サンパウロの恐るべき子供たち
ここ1年のラテン・ポップスにおけるMVPが“カトパコ”ことカトリエル&パコ・アモロソであることに異論を唱える者はごく少数だろう。地元のアルゼンチンを中心にスペイン語圏で支持を固めてTiny Desk Concertに出演したのが昨年の10月。同プログラムの歴史に残るほどのバズで世界に“バレた”このデュオ、《FUJI ROCK FESTIVAL》で地球の反対側である日本にもその熱は届き、今ではケンドリック・ラマーと共に中南米ツアーを回るほどの存在にまで成長した。
そんなカトパコだが、彼らは何も突然変異的に生まれたプロジェクトではない。短くないインディーズ期の葛藤を経て現在のポジションに至ったことは詳細な解説記事に譲るとして、そもそもサルサ〜トラップ〜ファンク〜プログレ〜フェイク・ジャズと文脈や親和性を考慮することなく同じ鍋に放り込むスタイル自体も、アルゼンチンのポップ・シーンにおいてはある種の正統であるのだ。天衣無縫なアンファンテリブルに見える彼らだが、実は先輩格となるプロジェクトが存在していたことも確認しておきたい。
その代表がイリヤ・クリヤキ&ザ・バルデラマス(Illya Kuryaki & The Valderramas)だ。同地のSSW史上における伝説であるルイス・アルベルト・スピネッタの息子、ダンテ・スピネッタと、エマヌエル・オルビレウルによるデュオは、当時のアルゼンチンでは無類の人気を誇ったという。バンド編成からファンキーな演奏にスペイン語を重ねる立ち振る舞いの細部に至るまで、確かにライヴ映像にはカトパコとの連続性を感じさせるものがある。
ヒップホップ・ユニットから出発し、アメリカに渡った彼らが様々なジャンルをマグネットのように吸着し始めたのが90年代の中頃。まさにミクスチャー・ロックの世界進出が本格化した時期だ。ちょうど2020年代以降はその一派に影響を受けた息子世代のプロジェクトが勃興し始めているタイミングであり、カトパコもその類例に数えることが可能であろう(無論、オールド・スタイルの“洋楽スター”を引き受けるだけのカリスマ性が備わっていることを語らなければ、彼らの評価としては片手落ちなのだが)。こと日本においては、Dragon Ashの再評価によって時代のサイクルを感じたリスナーも多いのではないだろうか。
本稿の主役である『Sustos』なるプロジェクトもまた、ミクスチャー・ロックの生んだ天衣無縫なアンファンテリブルの一つだ。ブラジル・サンパウロを拠点に活動するSSW/プロデューサーのダダ・ジョアンジーニョ(dadá Joãozinho)とロック・デュオのムンド・ヴィデオ(Mundo Video)、両者のタッグによって生まれた13分足らずのEPにはグローカルな進化を遂げたブラジル流のミクスチャー・ロックの呼吸が渦巻いている。
元々、両者はサンパウロのインディー・シーンで眩い注目を集めているプロジェクトだった。ダダ・ジョアンジーニョはつい最近までホサベージ(ROSABEGE)というコレクティヴで活動を行っており、こちらではネオソウルを素地にトロピカリア〜MPBのサイケデリックな部分をソフトに引き出すサウンドを展開。ハイエイタス・カイヨーテが2021年に『Mood Valiant』でアルトゥール・ヴェロカイを招聘する約2年前に、唯一となるオリジナル・アルバム『Imagem』でブラジル音楽の現代におけるポテンシャルをアピールした。
その後にダダ・ジョアンジーニョはソロ活動へと移行、自身のエレクトロニカ〜ハイパーポップへの興味と内省的な表現を追い求めてデビュー作『tds bem Global』(2023年)を完成させた。本作はBADBADNOTGOODなどを抱えるLAの《Innovative Leisure》からのグローバル・リリースとなり、ブラジリアン・ヒップホップの新基軸として(『みんなめっちゃグローバル』という題の通り)ワイドな層からのポピュラリティーを得る契機となった。「インディー・ロックの意匠を借りてY2Kムーヴメントと接近するポルトガル語ポップス」という点ではベロ・オリゾンテのパイラ(Paira)とも近しい感覚が聞き取れる上に、ときにローファイな音像を好んで使うMPBという点ではルームメイトの(!)ブルーノ・ベルリとも共振性がある。
一方のムンド・ヴィデオはリオ出身のロックデュオ。ガエル・ソンキン(Gael Sonkin)とヴィトル・テッラ(Vitor Terra)の二人は、インディー・ロックからメタルにドラムンベースに至るまで思いつくままにミックス。サンパウロに拠点を移し、同地のインディー・シーンにおける最重要レーベルの《Balaclava Records》から発表したフル・アルバム『Noite De Lua Torta』はその感性を強烈に映し取った快作となった。本作にはアナ・フランゴ・エレトリコがゲスト参加。実はダダ・ジョアンジーニョもホサベージ時代にアルバムへと招いており、図らずも二組の結節点となった。
昨年ミナスジェライスのニコラス・ジェラルヂにインタヴューした際にも「エレクトロニックとロックが混ざっていて、すごく面白い」と名前が挙がっていたムンド・ヴィデオ。まさに界隈を超えた支持を集めている注目のデュオだ。
そんな二組によるコラボEP『Sustos』は、コラージュにコラージュを重ねる二組の嗜好が存分に表れた作品集となった。冒頭を飾るリード・トラック「Dourado」の、ドラム・ブレイクへと偏執的に絡むギターとシンセサイザーのユニゾンに耳を傾けよう。ルイス・コール印のトラックにポルトガル語の心地よい両唇破裂音がアグレッシヴにライドする。エレキ・ギターのチョーキングとフリー素材の「イェーイ!」という子どもの感性(レディオヘッド「15 Step」へのオマージュだろうか?)を並置させるセンスにも、才気迸る彼らのアイデアが漏れ出ている。
続く「Fora de Controle」では、彼らのミクスチャー・ロックへの献身がより剥き出しになっている。素早いニュー・ジャック・スウィングと荒いメタル・ギターを足して2で割らない暴威っぷり。2分にも満たないこのトラックが物語っているのは、ブラジリアン・ヒップホップの荒々しい歴史。より具体的には、大麻合法化を掲げて急進的な人気を90年代に獲得し、マルセロ・D2とベーネガォンという同国を代表する二人のラッパーを生み出した伝説のユニット=プラネット・ヘンプ(直訳すれば「大麻の惑星」)からの影響だ。ノルデスチ(北東部)のレシフェを起点に“マンギビート”なるムーヴメントで世界へと飛び出したシコ・サイレンスを先輩としてカウントしてもいいかもしれない。これらのプロジェクトもまた、『Sustos』によって再歴史化が図られたのだ。
タイトル・トラックの「Sustos」では少し腰を落とし、ミドルテンポでダダ・ジョアンジーニョがラップを重ねる。その後の「Planos (O Amor Constrói, O Amor Destrói)」での、レイジまで射程に収めた大仰なラップ・メタルと並べれば、このプロジェクトのヴォキャブラリーがいかに膨大か見えてくるだろう。
終曲は「Rock N Roll」というタイトルの、一段と妖しいサイケデリックなナンバー。マッシヴ・アタックにトリッキーといった煙たいトリップ・ホップへのオマージュにも聞こえる一曲であり、『Sustos』というプロジェクトが90’sカルチャーに導かれて生まれたことが窺える。そういえばダダ・ジョアンジーニョが今年リリースしたEPのタイトルは、彼の生まれ年でもある『1997』であった。生まれる前のサウンドに惹かれることなど、今日び特殊なことでも何にもない。猥雑な時代の残滓として今もなお引用され続けるミクスチャー・ロック、その可能性を指し示したプロジェクトこそ、この『Sustos』なのだ。(風間一慶)

