【未来は懐かしい】
Vol.37
ローカリティ、テクノロジー、「先祖返り」としてのエレキ
〜フランス発の編集盤で聴く寺内タケシ
去る2021年6月18日、惜しまれながら82年の生涯の幕を閉じた「エレキの神様」寺内タケシ。音楽家としての革新的な仕事の数々はもちろん、長年の社会貢献活動等を通じて生前から唯一無二の地位を確立してきた彼だが、その存在感は、逝去を経た今、より一層大きなものになってきているように思う。
今年2月にフランスのレーベル《180g》から発売されたコンピレーションLP『Eleki Bushi 1966-1974』は、2023年の今、寺内タケシの偉大さを再確認するにはもってこいのレコードだ。これまで寺内タケシの仕事をまとめた編集盤は数限りなくリリースされており、そのほとんどが国内向けのものだったが、例外として英《ACE》による2011年の名コンピ『Nippon Guitars (Instrumental Surf, Eleki & Tsugaru Rock 1966-1974)』もあった。『Eleki Bushi 1966-1974』は、同作でも多くピックアップされていた寺内の民謡/演歌等のドメスティック音楽路線をよりコンパクトにまとめたものとして、初心者にもオススメしやすい作品となっている。
寺内タケシの歩みを振り返るときにまず言われるのが、日本音楽界にエレキ・ギターという存在を定着させた立役者としての偉大さだ。そして、それに付随して「日本ロックの始祖」の一人として語られる場面も多い。前者は疑問の余地はないとして、もちろん後者についてもある部分では真実だと思うのだが、近年になって各所で指摘されている通り(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/29127)、彼の偉業は決して「西洋音楽であるロックの受容史」の中でのみ測られるべきものではない。むしろ、そういった視点からはこぼれ落ちがちな視点=ローカルな音楽的蓄積を、グローバルな存在としてのロックミュージックの側へ主体的に逆流させつづけた比類なき表現者としての寺内タケシ像にこそ、真の偉大さが反映されているように思う。
A-4「津軽じょんから節」は、寺内とブルージーンズが初めて本格的に伝統音楽に取り組んだ1966年発表の歴史的な作品集『レッツ・ゴー・エレキ節』からの一曲だ。チェット・アトキンスらのカントリー・ギターやヴェンチャーズらのサーフ・ギター・サウンドを消化し尽くした寺内による豪放な演奏は、同時に、日本の三味線の奏法からも明らかな影響を受けたものであることがよく知られている。寺内の母・初茂は草紙庵流三味線の家元であり、幼い日の寺内は彼女の演奏に日常的に触れ、幼少期にギターを弾きはじめてからは、実際に彼女から厳しい演奏指導を受けた経験も持つ。寺内の強烈なトレモロ奏法、ベンド、アーム使いなどが三味線の奏法に大きな影響を受けているのは想像に難くない。『レッツ・ゴー・エレキ節』およびこの「津軽じょんから節」は、レコーディングアーティストとしての寺内が「ルーツ回帰」を掲げた明確な始点だったといえる。
1966年という(「ロック」という概念すら未生成であった)時代において、西洋ポップスのフォーマットとドメスティックな要素をいかにして結合しうるのかという課題に挑戦し、しかも目覚ましい成果を挙げているというのは、その後の日本のロックがそのアイデンティティの獲得に汲々としながら藻掻き続けていくことを思うとあまりに先駆的だし、そもそも、彼においてそういった問題意識は端から乗り越えられていたのではないだろうかとも思わせる。
本作は、この『レッツ・ゴー・エレキ節』をはじめ、続編というべきバニーズとの『正調寺内(エレキ)節』(1967年)、『エレキ一本演歌で勝負』(1970年)『羅生門』(1970年)、『津軽じょんから節』(1974年)まで、1970年代前半までのドメスティック/ルーツ路線の諸作からバランスよく選曲されているので、アンサンブルや音響面での進化ぶりを追いながら聴いていくのも面白い。特に『羅生門』のタイトル曲A-1を今回初めて聴く方は相当驚くだろう。日本音楽史において全く類をみない重厚でいてシャープな一大エレキ叙事詩である同作は、かねてより国外のサイケデリック〜プログレッシブ・ロック・ファンからも評価が高い。綿密に構築されたアンサンブルの中で荒々しいギター・トーンが入り乱れる様は、まさに痛快そのものだ。寺内のギター・トーンの特異性についてはこれまでも様々な分析がなされてきたが、今回改めて、あまりに含蓄豊かなサウンドであることに驚かされた。
かつて音楽評論家の中村とうようは、エレクトリック・ギターをはじめとした電気楽器を「先祖返り」であると喝破した(『ミュージック・マガジン』1983年8月号27頁)。その主旨はこうだ。元来世界各地域の楽器(中村はシタールや三味線を例として挙げている)は様々な「雑音」や「ビリつき」「ウナリ」を含んでいたはずだが、西洋人がアコースティック・ギターという楽器を作り出し(ここに諸説あることは措く)、それらの雑味を取り除いてしまった。エレキ・ギター(やそこに付随する様々な電気機器)というのは、その雑味を取り戻すという意味で「先祖返り」なのだ、というわけだ。
とすれば、寺内のエレキ・ギターのサウンドとその奏法が体現し続けた「雑音」や「ビリつき」「ウナリ」もまさに、「先祖返り」の一種であり、同時に、日本音楽史におけるその極例と考えることも可能だろう。
圧倒的なヴィルトゥオーゾでありながら、西洋のアート・ロック系に聴かれるような没入的な禁欲性とはまったく異なり、あくまで身体の律動、細かな震えを生体レベルから奔出する。そのサウンドは、ロック以前のロックンロールの肉体性へと回帰し続けるものでもあり、それ以上に、土着の音楽に宿る「雑音」や「ビリつき」「ウナリ」と同一化し続けるものでもあったはずだ。
父の影響を受けて幼い頃から電気工作に親しんだ彼は、早5歳のとき(寺内は1939年生まれなので、戦時中の話だ)に自作のエレキギターを作り上げ、母を真似て演奏していたという伝説を持つ。寺内はプロミュージシャンとして活動を開始した後も折々のテクノロジーを貪欲に取り込み、それを自らの周りに生来的に存在していたローカルな音楽文化と衝突させていった。後に日本のロックおよびポップ・ミュージックが(そのアイデンティティの宿命的な空洞性ゆえ)帰納的に導き出していった(導き出さざるを得なかった)セルフ・オリエンタリズム的な戦略とはまったく隔たった、一種のブリコラージュ的な「グローカライゼーション」の蠢きが、はじめから彼の表現には息づいていたのだ。
アルバム『津軽じょんから節』からのA-3「津軽瞽女」とB-2「津軽花笠」も素晴らしい。特に「津軽花笠」は、寺内がリズムにも多大な関心を払い続けてきたことを物語っている。タイトル通り花笠音頭にインスピレーションを得たと思しきハネ気味のリズムは、ファンク風でありつつ、同時代に流行しつつあったレゲエを視野に収めたようなもので、東アジアとカリブ海をつなぐ壮大な音楽地図が目の前にぼんやりと浮かび上がってくる。こういう曲を聴くと、同時期、あのクリス・ブラックウェルが寺内タケシを「発見」し、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズやキング・サニー・アデのようなプロダクションをまとって《ISLAND》から作品がリリースされていたなら……などというifへ思いを馳せてしまう。仮に実現していたとしたら、マーリーやアデがそうだったように、いかに西洋マーケット向けに「メイクアップ」されようとも、かえってそうされればされるほど、寺内タケシというローカルアーティストの強靭な個性が浮かび上がることになっただろう(というifをまた妄想してしまう)。
本作のような好コンピレーション盤発売の勢いを駆って、寺内のドメスティック路線の集大成というべき10枚組の超絶的大作『日本民謡大百科』(1978年)がデラックスな形でリイシューされたりしないものだろうか。旧来のガレージ・パンク目線ではない、2023年的な視点=「日本のグローカルポップ」の始祖の一人としての寺内タケシ再評価は、まだまだ端緒に就いたばかりである。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki
柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】
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