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「どうすれば南アジア文化に根ざした音楽を現代のコンテクストの一部として定着させられるか? ということを考えている」
サウジアラビア生まれ、パキスタン育ちのアルージ・アフタブが彷徨う都市の闇

31 May 2024 | By Shino Okamura

アルージ・アフタブはサウジアラビア生まれ、パキスタン育ち、19歳までパキスタンのラホールにいたというシンガー・ソングライター。2022年にリリースされたファースト・アルバム『Vulture Prince』を対象に、64回グラミー賞で最優秀グローバル・ミュージック・パフォーマンス賞を受賞し(新人賞にもノミネート)、たちまち世界的に注目を集める存在になった。そして気が付けば、彼女は老舗レーベルの《Verve》所属アーティストになっている。去年は同じ南アジアにルーツを持つヴィジェイ・アイヤーとシャザード・イスマイリーというアルージよりキャリアのある二人との共同名義で『Love In Exile』をリリースした。これが《Verve》からの最初の作品だ。

漆黒の闇に塗れたようなスモーキーな歌世界は、現在彼女が暮らすニューヨークという大都会の、いつまでも明けないような夜の風景にとても似合う。それは、『Vulture Prince』、そして、ここに届いたオリジナル・ニュー・アルバム『Night Reign』それぞれのアートワークがそのまま物語っているとも言えるし、ジャズ、R&B、ソウル、あるいはインドやパキスタンの伝統音楽、アンビエント、ドローンなどを柔軟に引き寄せては撹拌させるスタイルが、多様な人種や民族が渦巻くニューヨークそのものであるということにもなるだろう。実際に、極めてアブストラクトな音像を持つニュー・アルバム『Night Reign』には、ジェイムズ・フランシーズ、ジョエル・ロス、コーシャス・クレイといった近年のジャズ・ミュージシャンも多数参加しているが、一方でチョコレート・ジーニアスやカーキ・キング、そしてムーア・マザーらが大きな役割を担っている。これぞ、ニューヨークの音、と言っても過言ではなく、アルージはそうした“音の匂い”を『Vulture Prince』より遥かにオブスキュアなヴォーカル・パフォーマンスとメロディで伝えているのだ。

だが、興味深いことに、一方でアルージは音響技術、映像制作における高いスキルを持っている。バークリー音楽大学卒業後は数々の音響、映像の会社でフルタイムの仕事をしていた。自身「おたく気質」とうそぶく横顔は、機材やITに強い側面が確実に作品にも反映されていることを証明してもいるだろう。今回実現したインタヴューでもそのあたりの話をしてくれているのでぜひ読んでみてほしいと思う。実際、画面越しだったとはいえ、対面した彼女は、ムードのある歌い方とは少し違い、サバサバ、キビキビとした口調だった。こういうギャップには、一人のリスナーとして本当に萌えますね。


(インタヴュー・文/岡村詩野 通訳/丸山京子 写真/Kate Sterlin)

Interview with Arooj Aftab

──ニュー・アルバムの話を伺う前に、あなた自身のご家族、幼少期~学生の頃の話について聞かせてください。サウジアラビア生まれでパキスタン育ち、10代でギターを弾き始めたそうですね。具体的にギターのどういうところに惹かれたのでしょうか。

Arooj Aftab(以下、A):U2やホワイト・ストライプスのカヴァーが弾けるところ(笑)。

──え(笑)。

A:インディー・ロックからCS&N、ポピュラー・ソングまで……10代でギターを持ったらやりそうなことよ。アコースティック・ギターでコードも覚えて。

──CS&Nからホワイト・ストライプスまで、ですか。

A:(笑)確かにだいぶ違うわね。私が弾いてたのはね……(とイントロを口づさむ)。

──「Seven Nation Army」ですね。

A:そう。あとメタリカとか、あの頃、ギターで弾けるようになったらかっこいい! って感じのリフ。CS&Nは、ギターのレイヤーとかスチール弦ギターのアメリカン・フォークがすごく良くて……彼らってアメリカ人よね(笑)。えっと、サウジアラビアには11歳までいて、そのあとはラホール(パキスタン)。高校から19歳まで、Convent of Jesus and Maryというカソリックの女子校に通った。その後、ボストンそしてニューヨークと移ったのよ。

──機材自体への興味から、あなたは自宅でセルフ・レコーディングをするにまで至り、ついにはバークリー音楽大学でも録音技術などを中心にMP&E(音楽制作とエンジニアリング)のプログラムを学んでいたと聞いています。制作全般に興味を持ち、身につけようと思ったのはなぜだったのでしょうか。

A:昔からオタク気質だったの。好きなのはコンピューターゲームやSF映画、アニメ、コミック。コンピューターにも、音楽のレコーディング制作過程にも興味があった。音楽の中でも最初に興味を持ったのは、サウンドやトーン、テクスチャー、サウンド・マニピュレーションといったこと。タイプの異なるマイクとか、エフェクト処理、シンセサイザー……若いのに興味があるのはテクニカルなことばかりだったから、変わってたのかも(笑)。エディットにも興味があった。アタリのゲームも持ってたし……案外年寄りなのよ、私。ほかにも数学と物理学が好きで……得意だったかと言えるほどではないんだけど、とにかく好きだったの。それで大学の専攻もそちらにした。基本、オタクだってことよ。

──あなたは《genius.com》という音楽メディアの会社で音響ディレクターとして平日は働いていたそうですね。いつまで続けていたのですか?

A:そう。5年半いたわ。その前にはMTVで音楽スーパーヴァイザーとして働いていたし、《Conde Nast》や、《Huffington Post》でもエディター(映像の編集)として働いたわ。オーディオにまつわる“昼の仕事”みたいなものは常にやってたの。

──そうした仕事から、音楽家として独立するに至った流れを教えてください。

A:昼の仕事の収入があったから、音楽キャリアを維持できたわけだけど、当然ながら音楽の仕事に徹底することができなかった。でも『Vulture Prince』が成功して、ようやく音楽作りが昼の仕事を上回るようになって、音楽だけに専念できるようになったの。

──そして、去年『Love In Exile』をヴィジェイ・アイヤーとシャザード・イスマイリーとの連名でリリースしました。あのアルバムはスタジオでスポンティニアスに録音して作り上げたそうですね。

A:そう。でもね、実はおかしな話なのだけど、『Love in Exile』を作ったのは『Vulture King」のレコーディングを始めるより前だったの。もしくはほぼ同じ時期。スタジオにいたのはわずか1日。それですごく満足いくものができたけれど、私は『Vulture King』を完成させなければならなかった。ただ、去年『Night Reign』の制作に取り掛かり始めたのは、その『Love in Exile』のツアーを3人でやっている時だった。でも『Night Reign』のための曲作りと『Love in Exile』のツアーは全く違う雰囲気だったから、お互いがぶつかり合うことはなくて、逆に良かった。全く違う精神的なスペースを保てたのよ。『Love in Exile』には広がりがあり、ライヴという瞬間の中でどう創造的になれるかというチャレンジが試されたわけだから。クレイジーなプロジェクトだったわ。でも、私のマインドにとっては良かった。そこで一旦頭を空っぽにして、それとはまるで異なるソロ・プロジェクトに取りかかれたの。こちらは構成がきっちりと決まった曲だったし、責任はずっと重かった。というか全責任はすべて自分にあった。シンガーとして、コンポーザー、ソングライター、プロデューサーとしてだけでなく、コラボレーターとしても。本当に大変なプロジェクトだったので、『Love in Exile』と同時進行だったのは、安心できる場所という意味で、良かったと思う。

──これは少し答えにくい質問かもしれませんので、難しければスキップしてもらっても構いません。あなたもヴィジェイもシャザードも南アジア系です。そこに民族的、思想的、宗教的な信頼関係、共感関係は当然あると思いますが、南アジアにルーツを持ち、ともにアメリカの大都会ニューヨークで切磋琢磨していること、白人社会の中で戦っていることがあなたがたの活動にどのように反映されているのでしょうか。

A:そうね。彼らのこともよく知ったし、そういった南アジア系アメリカ人が直面する問題についても、知ることができた。二人とも私より年上だし、彼らはアメリカ生まれのアメリカ育ち。アメリカの高校に通っている。なので、ヴィジェイとシャザードが南アジアのディアスポラとして……という言い方は今はするようだけど……彼らが若い頃に経験したことは、移民社会であるアメリカの他のアジア系社会同様、おそらくはるかに耐え難く、クレイジーだったと思う。今50代になった当時の子供達は本当に苦労したと思う。その結果、アメリカで普通に見られようとして、彼らは自らのルーツや文化から孤立したのよ。ヴィジェイとシャザードのそういった南アジアのディアスポラとしての背景に比べ、私はアメリカでは育っていない。その体験がどういう影響を与えるか、私にはわからない。私が……そしてその意味では彼らもそうなのだけど……考えるのは、どうすれば南アジア文化に根ざした音楽を、そのように見られるだけでなく、現代のコンテクストの一部として定着させられるだろうか? ということ。3人のブラウン・ピープルとして、いわゆるオルタナティヴ・ジャズ・アルバムを作る上で直面した大変さ。いや、大変ではなかった。地球上のもっと酷い問題に比べれば大したことではない。でも間違いなく、偏見に直面したこともあったし、「南アジアらしさはどこにあるの? ルーツやヘリテージとの繋がりはどこ?それはマストじゃないか」と言われることもあった。そんな時、シャザードは「僕はロック・ミュージシャンだ」、ヴィジェイは「僕はジャズ・ミュージシャンだ」と答えるんで、私は「私に振らないで。私はわからない。私はアメリカ人じゃない。問題は私自身」って答えてた(笑)。そのことを話題にして話すことで、人を教育し、偏見の連鎖を断ち切ることもできたわ。何より3人のブラウン・ピープルが互いに偏見を持たずに、音楽を作れたのは素晴らしい経験だった。私にとってはお兄さんたちのような存在。同じ所から出てきた…そう言ってしまうのは彼らの本意ではないかもしれないわね。二人にとって祖国とのつながりは、本や両親の顔の中だけのものだから。つまり、とても美しく、とても違う、でも親しみを持てる何かがあった。音楽の探究という意味でも、とても興味深かったわ。

──あなたのヴォーカルからは、当然ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンやアビダ・パルヴィーンらからの影響も感じられますし、ポーリン・オリヴェロス、メレディス・モンク、ローリー・アンダーソンといった現代音楽、実験音楽のアーティストたちの姿勢も反映されていると思います。あなたの音楽、ミュージシャンシップにおけるこうした先達の影響をどのように分析しますか。

A:ええ、とても大きいわ。目から鱗が落ちるような瞬間だった。今回のアルバムに参加してくれたチョコレート・ジーニアスことマーク・アンソニー・トンプソン、あるいはローリー・アンダーソンやアビー・リンカーンを聴く前の人生があるとしたら、聴いた後に始まるのは違う人生。それは多様性を生み出させるの。もしあなたが音楽の表面だけでなく、内面にも目を向けようとするなら、そこには多くの親和性や共通点があることがわかるわ。とても美しく、たくさんのインスピレーションを与えてくれる。さらにインスピレーションを与えられるものを作ろうと思わせてくれるの。次にやってくる波。欠けている次の何か…彼らはその欠けているものを見つけ、それを作った。私もそれを見つけたい、作りたいと思うのよ、色んな意味で。レジェンドよ、彼らは。

──チョコレート・ジーニアスといえば、私は90年代にNYで彼のライヴを見たことがあります。

A:すごい! あなたを尊敬するわ。だってみんな彼のこと、忘れているんだもの。

──そんなチョコレート・ジーニアスの娘のテッサ・トンプソンが収録の「Raat Ki Rani」のPVを監督しているというのがとても興味深く、NYの音楽の歴史が連鎖していることを痛感します。あなた自身、NYの音楽シーンの一端を新たに継承している実感はありますか?

A:ええ。このアルバムでの私の音楽はとてもNY的だと思っているわ。どう定義すればいいのか、どういう意味なのかは自分でもわからないけど、アティテュードがあって、何にも屈さない。柔らかさもあるけれど、リスクを恐れない振る舞いがある音楽だと思う。NYがそうであるように、多人種が自然と混ざり合うるつぼのよう。LAのような多様で多人種な先進都市もあるけれど、それでも“住み分け”がある気がする。でもNYは、誰もがお互いの上に重なり合うように暮らしてて、音楽シーンもそれに似てるのよ。ごみごみしてて、混み合ってるし、寒いし……。私はそう感じる。NYのエネルギーにすごく共感できるの。それと、アルバムのジャケット写真はマーク(・アンソニー・トンプソン)の奥さんが撮ったのよ。家族ぐるみで縁があるの(笑)。

──さて、ようやく新作についてです。“夜の支配”というタイトルは非常にロマンティックでもあり、一方で非常に重い、抵抗の意味を感じさせる言葉でもあります。『Vulture Prince』はあなたの実弟の死が歌詞にも大きく反映されたと言われていますが、今作は何か大きな枠組みでのテーマがあったのでしょうか?

A:ええ。弟の死、加えて親友の死という悲しい出来事が続いた後に『Vulture Prince』が出て、それが大成功した。私は2年、3年、年間200本近いショーをこなすスケジュールをこなしてた。でもその間も、自分の中で彼らの死を整理しきれていなくて、人として、アーティストとして成長し続けねばならなかった。時間はほっといても過ぎ続ける。でも時間は何よりも重要なもの。それを尊重しないのは大きな間違いだと気づいたわ。それで、時間というものに改めて目を向けたのよ。私が癒しや休息、そしてインスピレーションを感じる時間はいつだろう? 自分が再び完全になり、悲しみや喪失が私の一部となり、私の答えとして受け入れる瞬間が訪れる時間はいつだろう? そういった色んなことをね。そうしたら、それは“夜”だった。それに気づき、私は再び自分を取り戻し始め、音楽も大きくて、美しくなっていった。そしてそれが認められ、多くの人々に届き、業界でたくさんの友人ができていった。そうやって”夜”が主役になったのよ。『Vulture Prince』で起きたことの後に続く、第2パート、もしくは次なる物語を語る私の友達。だってグラミーなんて受賞してしまうと、友達はみんな消えてしまう(笑)。成功はたくさんの新しい人を連れてくるけど、失う人も多い。気づいたらひとりぼっちになってるのよ。突然、たくさん仕事が舞い込んで、誰もが一緒に仕事をしたいと言ってくる。生活は一転するの。そんな空間の中、夜の時間が私にとって大切な存在になった。それに、夜にはたくさんの感情がうごめくのよ。人は夜に眠り、遊び、コンサートをやり、ファンと会い、リハーサルをする。同時に一人、孤独の中で何かを考える。そうやって夜はすごく楽しいものになっていった。だからアルバムではパーカッションが復活した。バンドも人数が増え、パーティは賑やかになった。誰かを失い“Fuck!”と瞑想に耽るのではなく、生きることを祝う、生命力に満ちたものになったの。それは全て夜に起きることの一部。だから“夜が支配者”なの。私たちはただその中にいるだけ。

──夜だけでなく、花、香り、香水などが歌詞に出てくることも多く、非常にエロティックでもあります。聴覚、視覚、グルーヴ感だけではなく、嗅覚も刺激されるような作品のように思えますが、音楽における香りはどのような意味を持っていると思いますか?

A:はっきりはわからないけど、香りには惹かれ続けている。たぶん、香りはものすごく力強いけれども、同時に優しいものだからだと思うわ。その感覚が好きなのよ。香りを嗅ぐことで4歳の自分に戻ることもできる。美しい形で。パワフルかつエレガント。私はただストレートで直接的なものはあまり好きじゃない。音楽……それは歌詞=lyricsではなく曲という意味での音楽=musicってことなんだけど……は、感覚を呼び起こすべきものよ。人って直線的に、AからBへ、この音楽は耳に心地よいかどうか、という聞き方ばかりする。感情を感じるには歌詞を読み、翻訳されたものがなけれわからない、と思う。でもそれは違う。音楽だけでもストーリーを語ることはできるのよ。私もコラボレーターを招いて何かをするとき、「ここでソロを取って」と言うけれど、技を見せて欲しいわけじゃないの。そうではなくギターで物語を語って。時間をかけていい。手先の技を見せてくれなくていい。あなたが語るストーリーが聞きたいと言うの。それと同じ意味で、香りに強く惹かれるのだと思う。あなたがグルーヴということに触れてくれて嬉しかったわ。それは心の中の動きを示しているのだと思うから。単に踊る、というだけでなく。「この曲に合わせて踊れるのか?」と人はすぐ言うけれど、ええもちろん、心の中で踊れるわよ、ということ(笑)。

──今作はこれまで以上に神秘的で美しく、その一方で静かに闘う姿勢がいっそう強く感じられる作品になっていると思います。そう感じる大きな理由として、Mah Laqa Bai Chandaの詩をいくつか引用していることではないかと感じます。日本では一般的にサンスクリット語の『Ramayana』や『Mahābhāratam』といった古典的な叙事詩が割と知られていますが、Mah Laqa Bai Chandaの存在はほとんど知られていません。どのような詩人で、あなたにとってどのような影響をもたらした人なのでしょうか?

A:ええ。8年前くらいに友人がコロンビア大学で調査中にMah Laqa Bai Chandaを見つけて、私に「この女性を知っている?」と教えてくれた。彼女はデカン帝国(Deccan Empire)の時代の人で、ウルドゥー語の詩のアンソロジーを書いた初の女性だったのに、まるで知られていなかったし、取り上げられることもなかった。多くの詩は無くなってしまっているけれど、誰もそれを曲にしたことがない。それで私に「調べてみたら?」と言われ、読み始めたの。あまりに古いフォーマルなウルドゥー語で書かれていて、私にもさっぱり意味がわからなかった。それでも2つの詩を取り出し、少し意味が通じるようにした。父とかに聞いたり、わかる人に聞いたわ。私のウルドゥー語は全然大したことがないから。諦めずに、読み続けるうちに花が何度も登場することに気づいたので「じゃあそれをどうすればいいの?」と考えたり(笑)。いくつかのヴァースを読み解くことができたので「Na Gul」と「Saaqi」で使っているけれど、実際の詩の1%くらい……「Na Gul」はもう少し使ってるかしら。彼女は法律を設定する際に意見を求められるアドバイザーのような立場にいて、射撃の名手で戦の訓練も受け、騎手でもあった。帝国が崩壊した後も彼女たちはその地位を守り続けたの。遊女が売春婦になってしまうのはとてもイギリス的なことなのだけど、彼女たちはリスペクトされたわ。詩も文学も、踊りもものすごく得意で伝統にも長けたなんでもできる女性だった。フェミニストでもあり、それは彼女の書く言葉にも表れていた。そんな彼女という人格も作品も、歴史の中に忘れられていたので、少しでも私が取り戻せたのはよかったわ。私にできることは僅かだけど、彼女へのオマージュとでも言うのかしら。この歴史上の素晴らしい人へのトリビュートがしたかったのよ。(注:いわゆるcourtesan=太夫のような最高ランクの遊女だったよう。美人で、様々な芸事や知識があり、パトロンの力で政治にも意見を述べていた女性)

──ムーア・マザーもアクティヴィストとして体を張って闘う女性アーティストですが、彼女とはどのように知り合ったのですか?

A:ええ、ヴィジェイのコンサートで共演したのよ。彼はそうやって見知らぬ同士を組み合わせることがあるの。彼女がラップとスポークンワードで、私は歌で参加したのだけど、演奏の最中、私たちは目と目で「この後で話さなきゃ」とお互いに思っていた。彼女のことはもちろん、ずっと前から知っていたわ。彼女の書く言葉はとても力強いから。

──彼女と共演した「Bolo Na」はどのように作業が行われたのですか?

A:「Bolo Na」はね、実は10代の時に書いた曲なの。失恋をして、歌詞で言われている通りに「本当のことを教えて。私を愛しているの?愛してないの? 思わせぶりはやめて」と歌っている。「私は知らなくてはならない。待っている」と。でも今の時代にこの曲を持ってきたら、これはラヴ・ソングではなかった。人はみんな嘘をつかれることにうんざりしている。政府や世界はどんどん堕落している。誰も地球を愛さない。女性を愛さない。誰も誰のことも愛さない。愛しているのはお金だけ。そんな世の中にいて、アーティストとして「私たちは何をしてるの?」と何かを言うことはとても難しい。自分の役割はなんだろう?どう自分の感情を込めればいいのだろう? それでこの曲ができたの。ムーア・マザーには私はこの曲で怒ってるのだと話したわ。「相手が私を愛してないことはわかっているから、実際には愛してるの? とは聞いてないのよ。だからあなたもその方向で行ってくれて構わないわ」と。そしたら「わかった」と言ってこのヴァースを送ってきてくれた。曲に合わせてみたら「嘘でしょ!」と言うくらい最高だった(笑)。ほとんど何も説明しなくても、こちらの意図を完全に理解してくれたのよ。素晴らしかったわ。

──そして、やはり驚いたのは「Autumn Leaves」(「枯葉」)のカヴァーです。ボブ・ディランもかなり崩したアレンジでしたが、あなたのこのヴァージョンも原曲をまるで感じさせないアレンジですね。

A:ジェイムス(・フランシーズ)がローズとJunoを弾いている。頭で私が弾いているのは、ちょっと変わったプラグ・イン。あとはリンダがベースね。私、ずっと前から好きだったのよ。この曲はバークリーのオーディションで歌った曲だったの。今回のアルバム・タイトルは“Night Reign”、つまり“夜の支配”というテーマで夜の曲ばかり集めたアルバムに、“秋”も合うと思ったのよ。ドラム・グルーヴを入れて歌い始めたら良くて……でも、「Autumn Leaves」のカヴァーくらい最悪なことってないでしょ?(笑) 「あなたもやるの? もうやめて!」と言いたくなる。レディオヘッドの「Creep」と一緒。「あなたも”Creep”をやるの? お願いだから、二度とカヴァーしないで」って(笑)。レーベルからも「真面目に言ってるの?」と言われたわ。自分でもアイディアとしては良くないのはわかっているけど、もう少しだけやらせてみて、と言ったの。でも出来上がったものは「ほら、悪くないでしょ」と言えるものだったし、彼らも納得してくれてた。それでアルバムに入ったというわけ。まあ、でも、確かに変わってるわよね。私は好きだけど!(笑)

──今作は全9曲中6曲がウルドゥー語、3曲が英語です。『Vulture Prince』は1曲を除いてウルドゥー語でしたが、英語の曲が多くなっている理由は何でしょうか?

A:徐々にその方向に向かっているからよ。『Vulture Prince』では新しいジャンルを作ることが私の目的だった。本当の意味でのクロスオーバー、真にモダンな、コンテンポラリー・ミュージック。新しい道へのドアを開けて、ワールド・ミュージックとかいうレッテルを貼られることなく、わきに置かれて「これはこういうコンテクストでのみ理解できるものだ」と言われることなく、人々の会話の一部になれるような音楽を作ることが目的だった。そしてボーイジニアスと肩を並べることができた。この新しいジャンルを多くのアーティストが追求するための大きなプラットフォームを作った。青写真ができたのよ。それが『Vulture Point』で私がやりたかったこと。それが達成できたので、次は何をするか……。私の中には、これまでも英語ではずっと歌ってきた私がいる。ジャズやビリー(・ホリデイ)を勉強してきた私もいる。でもそれは今まで待たせてきた。今回、歌にした感情や曲や考えは英語でやってきた。私はバイリンガルなの。何ヶ月もウルドゥー語で話す相手がいないこともあるわ。英語は私にとって重要なアイデンティティの一部。でもゆっくりとそれを出したかった。今回の曲が出来上がるまでにはこれだけの時間がかかったのだもの。やるなら本当にいいものを、意図を持ってやらなくては。英語曲は3曲だけど「Last Night」が今回も入ってるので(「Last Night Reprise」)、ちょっとだけズルをしてるわね(笑)。「Autumn Leaves」はすでにあった、誰かの曲。だから新曲は「Whiskey」だけなの。でも、ゆっくりだけど、英語曲は増えていくと思うわ。

──ウルドゥー語と英語の言語的な違いも楽しみたいと?

A:ええ。ウルドゥー語はたくさんの秘密があって比喩的だけど、英語は直接的。「愛してる。あなたはどこ?」てね(笑)。とても違っているわよね。


<了>

 

Text By Shino Okamura

Photo By Kate Sterlin

Interpretation By Kyoko Maruyama


Arooj Aftab

『Night Reign』

LABEL : Verve / Universal Music Japan
RELEASE DATE : 2024.5.31
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