「これからの未来の自分たちに対して罠を仕掛けていたい」
40周年を迎えたカーネーション
まどろんでいるけどラディカルな新作の背後にあるもの
昨2023年に結成40周年を迎えたカーネーション。活動開始当時のメンバーは今や直枝政広のみだが、大田譲が加入してからも既に30年以上、直枝と大田の二人体制になってからも早15年近くとなる。それでもサポート・メンバーを加えたバンド編成で頻繁にツアーを敢行。しかも、オリジナル・アルバムもコンスタントにリリースする。直枝に至っては、弾き語りでフットワーク軽く日本全国でライヴを行うこともしばしばで、コロナ禍で制作した前作『Turntable Overture』の際のインタヴューで語ってくれたように、邪気のない熱心で気骨あるレコード・コレクターとしても知られている。ニュー・ウェイヴの時代、ケラ主宰の《ナゴム・レコード》から最初の7インチ・シングル「夜の煙突」(1984年)をリリースした頃のストレンジな感覚は今も彼らの素地。そこに、ニール・ヤングのような骨太なロックンロール魂、キンクスのような斜に構えた黄昏感、あるいはカーティス・メイフィールドやアル・グリーンのような洗練されたブラック・ミュージック指向……それらが合わさり、さらには都度都度で新たな気風が吹き込まれる……カーネーションは実にタフな胃袋の持ち主たるバンドだ。なのに、聴き手にとても優しく、ロマンティックで、そしていつもどこか夢うつつでいるかのようでもある。
ニュー・アルバム『Carousel Circle』はまさにそんな彼らの40年の歴史が凝縮された、それでいて徹底的に攻め入ったアルバムだ。絶対的な歌唱力を持つ直枝の自身の手癖に甘んじることのないソングライティングは、新しいも旧いもなく、ただただ、これは一体なんなのか? ロックでしかないだろう? いや本当にそうか? を繰り返しながら奇妙な螺旋を描いてポップに着地させている。そこに、田中ヤコブ(家主)のギターがいきなり炸裂したり、谷口雄が各種鍵盤でグルーヴを創出し……というように新たなゲストが新鮮な空気を送り込む。鈴木さえ子がドラムを叩く曲が3曲もあるのも大きなトピックだろう。
ヴォーカル/ギターで、メイン・ソングライターの直枝政広と、今回、カーネーションのアルバムでは初めて自作曲(もちろんヴォーカルも)「深ミドリ」を公開したベースの大田譲。二人揃ってのインタヴューをお届けする。
(インタヴュー・文/岡村詩野)
Interview with Masahiro Naoe, Yuzuru Ota
──何と言っても大田さんが作った曲がカーネーション史上初めて収められた記念すべきアルバム、という話から始めましょうか!
大田譲(以下、O):これ、初めて採用されたんですよ(笑)。
直枝政広(以下、N):いやいや、大田くん、そもそも作ってきてないから(笑)。
O:いや、トライはしたんだよ。でもなかなかね。実は『a Beautiful Day』(1995年)の頃に、メンバーみんなで曲出ししよう、という話になっていたのね。でも……。
N:できなかった(笑)。その頃、そうやってみんなで曲を持ち寄るのって、なんかバンドっぽくていいなと思ったんですよ。で、実際、大田くんもその時にはチャレンジしていくつかコード進行とかを持ってきてくれたんですよ。で、2人でスタジオで向き合って作ったりして、粘ったんです。でも、うまく形にならなかった。で、久しぶりに今回「大田くん、作りなよ、アイディアの欠片でもハギレでもいいから、それをもらえたら俺が繋ぐから」って話をして。だから気楽にやってもらったんですよ。
──このタイミングで大田さんにそれを伝えたのは?
N:やっぱり40周年って節目があったしね。せっかくだから何か記念に何か書いてみない? て感じだったですね。俺はもう50年やってんですよ、曲を書くってことを。中学からやってるんでね。で、そういう俺みたいな人間と、たった今、ようやく初めて曲を書いた人間の曲が並んでるアルバムがあったら面白いじゃないですか。
O:ははははは!
N:もちろんそれだけじゃなくて……何ていうのかな、前のめりになって音楽っていうものを捉え直す良い機会になるんじゃないかなっていうのもありました。
O:もっとバンドに前向きに関わってくれよっていうね(笑)。
──大田さん、そもそも曲をちゃんと完成させたのはこれが初めてなのですか?
O:歌詞も書いてメロディもちゃんとつけたのっていうのは……これまでなかったのかな? コード進行だけ考えたりとか、鼻歌で簡単に歌ってみたりはしたことあったけど。
N:少なくともカーネーションではなかったよね。でも、グラファン(グランド・ファーザーズ)の頃……じゃないか、もっと前……ビー・セラーズの頃とかならあったんじゃないの?
O:ああ、そうだね。あの頃は、俺と(メンバーの)てっちゃん(西村哲也)と半分半分で曲を作ってたんで。でも、その頃はもうほぼベースだけでコードが変わっていくような……当時ニュー・ウェイヴの影響を受けていたんで、そういう曲を作っていたんですよ。
N:その頃はきっと大田くんの周りに優しい人がいっぱいいて、曲作りを助けてあげてたんだと思うんです(笑)。でも、今回は頼るなら俺に頼ってねって言って。
O:要はアレンジとか編集みたいなことですよね。僕はギターもうまくないし、機械の操作もあまりできないから、尺とかももうわけわからなくなっちゃう。つまり、曲として成立させることが一人ではできないんですよ。打ち込んでみたりもするんだけど、やり直しになったりすると、「マジかよ〜、もういいや!」みたいになってグチャグチャになっちゃう。でも、なんとか歌も入れて、歌詞ものっけて……。
N:で、一応形になったものが大田くんから来たんですよ。それをアレンジしたんです。それが「深ミドリ」です。
──でも、その「深ミドリ」だけではなく、今作は前のめりな曲が他にも多く収録されています。
N:そうなんですよ。正直、俺、前のめりになってやりすぎちゃうから、どうかなっていうのもあるんですけど、今回はそのやりすぎ感も新作に入れてるんです。実はね、何曲か本当はソロでやろうと思ってたんですよ。ちょっと奇抜なアイディアが浮かんでいたんで。ぼちぼちソロ・アルバムも作りたいと思っているんですよ。
──「カルーセル」あたりは直枝さんがソロ用に作っていたそうですが。
N:そうそうそう。そういう曲を今回は入れちゃってるから確かに前のめりなんですよ。
──しかも、初期の頃のカーネーションに繋がっているような側面もあります。メビウスの輪みたいに繋がって、何周目かに入っているような……。そういう意味では、40周年という節目を感じさせる内容のようにも思えました。でも作風自体はとても前のめり。
N:40周年も含めて、あんまり意識はしてなかったかな。もちろん1曲目の「ここから – Into the Light」には“灯りが見えないか”というフレーズがあるんですけど、意外にそれが「夜の煙突」の“僕の家の灯りが見える”という部分と繋がってたりとかね。そういうのはいくつかあります。でも、ガチガチに考えてたわけじゃなくて、歌詞を書いていると、いろんな思いがやっぱり降りてくる時があるんです。
──その“降りてくる思い”が地続きなのかもしれない。
N:いやあ、ブレようがないんですよ。もちろん、歌詞の捉え方とかあと何を歌うかってことはもうどんどん変わってきてるし、そこにこだわりはないですね。でも、作品の中で何か対峙するべきじゃないかなっていうことは、自然と曲の中から出てくる。キーワードとして。それがね、今回は、こう何か次に向かっている形を自然と作ることができたかなと思ってます。
──動いている状態を捉えた作品。
N:多分そうです。特に今回は歌詞が重要なんですよ。これはまだまだ書けるなっていう手応えがすごくある。今は大田くんと一緒にバンドをやってる以上、やっぱりリズム優先で作るんですよ。その作り方の基本は変わらないので、サウンドを中心にやっていくんですけど、サウンドを詰めて詰めて詰めて、本当に突き詰めていくと、今度は歌詞が降りてくるっていう図式なんです。そのプロセスが今回ちょっと面白かったんで、作業が終わったら新しい扉が開いたな、みたいな瞬間が結構あったんですよ。
──具体的にいうと……?
N:やっぱり僕にとって今回はアルバムの最後の曲「Sunlight」を作っている時でしたね。曲が降りてきた瞬間……今年(2023年)の4月でしたけど、ふっと、鈴木さえ子さんを(ゲストに)呼ぼうと思いついたんです。というのも、この曲って、僕が追い求める景色……心象の風景として、まどろみとか白昼夢みたいな感覚がまずあったんです。で、そこに到達するにはどうしたらいいんだろうっていうことをずっと考えて作ってたんです。その物語に近い、自分の歩き方みたいなものが歌の中に現れればいいなと思ってね。そこらへんは作家的な意志が働いたかもしれないです。
──「Sunlight」が作業の早い段階での大きな起点になった。
N:そう、割と早かったですね。あと「愛の地図」と「Sunlight」。この2曲は同時に出てきました。
──奇しくも鈴木さえ子さんが参加した曲です。
N:そうですね。あと、「カルーセル」と「光放つもの」は、ソロ・アルバムに入れようしようかなと思ってた曲で、これも重要な2曲。多分僕にしかわからないことなんですけど、何か、ツボがあったんだと思うんです。弾き語りをして、“ああ、これだな”っていう手応えがあったんですよね。僕、ここ何年も、改めてキンクスばっかり聴いているんですよ。キンクスが紡いできたコンセプト・アルバムの物語の中に、どうして僕らは入ることができないのかな? なんでそれができないのかな? っていう気持ちはずっと持っているんですよね。キンクスの曲って不思議な魅力がありますよね、面白いし、複雑だし……なんかそんなような歌が日本語で作ることができたらどうだろう、楽しいんじゃないかな、なんていう思いはいつもあったんです。もちろん彼らを真似てもしょうがないんですけど、何かその突破口が「Sunlight」を作った時に見えたんですよね。この曲のメロディに乗っかっていくと、もしかしてここ何年かの、そういう音楽的な思いみたいなものを形にすることができるんじゃないかなって気がしたんですね。とても眠くてしょうがないなあ、みたいな。ひなたぼっこしているだけの歌の世界が。
──「夢とうつつと雲の間にある」「声が聞こえたんだ/耳元で」という歌詞が、その昼寝感を伝えています。
N:そうそう。そういうとても幻想的とも言うんですけれども、音楽の中で遊べる物語性みたいなところにも辿り着けたかなっていう手応えがあったんです。
──私はケヴィン・エアーズを思い出しました。
N:うん、サイケデリックですね。
──幻想怪奇小説の世界もありますね。ルイス・キャロルとか。
N:確かにね。参加してくれた(鈴木)さえ子さんとも話をしていたんですよ。とにかくひなたぼっこみたいな曲にしたいんですって。そしたら、本当はドラムとピアノだけで終わるはずだったんだけど、さえ子さん、アイディアをいろいろ出してくれたんですよ。直枝くんの思う風景はどんな感じなんだろう? って訊いてくれて。メロトロンもそうだし、チェロの譜面も書いてくれて……どんどん道を広げてくれて、景色が見えてきたんですよね。そういうふうに物を作るって久々だった気がして。もしかしたら初めてかな? くらいに感じたりね。普段は孤独に自分の道を切り開いてきたんで、誰かの手を借りて世界を広げるってことがとても嬉しかったですね。しかも、最初に手応えを持ったこの曲が、そうやって着地できた。ヴィジョンをそのままに話し合って、音を作って……ってことがようやくできたような気がしてね。音楽家としてすごく大きな喜びがありました。
最後の最後まで、さえ子さん、心配してくれたんですよ。この曲、ちゃんとそこに行ったのかな? みたいなふうに聞いてくれて。俺、もうこの曲大好き過ぎて。もう、1曲目でもいいよって思ってたの。
O:俺はとにかく1曲目が「ここから – Into the Light」で、最後は「Sunlight」だなって最初から思っていたんです。でも、曲順決める時に、直枝くんから電話がかかってきて。どう? って言うから、俺は「その2曲については最初と最後でしょ」って言ったら「そうか……」って(笑)。
N:いやいや、俺、いつも変なアルバムを作りたいんですよ。昔から変な音楽を聴いてるからね。
──白昼夢の中でまどろんでいるようなアルバムなのに、ロック音楽としてすごくラディカル。なぜこのような作品に着地したのだと思いますか?
N:確かにね……でも狙ってできることじゃないんですよ。普通に立ってるようで実は地上から2、3センチ浮いていたみたいな感じ。それで、そのぐらいの視点で物を作らないと面白くないじゃないですか。ちょっと現実離れしていいんだな、だからこそ歌を作っていくんだなって。今回は特に遊ばしてもらいましたね。今話してくれた、まどろんでいるようなのにラディカルっていうのであれば、「カルーセル」っていう曲の、“あの木馬に跨って/太陽を背にうけ書き割りの荒野へ”って最後の歌詞……行き止まりの世界でファンタジーに生きている、そのあまりにも間抜けな姿がね、なんかカーネーションらしいのかなと思って。そういう意味では、俺たちってずっとそういうことやってたんじゃないかなって思ったんですよ。『GONG SHOW』(1988年)の頃は、某雑誌で“絵空事だ”なんて批評、批判されたこともあるんですけれどね!(笑)。
──絵空事、上等じゃないですか!
N:そうですよ。ポップスってそういうものですよ。俺たちはそれをずっとやってきたんでね。その点でも、ほんとブレてない、ブレようがない。
──さきほど、1曲目の「ここから – Into the Light」には“灯りが見えないか”というフレーズがあり、「夜の煙突」の“僕の家の灯りが見える”という部分と繋がっている、という話をされてましたが、他にもそういうセルフ・サンプリングじゃないですけど、自らアンサーソングを作っているような繋がりのある歌詞が多く散見されますよね。「カルーセル」には“サイケなココロ”という歌詞が出てくるし、他の曲にも直枝さんが割とよく使う言葉、何か象徴的な意味を持つ言葉が出てきます。そこは意識的なのですか?
N:何度でも同じ言葉は使えますからね。ただ、意識的ではないかな。そこは放っておくっていうか。そのうち繋がって、意味があることになるんだと思うから。確かに、「この言葉は前に使ったな」なんてよく悩んでた時期もありました。先輩……鈴木博文さんなんかも前に使った言葉を使わないように、意識的に避けて歌詞を書いてましたよ。そういう姿を見てきたから、作詞の道は厳しいな、と思っていて。でも俺はそこには抗わない。同じ人間がやってんだし、あえて最近は野放しにしてます。
──例えば、“トンネル”という言葉、これは直枝さんが割とよく使う重要ワードですが……。
N:(爆笑)なんかね、場面転換したいんですよ。トンネルを抜けたら何かガラッと変わってくるだろうな、みたいなね。川端康成の『雪国』、あの冒頭部分と同じことは誰もが体験してると思いますが、何か場面を変えたいって思った時に、つい使っちゃう……トンネル。だからね、もうそういう時は、諦めて、放ったらかしておくんです。無理に逆らわない。
O:直枝くん、結構よく使う言葉多いよね。“パンの耳”とか……。
N:“目玉焼き”とかね。
O:虫も多い。もうしょうがないんじゃないすかね(笑)。無理にそれを封印しても何か違うものになっちゃうしね。
N:自分の思いをせき止めることはしないってことですね。ただその言葉に辿り着くまでに相当の推敲はしてますね。
──では、直枝さんにとって、今2023年における“トンネル”は何を象徴しているのでしょうか。カーネーションはコロナ禍以降も本当に積極的に活動を展開していましたけど、そこを早く抜けたい、という意味以上の何かがあるような気がしているんです。元の世界に戻るためのトンネルではなく、何か全く違う感覚が訪れる魔法の扉のようなものを模索しているのか、というようにも思えました。それは、あくまで主観ですが、まどろんでいるのにラディカル、というこのアルバムの性格にも表れているようにも感じるんですよね。
N:いやあ、すごい精神分析! どうだろうなあ、歌の中で主人公を動かして見せたいっていうその作家性みたいな部分もあるとは思いますけど、トンネル一つに何の意味があるのかって言われたら、もしかしたら単なる装置でしかなくて。
あと、場面を切り替える、という意味では、「ソングライダー」とか「光放つもの」とかもアルバムの一番の見せ場だと個人的には思ってるんですけど、あのあたりの曲の、視点の動かし方というか、場面の切り替え方みたいなものを、音楽の聴き方の中に、もっと増やしていきたいっていう気がしているんですよ。その一つ一つが結構ハマっちゃってて、すごくいい感じに。まだ自分でどこに行こうとしてたのかそれはわかりませんけれど、とても良い実験ができたような気はしています。過去、僕が何万枚とアルバムを聴いてきたそのリスナー体験を全てかき集めて、なおかつ自分で自分に仕掛けた罠みたいなものも楽しんでいるっていう感じかな。だから単なるマンネリズムじゃない。刺激的なことを常にやってかないと、立ち止まっちゃうしね。これからの未来の自分たちに対して罠を仕掛けていたいんですよ。そして、そこを面白がれることができたらいいですよね。それを、リスナーのみなさんがどういうふうに聴いてくれて、ここを通過するのか楽しみです。何を感じてくれるのかって。それこそは音楽を作ってる者として、アルバムを作ってる者としては、失いたくないポイントなんです。
でもね、そういう時ほど結構うまくいくっていうのもあって。今回の歌詞は実は一気に10曲ぐらい書いたんです。正直、最初のうちはずっとサウンドの作業が中心になっちゃってたから、歌詞を書く余力がなかったっていうのもあって、最後に歌詞は一気に書いたって感じ。そこのその勢いはあるかもしれないね。
──歌詞といえば、最初に少し話をうかがった、大田さんの書き下ろし曲「深ミドリ」の、意味がありそうでなさそうなスキャットのようなサビがとてもいいですね。
N:あれいいよね! 呪文みたいなね。まさにそこがすごく気に入ったの。もう、ほんと素晴らしい。
──クリスタルズの「Da Doo Ron Ron」のあの感じに近いと思いました。
N:ああ、そうだね。
O:なんかね、正直自分でもわかんないんですよね。文字にした時に、書いてみて、なんかよくわかんないなって自分でも思ったんだけどね。まあ、これでいいかって。実はこの曲、京都市の北の方にある池の歌なんですよ。
──もしかして深泥池ですか。
O:あ、ほら、やっぱりすぐわかっちゃうね(笑)。
──私は京都に住んでいたので。いろいろいわくつきで、地元の都市伝説でも知られる池ですね。大田さんはあの近くの大学に通ってらしたんですよね。
O:そうそう。冬寒いときにあの池のほとりに立って、こういう言葉を捉えたら何か出てきそうな気がして。冬場は池の葦も枯れてて茶色かったり、ちょっと白っぽかったりするんだけど、その周りの山はすごい緑じゃないすか。その感じと、その何か冬の薄日が差している、あの風景なんですよね。それを歌詞にしたんですよ。
──その話を伺って、昔のバラッドに近いものがあるのかな、と思いましたよ。言い伝え、伝承を歌にしたもの。「Scarborough Fair」とか、あの感覚に近いかもしれない。
N:わあ、確かにそうだ! バラッドだこれ! 確かにねえ、なるほどねえ。面白い、すごく面白い。すげえ解釈。確かに物語あるからね。
──口頭伝承として誰かからともなく伝わっていく物語。
N:わかるなあ、「Scarborough Fair」、すごい影響受けましたよ、昔。でもね、歌詞って本当に難しくて。俺なんか、特に大田くんとの2人体制になってからはサウンドの作業の比重がすごく増えて、空き時間を探すのが大変という部分もあるんですよ。昔は他のメンバーが録音している時に、漫画本10冊くらい読めて、ふとアイデアを呼ぶなんてことザラにあったけど、今はそんなこともできない(笑)。ただ、それでも今回は一気に歌詞が書けたっていうのは自分でもすごいなと思ってますよ。
O:確かにね、直枝くんが今回ほどまとめて書いたのって過去ないんじゃない? 1、2曲これから書くんだっていうのは今までも何回かあったけど、10曲もこれから全部書くんだって言ってたからね、多分初めてぐらいかもしんないよね。
N:ほんとそうだと思う。『ギター・マガジン』の対談取材で曽我部(恵一)くんと会った時に、ちょうどまだ歌詞が書けてなくて、「これから10曲書くんだよ」って話したら、「ええっ! マジですか、できるんですか!」って驚いてたね(笑)。でも、やるんだよって。ただね、さっき話した「Sunlight」は、さっき話したように(鈴木)さえ子さんのアイデアもすごく大きかった。「どんなふうな歌詞になるの?」って実際さえ子さんに何度も聞かれたりして。「眠い歌です。あと、ひなたぼっこです。サイケデリックです。あとキンクスです。キンクスでも『Preservation: Act 1』です」って(笑)。さえ子さん、「ふうん、キンクスね、ふんふん……」って感じ。で、そこから一生懸命考えてくれて。ピアノを弾いてくれて。そういう中で歌詞ができていく。例えばそこに誤解が生じたとしてもぼくは全然いいんです。なんか今回のアルバムはそういう共同作業がすごく面白かったですね。
<了>
Text By Shino Okamura
CARNATION
『Carousel Circle』
LABEL : Nippon Crown
RELEASE DATE : 2023.11.29
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Tower Records / HMV / Amazon/ Apple Music
《CARNATION 40th Anniversary “Carousel Circle” Release Tour》
2024年
1月20日(土) 東京 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
開場:17:00 開演:18:00
前売:7,000円(全席指定)
特典付きプレミアムシート:12,000円(全席指定)
学割:3,000円(全席指定、要学生証)
※学割:中学生以上のお客様は学生証のご提示で4,000円キャッシュバック(小学生は年齢のわかるもの。健康保険証など)
スペシャルゲスト(東京公演)
大森靖子
大谷能生
重住ひろこ
鈴木さえ子
田中ヤコブ
玉川太福
公演詳細(カーネーション 公式サイト)
http://www.carnation-web.com/news/2024/01/carnation40th-tour.html
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