【From My Bookshelf】
『別冊ele-king VINYL GOES AROUND presents RECORD――レコード復権の時代に』
VINYL GOES AROUND(監修)
今日、何もなかったなぁ
昼すぎに自宅を出て、地下鉄千代田線に乗り新御茶ノ水駅で降りる。深い深い地下からエスカレーターと階段をつかって地上にたどりつく。4~5年前に、駅のすぐ近くにできた“おにやんま”でうどんをそそくさとたいらげ、狭い店内をすり抜けて、外に出ると目の前に見えるディスクユニオンに寄る。そこでしばらく棚を物色して、そのまま中央線で新宿もしくは中野、吉祥寺のレコード店へと向かう。時には道をはずれブックオフへ。そして来た道を辿りながら帰路につく。いくつか別のルートもあるけれど、特別に考えがないときには、私はこのルーティンで中古盤(私の場合は主にCDなのだけど)を探し歩いている。もちろん、思い通りに行くことばかりではない。以前に目をつけていた盤がもうなかったり、ぼんやりと頭の中に浮かんでいるイメージを具現化してくれるような盤にも出会えない。数件目にもなると、だんだんとリュックの重さが増したような気がしてくる。虚しさと疲れが一気に体にまとわりつく。せっかくの土曜日の午後になんで一人でこんなことをしているんだ……。ハァ……。
本書に収められた、レコードディガーの先達の話をいくつも読みながら、私の頭に浮かんでいたのは中古レコード店や古本屋の片隅にある中古CDコーナーで経験したそんな苦い経験だった。そしてこの本に登場する数多の腕利きの探索者たちも、お目当ての品を手に入れたことより、そこに至るまでの徒労、回り道、危険な経験(!?)を時に懐かしみ、時に嬉々として語る。まるでそれこそがレコード・ディグの根底にある“魅力”であるかのように。
私がここ数年、好んで視聴しているYouTubeチャンネルがある。大阪のレコードショップ《RECORD SHOP rare groove》が運営しているそのYouTubeチャンネルでは、コンテンツのひとつとしてバイヤーがアメリカで買い付けをする様子をVlog形式で公開していて、買い付けの日々で起こる悲喜こもごもを(良い意味で)素人っぽい映像とともに見せてくれて面白い。そのなかでも買い付けの背景をなす街のハンバーガー店での食事、長い距離の運転と長時間のレコード掘削により日々蓄積する体の疲れと精神的なくたびれ、車の後部座席までパンパンに詰め込まれたレコードの重みと圧迫感……。そんなレコードの買い付けをめぐる平熱感のあるリアリティがこのチャンネルの魅力で、本書を読みながらこのチャンネルのことを思い出したりもした。
レコードディグとは身体的でフィジカルな経験なのだと改めて本書を読んで思う。長時間かがんでエサ箱を探って立ち上がったときの腰と膝の痛みが、指にこびりついた埃のサラとした感覚が、空調の弱いレコード店での背中ににじむ汗の不快感が、収穫なく帰路についたときの自宅までの重い足取りが、この本には詰め込まれている。私も気がつけば、DiscogsとeBay、楽天市場、駿河屋、ディスクユニオンオンライン、数多のディストロ・サイト、レコ屋のオンライン・ストア、ヤフオク、メルカリを巡回しながらオンラインで気楽に(?)中古盤を購入することもあたりまえになってしまった。もしかすると盤は買っているが「そういえば、レコード屋しばらく行ってないな……」という人も実は多いのではないだろうか。しかし、本書はそんな日々インターネットを闊歩する音楽愛好家たちに、先達の波乱万丈、奇々怪々、奇想天外、吃驚仰天な血沸き肉踊り、手に汗滲むレコード・ディグの旅を追体験させてくれる。そして、そこに必ずといっていいほどある身体的な気だるさと、それを少しの間だけ忘れさせてくれるようなユーモアが、この本をDJ/レコード・カルチャーの深淵に触れるシリアスさを保持しながら、軽妙で愉快なものとしているのだと思う。(尾野泰幸)
Text By Yasuyuki Ono
『別冊ele-king VINYL GOES AROUND presents RECORD――レコード復権の時代に』
出版社 : Pヴァイン/ele-king books
発売日 : 2025.4.16
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