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自己の業や欲望を巡って――
生々しい記憶と感覚を立ち上げる壱タカシのアヴァン・ポップ

01 February 2022 | By Tsuyoshi Kizu

刺激的な音楽を探しているひとならば、きっと日本の新しいアヴァン・ポップの胎動に胸を躍らせていることだろう。きわめて実験的でありながら、たしかにポピュラリティ(大衆性)に開かれていると感じさせる音たち。それらはいま、インターネットから外の世界にはみ出して、少しずつ勢いを増しているように見える。

以下のインタヴューで長谷川白紙や浦上想起の登場に刺激を受けたと語っている東京在住のシンガーソングライターの壱タカシもまた、日本の現在のアヴァン・ポップ、エクスペリメンタル・ポップの動きとゆるやかにリンクする新鋭のひとりだ。インディペンデントで活動を始め、最近ではbutajiやHAIIRO DE ROSSIの作品にも参加している彼がリリースしたデビュー作『少年連祷』は、「歌ものポップス」としても聴けるがそのじつ、IDM/エレクトロニカ、アブストラクト・ヒップホップ、あるいはコンテンポラリー・ミュージック……といった、「実験」そのものを原動力とした音楽の要素がふんだんに盛り込まれている。ポップスの決まりごとをはみ出す和声や意表を突くリズム、壱タカシによるニュアンスに富んだ歌唱からなるコンポジションは、リスナーの感覚の幅をじわじわと広げていくだろう。

『少年連祷』はまた、ゲイであることを公言している壱タカシ自身の思春期の記憶を巡る作品でもある。理屈でも言葉でも説明できない情動が、サウンドがアブストラクトであるがゆえにリアルな輪郭を形作っていく。セクシュアル・マイノリティが世間からとかく「説明」を求められる現状にあって、あくまでも感覚を生々しく喚起する壱タカシの音楽は、マイノリティたちの性や生を上っ面で済ませない迫力も宿している。異性愛を前提としない「ガール」や「ボーイ」のような歌は、そこで込められた感情が切実であるからこそ、聴き手のジェンダーやセクシュアリティを限定せずにダイレクトに響くのだ。

ここでは壱タカシという音楽家がどこから来てどこを目指しているのか、じっくりと話を訊いた。どこまでも実直に音楽に向き合うこの才能が、広く発見されるのはそう遠くないと思わせる時間だった。
(インタヴュー・文/木津毅)




Interview with Takashi Ichi

――いきなり変な質問なんですけど、生まれてから一番はじめの記憶って何ですか?

壱タカシ(以下、I):保育園のお昼寝のときに、自分だけ先に起きたら枕元に先生の裸足の足が見えたんです。その爪を触った覚えがあります。何だそれって話ですけど(笑)。

――それは何だか官能的な。

I:生々しいですよね。人の足を勝手に触るっていう。

――そうですね。変な話から入っちゃったんですけど、壱さんの音楽って記憶や感覚を追求している印象があります。いまの少しエロティックな記憶も、壱さんの表現と通じるものがあるような気がしていて。

I:そうですね。

――今日はその辺りを探れるといいなと思います。壱さんは幼いころからクラシック・ピアノの素養があるということですけど、子どもの頃に惹かれた音楽の傾向はどんなものでした?

I:一番最初はクラシックで、ピアノ協奏曲みたいなゴージャスなものに惹かれてました。チャイコフスキーのピアノ協奏曲なんかを親が車でかけていて、ポップスより先に親しんでいたんです。あとバレエ音楽の「白鳥の湖」とか。ああいう豪華なオーケストレーションや和声のものですね。音楽の展開の派手さや仰々しいブレイクが刺激的で。

――そうしたものに惹かれる傾向はいまも残ってますか?

I:残ってますね。シンプルなものよりも複雑なもの。のちにミュージカルに惹かれるのもその嗜好が繋がっているのかなと思います。

――ミュージカルも子どものときに?

I:一番はじめに観たのは劇団四季の『ライオン・キング』なんですけど、その次は『RENT』にハマって。その頃には多少ロックの知識があったのもあるし、LGBTのキャラクターが出ていたのもありますし。

――ミュージカルってクィアなものをふんだんに内在化してきた歴史もありますよね。その辺りも繋がっていたりします?

I:そうなのかもしれないですね。ポップスだと、母がよく聴いていたユーミンを聴いてたんですけど、けっこう絢爛なショウをやるじゃないですか。そういうのをテレビで観てて、惹かれてましたね。

――なるほど。一方で、さらに音楽にのめりこんでいくなかで、壱さんは日本のラップに大きな影響を受けているそうですね。とくにどういう部分に刺激を受けました?

I:それは、不良っぽさなんですよ。

――いくつぐらいのときですか?

I:小学校低学年ぐらいのときにEAST ENDとかが流行ってたんで、ヒットしていたのは聴いてたんですよ。そのあと中学生ぐらいのときにKICK THE CAN CREWやRIP SLYMEも流行るようになって。そのときは思春期特有の揺らぎもあって、不良っぽいものや男の子っぽいものにすごく惹かれるようになりました。自分で分析すると、日本語ラップはそこがすごくツボだったと思います。憧れですよね。本来自分が好きなものとはまた別の嗜好で、男の子っぽいものへの憧れです。その辺りはアルバムの「擬態」の歌詞とも繋がってくるんですけど。ノンケっぽいものに憧れる原体験が日本語ラップだった気はします。

――ある種のラップ・ミュージックのマッチョさに。

I:そうです。DRAGON ASHとか、B-BOYファッションに惹かれる感じがそうですね。その頃、クラスのヤンチャな男の子たちはみんなハマってたんで、そこの仲間に入りたいというのもあったし。最初に買ったCDがKICK THE CAN CREWの「クリスマス・イブ RAP」で、もともと山下達郎のを知ってたのではじめはミスマッチに思えたんですけど、ラップが入ってくのがカッコいいなと思うようになって。

――そういうマッチョな男性性に対する憧れはいまもありますか?

I:ありますね。ありますけど(笑)、当時よりは冷静に見れているとは思います。

――僕もゲイのひとりとして共感しますが、おそらく少なくないゲイが経験することではありますよね。

I:そうですね、経験しますよね。

――いまのお話はとても興味深いですね。ミュージカルの絢爛さとラップの不良っぽさの両方に惹かれる傾向は、壱さんの音楽と繋がっていると感じます。

I:そうですね。それこそ『少年連祷』にはストリート・ミュージックを聴いてきた影響もクラシックで育ってきた影響も残そうと思って、バック・トラックなんかはそこを意識しています。たとえば「擬態」はヒップホップのビートですけど、そこは自分が日本語ラップから海外のヒップホップを聴くようになって、Jディラが好きになって……という流れを残していますし、一方でクラシックを学んできた経験は随所に散りばめてあります。ハーモニーの作り方や複雑なテンションの和声なんかは、クラシックやジャズが好きだという要素も混ぜています。

――クラシックもそうですけど、壱さんの音楽にはいわゆるコンテンポラリー・ミュージックの要素も多く発見できますよね。

I:現代音楽との出会いは大学に在籍中のときなんですけど、そのときに音楽史やミュジーク・コンクレートを学んでたんですよ。

――そうだったんですね。

I:ピエール・シェフェールやリュック・フェラーリといった、その辺の作曲家の作品を分析したりだとか、自分も外に出て鳥の声を録って曲を作ったりだとかしていたので。だから「液体」に水の滴る音が入っているのは、その辺の経験が生きていると思います。

――『少年連祷』以前のシングル曲の時点で音楽的な幅がすごくあるミュージシャンだなと自分は思ってたんですけど、それにしてもデビュー・アルバムでけっこうエクスペリメンタルに攻めたなと感じたんですよ。そこは長谷川白紙さん以降の、日本のアヴァン・ポップの新しい動きに刺激されたと聞きましたが、とくにどういった部分が面白かったのでしょうか。

I:トラックの作り方とか突飛な和声進行とか、何もかもが自由で。かつ、まずは自分のイメージに忠実に作っているというか、既存のポップスのセオリーに乗るより先に自分のイメージをちゃんと具現化している。そういうところに刺激を受けましたね。「あ、こういうことをやっていいんだ」と。それが受け入れられていましたし。

――そうですよね。あの複雑な音楽がポップスとして受け入れられているっていうのは、面白いところでしたよね。

I:そこですよね。「思い切りやればいいんだな」と。長谷川白紙さんや浦上想起さんの音楽から刺激を受けた部分はそこですね。ネット・カルチャーならではなのかもしれないですけど。ああいう方たちの音楽を聴いて、自分も思った通りの音楽を作ってみたいなと感じました。

――あの辺りのシーンは、それこそよく言われる「ネットがストリート」みたいな感覚もあると思うんですよ。その辺も共感するところですか?

I:そうですね。最近は何だかんだライヴハウスなんかの現場の積み重ねも大事だなと痛感するんですが(笑)、活動を始めた当初は人脈もほとんどなかったし、音楽だけでどれだけ広げられるかっていうのはありましたね。

――壱さんのアルバム以前の活動を振り返ると、まさに少しずつ人脈を広げ、コラボレーションを積極的にされていましたよね。butajiさんやHAIIRO DE ROSSIさんの作品に参加されたのもその成果かと思います。一方、『少年連祷』は制作においてギュッとソロに収斂した作品ですが、デビュー作をほぼひとりで作ろうと考えたのはなぜですか?

I:シングルの「サルビア」のときに、友だちのラッパーのZHYANPAAKくんとパーカッショニストの松下ぱなおさんに依頼をしたんです。あれを作ってみて、すごくいいものが出来たし、すごく気に入ってるんですけど、「このままこうやって活動を続けていくと、誰かとコラボレーションして、そこから新しい何かが生まれてってことがすごく楽しくはなっていくだろうけど、その前にひとりで書き切るものを作っておかないと気が済まない」という想いがあったんですよ。何もかもをひとりで、っていう。

音楽の長い歴史を見ると、そもそもはひとりではどうしようもないですよね。作曲家が譜面を書いても、楽器を弾く人がいないといけない。コンサート・ホールがあって指揮者がいて。そうやって形に残っていくものだと思うんですけど、ここ最近はDAWの発達のおかげでデスクトップ・ミュージックという枠組のなかで自分で完結できるようになってる。絵画や文学と同じように自分で完結できる時代がようやく訪れたときに、自分でやり切ってみたかった。コンセプトからすべて自分のイメージをなるべく損なわないで、隅々まで書きたいように書くっていうアルバムを一度作ってみたかったんです。

――まさにそういう想いが凝縮された作品だと思います。コンセプトは制作の前から見えていたんですか?

I:そうですね。いままでの僕の曲を作るプロセスは、基本的に、コードを組み立ててメロディを乗せて歌詞を書くという順で変わらなかったんです。でも、この作品の楽曲は詞を先に書くことが多かった。「知った」が完成まで最初に出来た曲なんですけど、それを軸にしてこういう曲を作ろうっていう構成表みたいなものを作っていました。だから歌詞の流れは先に決まっていたところはあります。

――アルバム全体としてのコンセプトを説明するとどうなりますか?

I:少年期の自分がどういう想いをしていたかってことですね。どういうことに心を痛めていたかとか、どういう人に恋心を抱いていたかとか、欲望の始まりとか。自分はゲイなので、クィアである自分が思春期にどう感じていたかを明確に表現したかったんです。

――まさに『少年連祷』は少年期の記憶を巡るアルバムですよね。アルバム以前から、壱さんは記憶や感覚を音楽で表現されていますが、それは意識してのことなのでしょうか。それは歌詞だけじゃなくて、サウンドとしてもその傾向が強いと思うんです。

I:そうですね。意識するというよりは、そのやり方のほうが自然に感じるんです。たとえばメッセージ性とか明確なストーリー性を持たせて詞を書くやり方がまだわからない。どちらかと言うと、頭のなかに世界をイメージしてそれをもとに歌詞を書いていくやり方が自然にできるので、そうしています。

――たとえば、「楽しさ」の曲の終わりで「ムカつく、くやしい、さびしい」って言葉が印象的にポンと入ってくる感じが独特だなと。

I:そうですね。「楽しさ」は過去の自分に憑依して書いた感じはあります。

――ただ、歌詞以外の部分でも僕は感覚的なような気もしていて。楽理的なところももちろんしっかりされているんですが、同時に壱さんの音楽って、アヴァンギャルドだったりエクスペリメンタルだったりする要素が、抽象的な感覚とうまくリンクしていると思うんです。

I:それはミュジーク・コンクレートなんかを作っていた経験があるからかもしれないですね。あれってものすごく掴みどころのない作業というか、何から始めていいかわからないってところから音の素材をとりあえず並べてやってみようっていうものなので。でも一応、こうすれば音楽的になるという美学もある。掴みどころのないものを何とか具体化してみようという作業が、ポップス作りにも繋がっているかなと思います。

――なるほど。ちょっと抽象的な話になってしまうんですけど、自分のセクシュアリティについて考えることって感覚的な部分もけっこうあると思うんです。インタヴューの前に最近はエッジーなIDMのクィア・アーティストが増えていると話をしましたけど、そういうことも関係しているかもしれないと自分は考えていて。壱さんは、ご自身のセクシュアリティへの向き合い方と、音楽のアプローチで繋がっていると感じるところはありますか?

I:そうですね……(少し考えて)繋がっているかもしれないですね。

――たとえば、いま世界的に性的マイノリティのアーティストによる音楽が注目されているなかで、メッセージ性の強いものだったり、ディスコやハウスみたいにわかりやすくクィア・カルチャーと関連する音楽性から自身のセクシュアリティを表現するタイプもいますよね。自分は壱さんは「ゲイである自己」を表現に入れたい気持ちが強いアーティストだと感じるんですけど、その入り方はすごく繊細で、感覚的だなと感じるんです。

I:そうですね。自分はゲイですけど、たんにセクシュアリティというより人間の業のようなものも入れたいと感じているかもしれない。たとえばディスコはカルチャーですけど、カルチャー以前の自分の業とか欲望とか、そういうものを掬い上げようとはしていますね。

――その感じはすごくありますよね。

I:それは、「みんなそれぞれ、ありのままでいよう」とか「愛に性別は関係ない」とか「自分らしく生きたらいいじゃないか」とかいうメッセージだけでは表現できない。そこじゃなくて、もっと人間のいやらしい部分も表現したい。「液体」はそういうテーマで書いています。

――そうですよね。思春期特有のドロっした部分であったり。

I:そうです。

――それに加えて、セクシュアリティの話で言うと、「ボーイ」と「ガール」は戦略的に置かれている感じもあるじゃないですか。

I:はい、けっこう戦略的ですよね。「ボーイ」はアルバムのクライマックスでもありますし。

――男性の歌い手が思春期をテーマにして「ガール」という曲を歌うと、聴き手の多くは「10代の頃の恋愛の記憶なのかな?」と思うであろうところを、愛は愛でも友愛の曲になっている。それは壱さんがゲイであることをリスナーが知らなくても感じられるようになっていて、そこが自分はひねりが効いているなと。

I:曲の狙いとしてはまさにおっしゃった通りで、仕掛けみたいなものはあります。ゲイの友だちがあの曲を聴いたときは、同じような経験があるって言って一発で伝わったんですけど。でも、ゲイ以外のひとが聴いても何か引っかかりがあるようにはしようと思いました。

あと歌い手が「ガール」って呼ぶと、R&Bの文脈だと大体は性的対象として見ているものになるじゃないですか。あえてそのフォーマットを踏襲しつつ、違う意味合いを持たせたいという想いはありました。

――世界的に見ても、男性の歌い手が女性に対する友情を歌うって、すごくレアなものだと思うんですよ、まだまだ。ただ、それをコンセプト主導というよりは壱さんの切実な気持ちとして歌っているのがすごくいいなと思って。コンセプト以上に感情のリアリティとしての男女の友情がある。

I:そうですね。リアリティという意味では、「ガール」は書き上げた時点でもまだ恥ずかしさがあるっていうか、自分でも生々しすぎて「照れるな」みたいな感覚があったんですよ。リリースされてしばらくは照れがありましたね。

――そうだったんですね。ただ、アルバム全体が少しダークで緊張感のあるなかで、「ガール」は柔らかい聴き心地になっていますね。そこも気持ちいいですよね。男性が女性に友愛的な感情を抱いて、それをきちんと表現することってマッチョな男性性からは遠いものだと思うんですよ。男性性への憧れと、それとは対極にあるものが自然に両方入っている。

I:そう考えると、(男の子っぽさへの憧憬を描いた)「擬態」から「ガール」に行く流れに自分でも納得しました(笑)。

――そうした自分のなかの葛藤や矛盾が作品のなかにしっかり入っているというのは、壱さんがシンガーソングライターとして誠実なところだと思います。

I:それもやっぱり、このアルバムをひとりでやり切る、描き切ると決めたからできたことかもしれないですね。「これは誰かに作ってもらおう」と考えると、音楽的に幅は広がるし面白いものはできると思うんですけど、それは自分の軸ができてからのほうがいいのかなと。そういう意味では、この作りで良かったと思っています。

――「ボーイ」がアルバムのクライマックスだというのはどういった点ですか?

I:自分の基準では「ボーイ」がポップスとして一番開かれているように感じているんです。ほかがけっこうエクスペリメンタルだったり、ポップスではあまりないコード進行だったりする曲が多いなかで、ひとつキャッチーなものがこの曲なので、そういうものをハイライトにするのが面白いなと思いました。

この曲は1番で自分が思い焦がれていた男の子への想いを歌っているんですけど、2番以降は神様に対して歌っているんですよ。神様に対して自分の存在を問いかけるという。「神様、僕って何なんでしょう」という歌なんです。

――「ボーイ」と言ったときに、想いの対象の「ボーイ」でありつつ、自分自身が「ボーイ」というところにも跳ね返ってくる。

I:そうです、そうです。

――それはゲイの歌い手だからできることでもあって、そういう意味でもアルバムのハイライトでもありますね。いま神様という言葉も出ましたけど、アルバムタイトルにある(宗教儀式を意味する)「連祷」というのも普段あまり口にしない言葉で。これはどこから来た言葉ですか?

I:連祷という言葉に関しては、有吉佐和子さんという小説家の『処女連祷』という作品がヒントになっています。あと吉原幸子さんの『幼年連祷』という詩集もですね。ある対象に祈るように何度も想いを馳せることを、比喩的に連祷という言葉で表現しているのにヒントをもらって『少年連祷』と名づけました。自分の少年期を祈るように呼び起こしていくというこのアルバムのプロセスが、まさに連祷という言葉だなと。

――なるほど。クィアの表現というところで言うと、自分はもちろん社会運動も重要であると思いますし、同時に壱さんのように個人のリアリティに根差した表現をしていくことが大事だと思っているんです。そういう意味でこのアルバムは、若い世代の性的マイノリティにも届けたいと想いもこめられた作品ですよね。

I:はい、若い人たちや子どもたちに届けたい気持ちはあります。同性愛やクィアなものの思春期のリアリティをちゃんと描いている音楽作品ってほとんどない気はしているので。大人として成熟してから題材にしているというか。いろいろなことを知る前にクィアの子どもがどういう感情でいるのかということの、共感できる拠りどころはもっとあってもいいのかなと自分は思います。自分ができるのは音楽を作ることなので、それを音楽でやっているという感じですね。だからこの作品をティーンの子たちにも聴いてほしいなと思います。

――ええ、まさにそういう作品になっていると思います。最後に、ミュージシャンとして今後トライしたいことを教えてください。

I:まずフジロックには出たいと思ってます(笑)。あとは何でしょうね……映画の音楽は作ってみたいと思っています。

――へえ! たしかに壱さんはクラシックや現代音楽の知識もあるから向いてそうですね。

I:それはシンガーソングライターというより作曲家としてですけどね。シンガーソングライターとしては、いまライヴ欲がすごく高まっているので、今年は世のなかの状況が許す限りは現場に出たいと思っています。リスナーの顔を見たい気持ちがすごくあります。

<了>

ライヴ情報
2022年2月6日(日) 下北沢ニュー風知空知
壱タカシ『少年連祷』リリース記念ライブ
Live : 壱タカシ
Opening Act : JYAGA
DJ : COOLG, タイラダイスケ
開場:18時 / 開演:18時30分
前売り2,500円 / 当日3,000円 (別途ドリンク代600円)
チケット予約フォーム https://new-fu-chi-ku-chi.jp/schedule/event/tba2-6/

Text By Tsuyoshi Kizu

Photo By 宮本七生


壱タカシ

少年連祷

LABEL : 壱タカシ
RELEASE DATE : 2021.12.08


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