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Iglooghost: Tidal Memory Exo

2024 / LuckyMe
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未来主義者のレイヴ、抽象の痙攣──Tidal Memory Exoについて

10 July 2024 | By Tsunaki Kadowaki

イギリス、ドーセット州出身、10代の頃に既に注目を集めるミュージシャンであった、日本のサブカルチャーに傾倒していた幼少期を持つ、グリッチポップ、IDM、グライム、ブレイクビーツ、デコンストラクテッド・クラブなど様々なバックボーンの融合、エイフェックス・ツインが抽象性を抱えつつミュータント化したような現代のアヴァンギャルド・バロック・ポップ、クラブ・ミュージックにおける解放と祝福の熱への、平熱と熱狂の間を縫う音響…。才人イグルーゴースト(Iglooghost)の通算6枚目となるアルバムは、“抽象性こそが音楽を高みに登らせる”という彼の命題通り、抽象と、単純な意味での意味から離れて、別の意味を獲得すること、柔らかさと暴力性、軋みとイーサリアルなど様々な要素が統合されたマスターピースとなっている。

例えばキッチュで“kawaii”、ユーモアと錯誤されるであろう余地のある緩みのある音響と、ストイックなビートとその他の音響が織りなす音楽、それらとブルータルな要素、デスヴォイスや彼一流の意味に亀裂を入れるような音楽的展開が対比/止揚される構造は、旧作から見られていた手法である。

そして今作ではそれらが有機的な直線性というべきか、デコンストラクテッド・クラブの名作、例えばKamixlo「Paleta」を彷彿とさせるようなエロスと暴力、“kawaii”と緩みが対比され、平熱の暴力とも言うべきクールネスを獲得している。「Blue Ham」がまさにそうで、抽象的な電子音響がビートの一部として機能しつつブルータルなグリッチを伴って加速する「New Species」、それらをIDMマナーに則りながら高速化/レイヴ化させた「Alloy Flea」もそうだろう。

そして「Spawn01 ft Cyst」では彼が旧作から常に試みてきた、高度な抽象性とリリカルな女性ヴォーカル、という主題が前景化したものとなっている。微睡みとも違う、近未来的なイーサリアル。彼と親しいKai Whistonの近作にも見られる、同時代的な美的感覚とも言うべき音楽が描き出す光景は、私が《Siren for Charlotte》レーベルで取り組んでいる遠泳音楽(=Angelic Post-Shoegaze)ともまた違う理想の為の、もしくはポスト・ヒューマンとしての幻景だろう。

微睡みと鎮静の「flux​•​Cocoon」、ダブステップ的意匠が前景化した「Pulse Angel」を経て、洒脱なブレイクスである、同時にアンセミックな「Echo Lace」に辿り着く。今作は言うまでもなくひとつのレイヴ・トラックスだ。そしてイグルーゴーストからそのレイヴへの抽象の回答であり、単純に身体と精神を揺さぶる、快楽と陶酔の中で“踊れる”音楽でもある。彼の音楽が身体と心を揺さぶるのは、ダンス・ミュージックの中核が4つ打ちの直線性でも身体性としてのビートでも具体性/具象性でもなく、それらを超克した、音楽が人間に働きかける事の認知、情動、思弁、思想の振動、それらとの繋がりとしての身体運動、それら全ての“痙攣”である事を証明しているからだろう。私達がまだ知らないクールネス、音響、リズム、総体としての音楽は、私達の魂を痙攣的に揺り動かす。その根源に彼の音楽は触れていると言っても良いだろう。

「Germ Chrism」でも更なる痙攣的な、審美的なレイヴ性とチルアウトの往還を経て、深く、深く沈む「Dew Signal」での瞑想を通り抜け、「Geo Sprite Exo」でのグリッチによる祝祭体験、とも言うべきリズムの痙攣に至るまでの、解放と知的な狂乱の熱は紛れもなく現代のクラブ・ミュージックの地平以降に佇むものであり、未来のある側面の提示と言えるだろう。まだ20代である(!)彼の邁進は止まる事なく、今後も私達を驚かせ続けるだろう。(門脇綱生)

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