく過程の結果として生まれたものだから。ここ2年くらい、新しい機材を手に入れるたびに、YouTubeのチュートリアルを観たりマニュアルを読んだりしながら、小さな音楽のかけらのようなものをずっと作り続けていて。それが僕にとっての機材についての学び方なんだよね。まずマニュアルを読んで、わかりやすければそれで進めるし、そうでなければできるだけたくさんのYouTubeのチュートリアルを観る。大抵は一度通して観て、それから一旦止めて、また観直して、数分おき、ときには数秒おきに止めながら、講師がやっていることを自分の機材で再現してみる。但し、流す音楽は自分のものを使うんだ。そうやっていくと、たくさんの小さな音楽の断片ができていく。必ずしも一つの曲になっているわけでもないし、いわゆるちゃんとした作品と呼べるものでもない、音のかけらがあちこちに散らばっている状態になるんだ。
ある時点で、ここ1〜2年の間に作ってきたそういう断片をとにかく集めて、自分がどんなことをやってきたのか在庫をチェックしてみようと思って。例えばOP-1シンセサイザーに関しては一時期問題があって、機材の中で作った音楽を普段アレンジに使っているAbletonにうまく移せなかった。だから、その機材の中にどんどん音楽を作って溜め込んで、それをファイルとしてパソコンに移して放置して、また機材をいっぱいにして……ということを繰り返していたね。それである時、これまでに作ったものを全部見直していたら、ついにその問題を解決することができたんだ。Ableton上でちゃんと見える形式に変換できるようになっていたんだよ。
例えば「Those Of The Sky」という曲は、J-6という小さなコード・シーケンサーから始まった。手のひらサイズくらいの機材なんだけど、バスに乗っている時とか、歩きながらでもコード進行を作れるんだよ。長い散歩をしながら、コード進行を作って、それを繰り返し聴いているような時期があってね。すごく好きなやり方なんだ。音楽制作機材を持って歩き回れるなら常にそうしているよ。時間の流れの感じ方が変わるから。その機材の中をコード進行でいっぱいにして、「Those Of The Sky」では、その中のいくつかを書き起こして、その上にメロディを書いた。フルートを手に取った時、そのコードがどんなメロディを語ってくるのか、それを探った感じだね。
全体としては、ビートを作ったり、音の断片を作ったりする時期がまずあって、それとは別に……だいたい1年くらい前かな、作り溜めた素材を見直して“オーケストレーション”していく段階がやってきたんだ。どのフルートが合うのか、機材の中で聴くのではなく、例えばスマホにシンプルなオーディオ・ファイルとして入れて聴いたとき、どんなメロディが自然と浮かんでくるのか。そういうことを探っていった。それから本格的なプロダクションの工程に入っていったんだ。曲の体裁に整えたり、並べたりして、どんなアイディアが次に続くとしっくりくるのかを見ていった。僕にとってアルバムというのは、冒頭から終わりまでの流れがとても重要で。だから、どのアイディアのグループがどの部分に続いていくのが良いかを考える作業はすごく大きな部分を占めていたし、それが結果的に実際に採用する部分はどこか、ということを教えてくれたんだ。
──『Of The Earth』はご自身で作曲、プロデュース、演奏、ミックスまで手がけています。そうすることは最初に決めていたんですか?
S:この作品については、長い間じっくり考え抜いたわけではないんだ。最初から完全なソロ作品にするつもりだったわけでもなかったしね。でも、自分の素材に深く入り込んでいくうちに、「自分の音楽を一番上手く解釈できるのは、結局は自分自身なんだ」と気づいた。もちろん、誰かにやって欲しいことを譜面に書いて演奏してもらうこともできる。でも、当時の自分は、「こうあって欲しい」という理想に対してとてもシビアな状態にいて、フレージングもタイミングも、すべてを自分が思い描いた通りにしたかったし、そのために細かく調整する時間も欲しかったんだ。例えば、サン・ラやフェラ・クティ、エルメート・パスコアールのように、長い時間、同じミュージシャンたちと生活を共にするような環境があれば話は別だよ。そういう共同体の中では、アイディアを一緒に練り上げていくことができるし、バンドのメンバーが自分の声の一部みたいになっていくからね。でも、今の環境では、リハーサル代もスタジオ代もかかるし、メンバーが事前に曲を練習してきてくれるとも限らない。音楽的に細部まで突き詰めたり、グルーヴやスウィングといった微妙なニュアンスを深く掘り下げたりする機会は、以前よりずっと得られにくくなっていると思うんだ。もちろん不可能ではないけれど、簡単なことではない。その点、自分一人なら、ホテルの部屋で一晩中録音して、翌朝それを聴き直して、また手を入れるということができるよね。今回のアルバムでは、それがプロセスそのものになったんだ。例えば、アルバムで聴けるフルートのパート……いわゆるフルートのクワイア(合唱)のように聴こえる部分は、実は3回から5回くらい、同じフレーズを重ね録りしている。サックスは単独のトラックもあるけど、フルートは単独の音のみではなくて、すべて自分で何度も重ねて吹いて、それをミックスして、一つの太いフルートのフレーズに聴こえるようにしているんだ。これを他の人とやろうとしたらものすごい時間がかかるけれど、自分一人なら、こういうレイヤーの実験も自由にできる。
ミキシングに関しても面白い変化があったね。最初は、いつも一緒にやっているミキシング・エンジニアのDilip Harrisと作業を始めたんだ。彼はサンズ・オブ・ケメットや僕の以前のソロ作品も手がけてくれていて、本当にプロフェッショナルで素晴らしい人物だよ。でも、途中で気がついちゃったんだよね。「あれ?僕は自分のデモの音の方が好きだな」って(笑)。それまでは、自分のミックスはあくまでもデモに過ぎなくて、本番のプロダクションとは別物だと考えていたんだ。でも、実はそれこそが自分のプロダクションのスタイルだった。荒削りではあったけれどね。彼のミックスは本当に素晴らしくてプロフェッショナルな仕事そのものだったけど、僕が散歩中や皿洗いをしながら聴いて、「これだ」と思った感覚からは、少し遠ざかっていってしまうようにも感じた。プロのミキシングでは、音を分離して空間の中に配置して、リスナーがパノラマみたいに音を見渡せるようにする。それ自体は素晴らしいし、レコードを聴く際の、僕たちの音響的認識における進化とも言えるだろう。でも、あるときふと、自分はモノラルっぽい音が好きなんだと気づいたんだ。音が真ん中に重なって、塊になっているような感じが好きというか。彼のミックスはとても良くて、洗練されていると思う一方で、でも自分が最初に作ったあの感じの方が好きかもしれない、と思ってしまったんだよね。だから思い切って、それなら最後まで自分でやろうと決めたんだ。オーディオ・ファイル的に完璧じゃない部分があったとしても、どうせ自分のレーベルから出す作品だし、構わないかなって(笑)。
その代わり、マスタリング・エンジニアとはすごく密に作業をすることになった。その経験は、本当に大きな発見だったね。マスタリングという工程が何をしてくれるのか、どこまでできるのかを深く理解することができたんだ。カマシ・ワシントンのアルバムも手がけたBenjamin Vukelicと一緒に作業して、1ヶ月半くらいかけてマスタリングを進めたんだけど、それはもうマスタリングというより、ある種の非常にクリエイティヴなプロセスだった。僕がミックスを終えた後、音量レベルではなく周波数帯域をミックスするような作業で、これが本当に解放的だったんだ。小さなデバイスで作った音楽でも、ポストプロダクションの段階で音の質感を引き出してもらうことで、ちゃんとレコードらしい音に仕上げることができるんだと分かった。逆にいえば、最初から完璧な機材や環境でなくてもいい、ということでもある。
──『Of The Earth』はあなたにとって約1年半にわたってサックスを演奏しなかった期間(サックスの演奏は昨年再開)を経て制作された最初のレコーディング作品でもあります。サックスと離れ、フルート/尺八と向き合う時間を設けたことはあなたと楽器の関係性にどのような変化をもたらしましたか?
S:まず一番大きかったのは、サックスが在るべき場所に収まった、ということだね。つまり、サックスが自分のテクニックや感情表現、アーティキュレーションのメインの乗り物である、という状態ではなくなったということ。数ある楽器の一つに過ぎなくなったんだ。その結果、パラダイム・レベルで、自分をマルチ・インストゥルメンタリストだと捉えるようになった。以前は、自分のことをサックス奏者、あるいはサックスとクラリネットの奏者だと思っていた。でも、今は自分のことを“楽器を演奏する人間”だと思っているよ。楽器の種類はそれほど重要じゃない。ある楽器では技術が高いかもしれないし、別の楽器ではまだ未熟かもしれない。大切なことは、どの楽器を選ぶかに対して、自分の音楽性がどう働くかなんだ。
それはすごく解放的なことでもある。例えば、最近テルミン……Moog Thereminiを手に入れたんだけど、新しい楽器を手にすると、まずはかなり真面目に練習してみて、その楽器が自分に何を見せてくれるのかを探る。そんな姿勢で楽器と向き合っているんだ。もしかしたら、サックス中心だった頃にもそういう感覚はあったのかもしれない。でも、それは自分自身を定義する上での最優先事項ではなかった。今はただ、自分は複数の楽器を演奏する人間で、音楽的な審美眼を持っている人間だと定義している。自分の技術のレベルがどうであれ、どの楽器を手にしても、“自分の耳が良いと感じる音”を基準に音楽を形にしていく、ということだね。
──少し質問が戻りますが、ツアーの移動中にも楽曲の基盤となるビートやループをポータブル機材で録音していたそうですね。このときできた楽曲の基盤となる部分にはツアーで訪れていた土地の影響なども表れていたのでしょうか?
S:影響があったかと言えば、あったとは思う。でも、影響ってすごく不思議なもので、自分が周囲からどういった影響を受けるかというのは、とてもミステリアスなものなんだ。しかも、相対的ではないというか。例えば、美しい湖を見ていたからといって、自分の音楽が穏やかになるとは限らない。でも、心が落ち着いていれば自分が音楽に何を求めているのかをちゃんと処理できるようになる。余計なことを考えずに音楽を見つめられたり、心の中に空間が生まれたりする。だから、いろんな場所を旅しながら制作していたことについても、山道をドライブしていたから音楽が山っぽさを感じさせるようなものになる、というような単純な話ではないんだよね。でも、移動し続けている状態で音楽を作っていると、編集や取捨選択のプロセスが、同じ環境に留まっているときよりもずっと深くなる気がする。例えば、空港のロビーでビートを作って、その後飛行機に乗って、別の国に着いて、長い車移動の間に窓の外を眺めている。見たこともない景色の中にいて、その後でさっき作っていた音楽に戻ると、自分の頭の状態がもう別のものになっている。すると、何を残すべきか、何を足すべきか、より全体的な視点で判断できるようになるんだよね。そういう意味では、旅をしていたことは確実にこの作品に影響を与えていると思う。
結果的に、このアルバムには1本の連続したラインのようなものはあまり感じられないかもしれない。もし同じスタジオに2ヶ月籠もって作っていたらアルバム全体に一つの雰囲気が流れていたかもしれないけど、この作品は長い間ずっと移動し続けていたこともあって、むしろ多面的な要素を含んだものになったんじゃないかと思うんだ。
──タイトルやテーマに関しては音楽が完成した後に考えると過去のインタヴューで話していましたが、今回も同様でしたか?
S:うん、タイトルは間違いなく後から決めたよ。アルバムが完全に完成した後、というわけではないけど、少なくともサウンドの方向性が見えていて、アルバム全体の構成も自分の中で分かっている段階でね。
『Of the Earth』という言葉については、電子機材やエレクトロニカルな世界を扱っていると……いや、エレクトロニカルなんて言葉はないか(笑)。とにかく電子的な世界に向き合っていると、どうしても非物質的というか、どこか現実から切り離されたものを扱っているような、自分の音楽がどこか空へ漂っていくような感覚になることがあるんだ。少なくとも僕にとっては、未来に向かって進んで行くような感じというか、アコースティックな“地上の領域”に自分を縛りつけていた鎖から解き放たれていくような感覚があった。でも、その空へと向かう電子的なゾーンに入っていけばいくほど、逆に自分が音楽を好きになった原点や、音楽が自分にとって何を意味しているのかという、とても基礎的な部分に深く繋がっていくような感覚があったんだよね。それは結局のところ、ルーツや土台に関わること。つまり、地面から生まれてくるもの……まさに、“地球からのもの(of the earth)”なんだ。だから、このタイトルには、ある種のパラドクスがある。自分ではどんどん上へ、空の方へと漂っているように感じていたし、「Those Of The Sky」というタイトルの曲があるのも、まさにそういう感覚があったからなんだ。電子的なプロダクションの世界へ入っていけばいくほど、実は自分の音楽の核にある基盤に、より近づいていっているようにも感じていたんだよね。
──哲学的というか、一種の瞑想のような感覚さえあります。
S:まさにそうだと思う。音楽の構造をここまで深く組み立てるプロセスに入り込んでいると、それ自体がすごく瞑想的な行為になるんだ。でも、大切なのは、“パフォーマンスとしてのプロセス”と“プロダクションとしてのプロセス”をわけて考えることだと思っているよ。パフォーマンスはプロダクション全体の一部ではあるけれど、それは“内側”にある部分なんだ。すべてが、“今、この瞬間”に包まれている。ある瞬間に演奏を提示して、その瞬間を捉える。それはそれで美しいよね。でも、その後にもっと長い熟考のプロセスがある。いわば、そのパフォーマンスを一度持ち帰って、それについて瞑想する時間が必要になるってこと。演奏以外の要素を一旦頭の中から取り払って、ただその演奏だけを見つめられる状態になる。そうすることで初めて、そのパフォーマンス自体がそれを取り巻く環境に何が必要かを教えてくれるようになるんだよ。それがアコースティック楽器の演奏であっても、自分で作ったビートの演奏であっても、「良い音だな」と思ったただのサウンドであってもね。まず、それが生まれて、その後に第2のプロセスがやってくる。そこで初めてじっくり向き合うことになるんだ。僕が音楽を作りながら歩くのが好きなのはそのためなんじゃないかな。何かを作った後、歩きながらそれ以外のものを頭の中から削ぎ落としていく。そうすることで、ただその音だけがぐるぐると流れ続ける状態を作るんだ。
──資料の中であなたは「ディアンジェロの『Brown Sugar』は、私が初めて買ったCDで、セルフ・プロデュース/セルフ・パフォーマンスによるアルバムが持ちうる感情的な可能性について、長く続く好奇心を呼び起こしてくれた」と話しています。『Brown Sugar』がどのような影響を及ぼしたのか、より具体的に教えていただけますか?
S:セルフ・プロデュース・アルバムの可能性を解放する、という意味で直接的な影響を及ぼしたかと問われると、それはちょっと違うかもしれないね。だから、相対的に影響を受けたとは言えないな。「この曲はR&Bアーティストっぽいサウンドにしよう」と思うこともなかったしね(笑)。でも、自分にとってその段階への準備ができていた、という意味では影響があったのかもしれない。どう言えばいいかな……ディアンジェロにはずっと敬意を抱いていて、本当に素晴らしいミュージシャンだと思っているよ。彼がアルバムの中で、ほとんどすべての楽器を自分で演奏していると知ったときは、本当にハッとさせられたね。そんなことが可能なんだ、と驚いたし、しかもそれを聴き手が一人でやっていることに気づかないくらい自然でプロフェッショナルな形で実現できている。サウンドはグルーヴィーなのに、不自然さがまったくないんだ。それまでの自分は、グルーヴというのはもっと共同体的というか、人と人との関係性の中から生まれるものだと思っていた。でも、ディアンジェロのやり方を知って、一人の人間の中にある様々な音楽的側面が、まるで複数の人間のように絡み合ってグルーヴを生み出すことができるということに気づいたんだ。
──『Of The Earth』であなたはラップにも挑戦しています。
S:正直に言って、最初はすごく怖かった。自分のことをラッパーだと思ってはいなかったからね。でも同時に、ラップをやってみたいし、きっとできるはずだとも思ってたんだ。僕は、ミュージシャンは基本的にどんなことでもできる存在だと思っているからね。プロのミュージシャンなら、本気でやろうと決めたら文字通り何だってできる。もちろん、形は違ってくるかもしれないけれど。ミュージシャンやアーティストというのは、自分のテイストを理解していて、その好みに合う形にアウトプットできる人のことだと思うんだ。だから、もし明日アコーディオンを弾くと決めたら、きっと最初は手探りで、逡巡しながらも何かしら形にしていくと思う。より正確には“弾く”ことを決めるというより、アコーディオンで何かを“録音する”と決めて、24時間しか時間がなかったとしても、触ったことのないその奇妙な楽器を試行錯誤しながら、自分にできることの中でしっくりくるものを探していくだろうね。
ラップに関しても同じようなプロセスだったんだ。幾つかの段階があって、最初の段階は自分が何を語りたいのか、それを見つけることだった。これはさっき話した、歩きながら考えるやり方にすごく近い。ヘッドフォンでビートを流しながら歩き回って、一つのビートと長い時間を過ごす。いつもノートを持ち歩いて、何か考えが浮かんだらすぐに書き留める。そのときは、文章を書くというよりも、聴いているビートのリズムの流れの文脈を考えるようにしていたよ。ビートの構造が自分の思考の構造に影響を与えるような感じだね。とにかく書いて、書いて、書き続けた。僕がクラシックな作品を作曲するときにも、一つの基本的な考え方があって。それは、ある一定の期間に書いたものはすべてどこかで調性的に繋がっている、ということなんだよね。理論的にきっちり同じトーンである必要はない。実際、作曲ソフトのSibeliusで作曲する時も、最初からトーン(調号)を設定することはほとんどないんだ。ただ、日々途切れることなく音楽を書き続けるだけ。大切なのは、時間の流れの中でプロセスが止まらないようにすること。例えば、何曲も書いた後、数週間休んでから再開すると、前に作ったものとは調性的に繋がらないことがある。でも、毎日作曲していれば、たとえ別々の作品を書いていても、あとで並べたときに自然と繋がるんだ。僕にとってトーン(調性)というのは、理論というよりも感覚の問題なんだよね。日々の自分の感情や状態が、目に見えない心理的な糸で繋がっているというか。ラップに関しても、同じように考えている。ある一定の期間に書いた言葉は、テーマ的にどこかで繋がっているはずじゃないか、とね。だから、1本のストーリーを無理に通そうとする必要はなかった。ただ、その時期にビートに対して自分が感じたこと、考えたことを書き続けて、あとからそれらをどう結びつけるかを考えればいい、というやり方で進めていったんだ。この感覚については、ビリー・ウッズやエルシドから影響を受けていると思う。彼らはものすごく広い範囲からアイディアを引き寄せるような書き方をしているように感じるよ。大きなテーマの糸は一貫しているんだけど、思考が心理の奥深くや遠くの領域へと一気に飛躍していくんだ。僕も自分の思考があらゆる領域の隅々へと飛び込んでいくような、そんな感覚を持ちたかったんだよね。
──心象風景のドキュメンタリーのような感覚でしょうか。
S:そうだね。それに加えて、詩的であることはそれはそれで良い、という前提もあったよ。すべてを具体的に説明する必要はないし、文字通りのストーリーを語る必要もない。ただ、自分がどう感じているのか、その感覚を提示すれば良いと思ったんだ。
──プロデューサーとして他のミュージシャンのラップを扱うことと、ご自身のラップを扱うことについて違いは感じましたか?
S:ラッパーというのは、やっぱりプロなんだよね(笑)。プロのラッパーと仕事をすると、スタジオに入った瞬間からもうサウンドが仕上がっている。それが彼らの仕事であり、日々練習していることだから当然かもしれないけれどね。それに対して、自分自身と向き合う場合……しかも今回は録音のほとんどを自分でやっていたから、なおさら自分はプロのラッパーじゃない、という事実にものすごく敏感になった。例えば、自分が話したりラップしたりするとき、ちょっと高い笛のような音が混ざるクセがあるんだよね。普通に会話していたら気づかないし、プロのスタジオでエンジニアが処理してくれたら消えるような音に過ぎないかもしれない。でも、自分で録っていたから、その高いノイズがラップのたびに耳についてしまってね。だから、それに対処する方法を見つける必要があったんだ。その一つが声のピッチを下げることだった。声を少し低くすると、その高い音が目立たなくなるんだよね。それで最終的には、ラップのトラックはほぼすべて、トラックごとピッチ・ダウンしたんだ。結果的にその質感がとても気に入ったよ。そのときに思い出していたのが、2パックのやり方だった。『R U Still Down?』(1997年)に収録されている「When I Get Free」や「R U Still Down?」といったトラックで、彼は声をピッチ・ダウンしているんだけど、あの感じが昔からすごくカッコいいと思っていたんだよね。声の聴かせ方としてすごく魅力的なアプローチだと思っていた。自分もそれを試してみた感じだね。
──後期資本主義社会のシステムに支配された世界と向き合った力強いリリックも印象的です。私たちはそれぞれ日常の中でそのようなシステムのもたらした問題と直面していますが、ミュージシャンとして世界中を旅しているあなたはどのようなタイミングでその問題を強く意識しますか?
S:うーん、良い質問だね。ミュージシャンとしてツアーを回っていると、様々な問題に対して鈍感になりがちなんだ。というのも、基本的には空港から会場へ、会場からまた次の場所へとエスコートされ続ける状態だから。車窓から断片的な景色を見たりはするけれど、それもほんのスナップショットに過ぎない。とはいえ、特にアメリカをツアーしていると、いまやゆっくりと崩れていっている国の姿を、後期資本主義の結果として、そうした断片の中に垣間見ることはあるよ。ただ、資本主義って多次元的なものでもあると思うんだ。ラグジュアリーな次元もあれば、いわゆる普通の生活の次元もある。そして、角を一つ曲がるだけで、恐怖や絶望の次元に直面することもある。つまり、自分たちが生きているこの世界が多層的・多次元的だとわかっていれば、ときどきその構造のきらめきというか、周囲の成り立ちがふと見える瞬間があるんだよね。でも、さっきも言ったように、ミュージシャンは基本的に空港から会場へと移動し続ける存在だから、じっくり現実を見据えることが難しかったりもする。もちろん場所によってはそれがもっとはっきり見えることもある。例えば、ブラジル。最近も何度か行っているけれど、あそこでは格差がより剥き出しになっている。社会の層やレイヤーが、視覚化されやすいんだ。結局のところ、自分がどれだけ周囲に気づけるかは、その場所にどれだけ長く滞在するか、周囲のサインをどれだけ読み取れるかにかかっている。でも、1日しかいない場所で、それを深く理解するのはとても難しい。
──そういった様々な格差をはじめとした社会問題に対して、音楽には何ができると考えていますか?
S:今の段階では、正直あまり多くはないと思っている。これは決して絶望から言っているわけじゃなくて、現実的な感覚としてね。音楽の持つ力について語ることは心温まるし、記事としても魅力的なストーリーにはなる。でも、今の世界はそういった良い話だけを必要としている段階でもない気がするんだ。人は行動するか、しないか。そこに尽きる部分もあるしね。もちろん、音楽には役割があるし、人を癒す力もある。心理的な回復を与えることができるし、人に精神的な力を与えることもできるよ。ここで言う“力”というのは、惰性に抗うエネルギーのことだ。例えば、後期資本主義の産物の一つが「どうせ何をやっても無駄だ」という絶望感だとしたら、それは人を巨大なシステムに縛りつけ、終わりのないランニング・マシーンの上にいるような感覚にさせるよね。支配の只中にいて、自分の足元しか見えなくなるような状態。多くの人にとって、音楽はそこからの逃げ道になり得る。人生の一部だけでも自由でいられる場所になるんだ。それはとても重要なことだと思う。もしそれすらなかったら、あるのはただの薄汚れた現在だけだからね。それこそが、音楽の大きな力の一つだと思うんだ。
それに、音楽が人に与えるものを起点として、そこから何かが生まれたり、育ったりすることもあるだろう。ただ現段階では、特にパレスチナでの集団殺戮以降、芸術が進行中の問題に対して実際どこまで作用できるのかについては、より現実的な見方が拡がっていると思う。芸術にできることはたしかにある。でも、どうしても動かせないものもあるんだ。だからといってやめるわけじゃないし、希望を失うわけでもないよ。自分たちがやっていること……つまり、人にひとときの解放を与えること、前に進もうと思える波動を届けることに、より一層力を注いでいくだけなんじゃないかな。
──少し話を戻します。EP『Afrikan Culture』と前作『Perceive its Beauty, Acknowledge its Grace』は連なる作品として内省的なサウンドで統一されていましたが、最新作ではその内省的な感覚と共に、あなたがこれまでサンズ・オブ・ケメットやザ・コメット・イズ・カミング、シャバカ&ジ・アンセスターズなどのバンドで実践してきたエネルギッシュさも感じます。そのような方向性の変化の背景にはどのような意識がありましたか?
S:音楽性の振れ幅というのは、旅のごく自然な一部だと思う。音楽ジャーナリズムに関しては、ちょっと笑っちゃうこともあってさ。いわゆる、「アーティストはゆっくり段階的に変化するものだ」というような考え方の部分でね。今この人はアンビエント期に入ったとか、今はリリカルなフェースだとか、ここがピークだとか、そういう語られ方をする。もちろん、人によってはそういうケースもあるかもしれない。でも、僕はアルバムというプロセス自体がテーマ性を持つことはあっても、そのテーマは作品ごとに変わって良いものだと思ってるんだ。例えば、サンズ・オブ・ケメットのアルバムにはハイテンポでエネルギッシュなものがあるし、そこからもっと瞑想的で内省的な自分の側面、あるいは自分の空気感みたいなものへと入り込んでいくこともある。そして次には、また多層的でエネルギーの高い作品が出てくるかもしれない。でもそれって、単に人生や心理の話なんだよね。物事はそういった直線的なものではないんだ。
アンソニー・ブラクストン(Anthony Braxton)の言葉で、昔に読んでずっと覚えているものがあって……正確な全文は思い出せないんだけど、“emotional landscapes(感情の風景)”というフレーズだけが強く印象に残っているんだ。音楽に関連して使われていた言葉なんだけど、それを読んでまさしくその通りだと思った。感情の風景って、とても広大なんだよ。人間の内側にあるものは本当に大きい。でも、音楽が商品としてパッケージされる構造の中では、ミュージシャン自身も自分は音楽のパッケージを提供している存在だ、という感覚を持ちやすいんだ。そうすると、自分のやることを商品的に定義してしまいがちになるんだよね。「自分はアンビエントをやる人間だ」とか、「自分はテクスチャー重視の音楽を作る人間だ」とかさ。そうやって自分の枠を決めてしまって、その枠に合った楽器を選び、オーディエンスもその像を期待するようになって、最終的に自分自身もその定義に縛られていく。全部が一つの定義の構造に向かって積み上がっていくんだ。でも、それはすべてフィクションなんだよ。人は“何者か”なんて決まっていない。ただ、多次元的な創造性を持った個々の存在なんだ。表現の次元は一つじゃないし、与えられるものはたくさんある。だから、僕にとっての目標は、ミュージシャンとして自分の内側にある様々な次元、様々な風景を解放していくことなんだと思う。それがこの仕事の本質なんじゃないかな。さっき言った“アルバムごとにページをめくる”という話に戻るけれど、あるアルバムが自分の一つの側面を見せて、次のアルバムがまた別の側面を見せる。それは全部、一つのアートの歴史の側面に過ぎないということだよ。
──『Of The Earth』は自身が新たに立ち上げたレーベル《Shabaka Records》からリリースされる初のアルバムとなります。《Shabaka Records》を立ち上げた理由を教えていただけますか?
S:今、自分の手元には制作途中の音楽がたくさんあって、ビジネス的な観点から見ても、それを発表するのに一番適した方法がこれだったということだね。これからの時代、アルバムをリリースする方法は実はたくさんあると思うんだ。でも、多くのアーティストは、その選択肢を十分に理解していない。いまだにレコード会社と契約するしかない、運が良ければ前金をもらって、その代わりに収益の半分は持っていかれる、みたいなことを前提として考えている人も少なくない。でも、実際には作品を世に送り出すやり方は他にもあるんだ。自分にとって大事なのは、選択肢があるということを、自分自身の行動を通じて示すことなんだよね。だから、僕自身のレーベル、《Shabaka Records》というレーベルは、自分の音楽にとってより良いビジネス形態を手に入れるための手段ってこと。特にレコード制作のための資金を必要としていないなら尚更だよ。今回はすべて自分で制作したから、外部の資金に頼る必要がなかった。ということは、問題は何もないってことだよね。自分のタイミングでアルバムを出せるし、作品を発表する自由を手に入れたんだ。
理想を言えば、これからは時間をかけてじっくり作るメインの作品がある一方で、もっと気軽に音楽を発表していきたいとも思っているよ。例えば、インスピレーションが湧いた数日間で小さな作品集みたいなものが完成したとしたら、それをすぐ世に出せる状態でいたい。そのためにはこの形が最良なんだ。というのも、他のアーティストと同じレーベルに所属していると、今は別のアーティストのリリース時期だから、君はもう少し待っていてね、という状況が起こったりするからね。でも、僕のレーベルには他のアーティストは所属していない。自分が完成させた音楽を、その流れで発表することができるんだ。その状態が僕にとっては理想的だよ。
──ありがとうございました。日本でも近いうちにライヴを拝見できるのを楽しみにしています。ちなみに、『Of The Earth』の制作中はどのくらいライヴを想定していましたか?
S:いや、最初からライヴでやることを前提にしていたわけではないよ。でも、実際のことろ「この曲はライヴでどう再現したらいいのか」という難しさについては考えていた。これまでの自分のライヴは、ずっとバンド編成が基本だったからね。それに今回はビートやエレクトロニックなプロダクションも取り入れている。そうなるとライヴのフォーマットもまったく異なるものにする必要があるんだ。それに加えて、スタジオで長い時間をかけて作り込んだプロダクションを、そのまま再現するようなライヴをやりたくはない。だからライヴでは、そのプロダクション自体は大きなサウンドシステムで鳴らしつつ、その上で十分な生の要素も加えて、きちんとクリエイティヴなものにしたいと思っているよ。ただ、バッキング・トラック自体は素晴らしいプロダクションだから使いたい気持ちもある。だからずっと考えているのは、レコーディングされた音源をどうやってクリエイティヴな形で使うか、そして自分にとってもちゃんとインスピレーションが湧くようなライヴの形にできるかどうか、ということなんだ。
〈了〉
Text By Daiki Takaku
Photo By josephouechen
Interpretation By Yumi Hasegawa
Shabaka
『Of The Earth』
LABEL : BEAT RECORDS / Shabaka Records
RELEASE DATE : 2026.03.06
配信リンク
https://shabaka.ffm.to/oftheearth
CD/LPのご購入はこちらから
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