【未来は懐かしい】
Vol.44
DIYシティ・ポップの親密
一人のアマチュア・ミュージシャンが奏でた光と風
時は1980年代後半、バブル真っ盛りの頃。日本のポップ・ミュージック・シーンの主流は、それ以前のニュー・ミュージック活況の時代から、バンド系のサウンド(=バンド・ブーム)へと移りつつあった。
そんな中、東京在住の一人のアマチュア・ミュージシャンが、ひっそりと自宅録音を重ねていた。少年時代からシティ・ミュージック~シティ・ポップに親しんできた彼の作る曲は、AORやソウル、ブラジル音楽等からの影響を受けた、都会的で洗練されたものだった。けれど、その音楽はあくまで彼が自室の中で一人で奏で、重ね、歌ったものだった。一般的にイメージされるシティ・ポップのサウンドとは異なり、その曲達は、お世辞にもゴージャスとは言えない素朴なものだった。しかし同時にそれは、一人の青年が日々の生活の中でいかに深く音楽を愛し、音を出すことに喜びを感じていたのかが手に取るようにわかる、稀有な輝きを持つものだった。
彼の名は、鈴木慧という。1958年、東京池袋に生まれた鈴木は、早くからラジオを通じてシティ・ミュージック~シティ・ポップに親しみ、後にはレコード店のアルバイト生活を通じて、ティン・パン・アレー一派のレコードの熱心なコレクターとなった。高校の頃に友人たちとバンドを結成し、卒業後の1977年から都内のライヴ・ハウスに出演するようになる。また、尚美高等音楽学院へ進学した鈴木は、バンド活動の傍ら、クラシックやジャズの理論に触れながら、専門的な作曲技術を学んだ。ブラジル音楽やソウル・ミュージックにも親しみ、自らの音楽的なアイデンティティを築いていった。
その後も社会人生活を送りながらバンド活動を続けていくが、キャリアを積むに連れて徐々にメンバー各人が多忙になっていき、1980年代半ばには自然解散してしまう。しかし、入れ替わるように1983年頃からバンド時代のレパートリーを元に一人宅録を行うようになり、並行してソロでのライヴ活動を開始する。
1987年、既にアルバム二枚分のトラックを録音していた鈴木は、それらの成果をLPにまとめてリリースしようと決める。レコード自主制作の窓口会社として知られるアテネ・レコード工業へマスターを持ち込んだ彼は、当時勤務していた広告代理店《Real Creative Agency》の名を借りた自主レーベルから、2枚のLP『マンデリン・ストリート』、『夏が見せる夢』を順次リリースしていった(鈴木本人は『夏が見せる夢』をファースト・アルバムと考えていたが、『マンデリン・ストリート』の方が明るい内容だったため、そちらを先に世に出すべきだと思い直し、リリース順を逆にしたという)。次いで、翌1988年には、新たに書き下ろした曲を収めたサード・アルバム、『週末の光と風』をリリースした。
今回紹介する編集盤『遠い旅の同行者』は、上記3枚のLPからのトラックを軸に、1993年に同じく自主制作されたCDアルバム『心適わない夏、そして秋』の一部収録曲を加えたものだ。リリース元は、米ポートランドの《Incidental Music》で、選曲も同レーベルのオーナー、オースティン・トレットウォルドが手掛けた。ハードなレコード・コレクターとして知られる彼ならではの実に優れた仕事だ。もともと彼は、偶然ウェブ上で鈴木のレコードの存在を知ったのだそうだ。その後、あるショップのホームページに貼られていた視聴リンクを聴いたところ、その素晴らしさに感動し、すぐに本人宛にメールを送ったのだという。
一方で、折しもここ数年、鈴木がかつてリリースした3枚のレコードは、東京の一部DJや主に幡ヶ谷《Forestlimit》周辺のリスナーに再発見され、まるでタイムカプセルに保存されていた品に接するように、大切に聴かれてきたという状況があった。2019年には、《Forestlimit》で鈴木のライヴ・パフォーマンスが行われるという出来事もあったし、『和レアリック・ディスクガイド』等の本に鈴木のLPのレビューが掲載されたりもした。更には、今回のリリースのコーディネートを行った《pianola records》/《conatala》の國友洋平によるプッシュも重なって、一部の音楽ファンの間へ着実に鈴木の名が浸透していったのだ。
「東京Contemporary! 成分=Jazz40%, Soul30%, Brazil20%, 歌謡曲10%」。これは、アルバム『週末の光と風』付属帯に記載された、鈴木本人よるキャッチコピーだ。鈴木の音楽を形容するにあたって、おそらくこれ以上に的確な表現はないだろう。一人自室のマルチトラック・レコーダーに向けて吹き込んだ楽曲には、たしかにそれらの音楽要素が絶妙に溶け合わされている。
しかし先に述べた通り、そのサウンドは、「製品」という語彙とは程遠い、ごく親密な手触りを湛えたものだった。オリジナルのシティ・ポップ文化が、加速する消費指向やカタログ雑誌的ライフスタイル、更には音楽産業主導のコマーシャリズムと決して無縁のものではなかったのと比較して、「DIYシティ・ポップ」とでも呼ぶべき鈴木の楽曲は、あくまで自らの音楽愛と自らのスタイルに忠実な、ごくプライベートなものだった。YAMAHA CS01やDX-7といったシンセサイザーやリズムマシンなどの機材を駆使して作られた宅録音源には、それらの機器と日々接しながら日常的に音楽を作る鈴木の喜びが、実に鮮やかに写し取られている。たしかにプロフェッショナルなクオリティには達してないかもしれないが、その分だけ、ゆらぎ、息遣い、温度等の機微が直接的に伝わってくるような、ある種のスリルすら感じさせてくれるのだ。過去のある日、ある一人の青年が、都市の喧騒から隠れた自室の中でこの音楽を記録したという事実が、なにやらこれ以上ないほどに尊く、愛おしいものとして浮かび上がってくる。
鈴木慧は現在も音楽を作り続けており、本人のホームページなどで聴くことができる。使用機材もアップデートされサウンドもより現代的になっているのだが、それがまとう愛おしさ、尊さは少しも変わってはない。また、地元・江古田のライヴ・ハウス《Cafe FLYING TEAPOT》で定期的にライヴも行っている。CS01を肩から下げ、カセットテープに録音したリズムトラックを再生しながら歌うという特異なスタイルのパフォーマンスを、ぜひ一度体験してみてほしい。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki
柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】
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