Review

Vieux Farka Touré & Khruangbin: Ali

2022 / Dead Oceans
Back

頭、みぞおち、下半身を刺激するコラボレーション

26 September 2022 | By Masamichi Torii

レオン・ブリッジスとのコラボレーション第二弾『Texas Moon』も記憶に新しいクルアンビンが、早くも次なるコラボレーションを披露した。その共同作業の相手は、ヴィユー・ファルカ・トゥーレだ。ヴィユーはマリのレジェンド級のミュージシャン、アリ・ファルカ・トゥーレを父に持つ人物である。この度リリースされたアルバムは、亡きアリのレガシーにリスペクトを捧げたもので、『Ali』というタイトルがつけられている。

まずアリ・ファルカ・トゥーレのバイオグラフィーをご紹介したい。「アフリカのジョン・リー・フッカー」「砂漠のブルースマン」とも呼ばれるアリは、1939年、マリの北部に生まれる。マリは西アフリカの内陸国で、国土の3分の1をサハラ砂漠の一部が占めている。

アリは十代の頃から音楽家に憧れ、伝統的な弦楽器を独学で習得していたが、1956年にギニア人ギタリスト、ケイタ・フォデバの演奏に衝撃を受けてギターを手にする。

1960年にマリがフランスから独立。アリは文化振興の一環として行われたタレント大会で頭角を現す。ジェームス・ブラウンやオーティス・レディング、そしてジョン・リー・フッカーといったアメリカのファンクやソウル、ブルースを初めて耳にしたのもこの頃のことだった。アリはこうしたアメリカ産の音楽にマリの伝統音楽とのつながりを感じたそうだ。

1970年には首都バマコに移り、マリの国営放送局でエンジニアとして働きながら自分の作品を放送のために録音していた。そのテープをフランスのレーベル、ソンアフリークに送りつけ、リリースへと至る。ソンアフリークには1975年から1988年の間に7枚のアルバムを残している。この時期の音源は『Radio Mali』や『Red & Green』にまとめられている。

1986年に『Red Album』と呼ばれる作品がイギリス人ラジオDJの耳に止まる。彼がアリの音源を放送するとリアクションは上々だった。ワールド・サーキットというレーベルがマリまでアリを訪ねてきて、契約を結ぶこととなる。1987年、アリはイギリスへと赴きレコーディングを行う。折しもワールド・ミュージックが流行していた。アリは世界的な名声を得ることになる。チーフタンズやタジ・マハール、ライ・クーダーともコラボレーションし、クーダーとの共演盤『Talking Timbuktu』はグラミー賞を獲得している。2005年、同郷のコラ奏者、トゥマニ・ジャバテとの共演盤『In the Heart of the Moon』で、二度目のグラミー賞を受賞。2006年に癌で死去した。死後リリースされたジャバテとのコラボ第二作『Ali and Toumani』では三度目のグラミー賞を獲得している。

アリの息子、ヴィユーは1981年生まれ。音楽稼業で何度も痛い目を見てきた父親に反対されながらもこっそりとギターを習得。父親のレコードを聴いて練習したそうだ。2007年にセルフ・タイトルのアルバムでデビュー。リミックス盤や共演盤も含め、これまでに9枚のアルバムを発表している。

ヴィユーとクルアンビンがコラボレーションするというアイディアは、そもそもヴィユーのマネージャーのものだったらしい。ヴィユーはクルアンビンを知らなかったそうだが、ライヴを見て気に入り、声をかけたところ彼らも乗り気だったので、この度のコラボが実現したとのこと。レコーディングは、クルアンビンが根城とする古い納屋を改造したスタジオで行われた。

クルアンビンについては改めて語るまでもなかろう。けれどもここで少し自説を開陳させてほしい。細野晴臣の有名な言葉「頭クラクラ、みぞおちワクワク、下半身モヤモヤ」に倣い、クルアンビンの音楽を、頭、みぞおち、下半身に分けて考えるのなら、次のように言えるだろう。

まず頭はマーク・スピアーとローラ・リーのウィッグに象徴されるビジュアル的なケレン味だ。頭だからウィッグ?と呆れる人もいるかもしれないが、決して冗談で言っているわけではない。彼らの出で立ちは、ヒッピーにしてはフォーマルだし、グラム・ロッカーにしてはややシック、オシャレなようでいて隙がある。日常から遊離した素性の知れない風体のインパクトの強さは侮れまい。こうしたある種の胡散臭さは、クルアンビンの音楽が醸し出す妖艶でサイケデリックなムードをさらにもり立てている。

みぞおちに当たるのは、非西洋圏の音楽を思わせるギターの旋律である。彼らが東南アジアや中東、南米の音楽のファンであることは周知のところだろう。Mr.ボンゴやヴァンピソウル、アナログアフリカ、ストラット、ソウル・ジャズといった世界各地の宝石のような音楽を紹介するリイシュー系のレーベルが存在する時代のベンチャーズといった趣がある。

下半身に該当するのは、グルーヴの真髄を会得したリズム隊の演奏にほかならない。ローラ・リーとドナルド“DJ”ジョンソンは、ドナルド・ダック・ダンとアル・ジャクソン・ジュニア、あるいはスライ・アンド・ロビーといった名コンビに比肩しうる当代随一のリズム隊である。クルアンビンの上半身はあくまでケレンであり、その本体は下半身にあるというのが私の持論だ。

今回の『Ali』でも、リーとジョンソンのコンビは名人のような演奏を披露している。他方、新たなるギター・ヒーローと目されるスピアーも今回はバッキングに徹しており、オーティス・レディングのバックを務めるときのブッカー・T・ジョーンズ、あるいはスティーブ・クロッパーの役割を引き受けている。右チャンネルの遠くから聴こえてくるおぼろげなギターがスピアーの演奏だ。左チャンネルから聴こえるひだまりのようなギターがヴィユーによるものだとは言うまでもない。

クルアンビンを従えたヴィユーの歌声を聴くと、レオン・ブリッジスとのコラボレーションを思い出す。『Texas Sun』『Texas Moon』のどちらにおいても、ブリッジスの歌唱はややスピリチュアルな雰囲気が漂っていた。これは、アリがジョン・リー・フッカーの音楽に西アフリカの伝統音楽に通ずるものを感じたのに似た感覚なのかもしれない。

『Ali』に収録された曲のうち、アリのオリジナル音源が確認できたのは、「Tongo Barra」「Ali Hala Abada」「Alakarra」を除く5曲。「Savanne」は『Savane』、「Lobbo」と「Tamalla」は『The River』、「Diarabi」は『Talking Timbuktu』、「Mahine Me」は『The Source』にそれぞれ収録されている。

『Ali』と原曲との比較で最も違いが際立つ箇所は和声による色付けである。目まぐるしくコードチェンジを施しているわけではなく、クルアンビンは最小限の和声の変化でメリハリをつけている。彼ららしいアプローチだと。モダンな和声の導入により、アメリカ音楽っぽさが強く付与されたように感じる。

アメリカ音楽っぽさということでいえば、ファンクやR&B的なグルーヴにも同様のことがいえる。上半身は無国籍風のクルアンビンだが、下半身はあくまでアメリカ産のグルーヴによって構成されている。クルアンビンがグルーヴのオタクであることは、彼らのライヴで定番となっているヒップホップ・クラシックス・メドレーからも伺い知れる。今回のコラボレーションによりクルアンビンの下半身に宿るアメリカらしさが強調された形となった。

ヴィユーの朗々とした歌唱と伸びやかな演奏をしっかりと聴かせるという観点でいえば、いつもながらのアプローチとはいえ、クルアンビンが良い仕事をしたのは間違いない。ヴィユーの穏やかに移ろう音楽とクルアンビンのリラックスしたグルーヴとの相性が悪いはずがない。

今回のコラボレーションは、新たなリスナーに向けてアリ・ファルカ・トゥーレの遺産への入り口を開いたといえる。さらには、マリ、ひいては西アフリカ、サハラ地帯の音楽への興味を引きつけたに違いない。ポートランドのレーベル《Sahel Sound》が紹介するエトラン・ドゥ・レール、エムドウ・モクタール、レ・フィーユ・ドゥ・イリギャダなどはクルアンビンのファンならお気に召すはず。

そしてクルアンビンといえば、11月に来日することも決まっている。むろんチケットをすでに獲得済み。万難を排して会場に駆けつけたい。(鳥居真道)

More Reviews

1 2 3 72