Review

Beverly Glenn-Copeland: The Ones Ahead

2023 / Transgressive
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目を閉じて、手を胸におき、今を生きる

04 September 2023 | By Shino Okamura

ビバリー・グレン=コープランドはフィラデルフィア出身の今年78歳となるベテランだ。父親がクラシック・ピアノを弾き、母親がゴスペルを歌うという環境の音楽一家に生まれたが、18歳でカナダへ移住し、今も東部海沿いの州、ニューブランズウィックに住んでいるという。そして、少なくとも現状ではもうアメリカで暮らすことはない、と公言してもいる。理由は明確、“彼”がトランスジェンダーだから。異性愛を当然とする考え方が依然として蔓延するアメリカで生きていくことはストレスフルだし、その政策に従わねばならないことにジレンマもあるのだろう。加えて、彼は西アフリカ、ケルト、カナダの先住民族をルーツに持っている。モントリオールの大学で学んだ最初の黒人系学生の一人だったことは彼にとって誉れなことだろうが、一方で数々の差別、格差、屈辱とこれまで十分格闘してきたことはあまり語られていない。彼はフォーク、ジャズ、ブルーズなどを下地にした、ジョニ・ミッチェルにも比肩し得る作品などいくつかをリリースしたあと、ひっそりとシーンから去っているからだ。そして、そこから長い時間、彼は表だった活動をほとんどしていない。

1986年に僅かの数のテープでリリースされた『Keyboard Fantasies』が日本のあるレコード・コレクターによって“発見”され、2017年にリイシューされたエピソードは知られている。シンセサイザーとドラムマシンだけで制作されたこの作品が今日ニューエイジ的な文脈から高い評価を得て、彼の名前は音楽ファンの間で改めて注目されることとなったし、2021年にはその35周年盤もリリースされた。だが、彼が黒人系のトランスジェンダーとしていかに内なる葛藤に苦しんできたかは、むしろ本作……前作『Primal Prayer』から約20年ぶりとなるこのアルバムの方が饒舌に語りかけてくるのではないだろうか。目を閉じてそっと手を自分の胸にあてた穏やかなポートレートがすべてだ、というのはいささか乱暴な言い方だが、顔や首、指先に刻まれた深い皺は、黙って苦境を乗り越えてきた証だろう。差別や格差からいたずらに逃れているわけでもないだろうが、70代も終盤になった現在の彼は、妻と自然に囲まれた小さな町でそっと暮らす日々をおそらく静かに謳歌している。こういうヒューマニズムの主張もあるということだ。

とはいえ、1曲目は「Africa Calling」というタイトルからも伝わるようにポリリズミックなパーカッションが高揚感をもたらすダンス・チューンだ。歌詞もリズムに乗ってチャントのように繰り返される。ここまで祝祭感のある曲は他にはないが、「People Of The Loon」は情熱的、呪術的に自身のヴォーカルを轟かせる曲だし、こちらも扇情的なタイトルの「Stand Anthem」はゴスペルの影響を色濃く落とした曲。聖歌隊を取り入れたタイトル曲も含め、これらの曲は環境問題とエコロジー、人類と自然の共存、ホームレスの撲滅などをテーマにしているようだ。このあたりはアフリカン・ディアスポラとしての自覚が強く引き出されているとみてもいいだろう。

基本的には紆余曲折を経て、穏やかで落ち着いた暮らしを手に入れた彼のナチュラルな呟きであり、現在過ごす日々の描写がピアノや生楽器がメインに録音されたこのアルバムの柱になっている。そういう意味でも、妻・エリザベスのために書かれた静穏な2曲目「Habour」が本作のハイライトではないかと思う。プロデューサーは自らもアルバムを多くリリースするクラシック/ニューエイジ系ピアニストのジョン・ハーバーマン。20年ぶりの復帰作としては上出来だが、80代を目指すこれからもっとすごいアルバムが誕生しそうな気もする。彼のバック・バンドの名前は「Indigo Rising」というが、ジャケットがまさにその藍色に染まっているように、彼自身の内奥を外へ外へと押し出す“青の時代”がやってくるのはこれからなのかもしれない。(岡村詩野)

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