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山口美央子: 月姫

2023 / Sony Music Labels(オリジナルはPinewaves)
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時を超えるジャポネスク・シンセポップ

18 August 2023 | By Yuji Shibasaki

シンセポップの名盤は数あれど、これほどまで丁寧に作り込まれた、それでいて軽やかで可憐な魅力をたたえたレコードは本当に稀だろう。

『月姫』は、シンガー・ソングライターの山口美央子が、1983年3月に《キャニオン・レコード》より発表した自身3枚目のアルバムだ。同作がこの度、最新リマスタリング/ボーナス曲追加の上、新版として登場した(まず4月に、『月姫 40th Anniversary Edition』としてディスク2に新録や再構築バージョンを収録した2枚組CDが、8月に、アナログ版『月姫 Moonlight Vinyl Edition』がリリースされた)。

1980年代当時、“シンセの歌姫”という別名もあったことから察される通り、山口美央子の諸作は、YMOをはじめとしたテクノ・ポップの流れに大きな影響を受けたものだった。しかしその一方で、ニュー・ウェイヴ路線だけでなく、(今でいう)シティ・ポップや、ディスコ/ブギー、アンビエント、ニューエイジ的な要素も色濃く溶け込んだ、実にハイブリッドなものだった。それゆえに、それらの音楽が再評価されてきた昨今の機運に乗じて、彼女の音楽もまた、非リアルタイム世代のリスナーから大きな注目を集めることとなったのだ。

中でも、『月姫』は特に人気の高い作品だ。まず聴いてもらいたいのが、「白昼夢」だ。空間をしっとりと浸すシンセサイザーのサウンドに導かれて、ピアノやリズム、ふくよかで繊細な歌唱が、水に溶かしたような彩を描いていく。まさに、曲名通りの白昼夢の世界へ誘う名曲で、かねてよりネット上で高い人気を博してきた。

加えて、同曲をはじめ、全体にそこはかとなく漂う「和」の感覚も、非常な効果を挙げている。この“ジャポネスク”的なヴィジョンも、山口美央子の音楽を特別なものにしている重要な要素だろう。そうした路線がもっとも鮮やかに花開いているのが、「さても天晴 夢桜」だ。和楽器や掛け声(のサンプリング)を交えたアンサンブルと洗練された作曲の融合ぶりは、YMOが先駆けとなった「セルフ・オリエンタリズム」的な世界をより一層深化させたものとして評価するのも可能だ。

そして、これらの成果は、本作のサウンド・プロデュースを担当した土屋昌巳(一風堂)の手腕によるところも大きいはずだ。随所でアイデアに溢れた編曲を施している他、キレのいいギター演奏を披露している。このあたり、一風堂の同時期作『NIGHT MIRAGE』(1983年)の先鋭的な内容と比較してみるのも楽しいだろう。

また本作は、全編を通じてシンセサイザーのサウンドが非常に細やかに作り込まれているというのが特徴だ。このサウンド作りに大きく貢献したのが、「四人目のYMO」として知られるシンセサイザー・プログラマー、松武秀樹だ。

今回の再発でリマスタリングを担当した砂原良徳は、かつて、松武のサウンドについて次のように述べた。

「松武さんの作る音は本当に表現力が豊かなんですよ。一個の音を一音で再現しようという発想ではないと思うんです。一個の音を必ず3つくらいの角度から捉えて、幾層かのレイヤーで構成し、表現している」
――『松武秀樹とシンセサイザー MOOG III-Cとともに歩んだ音楽人生』(DU BOOKS 2015)収録「テクノ対談 砂原良徳×松武秀樹」P.155 より


これは、本作における電子音の深遠さ、耐久性を言い表す言葉としても実に当を得たものだろう。

実際に松武は本作でも、山口の要望を受けて試行錯誤を重ね、イマジナティヴな音色を多数作り出したのだという。中でも象徴的なのが、「鏡」におけるサウンドだろう。山口は、CD版付属のセルフ・ライナーノーツで、同曲のテーマが「不思議の国のアリス」であったと明かしている。それに関連して、彼女は松武に「鏡の音」というオーダーを出し、松武は見事にその希望通りの音を作り出したのだという。是非その「鏡の音」に注目しながら、聴いてみてほしい。

山口美央子は、本作の発表の後シンガー・ソングライター活動を休止してしまうが、作曲家として多数の名曲を生み出し、成功を収めた。その後、一時期は音楽活動から離れていたが、2018年には、再び松武秀樹と組んで26年ぶりのオリジナル・アルバム『トキサカシマ』を発表した。それをきっかけに、セルフ・カヴァー集『FLOMA』(2019年)や『フェアリズム』(2022年)など、精力的な新作リリースを行い、コンサートを含め第一線で活動している。本作『月姫』に魅入られたなら、是非それらの作品も聴いてみてほしい。『月姫』の世界をアップデートし深化させた、他にはない“ジャポネスク・シンセポップ”を味わうことができる。(柴崎祐二)



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