民謡クルセイダーズの旅を追うドキュメンタリー映画
『ブリング・ミンヨー・バック!』
公開記念インタヴュー
田中克海(民謡クルセイダーズ)
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森脇由二監督
民謡クルセイダーズ(以下、民クル)に密着した音楽ドキュメンタリー『ブリング・ミンヨー・バック!(Bring Minyo Back!)』が遂に映画館で上映開始される。僕はとある上映会で前知識のない状態で観て、この作品の虜になった。これは素晴らしい音楽映画だと。
この音楽映画が素晴らしいのは、日本の民謡を、クンビアを始めとするラテン音楽、アフロやレゲエなどと混合して唯一無二のダンス・ミュージックを生み出す民クルの魅力に「民謡とは何か」を探りながら迫り、さらにこのバンドが国境を越えて世界中のひとびとを魅了していくダイナミズムを見事に捉えているからだ。つまり、民クルをグローバルな音楽史の中に位置づけようとする知的な試みと、ロード・ムーヴィーの躍動感を両立させている。
だから、見どころだらけで興奮しっぱなしである。クンビア・バンド、フレンテ・クンビエロとのコロンビアでの感動的なセッション、録音風景は言うまでもない。盆踊りの様子を捉えたシーンなどはこの島国の民衆のダンス・カルチャーの豊饒さを伝え、この島国のアイデンティティについて考えることをも促す。オリジナルなリズムや音楽の創造に日夜挑戦しているDJやクリエイター、バンドマンにもヒントを与えてくれる映画ではないだろうか。
8月30日に渋谷の《WWW》で行われた《SUKIYAKI TOKYO》での民謡クンビエロ(民クルとフレンテ・クンビエロのプロジェクト)のライヴの興奮冷めやらぬ翌日、民クルのリーダーの田中克海と、このたび初の長編映画を完成させた森脇由二監督に語ってもらった。
(インタヴュー・文/二木信 写真/横山純)
Interview with Katsumi Tanaka, Yuji Moriwaki
──民クルのドキュメンタリー映画を撮ることになったきっかけは何でしたか?
森脇由二(以下、森):2017年に民クルのライヴを下北沢《BASEMENT BAR》で観て、「これはカッコいいな!」と一発でやられまして。それですぐにその場で「何か撮らせてください」と田中さんに話をしに行ったんです。
田中克海(以下、田):珍盤亭娯楽師匠の主催イベント《YAGURA SESSION》(2017年8月5日)の時でアラゲホンジとの対バンでしたね。
森:それまでもミュージシャンや音楽のアーティストのインタヴュー動画の制作は仕事でやっていたんですけど、自分の映画や作品を撮りたい気持ちがずっとあって、民クルを主役にしたドキュメンタリーであれば、それができるんじゃないかと感じたんです。
田:僕らはちょうど12月に出すファースト・アルバム『Echoes of Japan』を作っている最中でしたね。今は民クルのことを知ってくれる人も増えて、ライヴでも自然と踊ってくれるようになりましたけど、当時はまだまだ知られざる存在でした。久保田麻琴さんが民クルを発見して各方面に紹介してくれたり、そのデモ音源をピーター・バラカンさんがラジオでかけてくれたり、注目が集まり始めた時期ではありましたけれど、正規の音源をリリースする前で自分たちのスタイルが出来たばかりの時期でした。民謡という日本のルーツ・ミュージックとクンビアやラテン、アフロビートやレゲエをミックスするというコンセプト自体が他にはないものだったので、「企画モノ」として捉えられてしまうこともありました。今よりも民クルを楽しんでもらうための説明が必要だと感じていた時期でもあったんです。
──なるほど。
田:そんな時に「映像を撮りたい」と森脇くんから声をかけられて嬉しかった。ファースト・アルバムをリリース直前でバンドをどのように世の中に伝えていくか頭を悩ませていたので。彼は僕が当時民クルの音楽を届けたかったサブカルチャー属性の匂いのする若者だったし、優しそうだった(笑)。何か手伝ってもらえるかもしれないなとも思いまして。
森:ははは。それで、2017年末にリリースするアルバムのアー写を福生の「バナナハウス」(田中が居住し、民クルの制作スタジオでもある米軍ハウスの通称)に集まって撮影するというので足を運んだのが始まりです。そこで撮った映像は映画の最初の方のシーンに使っています。それから、いろんな現場で民クルを撮影していくことになるんです。
──まず僕が『ブリング・ミンヨー・バック!』に感銘を受けたのは、民謡とクンビア、ブーガルー、カリプソ、アフロ、ルンバ、レゲエといった様々な音楽を混合して稀有なダンス・ミュージックを作り出す民謡クルセイダーズの音楽的魅力を民謡を軸にした音楽史の中に位置づけつつ、その音楽がバンドとともに国境を越えていくダイナミズムを見事に捉えているからでした。バンドやミュージシャンを対象にした音楽ドキュメンタリーは、監督の対象への思い入れが強過ぎて、ファン以外がなかなか楽しみにくい内輪ノリが出てしまう作品も少なくないじゃないですか。そういう閉鎖性がこの映画にはなく、ひろがりがあって。森脇監督と田中さんはどのように映画のヴィジョンを共有していったんですか?
森:「民クルのファンじゃない人が観ても楽しめる音楽映画にしたい」というのはたしかに意識しました。ただ、最初は漠然と『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999年)のような音楽映画が作りたいという話を克海さんにしたと思いますけど、映画の具体的な着地は決めていなかったんですよ。
田:そうだったね。 2019年の夏にコロンビア・ツアー、秋にヨーロッパ・ツアーに行ったんですけど、ヨーロッパのツアー・マネージャーをやってくれていたルーシーという人が「(音楽ドキュメンタリーに特化したスペインのバルセロナで行われる映画祭)《IN-EDIT》に出せばいいじゃん」と提案してくれて。移動中のバスでしたね。で、申請したら新進の監督を応援する「In-progress」という枠で通った。この枠は《Kickstarter》と提携していたのでクラウドファンディングも始めましたね。
森:ところが、2020年11月にパイロット版を公開する予定がコロナで延期になってしまって。ツアーの映像は撮れてはいたけれど、「民クルのロード・ムーヴィーというだけでは間口が狭いよね」という話はその頃に克海さんとしたと思います。民謡の歴史もしっかり解説して、民クルがどういう考え方やスタンスで音楽をやっているかを伝える映画にしようと。それで、コロナのあいだにインタヴューを撮ろうということで、ピーター・バラカンさん、 久保田麻琴さん、元ちとせさん、岸野雄一さん、大石始さん、俚謡山脈さんらに取材して行きました。ピーター・バラカンさんの取材は、メンバーのmoeさんが店主をしている下北沢の《ジャズ喫茶マサコ》で撮影したりして。
田中克海(民謡クルセイダーズ)──音楽ドキュメンタリーの難しさの一つは、歴史を解説したり言葉で音楽や音楽に対する考え方やスタンスを説明したりすることと、実際の主役のバンドやミュージシャンが音楽を奏でるシーンのバランスじゃないかと思うのですが、『ブリング・ミンヨー・バック!』はそこが絶妙ですよね。
森:そのバランスが本当に難しかったですね。僕も音楽映画が好きで観ますけど、ライヴ・シーンが長過ぎて飽きる場合もあるし、時系列で歴史を振り返るだけの映画もつまらないじゃないですか。
──『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の話がちらっと出ましたが、音楽ドキュメンタリーや音楽映画で他に参考にしたり、影響を受けたりしたものはありますか?
森:音楽のロード・ムーヴィーという点ではエミール・クストリッツァ監督の『SUPER 8』(2001年)が大好きです。クストリッツァ自身が主役のノー・スモーキング・オーケストラのバンド・メンバーだから距離が近いし、映画監督だからカット割りも上手いし、抑揚があって観ていてシンプルに楽しい映画ですよね。あとは、フガジのドキュメンタリーの『インストゥルメント』(2003年)ですね。あの映画はライヴ・シーンがメインですけど。
田:僕はマーティン・スコセッシが監督したザ・バンドの『ラスト・ワルツ』(1978年)が大好きですね。
森:あれは名作ですね。
田:だから、民クルをやる上で山ほどある言いたいことを映画のストーリーの中にどれぐらい盛り込んでいくかとか、そういう共有は森脇くんとしましたし、一緒に制作した福生の映像チーム(エキゾチカ)や手伝ってくれた仲間ともいろんなアイディアを出し合いましたよね。
森:決定的だったのは、2019年の民クルとフレンテ・クンビエロのコロンビアのボゴタでの録音風景が撮れたことです。あのシーンが撮れたことで、作品にできるぞという確信を持てて、そこからじゃあどうやって形にしていくかと考えて行きました。
田:あのフレンテ・クンビエロとのセッション、録音そのものが、民クルがやりたかったこと、やりたい音楽そのものでしたからね。それがまさに映像でも表現できている。あのシーンが全てを物語っているからこそ、映画の前半で語られる、いろんな方々のインタヴューが効いてきますよね。
──僕もあのセッション、録音シーンにはめちゃくちゃ鳥肌が立ちました。あの録音が『民謡クンビエロ(フロム・トーキョー・トゥ・ボゴタ)』(2020年)という共作EPになりますね。現場の雰囲気はどうでしたか?
森:いやあ、何て言えばいいんですかね。まさに奇跡的というか、こんなことが起こり得るんだという2日間でした。フレンテ側の歓待やその熱量もすごくて、スタジオのシーンはリハとレコーディングの2日間だけですけど、それまでもいろんな場所に連れて行ってくれましたし。そうした録音以外のボゴタで撮影した映像も映画に盛り込みましたね。
田:歴史と時代の移り変わりによって廃れていったコロンビアのルーツ・ミュージックであるクンビアをマリオ(・ガレアーノ・トロ/フレンテ・クンビエロのリーダー)達が再発見して現代の人に新しい形で価値を提示することは、僕らが民クルで民謡と色んな音楽をミックスしていく感覚ととても近いんです。しかもそうしたルーツ・ミュージックの現代的解釈を通して、自分達が西洋化や近代化以降に抱かされてきたコンプレックスを自覚して、さらに乗り越えて、見失っていたアイデンティティを再発見しようという問題意識も共通している。
──劇中のインタヴューで田中さんは、東日本大震災が日本のルーツ・ミュージックである民謡や土着的なものを見直すきっかけになったという主旨の話もされていますね。
田:今話したようなアイデンティティの問題は、日本が明治維新以降に西洋化、近代化して、その敗戦を経てアメリカに占領されたという大きな歴史の流れの中にある日本文化全体の問題でもありますよね。自分の中でも漠然とした課題だったことが、震災がターニング・ポイントとなって、個人的な問題として湧き上がってきました。同時にマリオは、コロンビアのローカルにもアメリカ的な資本主義が入り込んできて、アメリカ的な街並みやサーヴィス、ビジネスに侵食されて、元々その地域やローカルが持っていた文化や音楽の良さが失われることへの疑問や怒りが根底にあったわけです。もちろん僕たちは彼らの大ファンですが、同じ志を持った同志みたいな気持ちを自然に共有できるんです。コロンビアでのセッションはこちらの個性も自然に引き出してくれた録音でした。こんな風に近い感覚でセッションできるバンドはそうないと思うので、本当に幸せな出会いとしか言えません。
──民謡をラテン音楽やジャズといった海外の音楽と融合する試みの先駆者としては、民クルみずから「偉大なる先達」とリスペクトを捧げる東京キューバン・ボーイズがいます。昨年の横須賀での共演シーンがありますね。まずあのビック・バンドの方々と一緒に演奏して率直にどんな感想を持ちましたか?
田:まず演奏が超一流です。リハで音をポンと出した時に、レコードと寸分違わないダイナミックな音で、僕らはそれだけで「なんじゃ、こりゃ?」と椅子から転げ落ちました。正直、共演なんて畏れ多い(笑)。ただ、2代目のリーダーである見砂和照さんが民クルのスタンスをリスペクトしてくださって。見砂さんがインタヴューで、「自分はラテン音楽もジャズも民謡も好きだけど、自分にとってはどこまで行っても“借り物”である」という主旨の話をされていますよね。その上で、そこをいかに乗り越えるのか、という民クルのアプローチに共鳴してもらえたことが、同じ舞台に立つという夢の共演につながったんだと思います。
──ローカルの文化や音楽という話が出ましたが、この映画の中の岐阜県郡上市八幡町の郡上おどりの躍動的なダンス、踊りのシーンには非常に興奮しました。日本三大盆踊りと言われているそうですね。下駄が地面を踏み鳴らして生み出す波状的なリズムの音と下駄そのものにフォーカスして撮影しているのが印象的でした。
森:映画の中でも久保田麻琴さんが郡上おどりに言及していますし、大石始さんの『ニッポンのマツリズム 祭り・盆踊りと出会う旅』(2016年/アルテスパブリッシング)の中でもその様子が紹介されているのでこれは絶対に行って撮らねばと思い、岐阜へ向かいました。コロナを挟んで、3年ぶりの開催となった2022年の夏です。もちろん初めてで、どんな体験ができるのか、何が撮れるのかわからないという不安はありましたけど、現地に行ってみたらものすごい熱量でした。僕らも何人かで行って踊っていたんですけど、これは下駄がないと話にならないと気づいて。で、通りにある下駄屋さんで下駄を買って踊り始めると、下駄がある方が踊りやすいし、リズムが取りやすい。なるほどこういうことかと。それで下駄を撮ったんですよね。
森脇由二──いやあ、素晴らしいですね。
森:ただ、その郡上おどりの直後に民クルのヨーロッパ・ツアーも撮りたかったので、めちゃくちゃ強行スケジュールでした。8月13日に郡上おどりに行って2日で編集を完成させて8月後半のEUツアーに同行しました。9月2日の《Peter Barakan’s Music Film Festival 2022》の公開には絶対に間に合わせなくてはいけなかったので。
田:がんばったねえ(笑)。郡上市八幡は盆踊ラーの人達の聖地でもありますね。エンドレスで朝まで踊り続ける「徹夜踊り」とか、永遠と同じグルーヴを緩急をつけながら踊り続け、次第に精神が解放されていくことを同じ場に居合わせた他者と共有していく行為って、レイヴパーティですよね。そういう場が昔から日本にもやっぱりある。そういう発見もありました。僕は完成版をピーター・バラカンさんの映画祭で観て、そこで初めて郡上おどりの映像が入っているのを知って「うわあー!」って鳥肌が立ちました。あと、soi48と俚謡山脈が配信した千葉県匝瑳市八日市場の盆踊り、権左が西国の映像が入ってきたのも大きくて、民謡の多面性が映画に深みを与えていると思います。
──いまだに踊ることに消極的というステレオタイプな日本人像って根深くあるじゃないですか。でも、この映画を観ると、それがまさにステレオタイプでしかないと突き付けられます。この島国にある民衆のダンス・カルチャーの豊かさを知ることができるのもこの映画の魅力だなと。
田:そうなんですよ。熊本県天草市の牛深ハイヤ節の座敷で踊っている町内のおじいちゃんおばあちゃんのシーンがあるじゃないですか。あの踊りを観ていても腰がくっと落ちている。ああいう腰の落とし方は世界の様々な民族音楽の踊りにもみられるものですけど、今の日本ではああいうノリが音楽を楽しむ時の身体の芯にないように感じます。日本人が肩肘張らずに楽しめる身体性を取り戻すことが大事なんだとあのシーンを観て強く思いました。
──この映画を通して、そのあたりがいろんな世代、ジャンルの人に伝わるといいなと自分も感じました。特に日本で独自のダンス・ミュージックやリズム、その発明について考えている音楽好きやDJ、ミュージシャンにも響くんじゃないかなと。
田:そうだと嬉しいですね。僕は40歳で民謡に出会って日本独自のグルーヴの面白さに気づきました。俚謡山脈のお二人も言っていたようにまさに「暗黒大陸」だと思います。今、同時多発的に民謡をはじめとした日本のルーツ・カルチャーを再発見する動きが出てきていますし、いろいろな世代の人たちが、民クルやこの映画を通して日本民謡と出会って、面白さを発見してもらえたら最高ですね。
──昨夜の民クルとフレンテ・クンビエロの共演ライヴのオーディエンスの自然な盛り上がりにもそういう可能性を強く感じましたね。映画の中にいる感覚になったというか、映画の延長にあるのが昨日の夜だった。
森:昨日もすごかったですよね。映画は完成したけど、まだ終わっていなかったと思いました。
田:じゃあ、数年後には『ブリング・ミンヨー・バック!2』ができるんじゃない(笑)。
<了>
Text By Shin Futatsugi
『ブリング・ミンヨー・バック!』
9.15(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか
全国順次公開
プロデューサー/ディレクター/撮影/編集:森脇由二
出演:民謡クルセイダーズ、Frente Cumbiero、ピーター・バラカン、久保田麻琴、岸野雄一、大石始、元ちとせ、俚謡山脈、東京キューバンボーイズ、コデランニー
配給:ALFAZBET
2023/90min. (英語字幕付き / English subtitles burned in)
■公式X(Twitter) @BringMinyoBack
■公式Instagram @bringminyoback
■公式HP https://www.bringminyoback.com