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オフシーズン(『The Off-Season』)のJ. コールを駆り立てたもの
──シンプリシティへの追憶と憧憬──

17 June 2021 | By Sho Okuda

コロナ禍がどうこう抜きにしても、世の中が複雑になって疲れている人って、めちゃくちゃ多いんじゃないかと思う。J. コールもその1人なのではないかと邪推する。実学から教養まで知らない間に〈必修科目〉が増えていて、履修を怠れば食い扶持に困ったりキャンセルされたりしてしまう世の中(“One phone call get you canceled like a homophobe in this PC culture”—「The Climb Back」より)。キャリア最高傑作との呼び声も高い『2014 Forest Hills Drive』(2014年)で見事なストーリーテリングを披露した彼には、それだけに作品を貫くコンセプトやメッセージと、相応のアウェアネスが求められる。

疲れると、人はシンプルなものを求める。明晰で、爽快で、慣れ親しんだものを。例えば筆者の場合でいえば、英数国理社の5教科のことさえ気にしていればよかった受験生時代。あるいは、目の前の対戦相手やサンドバッグのことさえ考えていればよかったキックボクシングの練習生時代。あの頃の感覚を、身体が欲する。仕事がデキて身体が強くて歌えて踊れて社会問題にも適切なコメントができる、なんていうマルチタレントを求められることのなかった頃の、あの感覚を。少なくない現代人が、やればやっただけの成果が出るワークアウトに励む一つの理由も、ここにあるように思える。

J. コールが今作『The Off-Season』をリリースしたのも、ルワンダのバスケットボール・チームでプロとしてデビューを果たしたのも、そうした経緯からではなかろうか、というのは穿った見方だろうか。その反証とまではいえないまでも、昨年スポーツ・メディア《The Player’s Tribune》に寄せたエッセイの中でコールが語っていた内容は示唆に富んでいる。

「31歳になった今、俺はパンチラインやウィット、一般的にラッパーの実力を決めるとされる物差しには、ほとんど興味のないアーティストになっていた。それよりもストーリーや感情、メッセージのほうがずっと関心事だった。こうした要素は自分に満足のいく瞬間をたくさんもたらしてくれたけれども、競争的な鋭さを失っていることは否定しようがなかった。《中略》『明日自分のキャリアが終わるとして、後悔はあるか? やりたかったのにやらずに終わったことはあるか?』明確な『Yes』が自分の身体を満たすのを感じた。」

ラップ・ゲームにおいてやり残したことがまだまだある──その思いが、男に火を点けた。

コールは『The Off-Season』のオープニング・トラック「9 5 . s o u t h」に、キャムロンとリル・ジョンを起用した。00年代前半に一世を風靡した両名の配置は、コンセプチュアルなアルバムを(ソングライターやプロデューサーを除けば)一人で作り上げることで名を馳せ“Platinum with no features”なんていうミームをも生み出した前作までの自分との(一時的かもしれない)決別であると同時に、メインストリームのヒップホップがもっとシンプルだった時代への憧憬をも示すものといえるのではなかろうか。注目が集まるリリックも“カマす”ことに主眼を置いたような内容で、コールが言うところの「パンチラインやウィット、一般的にラッパーの実力を決めるとされる物差し」を意識したようなラインが次々に飛び出す。例えば“M (= million)”を用いたワードプレイ一つとっても以下のような感じ。

Could put a M right on your head, you Luigi brother now
お前の頭にMを付けてやることだってできるぜ これでお前はルイージの兄弟(マリオ)だ
—「9 5 . s o u t h」より

Shit crazy, didn’t know I got more M’s than a real Slim Shady video
こいつはクレイジーだ 「Real Slim Shady」のビデオに登場したエミネム(Em)より多くのMを手にしたなんて
—「a p p l y i n g . p r e s s u r e」より

音楽的にも良い意味で統一感のない本作では、上述のとおり00年代前半を想起させる配役を行ったかと思えば、例えば「p r i d e . i s . t h e . d e v i l」ではアミーネの「Can’t Decide」をサンプル。この自由さ加減もジェイ・Z「Dead Presidents II」などをビートジャックしていたミックステープ時代のコールを彷彿とさせる。そして、再び“カマす”。「一般にラッパーの実力を決めるとされる物差し」でも勝負できることを示すには十分な内容であり、“疲れた”人にとっては本当にスカッとさせられる作品だ。

その一方で、これもミックステープ時代から健在であるのだが、含蓄のある言葉を差し込むこともお家芸的にこなしてみせる。「a p p l y i n g . p r e s s u r e」では、「虚勢を張るんじゃなくて、貧乏なラッパーであることについて語ったらどうだ?(Instead of cappin’, why don’t you talk about being a broke rapper?)」という現代のシーンに対する彼なりの視点も飛び出し、最終曲「h u n g e r . o n . h i l l s i d e」では「奴らに俺のことなんて理解できるんだろうか/俺はプランAに全てを注ぎ込んだ 代替案なんて無いんだ(I wanna know if they understand me / I put it all on A, ain’t no plan B)」とスピットする。ミックステープ・モードになっても変わらないその真面目さと少しウジウジした感じに、クスッとさせられる。彼は今後もきっと“Platinum with no feature”モードとミックステープ・モードの間で、その時々の自分に応じたバランスを取りながら作品を紡いでゆくのだろう。

さて、コールにはやり残したことがもう一つあった。先述のエッセイでも語っていた、セント・ジョンズ大学時代にトライアウトをぶっちぎったバスケットボールのキャリアだ。アルバムをリリースした2日後にルワンダ・ペイトリオッツとの契約が発表された彼だが、その10日後には「家庭の都合」で短いキャリアを終えている。そういえば、『2014 Forest Hills Drive』リリース前に、彼は自身に言い聞かせるかのように「俺はこれでいいんだ」と語っていた。それから時が経ち、「まだやり残したことがある」として取り組んだ『The Off-Season』制作とバスケットボールのキャリア。挑戦の第1弾を終えて、コールの心は今どこにあるのだろう? 彼の音楽のファンとしてそれが気になってしまうのは、まさにそれが次作の方向性を左右するといっても、それほど間違いなさそうだからだ。(奧田翔)

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Text By Sho Okuda

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