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【未来は懐かしい】Vol.28
現代における「リイシューの倫理」とは何か──エジプト/リビアのポップ・スター、ハミッド・エル・シャーリの初期作品を聴く

15 March 2022 | By Yuji Shibasaki

本連載は、ここ数年における非欧米産音楽リイシューの盛況ぶりを度々伝えてきた。様々な新興レーベルが地道なリサーチに基づいた好作を数々発表してきたが、アラブ地域、中でも北アフリカ産音楽のコンパイルにおいて《Habibi Funk》ほど充実した仕事を届けてくれるレーベルは他にないだろう。

《Habibi Funk》は、ドイツ・ベルリンを拠点とするヒップホップ系レーベル/レコード店の《JAKARTA》オーナーでもあるDJのヤニス・スターツが中心となって2015年に立ち上げられた。2012年にモロッコを旅行した際、ジェイムス・ブラウンの「Papa’s Got a Brand-New Bag」のアラビア語カヴァー(後に単独編集盤に収められることになるファドウルの「Sid Redad」)をレコードで耳にし衝撃を受けたことがレーベル発足のきっかけになったという。以来彼は、中東から北アフリカに至る各地域のショップに赴いてはレコードを掘り続け、お気に入りの曲を集めたミックスを制作するようになった。そして、綿密な準備を重ねた上、これらの地域の作品を正式にライセンス・リリースする《Habibi Funk》が設立された。

同レーベルはこれまで、入門編となるV.A.盤『Habibi Funk (An Eclectic Selection Of Music From The Arab World)』シリーズの他、各地アーティストの単独コンピレーションなど優れたリリースを連発してきた。第18弾目となる本作は、それらと同様普段非西欧圏のレア・グルーヴ音源に対してコアな関心の薄いリスナーをも惹きつけるポップな魅力を湛えている。

ハミッド・エル・シャーリは、エジプトを代表する著名シンガー/プロデューサーで、日本国内での知名度は限られているが、現地およびアラブ圏で大変な人気を誇るスターだ。同時代の西洋音楽から大きな影響を受けたエジプトの都会派ポップス=「Al Jeel(アル・ジール)」を牽引してきた一人でもある。

1961年11月29日、エジプトの隣国リビアに生を受けた彼は、ミドル・ティーンの頃からベンガジでアマチュア・ミュージシャンとして活動し、ラジオ局の楽団でオルガン奏者も務めていた。短期間のバンド活動を経ながらも航空機のパイロットを目指していた彼は、父親の勧めもあって70年代後半に留学のため渡英し、ロンドンで生活を送ることになった。しかし、徐々に音楽への情熱が上回るようになり、フレディー・マーキュリーやマイケル・ジャクソンなど、英語圏のスターのコンサートへ通ったり、自らもあの《Abby Road Studio》でアルバム制作を行ってしまうのだった。それが、エジプトのアレクサンドリアへ移ったのちに現地レーベル《Slam!》がリリースしたファースト・アルバム『Ayonha』(1983年)だった。この作品は、6,000本のカセットが制作されたというが、ほとんど成功をおさめることはなかった。しかし、セカンド・アルバム『Raheel』(1984年)が国内市場で好評を博し、その後1980年代後半から90年代にかけてはアル・ジール人気の本格化にあわせてスターダムへと上り詰めていった。プロデューサーとしても敏腕を振るい、アムル・ディアブやムスタファ・アマルら多くのスターと仕事をともにしている。

本作は、そんなシャーリのキャリア初期に《Slam!》から発表された 5本のカセット作品収録曲を厳選したコンピレーション・アルバムだ。サウンド上の特徴としてまず挙げられるのが、シンセサイザー等電子楽器の導入だろう。シャーリは、イギリス滞在時から最新のシンセサイザーに魅せられ、自らの音楽にも積極的に導入していった。上述のように同時代の英米ポップスに深く惹かれた彼は、それらのプロダクションに触発され、いわばグローバル志向の濃いサウンドを実践した。音階、歌唱やその譜割り、リズムなどにうっすらと伝統音楽由来の要素が残存しているように聴こえるが、70年代以前の旧来型アラブ・ポップスに比べるとその濃度は相当に希薄だ。象徴的なのがファースト・アルバム『Ayonha』のタイトル曲だろう。爽やかなハーモニーと滑らかな浮遊感をともなったグルーヴには、(その言語以外に)ほとんどドメスティック性を嗅ぎ取ることはできない(一昔前なら「フリーソウル」的視点から大々的に評価されたようなサウンド、といえばわかりやすいだろうか)。他にも、濃淡の差はあるにせよ、いかにも都会的で洗練された響きを聴かせてくれる曲が多い。

ディスコ、AOR、ポップなニュー・ウェーブ等様々な要素が混ぜ合わされたこうした音楽はその実、(日本のポップス史を振り返ってみればすぐに分かるように)非西欧社会でも同時多発的に制作され、リリースされていたのだが、かつては「シリアスな」音楽ファンの関心に上ることはかなり稀だった。あえていうなら、旧来の「ワールドミュージック」受容意識がひょっとすると内包してしまっていた視点、エキゾチシズム的視線によって現地の大衆音楽に「土着性」をぜひとも見出していこうとする視点、あるいは、各地民衆の「魂の叫び」を弁別的に摘出して称揚しようとする(ある種の教条左派的な)視点によって、これらの音楽の芳醇な蓄積がマスキングされてしまうきらいがあった。しかし、現在は違う。この変化には、音楽受容文化におけるポスト・コロニアリズム的な論理/倫理の浸透と敷衍が背景にあるのは間違いないだろう。従来は「中産階級的」だったり「〇〇(国名/地域名)ならではの面白味がない」などと切り捨てられてきたこれらの音楽にこそ、グローバリゼーションの進行とともにローカル文化のあり方が変遷にさらされ、さらにその中で自らの(音楽面も含めた)アイデンティティを再帰的に見つめ直していこうとする非西欧地域の都市生活者のリアリズムが、当然ながら深く刻印されているはずなのだ。こうした理解が敷衍した後では、十把一絡げに「西欧音楽への同化」を価値のないものとして見做すという(一見、現地文化への愛着へ駆動されているようだが実は観光的エキゾチシズムに下支えされたような)態度は、むしろ反動的なものとして退けられるだろう。西欧の文化的覇権をリアリスティックに受け止めつつも、それでもなお繰り広げられていたはずの「グローカル」なダイナミズムを敏感に感得する。そういうリスニングのあり方が興隆しているのだ。

ここ10年ほど、こういった意識は世界中の様々なポピュラー音楽を紹介しようとする者たち、例えばレーベル・プロデューサーやDJ、ディスク・ガイド編纂者の多くが共有している(あるいは共有すべき)前提的なものになってきていると感じる。一昔前によく目にした「辺境〇〇(任意の西欧産音楽ジャンル)」というあまりにも露骨にオリエンタリズム的な物言いは相当稀になったといえるし、逆に、「エキゾ」的なものを自ら戦略的に内包し、疑似(あるいはセルフ)オリエンタリズム的なあり方に逆説的な批評性を見ようとするようなメタ的な議論も深化してきた。当然これは、我々日本の音楽愛好家にとっても他人事ではなく、昨今巻き起こっている劇的なシティポップ・リヴァイヴァルの状況を考えるにあたっても、非常に重要な視点/意識となっているはずだ(例えば、先日刊行された『アジア都市音楽ディスクガイド』は、これらの問題意識を横断しながら巧みに編纂された象徴的な成果といえそうだ)。

《Habibi Funk》もまた、当然ながら同様の意識を深く消化しているレーベルである。ポスト・コロニアリズム的倫理に敬意を払い、かつての文化収奪の歴史と同じ轍を踏まないことを宣言しており、ライセンスにあたってもアーティスト本人、あるいは遺族からの許諾を必須条件としているという。利益の分配も、権利者と50/50の折半という条件で明朗性を確保している。ライナーノーツの資料的価値もきわめて高い。本作でも、ハミッド・エル・シャーリ本人へのインタビューも交えた充実のテキストが付属する他、エジプト出身の文学者ヤセル・アブデル・ラティフによるエジプト文化/音楽シーンに関する詳しい解説が掲載されている。

本作は、音楽的な楽しさや素晴らしさはもちろん、歴史性、グローカル文化論的な重要性、現代におけるリイシュー倫理のあり方など、様々な視点からみて第一級品といえるコンピレーション盤である。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


Hamid El Shaeri

『The Slam! Years (1983-1988)』



2022年 / Habibi Funk


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柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】


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