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リファレンスを重ねて、共有して、解放して
──リオ新世代の急先鋒、アナ・フランゴ・エレトリコが最新作『Me Chama de Gato que Eu Sou Sua』で提示した伝統と革新のミクスチャー

01 November 2023 | By Ikkei Kazama

リオ出身のSSW/プロデューサー、アナ・フランゴ・エレトリコが自身3枚目のフル・アルバムとなる『Me Chama de Gato que Eu Sou Sua』を10月20日(金)にリリースした。MPBの枠を越え多くの音楽ファンが心酔した2020年の傑作セカンド・アルバム『Little Electric Chicken Heart』から約3年。これまでの間に、アナはリオのミュージシャンたちと良好かつ友好な関係を築いてきた。その最も顕著な例は、共同プロデューサーとして参加し、今年7月に行われた来日公演も大盛況だったブラジルのスーパーグループであるバーラ・デゼージョ『SIM SIM SIM』への貢献だろう。本作は2022年のラテン・グラミーで最優秀ポルトガル語コンテンポラリー・ポップ・アルバム賞を獲得。いよいよ世界規模でブラジルの新世代ミュージシャンたちが頭角を表しはじめてきたところだ。



数多のミュージシャンたちとの協働を経て、アナは自身の創作を深化させている。『Me Chama de Gato que Eu Sou Sua』にもプロデュースを担当したバーラ・デゼージョのメンバーであるドラ・モレレンバウムをはじめ、リオの腕利きたちが多数参加。ヴォヴォ・ベベやソフィア・シャブラウなど、自身のリーダー作でアヴァンギャルド・ポップを志向している作家たちも名を連ねているのも興味深い。





『Little Electric Chicken Heart』では、フレンチ・ポップや渋谷系にも通ずる、独特の参照センスを発揮したアナ。『Me Chama de Gato que Eu Sou Sua』ではブラジリアン・ブギーを中心としたダンス・チューンが大きく取り上げられ、荒々しさを残したガレージ・ロック路線からは一歩引いた新機軸が展開されている。70年代のマルコス・ヴァーリやアルトゥール・ヴェロカイ、アナ・マゾッティ、チン・マイア、ドリス・モンテイロ……。同時に、80年代以降のアーティストたちからの参照も、このアルバムには組み込まれている。例えば「Coisa Maluca」について、アナはマック・デマルコからの影響を語ったり、「Let ́s Go To Before Again」ではステレオラブのドラムマシン使いを参照元として上げている。

今回は『Me Chama de Gato que Eu Sou Sua』をリリースしたばかりのアナにインタヴュー。参照センスの源流や自身の音楽的ルーツはもちろん、それだけに止まらないモダンな試みについても闊達に語ってくれた。広くポップスを見通し、ブギーの伝統を引用しながら、テクノロジーと野心的な「読み」によって時代の風穴を虎視眈々と狙う様は、膨大なライブラリーとの並走を余儀なくされる時代におけるオルタナティヴを煌々と指し示している。

(インタヴュー・文/風間一慶 写真/Hick Duarte)

Interview with Ana Frango Elétrico

──前作をリリースした2019年から、パンデミックを挟んでのリリースとなった今作までの間にアナさんの参加/プロデュース作が多く発表されました。その中で、どのようにしてアルバムの制作を進めていったのでしょうか?

Ana Frango Elétrico(以下、A):色々なプロジェクトに参加することで、私は多くのことを学びました。並行して自身の作品を作ることは大変でしたけど、それらをフィードバックして活用することができたんです。今作は、なんだかんだで2年ほど計画していました。自作曲だけで構成されているわけではないのですが、『Me Chama de Gato que Eu Sou Sua』は自分の人生においては非常に大事な作品で、ある意味で集大成的なものでもあるのかなと感じています。というのも、例えばファースト・アルバム『Morma​ç​o Queima』(2018年)は実験的な部分が多くて、自分が何をしてるのかよくわからないまま、「なんとか頑張ってやろう」みたいな部分がありました。そしてセカンド・アルバム『Little Electric Chicken Heart』は、50年代から70年代の雰囲気を持ってこようとして、ノスタルジーをなんとか突き詰めていくことを目指したんです。




そして今作では本当に好きなもの、リスナーとして聞くのが好きなものを振り返り、自分の人生のフェーズを全体的に見直しました。それはダンスっぽさとか、そもそも踊ることが好きだったりとか、そういったものをグッと集めて完成したのが『Me Chama de Gato Que Eu Sou Sua』なんじゃないかなと感じています。

──2020年にリリースされた「Mulher Homem Bicho」は今作の作風を予感させるディスコ・ナンバーでした。この曲を制作した時に『Me Chama de Gato que Eu Sou Sua』の構想はすでにあったのでしょうか?

A:「Mulher Homem Bicho」は自分の中で新しいメソッドを使い始めた分岐点なんです。作曲についての新しいテクニックや、自分がやってみたいことを実際にアプローチしてやり始めた曲でした。私の情緒不安定な部分は音楽に影響を与えていて、色んなものを入れたいみたいな波がすごくあるんです。様々な影響があるけど、それをうまくアルバムにまとめようとして前作を作ったんですが、今回はそういう音楽的にカチッとさせなきゃみたいな制約を忘れて、自由かつ実験的に伸び伸びと新しいメソッドを使ってやってみました。「Mulher Homem Bicho」はそのきっかけになった曲です。パンデミック下に、リモートで録音して、スタジオのものではない簡単なマイクを使ったり…自分の中で試しながらやったので、すごく印象的です。



──日本ではナイトクラブのDJを経由してブラジリアン・ブギーを知ることが多いのですが、アナさんはどのように知ったのでしょうか? ブラジルの街中でも、そういった音楽は自然に流れているものなのでしょうか?

A:一般に、街中でブラジリアン・ブギーを聞くことはありません。例えばブラジルで道を歩いていれば普通に聞こえるとか、そういうことはないです。代わりに、私は10代の頃からYouTubeにすごくハマっていて、そこで音楽を発掘したんです。それは自分にとってすごく重要なことで、関連リンクから飛んでいって、いろんな音楽をどんどん見つけていくことができました。

お母さんがジョルジ・ベンジョールやチン・マイアなどを聞いていたとか、そういった家族の影響のようなものもありました。例えば先行シングルとしてリリースされた「Insista em Mim」は、チン・マイアやカッシアーノといったブラジリアン・ブギーから大きく影響を受けています。ただ、70年代の音楽がラジオで流れたりとか、クラブで流れたりとか、そういう経験はあまりないですね。あくまで音楽の発見は自分の研究によるものであったり、友達との情報交換を子供の頃から重ねて辿り着いたものであったりします。

──その音楽の研究や情報交換などは、今コラボしているアーティストたちともやっていることなのでしょうか?

A:はい、友達とは今でも情報を交換しますし、参加したアーティストとも共有はしています。中には参照やプレイリスト文化を嫌う人もいるんですけど、自分にとってリファレンスを持つというのはとても大事なことなんです。大学院や博士課程で研究をするのと同じように、自分は過去の音楽を研究対象として見ています。それが単なる真似であるとは一切感じていません。また、その参照元を公開することも重要だと感じています。例えば『Me Chama de Gato que Eu Sou Sua』で参考にしたというか、影響を受けたのは大体200曲ぐらいです。そのプレイリストにはマイケル・ジャクソンもチン・マイアもいるし、色々な影響が入っています。そういった研究を重ねてアルバムができました。

──実はアナさんが個人的に作成しているプレイリストを発見して、その中にcero(2016年のシングル『街の報せ』収録の「よきせぬ」)が入っていたのを見つけたんです。彼らのことは前から知っていたんですか?

A:そうです。日本の音楽が大好きで、『swing slow』(細野晴臣とコシミハルが1996年にリリースした、同ユニット唯一のアルバム)を前作を作っている時はよく聞いていました。音楽のプロデュースという面では、今はすごくいい時代です。すべてが一緒になって、新しいことがどんどん生まれようとしています。例えば「90年代のドラムの音はヒドい」といった風潮が一般にあったとしても、現代のフィルターを通して昇華することができます。新しいテクニックを使って面白いことがどんどんできる、いい時代に生きていると感じています。今回のアルバムではプロデュース上の実験を進めました。例えば「Dr. Sabe Tudo」という最後の曲は、色んなヴァージョンがブラジルの中で存在していて、それを自分がイメージしてる方向へとあえて持っていきました。

──「Dr. Sabe Tudo」はルビーニョ・ジャコビーナのカヴァーですよね。今作のヴァージョンではオートチューンが用いられています。このスリリングなプロダクションは、どのようにして決まったのでしょうか?

A:研究を進めていく中で、そこに現代らしさを持ち込みたかったんです。過去の音楽はもちろん大好きですけど、それと同時にある種の制約というか、オーガニックな楽器が出せる音の限界みたいなものを感じていて。そこに現代の要素を吹き込むことによって、限界を開放したかったんです。なので今回のヴァージョンではオートチューンを用いました。

──様々な年代の音楽を参照する中で、アルベルト・コンチネンチーノのベースプレイが一際耳を惹きます。彼と共に制作したことは、自身の創作にどのような影響を与えましたか?

A:彼は本当に素晴らしい人。一緒に仕事ができて、ただただ嬉しいです。色々なベーシストを見てきましたが、彼が世界で一番だと感じました。私はアルバムの中で主役のような楽器があると思っていて、例えば前作『Little Electric Chicken Heart』ではブラスセクションが目立っていましたが、今作ではベースが主役と言っても過言ではないぐらいのカリスマ性が表現されているんじゃないかと感じています。ベースとドラムのSergito Machadoの組み合わせが、今作の光っているパートです。

──アルベルトには「こういうふうにやってくれ」といった指示をしたのでしょうか?

A:ウッド・ベースやエレクトリック・ベース、もしくはシンセ・ベースなど「この曲でこの楽器を使いたい」といったことはコメントしましたが、詳しい音まではディレクションしませんでした。実はこのアルバム、ほとんど練習なしで録音したんです。リハーサルをみんなで続けて録音したのではなく、プレイヤーをスタジオに呼んで、そこで軽く練習して録音したものがほとんどです。ただ、その中でもリファレンスの研究は、重要なプロセスの一つとして行いました。例えばある一曲のベースラインの参考曲として、それらを3曲ほど見せて「こういう雰囲気にしてほしい」とディレクションをしたこともあります。リファレンスの研究や共有は、やはり重要でした。

──アルバムに関連して、歌詞のことについても聞かせてください。今作の歌詞からは開放的な愛の喜びを感じました。どのようなインスピレーションがあったのでしょうか?

A:開放的な、クィアネスの側面が今作の歌詞にはあります。アルバムに自分の曲ではないものが入っているのは、男らしさや女らしさを反映した唱法をミックスし、その上で自分の解釈を行うためです。その部分をフラットにするなど、愛や性別についてとても意識してアルバムを作りました。例えばアメリカではプリンスのようなクィア・シンボルが昔からいましたが、(ブラジルにおいて)ビッグ・アーティストがそういった自由な性の表現をするのは、やはりまだまだ難しいと感じているんです。例えばガル・コスタやマリア・ベターニアの歌では、男女による愛が詞によって表現されていて、それが当然のことであるように扱われています。けれどクィアの視点、つまり「もっと自由な視点から捉えて(それらの歌を)聞くことも可能なのではないか?」と私は考えました。その上でフラットな表現を行うという、挑戦的な意味合いが今作の詞にはあります。

<了>

Text By Ikkei Kazama


Ana Frango Elétrico

『Me Chama De Gato Que Eu Sou Sua』

LABEL : Think! Records
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