またホンデで会おう〜韓国インディ音楽通信〜第8回 “インディ”を体現する新人、ウ・ヒジュンについて
2年半ぶりの連載の執筆となってしまいました。以前と比べて時間的にも、気持ち的にも余裕ができたので、韓国・ソウルからシーンの今がわかるようなレポートを、暫くは頻繁に届けたいと思います。
2025年、“韓国インディ”のシーンは盛り上がっているように見えます。シリカ・ゲル(Silica Gel)を筆頭に、数千人規模のホールを埋められるような若いバンドがたくさん現れて、仁川ペンタポート・ロック・フェスは毎年15万人を動員するようになりました。人気バンドのライヴの盛り上がりはさながらアイドルのようだし、K-POPアイドル作品にソングライティング、プロデュースでクレジットされるミュージシャンも増えました(この“バンドブーム現象”については、僕がYouTubeチャンネルで解説しているので、是非そちらを参考に)。でも、こうしてインディとメインストリームの境界がより曖昧になっていく昨今、同時に僕の心の中ではずっと「インディってなんだっけ?」という問いが渦巻いていました。そんな時に出会ったミュージシャンが、ウ・ヒジュン(huijun woo)でした。
もともとはセッション・ミュージシャンとして活動していたベーシスト、ウ・ヒジュンがシンガー・ソングライターに転向し、突如発表したデビュー・アルバム『pumping of heart is torturing』(2025年)、そしてEP『once again, survive and cheek to cheek』(2025年)。これらが僕の問いに抗いようもなく答えようとしてくれる作品だったのです。彼女は韓国の評論家の間でも絶賛を浴びていて、インディ・シーンでは今年最大のホープかもしれません。今回の記事ではそんな新人ミュージシャン、ウ・ヒジュンのことを紹介します。
ウ・ヒジュンが今年4月に発表したデビュー・アルバムのタイトルは『pumping of heart is torturing』。韓国語の原題を訳すと「心臓のポンピングは拷問」。その言葉を読んで、何か手を出してはいけないものに手を出してしまったような感覚に陥った。ベース・ヴォーカルだという点もユニークだ。2分弱で終わってしまうポストパンク的なミニマリズムを感じる1曲目「A low god」から只者でない感じ。その後も爽快なフォーク・ロックに、アコースティックの曲があったかと思えば、最後は唐突に10分超のジャム演奏の曲がりと、音楽的意欲で溢れている。歌い方はまるで幼い女の子が童謡を口ずさんでいるようにも聞こえるし、リズムに上手く乗せきれず、ゆらゆらした感じが妙にリアルだ。その声からは喜び、悲しみ、怒り、いろんな感情が混ざり合って伝わってくる。「私たちのための都市はない」、「広い家に住むのは嫌。すごく恥ずかしいから」……ディテールな解釈には時間がかかるにしても、わかりやすい単語による繰り返しのフレーズが印象的で、この人は自分の話を歌っているし、言いたいことがあるんだということが猛烈に伝わってきた。そしてその表現は、さも誰かに飾られてきれいな商品になることを拒否しているように思えるくらい、あまりに生々しく等身大だ。僕は彼女の音楽にはオリジナリティがあると思った。
ベーシストとして活動していた頃の縁もあるのだろう。デビュー作にもかかわらず、『pumping of heart is torturing』のクレジットにはインディ・シーンでは著名なミュージシャンたちの名前が目を惹く。彼女とは長年の友人だというオム(omm..)が多くの曲で編曲を共にしているほか、パラソル(Parasol)、ジュリア・ハート(Julia Hart)、トランポリン(Trampauline)といったバンドで活躍したギタリスト、キム・ナウン、カデホ(CADEJO)のギタリスト、イ・テフン(「pumping of heart is torturing」のジャム演奏)、さらにラッパーのアンテル(Untell)という意外な名前まで。バンド・アレンジが絶妙にカッコいいのはこの人たちのおかげもあるだろうが、それでも演奏はヒジュンのスタイルに合わせるように、常にシンプルかつミニマムで、どこかいなたく、レトロな質感だ。あくまでヒジュンとそのキャラクターが、曲の主役になっているということを強調しておきたい。
ヒジュンは“生のまま”という感覚を大事にしている。驚きだったのが『pumping of heart is torturing』の発表から3ヶ月後の7月に早くも6曲入りのEP『once again, survive and cheek to cheek』(韓国語の原題を訳すと「もう一度生き延びて、頬を寄せ合う」)を発表したことだ。より売れるためなら、前作への反応が落ち着いた頃に、書き直しを重ねてプロデューサーたちと完成度を高めて出す手もあっただろう。だが、ライヴ会場で出会った彼女にリリースの速さについて聞くと、「時間が経ってしまうと感情も変わってしまう。その時々の気持ちをすぐに曲に残したい」といった話をしてくれた。実際、1曲目のローファイ・パンクな「born wanting to be born here」からワンテイク録りのような質感で、演奏もミスがありそうな完璧とはいえないもの。弾き語りの曲たちの音響も、自分の部屋で歌っているかのような生々しさだ。「I hate man」(韓国語の原題を訳すと「男が嫌」)の歌詞の一節、「私 男が嫌いで しきりに泣いて 男と生きたくなくて 泣く」なんて即興で歌っているかのようで清々しい。
プロフェッショナルな編集や計算された構成よりも、その感情で最初に鳴らした音、最初に浮かんだ言葉を大切にすること。つまりそれは、自分の感情も芸術性も飾らないことであり、ヒジュンの音楽の核心だ。そして、それらがあくまでデビューしたてだからのアマチュア性や低予算といった環境面から来るものではなく、彼女自身の自らを生のまま表現したいという“主体性”から来ていることが重要だ。インディ・シーンでさえ韓国ではトレンドや“見え方”を意識することが不可避になりつつあるいま、自らのオリジナリティで突き進む爽快さ、DIYに企画する姿勢は新鮮であり、その表現には信頼ができた。忘れていた“インディっぽさ”そのものだと思えたのだ。
ヒジュンの音楽を説明する上で、“インディ”に続けてもう一つ大事なキーワードが“フォーク”だ。そもそも彼女は普段のソロ・ライヴでも韓国のボブ・ディランと呼ばれたハン・デスの曲や高田渡の「生活の柄」の韓国語カヴァーを披露しているほどフォークの血が宿ったミュージシャンである。だが、彼女の書く歌詞を深く読んでみると、複雑で個人的な感情と社会への鋭い視線が交差していて、そのリアルさに惹かれてしまう。ここでは2つの楽曲の歌詞の一部を引用しながら説明しよう。
10代半ばに体が急に大きくなった
私はどうしていいかわからなかった
大人たちは秘密のような感じで祝福してたけど
私には何のことだかわからなかった
突き出た胸を抱えて
走るときにはその痛みを隠していた
背中を曲げてて親に叱られたとき
私の体が問題なのだと思った
あなたはそれを青春だと言うけれど
若い血が愛を後悔する
汚れた騎士道、安っぽい同情よ
私はもう、全部通り過ぎていっている
(「naked」より)
思春期に訪れた自分の身体の変化と、それに伴う戸惑いの感情を歌っているという「naked」は前半こそ平坦な言葉で、日記のようにパーソナルだ。だが、後半に移るとそれが自然と男性や社会の知ったかぶり、無関心や上から目線な態度を告発するような内容へ展開されていく。鋭い洞察力を持って、個人的な問題は社会の視線や構造とも繋がっているということを描き出そうとするスタンスは彼女の軸のようだ。
私は広い家に住みたくない
それはとても恥ずかしいから
私は広い土地にも住みたくない
いつも何かを踏んで立ち上がるだけだから
ぺしゃんこに押しつぶされて、天井を見上げている
その上では、男が必死になっている
狭いところに押し込めようとする
その男の体はあまりに乱暴で、冷たくて、熱い
(中略)
私はこの体で生きていくのが嫌
私はこの体で生きていくのが嫌
それが私を辛くするの
(「spacious house」より)
「spacious house」(原題を日本語にすると「広い家」)は『pumping of heart is torturing』に関するレヴューで最も言及される曲だ。一度でも韓国に来たことのある人ならソウルの空港に到着する直前に窓から見える高層マンションだらけの風景に圧倒されるだろう。韓国では多くの人が、社会に出てお金を稼いで結婚したら、高層マンションに住むことを望んでいる。大きな団地の中にはスーパーや幼稚園に塾、ジムまで含まれていることも珍しくはなく、バスや地下鉄に乗ってどこかへ行かなくても生活に最低限必要なことは解決するし、確かに効率的な住環境ではある。だが、ヒジュンはあるインタヴューで“広い家”は階層を象徴するモチーフにもなることを指摘していた。「私は広い土地にも住みたくない いつも何かを踏んで立ち上がるだけだから」という歌詞はそういうマンションでの暮らしが、警備員、宅配配達員、掃除作業者など大きな家には住んでいないかもしれない人たちの助けのもとで成り立っていることを想起させる。また、「その男の体はあまりに乱暴で、冷たくて、熱い」という歌は、大きい家(自動車でもいいかもしれない)を買って自分を大きく見せようという欲望をマスキュリニズムと結びつけているようで、彼女のリリシストっぷり、想像力にやられる。そんなシステムの一員になりたくないと歌うヒジュンは他の曲より、か弱く、悲しそうなトーンだが、最後には「私はこの体で生きていくのが嫌 それが私を辛くするの」と歌う。そんなふうに感情を体で感じていることを伝えることで、その重みがひしひしと伝わってくる。
アルバムのタイトル(「心臓のポンピングは拷問」)の通り、ヒジュンの歌の中では、感情が、身体的な痛みにもなり、生きることと死ぬことの意味を尋ねる疑問へと繋がっていく。努力や愛も上手くいかなかったり誰かに否定されることがあるし(「effort」)、ピュアで美しいと思っていた愛や世界が淀んで見えることもある(「A row」)。生きるということは、恥、罪悪感、悲しみといった感情と対し続けることだ。だから、この鼓動は痛みにもなるのだ。彼女は息をするようにして歌い、そうすることで感情を一時的に解いている。
ヒジュンの音楽は作り込まれた洗練さ、きれいで希望に満ちている未来や、誰にも負けない自信や強さとは正反対のものだろう。その代わり、未完成さえ受け入れる生々しさがあり、自分の心を表現する正直さがある。使い慣らされた言葉を鋭く磨き直し、幻想の代わりに、生きていることを生々しく感じさせる音楽に変えている。それは結果的にメインストリームの表現へと抗うようにも作用しているのだ。
ヒジュンは休むことなく活動を続けている。毎週のようにどこかしらでライヴをしているし、演劇音楽にも挑戦した。11月にはまた新曲を発表する予定だという。8月下旬からはイ・ラン、Meaningful Stone、Sailor Honeymoonなど女性ミュージシャンたちを集めた「—(女性たちの)人生は続かなければならない」という名前の自主企画のライヴを行った。彼女はあるインタヴューで「新しく活動を始める女性音楽家が、もっと安全な環境でスタートできるように手助けしたいし、その環境づくりにも関わっていきたいと思っています」と答えている。自身の音楽活動だけに留まらないその意欲、フォーク・ミュージシャンとしての芯の強さは、今後彼女が慕う先輩ミュージシャンたちのように、韓国のインディ・シーンでのロールモデルにもなるかもしれない。そんな期待も込めたい新星だ。(山本大地)
Text By Daichi Yamamoto
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