キリンジによるポップスの“完璧さ”について
結論から書く。この作品の唯一の欠点は、何一つ欠点が見当たらないところである——そう逆説的にひれ伏したくなるほど、2026年に、キャリア30年・50代の男性アーティストがリリースするポップスとして、これほどまでに完璧な作品は他にない。
「いや、2023年の『Steppin’ Out』も、2021年の『crepuscular』だってそうだったじゃないか」と言われれば、まったくその通り。だが本作は、メインストリームへのカウンターでも、新しい潮流への応答でも、コロナ禍という社会状況へのメッセージでもない。堀込高樹というアーティストの卓越した技術と経験、そして美学が、極めて高い純度で注ぎ込まれた音楽という感がある。その作品としてのシンプルなありようが、本作を“普通に特別な”ものにしているのである。
近作では定型から自由な最新型ダンス・ミュージックを意識した楽曲が印象的だったKIRINJI 。しかし本作のソングライティングは、ソウルやポップスの王道に沿った、よりオーセンティックな作風という印象を受ける。
アルバムの基調となる「ルームダンサー」はモータウンのフォーマット。続く「気になる週末」はシカゴ・ソウルの流麗かつ端正なマナーを感じさせる。そして「反省と後悔」には、天国のロジャー・ニコルスとブライアン・ウィルソンが並んで夢枕に立ったかのような普遍的な美が宿る。どの曲にも音楽としての気品と伝統を保ちながら、大衆性も手放さない、堀込のソングライターとしての凄みが改めて伝わってくる。
もちろんアレンジにも熟練の手際が光る。ダンス・ビートの上で展開される複雑なコードと四つのコーラス・ラインが交錯する「ルームダンサー feat. 小田朋美」後半の緊張感と「気になる週末」における冨田恵一の感嘆しか出ないストリングス。「素敵な夜」のAOR的ファンクネスや、「ベランダから」における和風のメロディと南米音楽との優雅な接続。ポップス無形文化財級の技術が惜しげもなく投入されている。
このように書くと、いかにも手練のベテランらしい安定感のある作品という印象を与えるかもしれない。もちろんそれも本作の一つの表情ではある。だが本作が特別なのは、こうしたステディな構造に安住せず、コンテンポラリーなポップ・ミュージックとしての”更新”を明確に志向している点にある。
2017年にアイドルマスターへ提供した「LEMONADE」のセルフカバーでは、LAGHEADSのメンバーであり、星野源、中村佳穂、ずっと真夜中でいいのに。などのサポートで活躍する伊吹文裕のドラムと東京藝大在学中の新鋭GAKU KANOの鍵盤をフィーチャー。現代ジャズのリズムとメタリックなシンセの質感が、小田朋美の透明感と湿度が混じり合うボーカルによってハイテックな快感へと昇華されている。「デートの練習」におけるニューウェーブの無機質さとディアンジェロ的な揺らぎが絶妙にブレンドされたドラムが気持ちよく、mabanuaをフィーチャーした「歌とギター」の大陸的なスケールを感じさせるリズム・アレンジにも新鮮な印象を受ける。そしてアルバムのクライマックスである「flush! flush! flush!」の覚醒と熱狂が同居するグルーヴは、Vulfpeckとトーキング・ヘッズを媒介にしてトリプルファイヤーと繋がる強度を感じさせる。そしてこれだけ冒険的なアイデアを盛り込みながら、歌ものポップスという王道から一切逸脱しない音像に仕上がっているのは、録音・ミックスを担当した葛西敏彦と柏井日向の貢献も大きいだろう。
こうして適材適所で気鋭のアーティスト、エンジニアの力を活かしながら、自らのソングライティングという最高級の生地を2026年にふさわしい最新のモードへと仕立てる所作には、本物の大人の嗜みのようなものを感じさせる。若い世代のファッションに安易に迎合するのは野暮というものだが、いつまでも昔のスタイルにこだわり続けるのも寂しい。ポップ・ミュージックの醍醐味は、やはり”更新”がもたらす高揚にある。
2025年におけるポップ・ミュージックにおける最大の更新の一つは、星野源がルイス・コールやサム・ゲンデル、サム・ウィルクスらを召喚して作り上げたアルバム『Gen』だろう。あの作品は、日本最大のポップ・アイコンがインディー・ミュージックの最先端へと接続する様を広く提示するという方法論自体にも意義があった。対して堀込高樹は、それに比肩する先進性を、ほとんど独力で、力みなく獲得しているように見える(ベースの多くを自らプレイしていることも象徴的だ)。それでいて、仕上がりの精度は異様なほど高い。この平熱感と完成度のアンバランスが、『TOWN BEAT』の特別たる所以なのだ。
さて、これだけ完璧なサウンドを作り上げたのならば、それに見合う意味を持つ言葉を組み合わせて、思いっきりみんなから尊敬されたい――私のような俗人ならばそんな風に考えるところだが、もちろん堀込はそんな野暮なことはしない。今作で描かれる世界は、相変わらずどこにでもいそうな男の、平凡な戸惑いに満ちた日常だ。もったいないといえばもったいない。しかし仕事ができすぎる50代男性が周囲から威圧的と取られないための振る舞いとしては満点である。「明日はどっちだ タッチはあだち」という駄洒落が許されるのは、その完璧すぎる仕事ぶりとトレードオフの関係にあるからだ。この絶妙なシャイネスこそが堀込高樹の美学なのだろう。だからこそ、「flush! flush! flush!」に潜むダブルミーニングが、声を荒げない社会批評として説得力を帯びるし、「歌とギター」で赤裸々に歌われる一人のシンガーとしての覚悟が胸を打つのである。
それはどことなく、坂本慎太郎が『ヤッホー』において、淡々とした言葉の中に中年としての疲労と共に、したたかな不服従を滲ませたことにも通じる。この2026年1月にリリースされた二つの傑作は、現代における成熟した男性のあり方を問いかけている。そしてその問いは、これからのポップ・ミュージックを更新させる上での重要なテーマの一つなのかもしれない。(ドリーミー刑事)
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KIRINJI『Steppin’ Out』
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