【未来は懐かしい】
Vol.57
驚きの発掘リリースによって明らかになった、稀代のファンク〜ソウル・バンドによる1974年来日コンサート音源
1970年代半ばのソウル・ミュージック・シーンでは、演奏と歌唱、ソングライティングの全てを自己完結して表現する諸アクトが「セルフ・コンテインド・グループ」と分類され、大きな注目を集めるようになった。代表的なグループとしては、アース・ウィンド&ファイアー、クール&ギャング、オハイオ・プレイヤーズ、コモドアーズらの名を挙げられるが、彼らの最も革新的だった点は、それまでに支配的だった「歌手+バックバンド」という形、あるいは「専業作家+シンガー(およびヴォーカル・グループ)」という図式を超え、作曲から演奏・歌唱まで、グループ自らが主導して創作活動を行ったということにある。現在では、「アーティスト自身による自己完結的な創造」など、あまりに当たり前のことに感じられるかもしれないが、当時は、旧来型音楽ビジネスの類型からの脱皮という視点でも非常な意義を孕んでいたし、当然ながらそうした「ブラック・ミュージシャンの主体化」の流れは、同時代における「ブラック・パワー」運動の諸展開とも決して無関係ではなかった。
1969年に結成されたウォーは、上記の面々同様そうした自作自演グループの源流の一つにして、音楽性の多彩さとメッセージ性の強度という意味でエッジの部分に位置していたと評すべき、重要なバンドの一つだ。彼らはもともと、カリフォルニア州のロングビーチを拠点に活動するグループを前身としており、プロデューサーのジェリー・ゴールドスタインが、元アニマルズのエリック・バードンの新プロジェクトのためにそのメンバーを招集したことをきっかけにレコード・デビューを果たした。バードンとの2作を経て独立したウォーは、1971年のシングル「All Day Music」のヒットを皮切りに、続く「The World is the Ghetto」、「The Cisco Kid」(1972年)とそれら収録したアルバム『The World is a Ghetto』を大ヒットさせたことで、一躍ソウル〜ファンク界のトップ・バンドとして人気を博すこととなった。
他グループと比べたとき、彼らの演奏の一番の魅力は、南カリフォルニアのシーンの熱気と混交性をそのままパッケージしたようなごく多文化的なサウンドにある、といえるだろう。リズム&ブルースやファンクを軸に、ロック、ジャズ、カリブ海音楽、チカーノ・ソウルをも射程に捉えたそのサウンドは、同地シーンの活況とエスニシティの混在ぶり、更には、ストリート・カルチャーの湧き出る生命力をこれ以上なく見事な形で伝えている。また、同地に根付くローライダー文化と繋がりでも知られており(ズバリ「Low Rider」というヒット曲もある)、のちのヒップホップ界での多数のサンプリング例にも示唆されている通り、ギャングスタ・ラップやその周辺カルチャーへの影響という点からも、とみに重要な存在だといえる。
本作、『Live in Japan 1974』は、そんな彼らがキャリアの絶頂期にある1974年の12月に行った日本公演の模様を捉えた、初登場となる発掘ライブ・アルバムである(静岡公演の音源を中心に、大阪・東京公演が加えられている)。
演奏メンバーは、ロニー・ジョーダン、ハワード・スコット、ハロルド・ブラウン、チャールズ・ミラー、モリス・B.B.・ディッカーソン、リー・オスカー、パパ・ディー・アレンという黄金のラインナップだ。収録曲目も、先述の「All Day Music」や「The World is a Ghetto」、「The Cisco Kid」等の代表曲から、同時期に制作中だった次年リリースのアルバム『Why Can’t We Be Friends?』からの数曲まで、この時点の彼らのベスト・オブ・ベストともいえる内容であり、長年のファンはもちろん、ウォーの入門編としても十二分に魅力的な作品となっている。
スタジオ作品においてもジャム・セッションを基盤に曲作りと録音を行っていたという彼らだけあって、ライブという場は、プレイヤーとしての各人の力量やセンス、そしてバンド総体としての演奏構成力と力強いグルーヴを示すにあたっての格好の場であった。それが証拠に、1973年のアルバム『WAR Live』をはじめ、これまでに複数枚の実況録音盤をリリースしており、ライヴ・パフォーマンスの場がバンドのアイデンティティにとっていかに重要なものであったが察される。
本作も、そうした過去の傑作ライブ作品に列されるべき、素晴らしい内容だ。当意即妙のインプロヴィゼーションを通じてじわじわと演奏が盛り上がっていく各曲を聴けば、ジャム・バンドとしての彼らの類稀な魅力がベストに近い形で捉えられているのがわかるだろう。各種パーカッションやハーモニカを交えたアンサンブルもやはり相当に個性的だし、それらに映し出される芳醇で多文化的な色彩は、同時代のヴォーカル&インストゥルメンタル・グループ中における彼らの特異な存在感を改めて見事に伝えている。
また、当時の日本のオーディエンスの興奮ぶりにも、否応なく胸を熱くさせられる。演奏展開にあわせて手を叩いたり喝采を叫んだりする様は、1970年代半ばという時点で、最先端のソウル〜ファンク・サウンドが遠国のファンにどのような形で受容されていたのかを説明する、貴重なドキュメントともなっている。
加えて指摘したいのが、その音質の素晴らしさである。かつて、プロデューサーのゴールドスタインを中心とするウォーのチームは、あらゆるリハーサルやステージの模様をアーカイヴ用に録音し続けてきたのだというが、遠い将来を見据えたその先見的な意識に驚かされるとともに、何よりも今回発掘された音源の、「ただ記録用に録っておいた」というレベルをはるかに超えた高音質ぶりに驚嘆せざるをえない。ライナーノーツ掲載のジョーダンとゴールドスタインへのインタヴューによると、専属エンジニアを帯同させた上で、日本現地の音響スタッフの強力を得ながらマルチトラック・レコーディングされたものなのだという(今回の発掘盤のマスターには、そのテープを元に正式にトラックダウンされた音源が使用されている)。ゴールドスタインが「彼ら(引用者注:日本のエンジニア達)のテクノロジーは秀逸だったし、レコーディングしたサウンドはとてつもないものだった」と述べている通り、ここに収められた音源は、初期においては何かと貧弱さが指摘されがちだった日本のPAシステムが、1970年代を通じて急速に進化しつつあったという通説を、圧倒的な説得力をもって裏付けるようなパワーと精細性を湛えている。黎明期から数えてたった数年の時点で、これほどまでのPAとライヴ・レコーディングの技術が(正式な発売を予定した音源ではないのにもかかわらず)実現されていたという事実に、私達50年後のリスナーは畏敬の念を抱かざるをえない。
最後に、ライナーノーツの充実ぶりにも触れておきたい。音楽ジャーナリストの吉岡正晴が書き下ろした解説は、彼らの歩みとその音楽の魅力をコンパクトに把握するにあたってはまたとない読み物だし、上で触れたインタヴューにも貴重なエピソードが満載である。特に、次アルバムのタイトル曲にしてヒット曲として知られる「Why Can’t We Be Friends?」が日本滞在中に得たインスピレーションを元に作られたという有名な裏話を改めて回顧している箇所などは、ファンならずとも大変興味深く読めるだろう。当時の彼らを大いに喜ばせたという日本側の歓待ぶりと、裏腹に、道行く彼らに投げかけられたという日本の大衆からの恐怖心に満ちた眼差しのギャップには、戦後日本が抱き続けてきたアメリカ文化への憧憬と畏怖が、残酷なほどの赤裸々さをもって映し出されていると感じた。本作『Live in Japan 1974』は、日本の洋楽受容史の観点から見ても、第一級の資料といえるだろう。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki
